第8話 知らない感情
エルンの村に、朝日が差し始めた頃。
村で道具を取り扱う店の女主人は、日課の朝の散歩に出ていた。夜明けの風が体を心地よく冷やし、頭がすっきりと目覚めていく。
小さな村をぐるりと一回りするだけの、ほんの小さな日課。
だが突然、悲鳴が静寂を破り、村に響き渡った。
女主人の声だった。
視界の先には、荒らされた食糧庫と、無残に食い散らかされた家畜の残骸が残されていた。
悲鳴を聞きつけた人々が集まってくる。
中心には、騎士と思しき長髪の女性が立ち、その前には、腰を抜かしたままへたり込む女主人の姿がある。
「何があった?」
女主人は震える手で、黙ったままある場所を指差した。
その先には食糧庫があり、入り口には内臓を貪り食われた家畜の死骸が転がっている。
「これは……魔物の仕業か? それに、この歯型は……」
騎士は死骸のそばに歩み寄ると、しゃがみ込み、隅々まで確認していく。
家畜の死骸は腹部を一噛みで食い千切られ、内臓があるはずの場所には大きな穴が開いていた。
その時、ラックとミカも悲鳴を聞きつけ、その場所へとやってくる。
「……こりゃひどいな。何があったんだろうな」
ミカはラックの後ろから身を出し、様子を窺っていた。
すると、騎士が二人をちらりと見て近づいてくる。この狭い村の中では、見かけない顔が珍しかったからだ。
「私は、グランシス王国騎士団所属、ジルテスタ・レルグリンド。お前たちは見かけない顔だが……旅の者か?」
「俺はラック・セスタード」
「わ、私は……ミカ・エステレラ……です」
その時、一瞬だけジルテスタと名乗った騎士の眉が、ぴくりと動いた気がした。
だが、それも一瞬のことだった。
ジルは二人から目を逸らすと、惨状へと視線を戻す。
「ラックに……ミカか。タイミングが悪い時に来たな。……見ての通りだ」
二人も惨状に視線を向け、ジルテスタに尋ねる。
「えっと……ジルテスタさん。何があったんだ?」
「ジルでいい。どうやら我々が眠りについている間に、魔物が家畜を襲ったようだ。人間に被害がなかったのが、せめてもの救いか──」
その時、一人の女性が何かを叫ぶように群衆の元へとやってきた。
涙を流し、誰かに何かを尋ねては失望した表情になり、また別の誰かに何かを尋ねていく。
「娘が……! うちの娘を見てませんか!? どこにも……どこにもいないんです……!」
「うちの娘が……! ラピナが……いないんです……! 騎士様!」
二人は、女性が口にした名前を聞いて驚きの表情を浮かべる。
聞いた覚えのある名前だったからだ。つい昨日、この村を案内してくれた可愛らしい少女の名前。
「お、おい……ミカ。ラピナって昨日の……」
ラックの言葉に、ミカが頷く。
「は、はい……。私たちを案内してくれた、あの子ですよね……」
ジルはそんな二人の様子をちらりと見ると、女性の元へと歩み寄り、声をかける。
「落ち着け。まずは手分けをして村の中を捜索しよう。話を……聞かせてくれるか?」
ジルの言葉に頷いた女性は、ジルと共にこの場を離れるように歩いていく。
家畜の悲惨な死骸を目にすれば、女性がさらに取り乱してしまうかもしれない。
それを察しての、ジルの気遣いだった。
集まった村人たちに少女の捜索を任せ、ラックとミカも頷くと、村人たちと共に捜索にあたっていく。
だが、いくら探しても少女の姿も影もなかった。この小さな村の中、少女が隠れられる場所などたかが知れている。
それは、少女がすでにこの村の中にいないことを意味していた。
その時、一人の村人が声を上げる。
その手には、小さな靴があった。その靴を見て、母親は膝から崩れ落ち、泣き叫ぶ。
それは……ラピナの靴だった。
泣き叫ぶ母親の隣に立ち、冷静な表情を崩さずに考え込むジル。
やがて、諭すように静かに語り始める。
「落ち着いて聞け。おそらく娘は魔物に連れ去られている。だが、幸いなことに、まだ生きている可能性が高い」
ジルの言葉に、母親は気を失う。
ジルはその体を支えると、村人に女性を託し、村人たちに向き直って話を続けた。
「家畜を襲った魔物は、翼を持ち、雛を育てる習性がある。ちょうど今の時期は、産卵期を終えて雛たちが孵った頃だろう」
「家畜と食糧庫を襲ったのは、産卵で消費した体力を補うためだろう。そして、娘はおそらく──」
「雛の餌にするため連れ去られた。やつらは血肉を好み、新鮮な肉しか食さない。今はまだ……生きている可能性が高い」
ジルは腰に下げた剣の柄を撫でると、真紅の長髪を靡かせ、凛とした顔で言い放つ。
「私はこれから魔物の巣へと向かう。事態は一刻を争う」
村人たちは、目の前の女騎士から放たれる存在感に圧倒されていた。
「行くのは私一人でいい。大勢でも気取られてしまうからな」
そう言ってジルが視線を向けた先は、村の裏手に広がる大きな森だった。
その時、ラックが一歩踏み出し、口を開く。
「俺も……俺たちも連れて行ってくれ」
ミカも、ラックに続くように隣に立つ。
ジルは二人の装備や姿を、足先から頭まで検分するように見つめた。
「探すにしても、一人よりはマシなはずだろ……?」
ラックは強い意志を宿した瞳で、ジルの目を真っ直ぐに見つめ、ミカも杖を両手で強く握りしめながら、ジルへ視線で訴えかけた。
ジルは小さくため息をつくと、諦めた様子で口を開く。
「……許可しよう。だが、足は引っ張るなよ」
その言葉に、二人は顔を見合わせると強く頷いた。
「行くぞ。時間は限られている」
ジルは森に向けて駆け出し、二人もそれを追うように駆け出した。
森の中は鬱蒼としていた。
様々な生物の息遣いを感じるように木々がさざめき、どことなく不気味な雰囲気が漂っている。
ジルはそんな森の中を、迷うこともなく真っ直ぐに進んでいく。
その様子にラックが疑問を投げかけた。
「巣の場所、分かるのか?」
ジルは前を向いたまま答える。
「ああ、だいたいの位置はな。村を襲った魔物……『ガルダ』には独特の習性があってな」
ジルは少し顔をしかめると、あたりを見渡して方向を変えて走っていく。
「奴らは、独特な匂いを残すんだ。縄張りを誇示するようにな。その匂いを辿った先が巣の場所だ」
ラックは隣を走るミカに視線を向けた。
「……お前、分かるか……?」
ミカは鼻をすんすんと動かすと、首を横に振る。
その様子をちらりと見たジルは、小さくふっと笑うと視線を前に戻した。
「ふっ……私は嗅覚には自信があるんだ。そんなことより……近いぞ」
ジルは速度を落とすと、足音を消すようにゆっくりと歩き始める。二人も自身の気配をできる限り殺すように、ジルのあとを静かについていった。
その時、ジルが足を止めると、無言で前を指差す。
二人がその指の先に視線を向ける。
そこには木々がドームのように覆いかぶさり、開けた場所があった。
その最奥には、巣と思われるものが見える。
そして、その少し上には、ツタに絡まるように吊るされている少女、ラピナの姿があった。
「……私が親のガルダの気を引く。その隙にお前たちは少女を救出しろ」
ジルが小さな声で二人に指示を出すと、二人は無言で頷いた。
初めての魔物との遭遇と恐怖に、二人の背にはじんわりと冷たい汗が滲んでいる。
「ミカ……といったな。その杖で何ができる?」
ジルの問いかけに、ミカは静かに答える。
「え、えっと……火が出せます……」
ジルはミカの答えに少しばかり考え込んだあと、小さく笑った。
「火か……。悪くない。お前は私の背後から援護をしてくれ」
「小さな火でも十分脅威になる」
ミカは杖を握る手を震わせながらも、小さく頷いた。
そして、ジルは茂みから飛び出すと、一気に親ガルダへと駆け出していく。
突然の襲撃に親ガルダはつんざくような鳴き声を上げ、雛を守るべく迎撃態勢に入った。
ラックは茂みの中を音を立てないように迂回し、巣の後方へと近づいていく。
「来いッ! 魔物に言葉が通じるとは思わないが……私が相手だ」
ジルは腰に下げた剣を静かに引き抜いた。鈍い光とともに刀身が露わとなり、ガルダの警戒心はジルへと集中していく。
ミカは後方の茂みに身を潜めたまま、杖をぎゅっと両手で握りしめ、その様子を見つめていた。
「だ、大丈夫……。私のできること……」
ミカは頭の中でイメージをしながら杖を強く握りしめ、いつでも援護ができるように備えていく。
「ちっ……! 飛べるってだけで厄介だな!」
ジルは華麗な身のこなしでガルダの鋭い爪撃を避けては弾く。
ガルダは自身の利である空中機動を活かし、目にも止まらぬほどの速さで何度もジルに攻撃を仕掛けていた。
金属同士がぶつかるような澄んだ音が何度も鳴り響く。
ジルは恐ろしい密度の爪撃にも難なく対処しながら、視線だけをラックの方に向けた。
「どうした? そんなことでは私を餌にはできないぞッ!」
ジルの鋭い一閃が、ガルダの爪の一部を切り落とす。
だが決定打には足りず、ガルダは高度を上げて次なる攻撃を避けていった。
「落ち着け……。俺ならやれる……」
ラックはその様子を横目で見ながら、巣へと近づいていく。
巣は、もう目の前まで来ていた。
「騎士ってのは化け物かよ……。俺も自分のやることをしないとな……」
ラックは巣へと手をかけると、音を立てぬように慎重に登っていく。
巣の中には、数羽の雛であろうガルダが小さな鳴き声を上げていた。
「いい子にしてろよ……? あと少し……」
ラックはツタに手をかけ、ラピナの場所までゆっくりと登っていく。
踏み込むたびにギシギシと音を立て、そのたびに気付かれて襲われるのではないかと、額から汗が滲んだ。
そしてついに、ラピナが吊るされている場所までたどり着いたラック。
譲り受けた腰の剣を静かに引き抜くと、ラピナに絡まるツタを一本、また一本と切断していく。
ジルはその様子をちらりと見ると、後方に潜んでいるミカへと声をかけた。
「ミカ! さらにこちらに気を引くぞ!」
ミカは早まる心臓を押さえ込むように茂みから飛び出すと、杖を魔物へと掲げる。
「……火……小さな火の玉……」
ミカはイメージを口にしながら、杖の先端を、上空を飛び交いながらジルに襲いかかるガルダへと向けた。
杖の先端に、小さな火の玉がメラメラと作り出されていく。ミカがガルダへと火の玉を放とうとした、その時。
突如、巣の方から大きな悲鳴が空間に響きわたった。
意識を取り戻した少女の悲鳴だった。
幼い少女は、意識を失う寸前に魔物に襲われた記憶、そして今まさに置かれている状況に気づいてしまったのだ。
「……っ! しまった……!」
ラックは少女の口を押さえると、一気にツタを切り裂いていく。
そしてその背後では、異常に気づいたガルダが、ゆっくりと視線を巣の方へと向けていた。
「まずい……っ! ミカ!」
ジルの声と同時に、ミカが火の玉をガルダへと放つ。
巣の方へと視線を向けていたガルダの背に、小さな火の玉が着弾する。
だが、その小さな火花は、子を守るという意志を持ったガルダには何の意味もなさなかった。
「そ、そんな……!」
動揺するミカを一切気にすることもなく、ガルダは羽を羽ばたかせ、ラックに狙いを定める。
そしてピタッと動きを止めると、一気にラックへと襲いかかった。
「ラック!!」
ミカは杖を構えて無我夢中で火の玉を放つ。
自身の体の底から溢れる魔法と、魔導具に宿る力が溶け合いながら、大きな火球を作り出していった。
そして、感情のままにそれを解き放つ。
火球は恐ろしいスピードでガルダへと飛んでいき、着弾とともに爆音と爆炎を生じさせた。
「っ……! これはミカの……。助かった……!」
ラックはその隙に絡まるツタを一気に切り裂くと、ラピナを抱きかかえて巣に着地する。
ジルはミカを見つめ、驚愕の表情を浮かべながらも、どこか確信めいた様子で小さく呟いた。
「今のは……やはりそうか……」
やがて、煙がゆっくりと晴れていく。
そこには、あれほどの爆炎を浴びたにもかかわらず、体表の一部が焼け焦げただけのガルダの姿があった。
そして、ラピナを抱えるラックへと鋭い爪を振りかざす。
その動きは先ほどよりもほんの少し遅く、ラックは間一髪のところで躱した。
だが、すべてを避けきることはできず、ラピナを庇うようにした腕を掠め、鮮血が流れ出る。
「はぁはぁ……! あっぶねぇ……!」
ラックは巣の上から転がるように落ちていく。
息を切らし、恐怖に押しつぶされそうになりながらも、ラピナを離すことなく抱きかかえていた。
さらに、偶然持っていた剣がガルダの足を斬りつけ、ガルダはそれに怯むように攻撃の手を一瞬緩める。
「よくやった……! あとは私に任せろ!」
ガルダが再びラックへと爪を振りかざした瞬間、ジルが間に滑り込み、剣で爪を受け止めてニヤリと笑う。
そのまま返す刀で切り返すが、ガルダはまた高度を上げていった。
「ちっ……。面倒な……。ミカ! もう一度アレを撃て!」
ジルは舌打ちをすると、ミカへと視線を向け、言い放つ。
「は、はいっ!」
「大丈夫……私なら……できる!」
ミカは頷くと、再び魔法を織り交ぜながら、先ほどよりも大きな火の玉を作り出していく。
メラメラと燃え盛る巨大な炎が圧縮され、球状へと形成され、一気に解き放たれた。
そのスピードは先ほどよりも速く、上空のガルダへと着弾すると爆炎が生じ、あたりを衝撃が突き抜ける。
「そ、そんな……これでも……」
煙が晴れると、翼で全身を守るように包み込んだガルダの姿があった。
怒りに身を任せ咆哮を上げるが、羽は一部が焼け落ち、高度は段々と落ち始めている。
「十分だ……よくやった……!」
ジルは剣を構えると、一気に地を蹴り、空中へと飛び上がった。
そして、剣を振り上げる。
「グランシス流剣術……一の太刀」
「──月鈴」
澄んだ鈴のような音が辺りに響き渡る。
すべてが一瞬静寂へと包まれると、音よりも早く、静かに剣が振り下ろされていた。
剣は音もなくガルダの肉体を通り過ぎ、やがて剣を収める音が静かに響く。
それと同時に、遅れるようにしてガルダは両断され、音を立てて崩れ落ちた。
「す……すげぇ……これが騎士……」
ラックは唖然としながらその様子を見つめ、ラピナの様子を確認する。
ラピナは恐怖に耐えきれず気を失っていたが、命に別状はないようだった。
「ラック……!」
ミカがラックの元へと駆け寄ってくる。
「ミカ! ははっ、お前のおかげだよ」
ラックとミカは互いの無事を確かめるように顔を見合わせ、安心したように笑みを浮かべた。
ジルはその様子を無言で見つめながら剣を再び抜き、ゆっくりと巣へと歩き出している。
「さぁ、帰ろうぜ。何はともあれ一件落着……って……ジル?」
ラックは、未だ剣を抜いているジルの様子に違和感を覚えて声をかけた。
「ジ、ジルさん……? もう終わりましたし……帰りましょう?」
ミカも何かを感じ、ジルに声をかける。
「……まだだ。まだ残っている」
ジルの言葉に、何かを察したラックは静かに口を開いた。
「まだ……雛だぞ……」
ジルはちらりとラックたちの方へと視線を向けると、諭すような口調で淡々と言い放つ。
「……だからだ」
「親を失った魔物はどうすると思う? 同じ魔物では餌にする力もない。なら……何を狙うと?」
ジルの問いかけに何かを悟ったラックは、拳を握りしめて俯いた。
ミカは未だ理解できずに、ラックとジルを交互に見つめている。
「ラ、ラック? どういうことですか……?」
その答えはラックからではなく、ジルから伝えられた。
「……人間を襲う。力も弱く、肉も多い人間ほど、ちょうどいい餌はないからな」
ジルは剣を手にしたまま、巣へと歩みを止めることなく向かっていく。
ラックはただ何も言えずに俯いていた。
ミカはその様子に違和感を感じ、ジルの方へと向かっていく。
「な、何をするんですか……? どうしてラックは黙っているんですか……?」
ジルは視線だけをミカへと向けると、ついてくるように促した。
ミカはジルのあとを追うように巣へと足を踏み入れる。
そこには無数の雛が、母親からの餌を待つように小さな鳴き声を上げていた。
「これは……赤ちゃん……ですか?」
ジルは静かな表情のまま、ゆっくりと雛へと歩み寄っていく。
「そうだ。ミカ、ラック。優しさでは人は救えない」
ジルは剣をゆっくりと振り上げていく。
「正しさを疑え。これが──私の正義だ」
そして、そのまま剣を静かに振り下ろした。
雛たちは音もなく一刀にて命を絶たれ、苦しむこともなく静かに地に伏せる。
ミカは何も言わなかった。
ただ、目の前で起きたことが、正しいのかも間違っているのかも分からなかった。
可哀想だと思った。
だが……不思議と、それ以上の感情は湧いてこなかった。
「……帰るとしよう。ラック、私はお前が間違っているとは言わない。お前が信じるものをこれから見つけていけばいい」
ジルは剣を収めると、ラックに静かに語りかける。
威厳を感じさせつつも、どこか優しさを感じるような口調だった。
「お前たちはまだまだ子どもなんだ。時間はたっぷりある」
二人を見るジルの表情は凛としながらも、慈愛を含むような瞳をしていた。
ラックは無言で頷くと、ミカの方へと向き直り、声をかける。
「……助かったよ、ミカ。帰ろう」
ラックは気持ちを切り替えるように、ミカに笑いかける。
今はラピナを救えたこと、村を救うことができたという事実だけを噛み締めようとしていた。
誰も失わずに済んだのだから。
「……はいっ!」
ミカはラックに笑顔で答えた。
初めての魔物との戦い。
まだ自分にはよく分からない命の価値。
ミカは、心の底でほんの少し湧いた感情が何なのかは分からなかった。
だが、自分の魔法の力で人を、ラックを助けることができたという充足感だけは理解していた。
(お母さん……。やっぱり魔法って優しいね)
そして三人は少女を救い出し、村への帰路についた。
ミカは自分の胸に残った小さな感情の意味を知らないまま、ラックの後を追って歩き始めた。




