第14話 それぞれの選択
月明かりが辺りを照らし始めた頃。
ミカたち四人は闇夜に紛れ、目的のアジトへと歩みを進めていた。
先頭をローシュが静かに導き、最後尾をジルが厳重に警戒しながら固めている。
ローシュは異常なほどに視力が優れていた。
暗闇の中でも風に揺れる葉の一枚一枚を捉えられるほどの目の良さを活かし、アジトへと続く最良の道筋を先導していく。
一方、最後尾のジルは、持ち前の豊富な経験と鋭い勘を頼りに、背後への警戒を怠らずに続いていた。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、遠くから微かに野盗たちの喧騒が漏れ聞こえてくる。
それは、アジトがもう間近に迫っていることを告げていた。
足音を完全に殺し、闇夜の中を慎重に進んでいく。
「もうすぐです。皆さん、本当にありがとうございます……」
アジトの入り口が見えかけたところで、ローシュが振り返り、小声で三人に話しかけた。
すぐ後ろを歩いていたラックは、小さく笑いながら返す。
「礼にはまだ早いだろ。ここを乗り越えたら……もう一度聞かせてもらおうかな」
ラックの言葉に、ミカとジルも静かに頷いた。
ローシュの顔には、どこか安心したような表情が浮かんでいた。
恐怖や不安はもちろんある。
だが、それ以上に今のローシュの胸を支配していたのは、未来への希望だった。
この人たちとなら、自分は前に進んでいける。
そんな感情が湧き上がっていた。
「ジルさん。あれがアジトです。……準備はいいですか?」
ローシュの問いかけに、ジルは剣に手をかけたまま、静かな笑みを浮かべて答える。
「ふっ……誰に言っている。さぁ、大捕物の時間だ」
ジルはそう告げると、月光が差し込む谷の中へと軽やかに駆け出した。
アジトの門番たちは、迫りくる危機に気づく様子もなく、あくびを噛み殺しながら虚空の闇を見つめている。
見張りの男たちが微かな物音に気づいて武器を構えるよりも早く、ジルは音もなくその横を通り抜けた。
次の瞬間、見張りの二人は声を漏らす間もなく、そのまま地面へと崩れ落ちる。
「すっげぇ……やっぱバケモンだな……」
ラックはその鮮やかな手際に、思わず小さく声を漏らした。
剣の柄で首筋を正確に打ち抜かれた見張りたちは、泡を吹き痙攣しながら意識を失っている。
ラックはその傍らを慎重に通り過ぎていく。
「あっ、踏んじゃいました……。ご、ごめんなさい……」
ミカは暗闇の中で足元に転がる見張りを避けきれず、軽く踏みつけてしまう。
ジルは振り返り、ラックとミカへ鋭い目配せを送った。
二人は無言で頷き、それぞれの武器を力強く握りしめた。
「ミカ。頼んだぞ」
ジルの言葉に頷き返すと、ミカは杖の先端にいくつかの火の玉を生成していく。
大きな炎を小さな火の玉へと手際よく圧縮し固めていく。
そして、ジルが剣先で示したアジト上部の暗闇へ向け、一気に解き放った。
火の玉が夜空を切り裂くように勢いよく飛んでいく。
野盗たちは突如の事態に対応できず、唖然とした表情を浮かべながら頭上を通過していく火の玉を目で追っていた。
「……ボンッ」
ジルの静かな呟きとともに、圧縮されていた火の玉が激しく弾け、強烈な閃光を放った。
数人の野盗が咄嗟に腕で目を覆ったが、反応が遅れた者たちはその強烈な光に目を眩ませて悶絶する。
「上出来だ……ミカ!」
ジルは剣を構え、一気にアジトの懐へと駆け出した。ラックとミカもそれに続き、アジトの内部へ足を踏み入れる。
アジト内には大量の酒樽が無造作に転がり、村や行商人から略奪した金品が山のように積み上げられていた。
「クソッ……! てめぇら! 敵襲だ──」
武器を手に声を荒らげた野盗の一人が、ジルの素早い一閃によってその場に切り伏せられた。
ジルは全員の視線を釘付けにするように、アジトの中央へと堂々と立つ。
「私の名は、ジルテスタ・レルグリンド! 投降するなら……早くするんだな。私の気は短い方なんだ」
ジルは不敵な笑みを浮かべながら、鋭く剣を構えた。
野盗たちは思い思いに武器を手に取り、血走った目でジルを睨みつけている。
ジルがラックとミカへ再び目配せを送ると、二人はしっかりと頷き返した。
ミカは再び火の玉を作り出しては放っていく。それは攻撃のためではなく、『火』という本能に刻み込まれた恐怖を利用した牽制だった。
ラックも剣を抜き、ミカの周囲を隙なく警戒しながら見渡す。
「ミカ! 派手にぶっ放してやれ!」
ラックの言葉に強く頷いたミカは、いくつもの火の玉を連射した。
火の玉が再び野盗たちの頭上で派手な爆音と爆炎を轟かせ、彼らの戦意をくじいていく。
ミカの放った炎によってアジトの照明が次々と破壊されていく。
これもジルとローシュが立てた作戦通りだった。
敵の灯りを奪い、ミカの炎でこちらが完全に主導権を握る。
ローシュの優れた視覚、ジルの戦闘力を最大限に活かすための戦術だった。
暗闇に花火のように弾ける火の粉の中、ジルの剣が冷たい光を反射して銀色に輝く。
ジルはまるで舞踏のように優雅な身のこなしで野盗たちの間を駆け抜け、次々と敵を無力化していく。
その時、ジルの剣と敵の刃が激しくぶつかり、火花が散った。
「……野盗の中にも、多少はマシなやつがいるようだな」
ジルの視線の先には、飄々とした不気味な気配を纏う男が立ち、両手に構えた歪な二振りの剣でジルの連撃を受け止めていた。
「困るんすよねぇ。俺がボスに殺されちまうんでね……っ!」
男は両手の剣を荒々しく振るい、ジルへと猛然と切りかかる。弾ける火花が暗闇の中で幾重にも交錯しては消えていった。
ラックとミカは、予想外のジルの苦戦を目の当たりにし、手に汗を握りながら固唾を呑んで見守っていた。
その時、二人のすぐ背後で、ガチャンと金属製の扉が開くような異音が響いた。
「なんだ……?」
ラックが音のした方へと鋭く視線を凝らす。
弾ける火花の合間から、何やら巨大な影がうごめくのが視界の端をかすめた。
「ラックさんッ! 避けてください……!」
突如としてローシュの緊迫した声が響き渡る。
ラックはその声に反射的に反応し、すぐ隣にいたミカを力強く押し飛ばしてその場から飛び退いた。
直後、ラックがいた空間を、凄まじい何かが通り抜けていった。
「いっ……! ど、どうしたんですか……?」
ミカは突然押し飛ばされた衝撃で床に手をつき、体をさすりながら顔を上げる。
その瞬間、ミカの目の前から低い獣の唸り声が響いた。それは小動物などではなく、れっきとした猛獣の脅威を孕んだ声だった。
「ラ、ラック……これって……」
ミカは冷や汗を頬に伝わせながら立ち上がり、一歩後ろへ下がった拍子に、背中がラックの背中へとぶつかった。
ラックも声をわずかに震わせながらミカの問いに返す。
「は、はは……。奇遇だな、あいにくこっちもだよ……」
激しく弾けた火花が、二人の眼前に立ち塞がる存在を赤く照らし出した。
ミカの目の前には、大人の体躯ほどもある魔物が長い牙を剥き出しに低く唸っている。
そしてラックの目の前には、不敵な笑みを浮かべながら鋭いナイフを手にした男が立っていた。
ジルは横目で二人の危機をちらりと捉えた。
だが、それはほんの一瞬のことであり、すぐに目の前の敵へと意識を集中させる。
二人の前に現れた脅威であれば、今の二人なら対処可能だと判断したからだった。
万が一、命の危険が迫れば加勢する。
だが、旅の仲間としていつまでも甘やかすつもりはなかった。
「へぇ……よそ見をする余裕があるんすかねぇ!」
飄々とした男がさらに激しく斬りかかってくる。
ジルはその鋭い剣撃をすべて正確に弾き捌きながら、涼しい顔で答えた。
「ああ、残念ながらな」
一方、ラックとミカは背中合わせになりながら、それぞれの目の前に迫る脅威と対峙していた。
「そっち……任せてもいいか?」
ラックは冷や汗を拭いもせず、ミカへ声をかける。
ミカは震える手で杖を強く握りしめ、力強く答えた。
「は、はいっ! ラック……怪我しちゃだめですよ……!」
ラックはミカの言葉に小さく緊張を和らげるように笑うと、剣を構えて目の前の男へと駆け出した。
男は両手のナイフを構え、突進してくるラックの急所を目がけて突きを繰り出す。
それは確実に命を奪うための一撃だった。
だがラックはそれを間一髪で身体を捻って躱し、距離を取る。
「なんだ……見える……?」
ラック自身、その反応速度に驚愕していた。
ここまで動けるようになったのはもちろんだが、何より敵の動きがはっきりと目で追えている。
それは他ならぬジルにしごかれた成果だった。
ジルの圧倒的な剣速に比べれば、目の前の敵の動きはあまりにも遅く感じられた。
「ははっ……やっぱジルはバケモンだな……」
ラックはそんな呆れ混じりの独り言をこぼしながら、繰り出されるナイフの連撃を次々と躱していく。
男は焦りを滲ませながら激しくナイフを振り下ろすが、ラックはその隙を冷静に見極め、反撃の剣を振り上げた。
だが──その剣が敵の身体を捉えることはなかった。
「っ……! くそっ……!」
傷つけられる恐怖よりも、自らの手で『人を斬る』という深い恐怖が、ラックの心臓を締め付けるように渦巻いていた。
その致命的な躊躇いの隙を、目の前の男が見逃すはずもなかった。
男の刃がラックの肉を浅く切り裂き、次々と新たな傷痕が刻まれていく。
実戦経験のなさと、いまだ腹の底から定まらない覚悟が、ラックを徐々に追い詰めていく。
「はははっ! どうした! 生意気なのは最初だけかよっ……!」
男は斬撃の合間に容赦なく足蹴りを織り交ぜてくる。
強烈な蹴りがラックの腹部を直撃し、ラックは剣を手放しかけながら地面へと転がった。
「がはっ……!」
尻餅をついたラックの逃げ場を塞ぐように、男が冷酷な笑みを浮かべてナイフを突き立ててくる。
迫りくる死の影。
今まさに自分の命が断ち切られようとしたその瞬間、ジルの言葉が脳裏を駆け巡った。
『生き残ることだけを考えろ』
『選ぶことが出来るのは強者の贅沢だ』
死にたくない。こんなところで死ぬわけにはいかない。
選べない自分は、どうすればいい?
分かっている。答えは一つしかない──。
ラックは剣の柄とともに、自らの覚悟を強く握りしめる。
それは誰かを殺す覚悟ではない。自分がこの世界で生き抜く為の覚悟だった。
目の前に迫る刃を紙一重で伏せて立ち上がると、ラックは震えを押し殺して剣を大きく振り上げた。
「はぁぁッ!」
ラックは叫び声を上げながら、その剣を一気に振り下ろした。
振り下ろされた刃は、手応えなく空を切るように一閃し、敵の身体を両断した。
生々しい肉を断つ感触は、不思議とほとんどなかった。
切先がコツンと床に音を立ててぶつかる。
それと同時に、男の身体はまっ二つに裂け、そのまま地面へと崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
胸に湧き上がってきたのは、敵を倒した高揚感や達成感などではなかった。
自らの手で人を殺してしまったという事実と、自分自身がまだ生きているという現実感だけだった。
返り血すらついていない刃を見つめながら、ラックは剣を握りしめる手に力を込めた。
「……っ! ミカ!」
ラックは、はっと正気に返るように振り返った。
自分のことで頭がいっぱいになり、すっかりミカの存在を忘れていたことに気づいたからだ。
恐怖と絶望に押しつぶされそうになりながら視線を向けたが、そこに広がっていた光景は予想外のものだった。
ミカは傷一つ負うことなく、しっかりとそこに立っていたのだ。
「……ミカ? 無事なのか……?」
ラックの切実な声に気づき、ミカが振り返る。
その表情は、いつものどこかおっとりとした『ミカそのもの』だった。
その足元には、灰と化して焼き尽くされた魔物の残骸が不気味な悪臭を放っている。
「ラ、ラック! 怪我してるじゃないですか……!」
ミカは自分の無事など意に介すこともなく、青ざめた顔でラックの元へと駆け寄ってきた。
ラックの傷を心配するようにオドオドと瞳を潤ませるミカ。
その変わらない温かい様子に、ラックは救われたような心地で小さく息を吐いた。
一方、ジルは飄々とした男と激しい剣撃を交わしながら、その戦局の一部始終を目にしていた。
二人ならあの程度の相手なら命を奪わずに無力化できるだろうと過信した、自分自身への苛立ちが胸をかすめる。
だが、感傷に浸る間もなく、ジルはすぐに目の前の男へと全意識を切り替えた。
「すまないな。そろそろ終わらせようか」
ジルは男の剣を鮮やかに弾き飛ばすと、一足跳びに懐へと飛び込み、冷徹に剣を振り抜いた。
刃が肉を両断し、遅れて鮮血が噴き出して男が倒れ伏す。
ジルは、まだかろうじて息のある状態に斬り伏せた男を、氷のように冷たい瞳で見下ろした。
男はもはや勝負ありと悟ったのか、大粒の涙を浮かべながら必死に命乞いを始める。
「はぁ……はぁ……。お願い……します。助けてください……! 命令されていただけなんです……!」
すがりつくような醜態に、ジルは鞘に剣を戻しながら冷たく言い放った。
「そうか。なら、二度と人を殺めないことだな」
ジルがそう言い捨ててラックとミカの方へ視線を向けた、その瞬間。
男は狡猾な笑みを浮かべ、落ちていた剣をひそかに拾い上げると、ラックに寄り添うミカの背中めがけて投げ飛ばす動作に出た。
「やはりな……。お前からは……鼻が曲がるほど血の匂いがする」
ジルは一瞬の迷いもなく振り返ると、振り上げた男の腕を正確に切り落とし、返す刀で胴体を一閃して完全に両断した。
鮮血が噴き出すより早く、男の身体は崩れ落ちる。
「これが……私の選択だ」
ジルは静かに剣を納めた。
それと同時に、突如として響き渡る絶叫。
ジルは即座に音の発生源へと視線を鋭く走らせた。
そこには、腕から鮮血を流して倒れ込むラックの姿があった。
そして、その傍らでは、巨躯を誇る野盗のボスがミカを背後から羽交い締めにし、その白い首元に冷たい刃を突きつけている。
その男こそが、野盗のボスだった。
誰よりも狡猾な彼は、アジトに漂うただならぬ気配を敏感に察知し、あらかじめ身を潜めていたのだ。
そして、組織の崩壊と戦闘の隙が生まれた瞬間を狙い澄ましていた。
「よぉ……。お前さんの事は知ってるぜ? ジルテスタさんよぉ!」
ボスはミカの首筋に押し当てた刃に力を込めながら、ジルを歪んだ笑みで威圧する。
人質を取ったのは、ジルという化け物には正面から戦って勝てる確率が万に一つもないと本能で理解していたからこその汚い手段だった。
ミカを盾にしてこの場を切り抜ける──それが狡猾なボスの下した唯一の生存戦略だった。
「どうした? その剣を捨てろ、ジルテスタッ!」
ジルは短く舌打ちを漏らすと、手にしていた剣を床へと投げ捨て、両手をゆっくりと上げた。
だが、その瞳に敗北の色は微塵もない。
この絶望的な状況下で、唯一動ける者がいる。
あとは、その少年の決断を信じるだけだった。
「……分かった。私はこの通り、一切抵抗しない」
ジルはわざと大げさに両手を広げ、降参のポーズをとりながらミカへと微かな目配せを送る。
ミカはその意図を敏感に感じ取り、静かに目を閉じた。
「──『私は』な」
その刹那。
闇夜を切り裂くような鋭い風切り音が空間を貫いた。
恐るべき精度で放たれた『それ』は、寸分の狂いもなく、ボスの脳天を静かに撃ち抜いた。
それは、闇に潜んでいたローシュの放った一矢だった。
彼は最初から息を潜め、油断のないボスの一瞬の隙を逃さず狙い続けていたのだ。
脳天を深く貫かれたボスは、操り人形の糸が切れたように力なく崩れ落ちた。
「ラック……!」
解放されたミカは、負傷したラックの元へと一直線に駆け寄る。
幸いにも傷は浅く、ミカは心底ホッとしたように安堵の表情を浮かべた。
そこへ、ローシュが静かに暗闇の中から姿を現す。
「……お前のおかげだ、ローシュ」
ジルが声をかけると、ローシュは静かに首を横に振った。
「礼を言うのは……僕の方です」
ローシュはあの手作りの不格好なナイフを強く握りしめ、小さく呟いた。
「……終わったよ、じいちゃん……」
実の父親を自らの手で射抜くことに、迷いは微塵もなかった。
たとえ血のつながった親であっても、自分にとって何が大切で守るべきものなのかは、もう理解していたからだ。
「……帰りましょう。じいちゃんの墓を作りたいんです」
ローシュの澄んだ言葉に、三人は力強く頷いた。
アジトに残されたのは、ジルによって気絶させられた十数名の野盗たちと、冷たく斬り捨てられた幹部の男。
そしてラックとミカの手によって討たれた魔物と野盗、さらに実の息子であるローシュの手によってその汚濁にまみれた生涯に幕を引かれたボスの姿だった。
四人はそれぞれの胸に熱い想いを抱きながら、月明かりに照り映える道をゆっくりと歩き出す。
ローシュは二度と振り返ることなく、確かな足取りで一歩、また一歩と未来へ向かって歩み続けた。




