第12話 一歩踏み出す力
エルンの村を出発して、少し経った頃。
三人は街道沿いに設置されていた簡易的な休憩所で一息ついていた。
これからの旅のルートと方針を再確認するためだ。
ジルが地図を大きく広げる。
「私達が今いる場所は、この辺りだ。そして……目的の王都はここだ」
ジルは地図の現在地を指でなぞりながら、目的地へと指先を滑らせていく。
そしてある一点を指示すと、トントンと軽やかに叩いた。
「かなり遠いな……。どんなルートで向かうんだ?」
ラックが地図を覗き込みながら尋ねる。
ジルは少し顎に手を当て、考え込むような素振りを見せた。
「通常ならば、馬車で向かうところだが……いま王都へ向かう馬車は制限されている」
ミカがその言葉に首を傾げ、聞き返す。
「で、では、歩いていきますか……?」
ジルの返答は首を横に振るものだった。
「いや、陸路はかなり迂回するルートだ。徒歩では厳しい」
ラックは困ったように眉をひそめ、ジルへ視線を向ける。
「じゃあ、どうするんだ?」
ジルは再び地図上で指を滑らせると、海岸沿いの一点をトンッと叩いた。
ラックとミカが、その指し示された場所を覗き込む。
そこには、小さな文字で町の名前が記されていた。
『港町ポーディリア』
ジルが静かに口を開く。
「船を使う。これなら迂回せずにすむ」
船という単語を耳にした瞬間、ミカの瞳がパッと大きく輝いた。
「ラ、ラック! 聞きましたか……!? 船、船ですよ!」
ミカがラックの両肩を掴み、ガクガクと激しく揺さぶる。ラックは呆れ顔のまま、なされるがままになっていた。
「あーあー、そうだな。良かったなぁ、ミカ」
ジルはその二人の微笑ましいやり取りにふっ……と小さく笑みをこぼすと、言葉を繋ぐ。
「船を使うが、それでもかなり歩くことになる。長い……旅になりそうだな」
ジルの言葉に、ラックとミカは顔を見合わせ、笑みを浮かべて頷き合った。
「上等だよ。一人前になる為に世界を見てこいって言われてるんだ」
ラックの力強い言葉に、ミカも必死に続く。
「じょ、上等……です!」
二人の威勢の良い返事に、ジルは安堵したような柔らかい表情を見せた。
だがすぐ後に凛とした表情へと戻ると、静かに口を開く。
「ならお前たちの課題は明白だな」
ジルはミカへと視線を向けると、手にした杖を指差す。
「ミカは、杖の力をきちんとコントロール出来るようにするんだ」
次にラックへと視線を移し、その腰に携えられた剣へと目を落とした。
「ラックは……その剣を扱えるようになれ」
ジルが静かに手を差し出すと、意図を察したラックが腰の剣を鞘ごと手渡した。
ジルは剣を隅々まで静かな瞳で見つめ、口を開く。
「……いい剣だ。それに……この銘は……」
剣の柄に刻まれた小さな刻印を指先でなぞった瞬間、ジルの表情に驚きが走った。
鋭い視線をラックへ向けると、静かに問いかける。
「……この剣はどこで手に入れた?」
ジルの真剣な問いに、ラックが答える。
「親方から譲り受けたんだ。代々伝わるっていう……大事な剣だよ」
ジルの瞳が、微かに揺れた。
「そうか。セスタードと聞いた時から、そうではないかと思っていたが……やはりセスタード工房か」
ジルはラックと出会った最初の瞬間を思い出していた。
『セスタード』と名乗った少年に対し、かすかな既視感を覚えていたからだ。
最初は単なる勘違いだと思っていた。
セスタードという名は、決して珍しい苗字ではない。それに、当代のセスタードの血族は、10年ほど前に亡くなったと聞いていた。
だからこそ、ラックと出会った時は特に気にも留めていなかったのだ。
「わ、私もセスタード工房の一員です……!」
ミカが手にした杖をぎゅっと握りしめ、胸を張って誇らしげに言った。
ラックも小さく笑いながら言葉を添える。
「ははっ、そうだな。見習いだけどな」
ジルは剣を少しだけ鞘から引き抜くと、うっとりするような吸い込まれる瞳でその刀身を見つめた。
その時、剣を握るジルの指先がかすかに震えていたことに、二人は気づいていなかった。
「ならば……尚の事、お前は剣を扱えるようにならなければな」
ジルは剣をカチリと音を立てて鞘に収めると、両手でラックへと手渡す。
ラックは片手で受け取ると、再び自分の腰へと戻した。
「ラック。この剣を託された意味……お前はこの旅でそれを見つけろ」
ジルは真剣な眼差しを向けたあと、笑みを浮かべて言葉を続ける。
「ふっ……剣術のことなら私に任せろ」
その一言に、ラックは顔を引き攣らせた。
ジルはその反応に、キラリと瞳を光らせて口を開く。
「どうした? 私では不満か?」
ラックは慌てて首を振って否定する。
しかしその表情は引き攣ったままだ。これから『剣術指導』という名の地獄の叩き上げが待っていることを、彼は理解してしまった。
「さぁ、そろそろ行こう。しばらく道なりに歩けば、小さな村があったはずだ。ひとまずはそこを目指すぞ」
こうして三人は再び歩み始めた。
道中、ミカとラックはそれぞれジルから本格的な稽古をつけてもらうことになった。
しばらく進んだ頃、見晴らしの良い開けた草原へと辿り着いた。
ジルはあたりを見回すと、転がっていた一本の折れた木の棒を拾い上げる。
片手で軽く何度か振り抜いて風を切ると、二人に向き直って言い放った。
「ミカ、ラック。私に向けて攻撃をしろ」
その唐突な指示に、ミカは青ざめて首を激しく横に振る。
「だ、だめです……! 危ないですから……!」
ジルは優しいトーンでミカに語りかけた。
「私なら問題ない。それに、お前は……優しすぎる。人に向けて火を撃つことに慣れておいたほうがいい」
ミカは俯いたまま、杖をぎゅっと強く握りしめる。
その隣で、ラックはキョロキョロと地面を見回して何かを探していた。
その挙動不審な様子に、ジルが声をかける。
「ラック、何をしてる?」
ラックはジルが手にする木の棒を指差し、答えた。
「何って……俺も木の棒、探してるんだよ」
その言葉に、ジルはふふっと楽しげに笑うと、ラックの腰の剣を指差す。
「その剣でこい。安心しろ、私はこれで十分だ」
ジルはまるで挑発するように木の棒を軽く振ってみせた。ラックはその言葉を受け、腰の剣をゆっくりと引き抜いていく。
隣でミカは生きた心地がしない表情を浮かべていた。
「だ、大丈夫なんですか……? 危ない……ですよ!」
ラックは額から汗を一筋垂らしながらも、ニヤリと不敵に笑って一気に踏み込んだ。
「大丈夫だろ……! むしろ俺の心配してくれよ……なっ!」
ラックは両手で柄を強く握りしめ、不格好ながらも勢いよく剣を振り上げる。
ジルは笑みを崩さず、微動だにせずその突進を受け止める構えをとった。
振り下ろされた力任せの一撃。しかし刃は空を切り、硬い地面をぬるりと深く引き裂く。
「やはり素晴らしい剣だな。どうした? 私を殺すつもりでこい」
ジルはラックがブンブンと振り回す斬撃を、ただの折れた木の棒一本でいなしていく。
硬い地面すら容易く切り裂く名刀が、何の変哲もない枝切れに弾かれ、ラックは目を見張った。
ジルは振るわれる刃の側面を的確に木の棒で弾き、片手で軽々と受け流しながら、その視線をミカの方へと向けた。
「ミカ。優しいことは悪いことじゃない。だが、お前にも目的があるのだろう?」
ラックの攻撃を捌き続けながら、ジルが静かに語りかける。
ミカは杖を強く握りしめたまま、小さく頷いた。
「怖さも、優しさも捨てなくていい。ただ、自分が一番大切なものだけを忘れなければ……それでいい」
ミカの脳裏に、母との大切な約束が駆け巡る。
魔導具の仕組みを学ぶこと。広い世界を見て回ること。
これは……そのために必要な一歩なのだ。
「や、火傷……しないでください……ね!」
ミカは意を決して杖を強く握り、先端に小さな火種を生成し始めた。
ジルはその変化に僅かな笑みを浮かべる。
「安心しろ。傷一つつかないさ」
ジルの後ろでは、ラックが額からダラダラと汗を流しながら、必死に剣を振り続けていた。
ジルはチラリとそちらへ目をやると、木の棒で軽々と何度もいなしていく。
ミカが放った火の玉が、ジルへ向かって飛んでいく。
だがその炎は小さく、ジルに届く前に空中で儚く消え失せた。ミカが焦りの色を見せる。
「焦らなくてもいい。一歩踏み出せたことが大事だ」
「それに……お前のこともよく分かった」
そう言うや否や、ジルは突然振り返り、手にした木の棒でラックの手首を叩いて剣を落とさせた。
ラックは激痛に顔を歪め、手をさすりながら恨めしそうに叫ぶ。
「いってぇ……。なぁ、俺にだけ厳しくないか?」
ジルは小さく笑うと「気のせいだ」と切り捨て、木の棒でラックの頭をポンと小突いた。
そして、ラックにだけ聞こえるよう小声で語りかける。
「ラック、魔法は恐ろしいものだ。だからこそ……ミカは杖の力だけで身を守れるようになる必要がある」
二人の視線の先では、少し離れた場所でミカが必死に杖を抱え込んでいる。
「そのためにはお前の力も必要になる。自らも、ミカのことも守れるように……お前がなるんだ」
語るジルの横顔は、深く優しく、どこまでも凛としていた。ラックは後頭部をポリポリとかくと、「分かってるよ」と一言返した。
そこへ、ミカが二人の元へトコトコと駆け寄ってくる。
ジルはミカに視線を向けると、柔らかい声で包み込んだ。
「ミカ、今はこれで十分だ。二人とも焦らず一歩ずつ進めばいい」
(やっぱ……ミカには甘いよな……)
ラックはそのやり取りを眺めながら、心の中で苦笑した。
三人はそれから再び歩を進めた。
目的地への道中、ジルはラックへ剣術の基礎を叩き込んでいった。
柄の握り方、刃の交え方、足さばきに至るまで、剣術の基本を徹底的に指導していく。
ラックも根をあげることなく、真剣な眼差しで食らいついていった。そんな二人の稽古の雰囲気は、どこか楽しげでもあった。
ラックが息を切らしてへばると、次はミカの番だった。
杖を通して炎の大きさや熱量を微調整する訓練、そしてジルへ向けて実際に火を放ち、実戦の感覚を掴む訓練。
最初は怖さに身体を震わせていたミカだったが、次第に杖を力強く握りしめ、自発的に取り組むようになっていった。
一日が経過した頃、目指す村まであと少しという小川のせせらぎの傍らで、ラックとミカは腰を下ろして休息をとっていた。
二人の視線の先では、ジルがエルンの村で手に入れた新しい剣を手に、一人静かに素振りを繰り返している。
「うわっ……。ミカ、今の見たか? すげぇ……」
まるで舞踊を思わせる軽快な身のこなしで、ジルの真紅な長髪が流れるように靡いていた。
その一閃は目にも留まらぬ速さで、振りかぶったと認識した刹那には、すでに刀身が振り下ろされている。
音よりも速く刃が走り、一拍遅れて甲高い風切り音が二人の耳を打った。
「す、すごいですね……。本当にジルさんが来てくれて頼もしいです……」
二人はその圧倒的な神業に、呆気にとられながら見入っていた。
しばらくすると、ジルは額に汗一つかかずに戻ってくる。あれほどの神速で動いていたにも拘わらず、その表情は平然としたものだった。
「ラック、ミカ。村に着く前にもう一度見てやる」
その言葉に、二人は顔を見合わせて頷くと立ち上がった。
ラックが剣を抜き、ミカも杖を力強く構える。ジルは手にした剣を鞘へ納めると、二人へ手招きしてみせた。
「何もなくていいのか? 怪我しても知らねぇぞ」
ラックの強気な言葉に、ミカも大きく首を縦に振って同意する。
ジルは不敵に微笑んだ。
「ふふっ……問題ない」
ラックが教わった通りの足さばきで地面を蹴り出す。
握りや振り方を叩き込まれた通りに、鋭く刃を繰り出した。稽古を始めてわずか一日とは思えない、筋の通った力強い一撃だった。
ジルはかすかに目を見張りながらも、難なく素手で刃の側面を叩き、受け流してみせた。
「わ、私も……!」
ミカが杖の先端に小さな火の玉を複数生成し、ジルへ向けて放つ。
ジルは二人の確かな成長に嬉しそうな表情を浮かべながら、迫る火の玉をもう片方の素手で軽々と打ち払っていった。
ジルがラックの足元を払って剣を弾き飛ばし、体勢を崩させる。
ミカの放った火の玉は、彼女の方向へ優しく弾き返され、ミカの少し手前で風に溶けるように消え去った。
「ちゃんと私が教えたことを覚えているな。基本を忘れるなよ」
ジルは倒れたラックへ手を伸ばし、立ち上がらせる。
ラックは悔しそうな表情を浮かべながらも、その瞳にはどこか晴れやかな笑みが宿っていた。
「ミカも良くなっている。『出来ない』と『出来るがやらない』ことの違いは大きい」
「選択肢があることで、未来は広がっていく。二人とも筋は悪くない」
ミカもジルの温かい褒め言葉に、顔をほころばせた。
克服すべき課題は、まだ山のようにある。
それでも確実に一つ成長できたという実感が、二人にはたまらなく嬉しかった。
親方や母親とはまた違う、頼れる大人としてのジル。そんな彼女に、ほんの少しだけ認めてもらえた気がしていた。
その時、三人のすぐ傍の草むらから、真っ白な毛並みに包まれた小動物がひょっこりと姿を現した。
「お、これはユキウサギか? こんなところで珍しいな」
ラックが白いウサギを指差して声をあげる。
ミカはモコモコとした柔らかそうな毛並みに目を奪われていた。
「か、可愛いっ……! さ、触っちゃだめですかね……?」
ミカが興奮気味に息を荒くする隣で、さらに熱い鼻息を漏らす人物がいた。
「……かわいい……」
ジルがぽつりと、ウサギを見つめながら呟いたのだ。
その小さすぎる呟きを聞き逃さなかったラックは、目を見開いて絶句した。
気まずさに気づいたジルは、慌てて威厳を取り繕う。
「っ……! あ、あっちにいけ! ま、まったく……警戒心のない獣だ……」
追い払う素振りを見せながらも、ウサギを見つめるジルの眼差しはどこまでも優しく、手でシッシッと払いながらも視線は釘付けのままだ。
そのわかりやすすぎる反応に、ラックの口元がニヤリと歪む。
「……ふーん。ジルが……。なるほどねぇ」
鋭い視線で意図に気づいたジルは、一瞬でいつもの凛とした表情に戻り、圧をかける。
「……どうした? 何か言いたそうだな」
ラックは「何でもないよ」とすっとぼける。しかしその顔は、隠しきれないニヤニヤ顔のままだ。
(なるほどな、ミカに甘い理由が分かったかも)
ラックはそんな確信を抱きながら、ウサギとミカを交互に見比べた。
真っ白な髪と小動物のような愛らしさを持つミカ。
モコモコとした白い毛を丸めている可愛いウサギ。
(ジルは可愛いものが好きなんだな……。乙女かよ)
その心の声が聞こえてしまったのか、ジルが冷ややかな眼光でラックを睨みつける。
察したラックが弾かれたように逃げ出し、それをジルが猛追した。
一瞬で追いつかれたラックは、容赦なく小川の深みへと豪快に投げ込まれていった。
ミカはそんな二人を見て、涙が滲むほど笑っていた。
◇◇◇
村を目指してしばらく歩いた頃。
ようやく、目的地を示す村の標識が視界に入ってきた。ふと、ジルが立ち止まり、不審そうに周囲を見回し始める。
「ど、どうしたんですか?」
不穏な雰囲気を察し、ミカが声をかける。
ジルは眉間に少しシワを寄せて答えた。
「いや、ここから村が見えてもおかしくないはずだが……」
そう言って、視線を巡らせるジル。
だが、どれほど目を凝らしても、村があるべき場所に住居の影すら見当たらなかった。
その時、ジルの眼光が異様な違和感を捉える。
そこには木々が不自然にへし折れ、土がどす黒く変色した異様な光景が広がっていた。
「嫌な予感がする」
ジルは低く呟くと、その異変の中心へ向かって足早に歩み出す。ラックとミカも顔を見合わせ、引きつった表情でジルの後に続いた。
近づくにつれ、ジルはその惨状の正体に気づき、顔色を急速に陰らせていく。
そして、その現場へと到着した瞬間、ラックとミカもすべてを理解した。
そこは、村だった。
いや、正確には「かつて村だった場所」と言うべき無残な痕跡だった。
すべてが黒く焼け焦げて炭と化し、崩れた土に埋もれ、巨木がなぎ倒されている。
「な、なんだよ……これ……」
絞り出すようなラックの声が響く。
ミカは大きく目を見開いたまま、言葉を失っていた。
焼け焦げた炭と煤の臭気が、鼻腔を強く刺激する。
甘ったるい肉の焦げた臭いと、湿った土の臭いが混ざり合った、胸を悪くするような異臭が漂っていた。
二人の目の前には、滅ぼされた村の跡だけが残されていた。




