第13話 不格好で小さな宝物
煤の匂いと湿った土の悪臭が、辺りに立ち込めている。
ジルは、土と焼け焦げた炭の塊と化した廃墟にそっと触れ、その状態を確かめていた。
指先に伝わる炭や木材はすでに冷え切っており、この村が滅んでからかなりの時間が経過していることを物語っていた。
「……数日は経っているな。村の中を確認するぞ」
ジルは周囲への警戒を怠らず、静かに足を進めていく。
村内には生物の気配が一切なく、かつての住居はすべて炭と灰に変わり果て崩れ落ちていた。
「火事にでもあったのか?」
ラックの問いかけに、ジルは無言で首を横に振る。
そして、不意に一箇所を指し示した。
ラックとミカがその先に視線を向けると、倒壊し炭化した木材の柱に、自然についたものではない鋭利な切り傷が刻まれている。
「おそらく……野盗の襲撃にでもあったのだろう」
ジルはその切り傷を指先でそっとなぞる。
腰に携えた剣の柄に手をかけたまま、鋭く辺りを見回すジルの背中には、緊張の気配が漂っていた。
その厳粛な空気に気圧され、ミカは少し怯えたように身を縮こまらせる。
「も、もういないですよね……?」
ジルはその問いに答えることもなく、村の奥へと視線を巡らせながら歩みを進める。
一切の警戒を緩めることはなかった。
「いつでも武器を抜ける準備はしておけ」
ジルが二人に低く、静かな声をかける。
二人は額に汗を一筋垂らしながら、固く頷いた。
三人が村の中心近くへと差し掛かった時、ジルがふと足を止め、手で二人を制した。
「……止まれ」
ジルは静かに剣の柄に手をかけ、抜き放つ。
その鋭い眼差しの先には、半分ほど倒壊し、黒く焼け焦げた小さな廃墟があった。
「そこにいるのは分かっている。姿を見せろ」
ジルはその廃墟に向けて冷徹に言い放つ。
ラックとミカはそれぞれの武器である剣と杖を強く握りしめ、不安そうにその廃墟を見つめていた。
その瞬間、崩れかけた壁の一部がガラガラと音を立てて崩落し、一人の少年が姿を現した。
年頃はミカやラックの少し下くらいだろうか。しかし、その双眸は異様に鋭く暗く、一筋縄ではいかない気配を漂わせている。
「ここで何があった?」
ジルは警戒を解くことなく、目の前の少年へ問いかけた。
少年はジルの姿を見た瞬間、言葉を返すこともなく、流れるような手際で背負っていた弓を取り出し、矢をつがえて構えた。
ラックとミカは突然の事態に大きく目を見張り、焦りを露わにする。
だが、ジルだけは微動だにせず落ち着き払っていた。
無言で二人を手で制すると、ジルは少年へと静かに歩み寄っていく。
「く……来るな……! それ以上来たら……射ちます……っ!」
少年は引き絞った矢の先端をジルに向け、必死に威嚇する。
それでもジルは歩みを止めなかった。
その不可解な行動に、ラックが焦りを滲ませた声をあげる。
「お、おい! ジル!」
ジルがあんな少年の矢などで傷一つ負わないことは分かっている。
だが、あえて危険な間合いに踏み込む意図が読めず、ラックは深く困惑していた。
ジルは静かに歩を進めながら、諭すように口を開く。
「大丈夫だ、ラック。あの子は射たない。いや……射てないと言った方が正しいか?」
ジルは少年に向けてそう言い放つ。
少年は弓を向けながらも、その手は細かく震えていた。少年が気圧され、わずかに目線を外したその瞬間。
ジルは瞬きよりも素早く距離を詰め、少年を地面に組み伏せていた。
「っ……! 離してください……! くそっ……!」
少年は必死にもがくが、ジルの抑え込む力はびくともせず、やがて諦めたように動きを止めた。
ジルは抵抗が消えたのを感じ取ると、少年の手から弓を取り上げ、その場に立って向き直る。
「これで話くらいできるな。もう一度聞く。この村で何があった?」
ジルの冷徹な問いかけに観念したように、少年はゆっくりと語り始めた。
「……野盗ですよ。野盗の襲撃で滅びました。そして、僕は……その野盗の一人です」
その告白に、ジルは納得したように小さく頷く。
「なるほどな。私の姿を見た瞬間に構えたのはそういうことか」
ミカにはその意味が飲み込めず、戸惑いの表情を浮かべる。
「ど、どういうことですか?」
ラックがそんなミカの疑問に補足する。
「ほら、ジルは騎士様だろ? 野盗の自分を捕まえに来た騎士様だと思ったんじゃないか?」
ラックの説明に、少年は意外そうな表情を浮かべた。
「……捕まえに来たんじゃないんですか?」
少年の問いに、ジルは首を縦に振る。
「ああ。私達は旅の途中で通りがかっただけだ」
次の瞬間、ジルの表情に険しさが戻り、淡々と追撃の問いを投げかける。
「だが、それはさっきまでの話だ。私にも騎士としての責任はある」
ジルは腰に差した剣をチラつかせながら、冷ややかな口調で話を続ける。
「なぜ滅ぼされた村に、野盗の一味が一人で戻ってきた? もう何も残されていないような廃墟に」
少年は顔を俯けたまま、ぽつりぽつりと話し出す。
「そんなの……僕だって分からない……。気付けばここに来ていましたから……」
少年は、先ほどまで自身が身を潜めていた廃墟の方へと視線をさまよわせる。
その瞳の奥に、どこか深い憂いを含んでいることに、ジルだけが気づいていた。
「ここは……僕が育った村です。そして、ここは住んでいた家……」
少年は静かに過去を語り始めた。
記憶はおぼろげだが、幼い頃に自分は親に捨てられたこと。この村に住む一人の老人に拾われ、一緒に生活していたこと。
村では捨て子だという理由から子どもたちに邪険にされ、その親たちからも常に冷たい目を向けられていたこと。
「僕は……必要とされたことが無いんです。僕を拾って育ててくれた人も、いつも僕から目を逸らす……」
少年は記憶を掘り起こすように言葉を紡ぐ。
静かだった少年の声は次第に震え始め、煤にまみれた土の地面を強く握りしめた。
「……そんな時です。この村が野盗に襲われたのは……」
少年は自身の土で汚れた手を弱々しく見つめる。
「僕も殺されると思った。でも……殺されなかった。何故かわかりますか……?」
少年の問いに、ラックもミカも答えられず沈黙する。そんな中、ジルだけは少年が発した言葉の裏にある真意を察しているような目をしていた。
「僕は……野盗のボスの子どもだったんです。ボスは……僕の目の前でおじいさんを殺しました」
少年は、自分が涙を流していることすら気づいていなかった。
「僕は……何も感じなかった。ただ、ボスが差し出した手を握りました。『お前が必要だ』と言ってくれたから……」
少年は声を震わせながら語り続ける。
それが人殺しの集団だと分かっていたこと。
自分には弓の才能があり、それを周りが褒め、必要としてくれたこと。
実の父親であるボスが、自分を認めてくれたこと。
それは歪んだ愛情だった。
いや、愛情とも呼べない、ただの都合のいい道具に過ぎなかったのかもしれない。
少年は心のどこかでそれを理解していた。
それでも、そこから離れることはできなかった。帰る場所を失い、誰かに必要とされる自分が、虚しくもどこか心地よく、生きていてもいいと認められている気がしたからだ。
「ははっ……おかしいですよね? 分かってます。そんなの自分が一番分かってる……」
少年は深く俯く。
ジルもラックも何も言わず、ただ静かにその姿を見守っていた。
その時、ミカが意を決したように口を開く。
「あ、あの……お父さんのこと好き……ですか?」
それはどこまでも純粋な疑問だった。
好きだから一緒にいる。好きじゃなければ一緒にいなければいい。
そんなどこまでも純粋で、だからこそ残酷な問いかけ。
「好き……? ははっ……何言ってるんですか。僕の話……聞いてなかったんですか?」
少年は鋭い眼光でミカを睨みつける。
だがミカは怯むことなく、まっすぐに見つめ返して言葉を重ねた。
「き、聞いてましたよ? でも、悪いお父さんと、おじいさん……どっちが好きなんですか?」
少年は顔を歪め、奥歯を噛み締めながら強い口調で言い返す。
「っ……! うるさい……っ! どっちが好きとか……そんな問題じゃ……」
ミカの純粋で真っ直ぐな瞳を直視できず、少年はたまらず目を逸らしてしまう。
その時、目を逸らした視界の隅で、小さな何かが光を反射しているのが目に入った。
そこは、かつて自分が老人とともに暮らしていた廃墟の跡だった。
煤にまみれた泥の中に、鈍く小さく光る金属片。少年はその光に引き寄せられるように、おぼつかない足取りで歩み寄っていく。
煤にまみれた泥の中から、震える手でそれを拾い上げた。
「なんだ……これ……」
それは小さなナイフだった。
職人が作ったような精巧なものではなく、どこまでも歪で不器用な手作りのナイフ。
少年は震える手で、柄にこびりついた泥を必死に払い落とす。
そこには、ガタガタとした不格好な文字が彫られていた。
『愛しいローシュ』
それは少年の名前だった。
「なんだよ……これ……。なんで……僕の名前が……」
その瞬間、少年の脳裏に映像が蘇る。
いつのことかも忘れた、幼い頃のほんの小さな記憶。
村の子どもたちが収穫祭の最中、野菜を親と一緒に小さな子供用のナイフで切っていた。
それが羨ましくて、老人にねだったことがあった。
『じいちゃん……。僕も……』
遠慮して最後まで言い切ることができなかった自分に、老人は頷くこともなく、ただ静かに収穫祭の様子を見つめていた。
自分自身ですでに忘れていたほどの、些細な記憶。
「……なんで……じいちゃん……覚えててくれてたの……?」
少年は不出来な子供用ナイフを両手で強く握りしめる。
そのナイフは明らかに手作りのものだった。
歪んで不格好な柄の感触が、少年の手に酷く馴染む。
「なんでだよ……。僕のこと……見てなかったんじゃないの……?」
少年の記憶の中の老人は寡黙で、決して優しいとは言えない人間だった。褒めてくれることもなく、かといって怒ることもない、無愛想な人。
少年が見つめると、決まっていつも目を逸らしていた。
「そんな……そんなわけ……」
少年は信じることができず、声を震わせながらうなだれる。
だが、手の中に収まるナイフの重みが、それがまぎれもない真実だと突きつけてくる。
老人の笑った顔を見たことがなかった。
見たことがないはずだった……。
いや、違う。
目を逸らしていたのは……自分自身だったのだ。
いつかの一夜。
闇夜が怖くて、どうしても寝付けなかった日があった。
暗闇におびえ、誰からも必要とされずにこのまま消えてしまいそうで恐ろしくて仕方がなかった夜。
だが、気づけば朝まで眠りにつけていた。
そして、意識が微睡みに落ちる寸前に聞こえた声と、確かに感じた温もり。
『愛しいローシュ。お前は一人じゃない』
老人がその手をとって握りしめ、優しく慈愛に満ちた目で自分を見つめてくれていた。
ずっと夢だと思い込んでいた。暗闇から逃れるために、自分の脳内が見せただけの幻だと。
「……じいちゃん……ごめん……ごめん……っ!」
その時、少年はすべての真実に気づいた。
老人は誰よりも深く彼を愛していた。
ただ不器用な男だったからこそ、その愛をどう伝えていいのか分からなかっただけなのだ。
愛を知らない捨て子と、愛し方を知らない不器用な老人。
少年はずっと、誰よりも深く温かな愛情に包まれ、心から大切にされていた。
「……ごめんっ……! じいちゃん……!」
少年は不出来なナイフを胸に抱きしめるように強く握りしめ、泣き続けた。
ようやく気づくことのできた愛が残した、不格好で小さな宝物を手にして、彼は声を上げて泣きじゃくる。
三人はその様子をただ静かに見守り続けていた。
やがて、ミカが少年の傍らにそっとしゃがみ込み、優しく声をかける。
「おじいさんのこと……好きなんですね」
「じゃあ……答えは決まりましたね」
ミカは心からの微笑みを向ける。
ラックとジルも互いに顔を見合わせ、静かに頷いた。
少年は涙を拭い、強い意志の灯った瞳で三人を見上げる。
「……はい。僕はじいちゃんが好きです。だから……野盗には戻りません」
そして静かに立ち上がると、三人に深く頭を下げた。
「……お願いします。僕を……手伝ってください」
その言葉に、ラックとミカは力強く頷いた。
だが、ジルだけは厳しい表情を崩していなかった。
「分かっているのか? 野盗から抜け出すことは簡単な事じゃない。危険もかなり多い」
ジルの冷徹な指摘に、ラックとミカが答える。
「分かってるって。でも、見てみろよジル。ミカはそんな事気にしてないみたいだぜ?」
ミカは自分と同じように大切な人がいた少年の力になりたいと強く願っていた。
杖を力強く握りしめながら、ジルを真っ直ぐに見つめる。
ジルは小さく息をつきながら口を開いた。
「ふぅ……。仕方ない。私も騎士としての責務がある。危険な野盗を放っておくわけにもいかないな」
その言葉に、ラックとミカは安堵するように頷き合う。
「ありがとうございます……。僕は、ローシュ。ローシュ・ブラックス」
三人も自身の名前を簡潔に名乗っていく。
これ以上長く留まるべきではないという判断からだった。
ローシュが戻らないことに気づいた野盗の一団が、いつここへやってくるか分からないからだ。
ジルはローシュからの情報をもとに、素早く状況を整理していく。
野盗の一団は十数名からなる組織で、村や行商人を襲うことで生計を立てていること。
特にボスは狡猾で、裏切り者には一切の容赦をしないこと。
そしてアジトの位置は定期的に変えられているが、現在はこの近隣の谷に構えていること。
「ローシュ。お前は何が出来る? 作戦を組むにはお前の能力を知っておきたい」
ローシュは手にした弓を見せながら答える。
「弓ならば……誰にも負けません」
ローシュの力強く確かな返答に、ジルは小さく笑みを浮かべて頷いた。
「ふっ……なら期待しておこう」
だが、次の瞬間には再び厳しい表情に戻り、静かに言い放つ。
「もう一つ聞こう。人を射てるか?」
ジルの懸念はまさにそこにあった。
野盗の一団を殲滅するだけならば、自分の力だけでも難しくはないだろう。
だが、それでは何の意味もないことをジルは理解していた。
ローシュ自身が自らの手で過去を断ち切り、未来を勝ち取るためには避けて通れない試練だったからだ。
ローシュは弓を強く握りしめながら答える。
「射ちます……。もう迷いません」
その瞳に宿る確かな意思を見たジルは、僅かに口元を緩めた。
さらに具体的な作戦が固められていく。
谷に辿り着くまでは4人で固まって行動することになった。道中で野盗と遭遇した際の危険性を考慮してのことだ。
まず、ジルが前衛として単身でアジトに踏み込む。
それに続き、ラックとミカが少し離れた位置からジルのサポートに回る形をとる。
ミカは火の杖を活かした遠距離からの牽制、ラックはミカの護衛に回りつつ、必要に応じてジルの支援にあたる。
ローシュは弓による三人のカバーと、ボスである父親の捜索、そして必要があればその手で射抜くこと。
これらはローシュが自ら志願した役割だった。
「ラック、ミカ、ローシュ。お前たちに言っておくことがある」
ジルは三人に厳しく、しかし動かしがたい現実を告げる。
「甘さは持ち込むな。向こうは何人もの人を殺している。おそらくお前たちが子どもであっても容赦はしないだろう」
ジルは腰に差した剣の柄を撫でながら、言葉を重ねていく。
「捕獲する、などという甘い考えは捨てろ。それは強者だけに許された贅沢だ。まずは自身が生き残ることだけを考えろ。いいな?」
それが何を意味しているかは明白だった。
相手が殺す気で来ているのならば、こちらもその覚悟で臨め。自分の身を守るためならば相手に容赦してはならないという、ジルからの教えだった。
この世界で生きていくためには、避けて通れない現実だった。
ジルは三人のことを子ども扱いせず、一人の人間として対等に覚悟を持たせようとしていた。
ラックとミカには、この先必ず必要になる判断だと見越してのことだ。
三人はそれぞれの武器を強く握りしめ、力強く頷いた。
そして、日が傾き始めた頃、四人はそれぞれの意志を胸に、戦いの場へと歩みを進め始めた。




