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優しい魔女へ  作者: 十 名鈴
第一部
11/27

第11話 真っ赤な薔薇と白い魔女

エルンの村から南西へ約250km離れた、とある都市。


大量の魔石を産出することで知られるその街の中心部には、国の重要拠点である膨大な魔石生産施設が聳え立っていた。


人の往来は絶えず、多種多様な人々が活気あふれる日々を営んでいる。

レンガ造りの美しい街並みが広がり、すぐ裏手には澄み渡る群青の海が広がっていた。

名物であるローズティーは特に女性からの人気が高く、それを象徴するように、街の至るところに小洒落た喫茶店が点在している。



街の中心街から少し外れた通りを、見慣れぬ装いを纏った二人の女性が歩いていた。

その中心で、一際人目を引く存在感を放つ女性。


180cm近い長身に、地を払うほど長く美しい純白の髪。

その瞳は、神秘的な銀色の光を湛えていた。

見る者を一瞬で魅了する妖艶さと神聖な美しさを持ちながら、まるで聖母のように穏やかな雰囲気を纏っている。


女性は通り沿いにある小さな店へ足を踏み入れると、名物のローズティーを注文した。

席が開放的に通りに面しており、すぐ側では路上演奏者たちが心地よい旋律を奏でている。


純白の髪の女性は優雅に席へ腰を下ろすと、響き渡る音楽に静かに耳を澄ませた。


「ふふっ、とても良い音ね。この街にはもったいないくらいだわ」


女性は音楽を楽しみながら、軽やかに呟く。

ちょうどその時、湯気を立てる名物のローズティーが運ばれてきた。


「まぁ、素敵な香り。ん〜っ、おいしいっ! ふふっ、あなたも飲む?」


席に座らず、側で控え続ける同行者へ声をかけるが、彼女はそっけなく首を横に振って辞退した。


「ルシエラ様……。よくそんな脳天気に飲めますね」


同行者は純白の髪の女性の名を呼び、呆れたように答える。



ルシエラ。

純白の髪と銀色の瞳を持つ魔女。

そう──彼女こそが、ミカの母親だった。

ルシエラは立ち上るローズティーの香気を愛おしむように味わう。



その姿を、同行者は少し眉間を寄せるようにして見つめていた。彼女もまた、魔女の一人である。

美しい青髪をなびかせ、眉間には常にかすかなシワを刻んでいる魔女だった。


今、この平穏で美しい街に魔女がいることなど、誰一人として気づいていない。


むしろルシエラの神々しい美しさに引き寄せられるかのように、通りでは陽気な演奏が響き渡り、大道芸の道化師が興に狂ったパフォーマンスを披露している。

まるで、小さな祭りのような賑わいだった。


ルシエラが優雅にカップを傾けていると、路地の影からもう一人の魔女が静かに歩み寄ってくる。

そして、ルシエラの耳元へ顔を寄せ、密やかに言葉を告げた。


「ルシエラ様、見つけました。やはり報告通りですね」


ルシエラはローズティーを一口含み、静かに「そう」とだけ頷いた。

そして可憐に微笑みながらカップを持ち上げ、報告に訪れた魔女へ声をかける。


「あなたはどう? すっごく美味しいわよ」


ルシエラの無邪気な問いかけに、報告を終えた魔女は心底困り果てたようにため息をついた。


「はぁ……また変なもの口にして……だめですよ、ルシエラ様」


そう窘められると、ルシエラは少しだけ頬を膨らませ、可憐に拗ねてみせる。


「もう……つれないわね。ふふっ、それじゃあ……始めましょうか」


つとめて軽やかに告げると、ルシエラは手にしていた磁器のカップをテーブルへ静かに置いた。


その時、店の若い給仕がサービスだという焼き立てのクッキーを、満面の笑顔で運んでくる。

店の自慢であるそのクッキーは、とても無料とは思えぬほどの見事な出来栄えだった。

給仕は親しみやすい笑顔を浮かべ、ルシエラの前へと恭しく差し出す。



ルシエラは慈愛に満ちた笑みを返し、緩やかな動作で右手を頭上へ掲げると──指を優雅にパチンと鳴らした。


パシャン!


静寂を突いて、鈍い破裂音が路上に響き渡る。

ルシエラの目の前に立っていた給仕の体が、一瞬にして弾け飛び、鮮血の雨となって周囲へ降り注いだ。


何が起きたのか、誰も理解できなかった。

あまりにも唐突で狂気じみた光景に、通りの人々は思考をフリーズさせ、ただ呆然と立ち尽くす。


だが一瞬の遅れののち、耳を刺すような悲鳴が響き渡った。

ルシエラのすぐ近くの席にいた客の声だった。


「ねぇ、濡れてしまわないかしら?」


ルシエラが少し困ったように呟くと、側に控えていた青髪の魔女が素早く優美な傘を開き、ルシエラの頭上へと差し伸べた。

ルシエラは微笑んでお礼を告げると、再び軽やかに指を鳴らす。


指の音と同時に、悲鳴をあげる隙すら与えられず、周りの人々が次々と弾け飛んでいく。

肉片すら残らない。ただ朱色の液体の塊へと変わり、キラキラと輝く血の雨を降らせていく。


路上で優雅に楽器を奏でていた老人たちも、手を繋いで歩いていた親子も、目につく生命のすべてが赤い雨となって散っていった。


最後に残されたのは、踊っていた道化の男一人。

ルシエラはチラリと視線だけを向けると、椅子から立ち上がり、ゆったりとした足取りで歩き始めた。


足元一面を覆い尽くす赤黒い血の溜まり。

しかし彼女の足が触れても波紋一つ発生せず、まるで見えない床を踏むかのように歩みを進める。


ルシエラは血に染まった路地を静かに出ていく。

背後では、残された道化が弾ける湿った音が、通りの中へ静かに響き渡っていた。



ルシエラと二人の魔女は、赤く染まりゆく街並みをゆったりと散策する。


「ねぇ、この先であってるの? お腹空いてきたから早く終わらせたいわね」


そんな会話を交わしながら歩むルシエラの後ろを、二人の魔女は呆れ顔でついていく。


「帰ったらどうせ、信じられないくらい食べるんですから……我慢してくださいよ」


彼女たちは平和な日常のひとコマのように談笑を重ねていた。

その背後では、かつて人間であり生き物であったものが、次々と弾けては鮮血の雨となって降り注ぎ続ける。


美しく立ち並ぶレンガ造りの街並みに、どこからか流れてくる路上演奏の旋律が静かに交差していた。

降り注ぐ赤い雨が太陽の光をキラキラと反射し、遥か彼方に広がる青く澄んだ海との絶妙なコントラストを描き出す。


「はぁ……ミカちゃん今頃どうしているかしら。早く帰ってきてくれないかなぁ……」


ルシエラはそんな愛おしい呟きを溢しながら、目的の場所へと足を進めていく。

まるでオーケストラの指揮者かのように美しく指を振るうたび、街の至るところで清涼な破裂音が鳴り響いた。


「またそんなこと言って……あなたが送り出したんでしょう」


隣を歩く魔女は「また始まった」と呆れた調子で応じる。

ルシエラの左右を歩く二人の魔女が、手持ち無沙汰そうに手を振った。


途端に、右側の通りでは建物や地面から巨大な岩柱が突如生え出し、逃げ惑う人々を一瞬で押し潰す。

左側の通りでは、涼やかな鈴の音とともに吹き抜けた風が、鋭利な刃となって人々を綺麗に断ち切っていった。


「寂しいものは……寂しいの。ミカちゃんは本当に優しくて──」


ルシエラが愛娘の思い出を語っていた、まさにその時。


進む三人の視界の先に、全身を重厚な鉄鎧で固めた街の警備隊、数百人の大部隊が待ち構えていた。

その陣形の中には、異様な雰囲気を纏う者たちや、精鋭と思しき騎士の姿も散見される。


部隊の頭頭に立つ隊長らしき男が、顔を血走らせて声を張り上げた。


「止まれ! 悪しき魔女らめが! おぞましい……なんとおぞましい凄惨な真似を……ッッ!」


隊長は、ルシエラたちが歩んできた背後に広がる地獄絵図を目にし、拳から血が滲むほど強く握りしめる。


「貴様らの凶行はここまでだ! ここにいる部隊は、対魔女として編成された特殊な兵達である。貴様らのような卑劣でおぞましい魔女など過去にいくつも葬ってきたのだ!」


兵の隊列から、全身を黒い異形布で覆い特殊な魔導具を装着した数十人の兵士と、豪華な装飾鎧を纏った一人の騎士が前へ躍り出た。


「貴様らの積み重ねた非道……死をもって償うがいいッッ!」


隊長が怒りを爆発させ、全軍へ攻撃命令を下そうとしたその瞬間。

魔導具を構えていた兵たちが、異変に気づいたように動揺し始めた。


「ま、まさか……あの髪……それにあの瞳は……」


動揺する魔導具兵に遅れて、装飾鎧の騎士もルシエラの姿を凝視し、顔面を蒼白に染め上げる。


「な、ど、どうしたというのだ貴様ら! 怯むなッ!」


何が起きているのか理解できず、隊長が激昂する。

すると、騎士が震える唇を激しく打ち震わせながら、途切れ途切れに口を開いた。


「ま、魔女の中には危険な存在として注意するべき奴らがいる……。緑の魔女、紅の魔女、黒の魔女……そして、特に危険なのが……」


騎士の怯えた視線が、ルシエラへ集中する。


「……白の魔女……!」


ルシエラは、相変わらず穏やかな笑顔を浮かべたままでいた。

その純白の髪と神秘的な銀色の瞳から、目の前に立つ魔女こそが、最も危険な『白の魔女』であると思い至ったのだ。


「まぁ、詳しいのね」


ルシエラは鈴を転がすような優しい口調で応じる。

その表情には怒りや憎悪といった醜い感情は微塵もなく、ただどこまでも慈愛に満ちていた。

その絶対的な余裕に対し、隊長は激痛を感じるほど歯を噛み締め、部下たちへ叫ぶ。


「ちっ……気味が悪い……。あれを用意しろッ! いつまでそんな顔ができるか見ものだな……ッ!」


隊長の合図とともに押し出されてきたのは、見上げるほどに巨大で、禍々しい圧迫感を放つ謎の大型魔導具だった。

それを目にした二人の魔女の表情が、僅かに揺れる。


「ルシエラ様……。あれはちょっとまずいかも──」


二人が危惧の声を漏らした瞬間、ルシエラは何もない空中に、優雅に足を組んで腰を下ろした。

まるでそこに、不可視の豪華な椅子が存在するかのような佇まい。


ルシエラが軽く指を鳴らすと、空間から美しい磁器のティーポットとカップが出現する。

宙に浮いたティーポットが滑らかに傾き、ひとりでに澄んだお茶が注がれていった。


「ル、ルシエラ様? 何してるんですか?」


隣の魔女が困惑して尋ね、もう一人の魔女は呆れて肩をすくめる。


「ふふっ、さっきのローズティー途中だったから飲みたくなったの」


ルシエラは静かに微笑むと、注がれた温かなお茶を優雅に口へ運んだ。

街を覆い尽くす惨憺たる血と鉄の臭気の中に、ローズティーの爽やかで芳醇な香りがふわりと広がっていく。

ルシエラは周囲の地獄を余所に、心ゆくまでティータイムを堪能していた。



その常軌を逸した光景を目にした兵たちは、青筋を浮かべ、額の血管が爆発せんばかりに激怒する。

目の前の魔女は、これほどの大虐殺を繰り広げながら、優雅にお茶を楽しんでいるのだ。

そんな侮辱が許せるはずもなかった。


「ふ……ふざけるなァァッ!」


隊長の咆哮とともに、怒りと憎悪に狂った数百の兵たちが一斉に雪崩打って突撃してくる。

二人の魔女は小さくため息をつくと、ルシエラの前へと躍り出て、迫り来る兵たちへ向けて手をかざした。


途端に地面が爆発するように盛り上がり、押し寄せる兵たちを次々と押し潰していく。

断末魔をあげる間もなく肉塊へと変わっていく兵士たち。

運良くそれを回避した者も、次の瞬間には見えない刃によって数十の肉片へと刻まれていた。


「ねぇ、ミカちゃんって本当に可愛いのよ。小さい頃から──」


猛烈な殺戮の只中にありながら、ルシエラは優雅にお茶を吟味し、二人に語りかけ続ける。

その内容は、どこまでも「愛娘ミカ」の自慢話だった。


「ルシエラ様って、本当にミカちゃんのこと大好きですよね」


魔女たちはそんな世間話を交わしながら、迫る兵たちを次々と破裂させ、朱色の雨を降らせていく。

数百を誇った部隊が、見るも無惨に命を散らしていく。

虐殺を行う魔女たちは、ルシエラの自慢話に相槌を打ちつつ、時折チラリと兵たちへ視線を送る程度だった。


その時、見上げるほどの大型魔導具に、狂暴なまでに眩い光が収束し始めた。

異変を察知した二人の魔女は正面を向き直し、両手を強く突き出す。


その背中には、かすかに冷たい汗が滲んでいた。


「なぁ……あれってちょっとヤバイ?」


「ちょーっと……やばいかもっす」


問われた魔女も額から一筋の汗を流しながら答える。

次の瞬間、溜め込まれた強烈な光が一瞬の静寂ののち、視界のすべてを焼き尽くす膨大な光線となって放たれた。


射線上のすべてを穿ち、味方の兵たちの亡骸すら一瞬で蒸発させながら、凄まじい轟音とともに迫る光の奔流。


二人の魔女が両手を固く突き出すと、光の束は透明な壁に激突したかのようにピタリと停止した。

しかしそれも束の間、膨大な圧力によってメリメリと音を立て、ジリジリと魔女たちを押し潰しにかかる。


防戦一方の二人は額から大量の汗を噴き出させ、想像を絶する威力を前に、少しずつ後方へ押し込まれていく。

靴底が地面をズルズルと削り、じわじわと体勢が崩れていった。


耐えかねた一人の魔女が、後方へ悲鳴をあげる。


「ル、ルシエラ様も手伝ってくださいよ……!」


ルシエラは一瞬キョトンと首をかしげると、空中へ静かにカップを置いた。

そして、可憐に微笑む。


「ふふっ、仕方ないわね」


「はいっ」


ルシエラが右腕を静かに掲げ、指をパチンと鳴らした。

その瞬間、大型魔導具から放たれていた絶大な光の束が、音もなく消滅した。


あまりの現象に、生き残っていた兵たちは言葉を失い呆然とする。


「あなた達もまだまだね」


ルシエラは二人の魔女の頭を優しく撫で、微笑みかけた。


「それでもすごいわ。よく頑張ったわね」


優しく掛けられた労いの言葉に、二人の魔女は顔を見合わせ、嬉しそうに照れ笑いを浮かべた。


──まさに、その一瞬だった。

二人の魔女がルシエラへ向き直り、ルシエラも兵たちから完全に意識を逸らした完璧な隙。


その一瞬を逃さない、ただ一人の者がいた。


一人の騎士が、聖なる光を纏う槍を構え、影すら置き去りにする超神速で距離を詰める。

あまりの速度に、周囲の兵はおろか、魔女二人すらその接近に全く気づいていない。


ルシエラ自身も、いまだ二人の魔女へ微笑みを向けていた。


「もらった……! 死ねぇ魔女……ッ!」


騎士はその突進速度を全て乗せ、空間を鋭く穿つ一撃をルシエラの心臓目掛けて突き出した。

騎士の槍先が、ルシエラの皮膚へ届こうとした──まさにその寸前のこと。


刹那にも満たない永遠の中で、ルシエラの銀色の瞳が滑らかに動き、騎士の姿を完璧に捉えた。


そして彼女は、優しく……どこまでも愛おしそうに微笑んだ。


次の瞬間。


パシャン、という小さな水音とともに騎士の全身が弾け飛び、足元に赤黒い血の溜まりが広がった。

手から離れた聖槍が、カラランと虚しい金属音を奏でながらルシエラの後方へと転がっていく。



もはや、この魔女を止められる者など、どこにも存在しなかった。


街は紅蓮の炎に包まれ、人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、歴史ある建造物が次々と崩落していく。

その地獄の只中を、ルシエラは穏やかな微笑みを絶やさずに歩み続ける。


狂暴に揺らめく炎の光が純白の髪に反射し、美しく輝いていた。


ルシエラは、先ほど通りで奏でられていた音楽の旋律を心地よさそうに口ずさむ。

幾重にも重なる肉の弾ける音、骨の砕ける破砕音が、彼女の口ずさむ旋律を彩る美しい伴奏となって響き渡っていた。


やがて、目的地であった街の中心部に鎮座する巨大施設が、地響きとともに脆くも崩落していく。

舞い上がる土煙の中、破砕された膨大な魔石の粒子が、まるで夜空に舞う雪のように煌めいていた。


崩壊の中心で、純白の髪を風になびかせ、穏やかに佇むルシエラ。


「ミカちゃん……元気にしてるかしら」


ルシエラは愛しい娘の面影を思い浮かべながら、全身を赤く染め上げた絶望の街の中を、どこまでも優雅に歩み続けた。



かつて美しかったその都市は、今や全身を鮮血で染め上げ、あたかも大地に咲き誇る一輪の巨大な真紅の薔薇のようであった。

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