第15話 広がる世界
野盗のアジトを後にした四人は、廃墟となった村へと歩みを進める。
空は少しずつ白み始めていた。
しばらく歩いた頃。
荒れ果てた村の入り口へと、四人は戻ってきていた。
「ただいま……じいちゃん」
ローシュは、老人と暮らしていた家の前で小さく呟く。その表情にはもう迷いの色はなかった。
焼け焦げた廃墟へと足を踏み入れ、墓標にできそうな手頃な木材を探し始める。
三人はその様子を、ただ静かに見守っていた。
「て、手伝いますか……?」
ミカは、手を泥と煤にまみれさせながら懸命に探すローシュに問いかける。
だが、それはジルによって優しく制された。
「……一人でさせてやれ」
ジルの言葉に、ローシュは小さく笑みを浮かべて頷く。
やがて、煤にまみれた廃墟の瓦礫の中から、小さな十字架を見つけ出した。
それはかつて、老人が肌身離さず身に着けていたものだった。
「これは……じいちゃんの……」
ローシュはその十字架をそっと拾い上げる。
十字架は煤と泥に汚れながらも、元の形をしっかりと保っていた。それを胸の前で強く握りしめると、ローシュは静かに村の中心へと歩き出す。
三人は見守るように、その背中を追った。
焼け落ちた村の中央には、ひっそりと小さな花がいくつか咲いていた。
ローシュはそのすぐ隣に質素な墓標を立て、形見の十字架を静かにかける。
立派な墓とはとても言えない。だが、それでよかった。
その小さな墓標には、老人へ向けたローシュの大きな愛が込められていたからだ。
「じいちゃん……行ってくるよ。世界を回ったら……いっぱい話を聞かせに戻ってくるから」
ローシュは震える声でそう呟くと、ゆっくりと立ち上がった。
そして、三人に強い意志を宿した瞳を向ける。
「僕を……僕も、旅に連れて行ってください」
ローシュはまっすぐな眼差しで、そう力強く口を開いた。
ラックとミカは顔を見合わせて嬉しそうに微笑む。二人が思わず手を差し出そうとしたその時、ジルが静かに片手を上げてそれを制した。
「待て。一つ聞きたい」
ジルは瞳を鋭く輝かせながら、静かに口を開く。
「ローシュ。お前の意志を聞かせてくれ」
魔女であるミカ、セスタードに連なるラック、そして騎士である自分。
その三人が歩む旅の行く末が、決して平坦で穏やかなものではないと、ジルは予感していたからだ。
この先には過酷な試練が待ち受け、幾度も苦渋の選択を迫られるかもしれない。
それでも共に進むというローシュの覚悟を、ここで確かめておきたかったのだ。
「僕は……未熟です。世界のことも何も知りません。僕は知りたい。この手で何を守れるのか……。自分の身は守れます」
ローシュは真摯な眼差しで頭を下げた。
「お願いします。僕はあなた達と前に進みたい」
ジルの顔に、ふっと優しい笑みが浮かぶ。
その穏やかな表情を見て、ラックとミカもパッと明るい顔になった。
「わかった。よろしく頼む──」
ジルがそう言いかけたのを遮るように、ラックとミカがローシュへと勢いよく声をかける。
「よろしくな! ローシュ!」
ラックはローシュの肩をガシッと抱き寄せ、満面の笑みを浮かべる。
「よ、よろしくお願いしますっ! と、友達ってことで……いいですか!?」
ミカは興奮した様子で、ローシュにぐっと詰め寄った。
そんな三人のやり取りを見て、ジルの口元から思わず笑みが零れる。
「まったく……締まらないな。改めてよろしく頼む、ローシュ」
ジルが差し出した右手を、ローシュは力強く握り返した。
少年はいま、新たな旅立ちへと踏み出したのだった。
それから四人は焼けた村を後にすると、少し歩いた先でキャンプを張り、しばしの休息を取ることにした。
パチパチと爆ぜる焚き火を囲むように、それぞれが深い眠りについていく。
そんな中、ジルだけは周囲を警戒するように静かに見張りを続けていた。
ふと、ラックがおもむろに起き上がり、ジルの隣へと音もなく腰を下ろす。
「どうした? 眠れないのか?」
ジルはちらっと視線を向け、優しい声で問いかけた。
「なぁ……ジル」
ラックは燃え盛る焚き火の炎を見つめながら、静かに切り出す。
「……初めて人を斬った時……どんな気持ちだった?」
ラックは自分の両手をきつく握りしめていた。
その手がわずかに震えているのを、ジルは見逃さなかった。
ジルは、過去の自分を思い出すように静かに呟く。
「……怖かった。いや、今でも……人を斬るのは怖い」
その意外な言葉に、ラックは少し驚いたような表情を浮かべる。
ジルは優しく笑みを浮かべながら、ラックの頭をポンと軽く撫でた。
その表情はいつもの凛とした厳しさではなく、穏やかでどこまでも優しく温かさに満ちていた。
「ラック。怖いのは悪い事じゃない。その気持ちを忘れなければ……お前はきっと大丈夫だ」
「よくやったとは言わない。だが……よく生きていてくれた、ラック」
ジルに頭を優しく撫でられ、ラックは気恥ずかしそうにしながらもそれを拒まず、小さく息を吐いた。
そして、拳を力強く握りしめて言葉を継ぐ。
「これからも……俺を鍛えてくれ」
ジルはふっと小さく笑うと、今度はラックの頭を力強くガシガシと撫で回した。
「当たり前だ」
二人は顔を見合わせて笑い合う。
その様子を横になりながら聞いていたローシュは、静かな笑みを浮かべながら穏やかな眠りへと落ちていった。
翌朝、ジルは誰よりも早く目を覚ますと、すやすやと眠るミカの肩を揺すった。
「起きろミカ。水浴びに行くぞ」
起こされたミカは、寝癖で髪を大爆発させたまま、目を擦りながらジルに手を引かれていく。
「ふわぁ……。もう、食べられないですよ……」
完全に寝ぼけているミカの手を、ジルは呆れつつも優しく引く。
「ふふっ……身だしなみくらい気を配れ」
そう言いながら、近くの小川へと歩いていくジルとミカ。
木々に囲まれた人目につかない川のほとりで、ジルは静かに鎧を脱いでいく。
女性らしいしなやかさを残しながらも、鍛え抜かれた肉体にはいくつもの傷跡が刻まれていた。
ミカは冷たい水で少し目を覚ますと、ジルの背中に刻まれた一際大きな傷跡に気づき、思わず目を留めた。
その傷は、背中を斜めに一直線に切り裂いていた。
「ジ、ジルさん……その傷って……」
ミカの問いかけに、ジルは落ち着いたトーンで答える。
「これか? これは私の弱さの証だ。私は……強くなるしか道がなかったからな」
ミカはその言葉の重みを理解できず、小首をかしげた。ジルはそんなミカの様子に小さく微笑む。
「お前はその髪くらい直したらどうだ」
ジルの言葉に、ミカは自分の寝癖に慌てて触れ、恥ずかしそうに笑いながら冷たい川の水へ歩み寄った。
冷たく澄んだ川の水に触れ、眠気が一気に引き剥がされていく。ミカは服をきれいに畳むと、静かに川の中へと足を踏み入れていった。
冷たさに身を震わせながらも、ミカは真っ白な髪を丁寧に整えていく。
そんな時、ジルが静かに問いかけた。
「ミカ。……人は好きか?」
突然の質問に、ミカは意図が飲み込めずきょとんと首を傾げる。少し考え込んだあと、何かを思いついたようにパッと顔を輝かせた。
「え、えっと……あっ! ラックも、ジルさんも、ローシュさんも……あとは親方さんも好きですっ!」
ジルはその素直な答えに、ふっと柔らかく笑った。
「そうか……。ならいい」
ミカにはその質問の真意までは分からなかったが、口にした言葉に一切の偽りはなかった。
母しかいなかったミカの世界に、いつの間にかこんなにもたくさんの人が存在している。
ミカは心の中で、自分をこの世界へ導いてくれた母へそっと感謝を伝える。
(お母さん。私ね、いっぱい友達出来たんだよ。ありがとう……お母さん)
二人は心地良い朝の光を浴びながら、並んで水浴びを済ませた。
ジルの真紅の長髪とミカの純白の髪が朝日に照らされてキラキラと輝き、水面にはまばゆい光の粒が反射していた。
その頃、キャンプ地ではラックがようやく目を覚まし、寝ぼけ眼で上体を起こしていた。
髪は芸術品のように四方八方に爆発しており、その姿を見たローシュは思わず吹き出しそうになるのを必死に堪え、声をかけた。
「ぷっ……くっ……おはようございます、ラックさん」
ラックは瞼をこすりながら盛大に伸びをする。
そのまま近くの小川へ顔を洗いに行こうと腰を上げた瞬間、ローシュが呼び止めた。
「ジルさんとミカさんが水浴びしています。今行けば……ジルさんに斬られますよ」
ローシュの真面目な顔での冗談に、ラックは顔を青ざめさせ、ガチガチに固まって座り直した。
「は、ははっ……ならあとにするか……」
その顔は恐怖で完全に引き攣っていた。
あまりの怯えように、ローシュはもう我慢の限界を迎えて吹き出す。
「ぷっ……あはははっ! 顔が引き攣ってますよ……!」
ローシュに笑われ、ラックは真剣なトーンで言い訳をした。
「いや……ジルなら本当に斬るね。間違いない」
ラックはごくりと唾を飲み込み、真面目な顔で語る。ローシュはその怯えっぷりにますます笑いが止まらなくなる。
やがて、そのにつられてラックも苦笑いを浮かべ、二人は顔を見合わせて声をあげて笑い合った。
その時、背後からカチャンと硬質な鎧の足音が響いてきた。
ラックが恐る恐る背後を振り返ると、そこには水浴びをすっきりと終え、冷ややかな視線を送るジルが立っていた。
「……何か言ったか?」
ラックとローシュは「ひっ」と情けない声を漏らし、逃げるように川がある方向へと飛んでいった。
その様子を見てミカはくすくす笑い、ジルも呆れたように小さく息を漏らして微笑んだ。
◇◇◇
それから四人は、港町を目指して旅を再開する。
道中では相変わらずジルによる過酷な特訓が繰り返されていた。特にラックは吹っ切れたように取り組み、ジルも目を見張るほどのスピードで確かな力をつけていく。
基本の素振りを怠らず、空いた時間があれば一人で剣を振るうラック。その背中を見て、ミカやローシュも負けじとそれぞれの課題に没頭していった。
気づけば三人は、自分たちでも自覚せぬほどに頼もしい力を身につけていたのだ。
港町を目指して歩き続けて5日目のこと。
今日も今日とて、三人はジルの厳しい特訓の最中にいた。
「今日は三人まとめてこい。頭を使い、お互いの動きをよく見るんだ」
ジルはそう告げると、自分の剣を地面に突き立て、素手の構えをとった。
その大胆すぎるハンデに、ローシュは驚愕の表情を浮かべる。
「……さすがにジルさんでも危険ですよ」
だが、そう冷や汗をかいているのはローシュだけであった。ラックとミカは、もう微塵も怯むことなくそれぞれの武器を構える。
「そんな心配するだけ無駄だぜ、ローシュ。十人で束になっても傷一つ付かないバケモンだからさ」
ラックが冗談めかして笑った瞬間、ジルの眉がピクリと微かに跳ね上がった。
「……ほう? バケモンか。ならば、その期待に応えてやるしかないな」
ジルの底冷えのするような声に、ラックは「あ、やっちまった」と顔を引き攣らせる。
そんな緊迫感の中、ミカは杖を構えて集中を高めていった。
ここ数日の特訓を経て、ミカは杖の力を以前とは比較にならないほどスムーズに引き出せるようになっていた。もともと魔法使いであるミカにとって、魔導具との親和性は高かったからだ。
「い、いきますよ……!」
ミカの杖の先端で、激しい炎が渦巻くように収束していく。小さな火の玉を次々と飲み込みながら巨大化した炎塊は、一気に放たれ、凄まじい勢いでジルめがけて飛翔した。
ラックはそれに完璧なタイミングで合わせ、教え込まれた正確な足さばきで地面を蹴り、一気にジルへ肉薄する。
ジルはその二人の見事な連携に、満足げな笑みを浮かべた。
「二人とも悪くない。そして……ローシュ、お前もこい」
ジルの促しに、ローシュも覚悟を決めて弓を構える。人に向かって矢を放つ恐怖が完全に消えたわけではないが、相手がジルという信頼からか、不思議と余計な力が抜け、正確に弦を引くことができた。
放たれた矢は、鏃こそ非殺傷の訓練用だったが、当たれば大怪我は免れないほどの猛スピードで空間を切り裂く。風切り音を伴い、完璧な精度でジル目掛けて飛んでいった。
だが──。
三人の渾身の連携攻撃も、結局ジルにかすり傷一つ負わせることはできず、全員が息を切らして地面に大の字で転がっていた。
ジルは汗一つかかぬ涼しい顔のまま、満足そうな微笑みを浮かべている。
「自信を持て。並大抵の相手なら、もうお前たちだけで十分に対処できるはずだ」
ジルの称賛の言葉に、ラックは地面に寝転がったまま息を荒げつつ返す。
「はぁ……分かってはいたけど、ジルは並大抵のレベルじゃないってことね……」
ジルは当たり前だと言わんばかりに小さく笑った。だが、子どもだと思っていた三人がここまで頼もしい実力をつけていることに、胸の奥では誇らしさと喜びを感じていた。
この先、どんな過酷な運命が待ち受けていようとも、この者たちならきっと乗り越えていけると、そう確信していた。
「あの……港町って、あとどれくらいで着きますか?」
ミカが期待に満ちた瞳でジルに尋ねる。
「もう目と鼻の先だ。明日には辿り着くだろう」
その返答に、ミカはパッと花が咲いたように笑みをこぼした。
ミカは未だ見ぬ街への期待に胸を膨らませていた。野宿の生活も嫌いではなかったが、そろそろふかふかの柔らかいベッドと、温かいご馳走が恋しくなり始めていたのだ。
ラックはそんなミカの分かりやすい思考を察し、からかうように口を開く。
「どうせ、また美味しいご飯のことでも考えてるんだろ?」
ミカは慌てて両手をブンブンと振って否定するが、口の端からわずかによだれが垂れていることに本人以外の全員が気づき、その場に笑いが広がった。
港町へ向かう、最後の夜。
四人は野宿のキャンプ地で、それぞれが静かに眠りについた。
ジルは周囲の気配に全神経を尖らせ、万が一の事態にすぐ対応できるよう、太い木を背もたれにして剣を手に浅い眠りについている。
その隣では、寝相の悪いラックがローシュを枕代わりにし、ローシュはうなされるように眠っていた。
ミカは大切な杖を枕元に置き、胸元で母にもらったロケットをぎゅっと握りしめながら、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。
その時、ミカは夢を見ていた。
それは、大好きな母・ルシエラの夢だった。
(可愛いミカ)
夢の中のミカは、幼い頃のように母に甘え、楽しげに語りかけていた。
「お母さん、私ね、いっぱいお友達ができたんだよ」
ミカの報告に、ルシエラはどこまでも慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべ、優しくその頭を撫でてくれた。
(ふふっ、そう。それは本当に良かったわね)
母の温かな眼差しに、ミカは心底嬉しそうに微笑む。
ルシエラは誰よりもミカを愛していた。それはミカにとっても同じであり、母が喜んでくれることが、ミカにとって一番の幸せだった。
(お母さんは、いつだってミカちゃんを見ているからね。私の……私たちの大切な宝物よ)
夢とは思えないほどに、それはリアルで確かな存在感だった。心地よい声も、頭を撫でる手のひらの温もりも、長く美しい純白の髪も、すべてが幻などではなく本物だと感じるほどだった。
(いっぱい世界を見ておいで。たとえ辛いことがあっても、お母さんはいつだってあなたの味方だからね)
(愛してるわ。愛しい愛しいミカ)
ルシエラの長く白い睫毛が妖しく揺らめき、神秘的な銀色の瞳が優しい光を湛えている。
ミカはルシエラの身体を強く抱きしめ返しながら、心地よい微睡みの中へ沈んでいった。
「私も……大好きだよ。……お母さん」
夢か現実かすら判別つかぬ境界線の中で、ミカはさらに深く、穏やかな眠りへと落ちていった。
翌朝、爽やかな朝日に包まれて目を覚ますミカ。
不思議と昨日の疲れは微塵もなく、驚くほど心は晴れやかだった。
大好きな母の温かな夢を見たからだろうか?
そんな心地よい余韻に浸りながら手早く身支度を済ませ、穏やかな笑顔で出発の時を迎える。
いよいよ、目的地である港町ポーディリアに到着しようとしていた。
ジルが先頭に立ち、その後を三人が元気に続く。
おどけ合いながら、港町に着いたら何をしようかなどと楽しげな計画を語り合う三人の様子を、ジルは温かな表情で見守っていた。
ついに、目的地の街並みが視界に飛び込んでくる。
目の前に広がっていたのは、どこまでも青く澄み渡り、水平線の広がる雄大な海だった。
そしてそのすぐ手前には、何隻もの巨大な木造船が揺らめき、カールドルハとはまた一味違った情緒あふれる美しい港町が広がっていた。
潮風の独特な香りが風に乗って運ばれ、全身を心地よく包み込んでいく。
新しい仲間たちと、新しい街。
ミカの世界はさらに大きく広がり、また新たな冒険の扉を開こうとしていた。




