第4話 約束の腕輪
店の奥で、店主がせわしなく立ち働いている。
鼻腔をくすぐる香ばしい肉の香りと、鉄板の上で弾ける心地よい音が、二人の座るテーブルまで漂ってきた。
「ふふ、楽しみですね……!」
ミカは小さな鼻歌を口ずさみながら、椅子の上で足をパタパタと揺らし、今か今かと料理の到着を待っている。
「はははっ。楽しみなのは分かるけど、少しは落ち着けって」
落ち着きのない様子に、ラックは苦笑いを浮かべた。
「ご、ご飯ですよ? 落ち着いてなんていられません……!」
ミカは謎の持論を展開すると、妙に誇らしげに小さな胸を張ってみせる。
そうこうしているうちに、笑顔を浮かべた女店主が大きな木皿を手にやってきた。
「可愛いお嬢さんだねぇ。はいよ、待たせたね! うち特製の、肉たっぷりミートパイだよ!」
テーブルの中央に、こんがりと黄金色に焼き上がった大きなパイが置かれた。
溢れ出す香ばしい湯気と肉汁の輝きに、ミカは呆然と見とれ、思わず唇の端からよだれがこぼれそうになる。
「あ、あのっ……! いいんですか……? 本当に、こんな素敵なものをいただいちゃっても……」
ミカは、ラックの顔と料理を交互に何度もチラチラと見つめた。
「いいって言ったろ? 気にすんな──」
ラックが呆れたように肩をすぼめて答えるより早く、ミカはすでにパイへとかぶりついていた。
一口では到底収まりきらない大きさに切り分け、勢いよく口いっぱいに頬張る。
「〜〜〜っッ!! 美味しいっ! 美味しいですっ!」
喉に詰まりそうになりながらも必死に飲み込むと、ミカは瞳をキラキラと輝かせ、全身で喜びを表現した。
「外の生地はサクサクで、中のお肉はホロホロに柔らかくてジューシーです! 噛むたびに肉汁の旨味と甘みが口いっぱいに広がって……! こ、これはすごいですっ、お野菜もたくさん入っているのに、ちっとも嫌な感じがしなくて──」
一息に熱弁を振るうミカの姿に、ラックは耐えきれず吹き出した。
「ぷっ……はははははっ! お前、さっきまであんなにオドオドしてたのに……っ!」
お腹を抱えて大笑いするラックに、ミカは頬をぷくっと膨らませる。
「そ、そんなに笑わなくてもいいと思います……!」
「いやだって……急に解説始めるから……ぷふっ、あはははっ!」
笑い転げるラックに少し拗ねたような素振りを見せつつも、ミカの唇からは自然と嬉しそうな笑みがこぼれていた。
「はははっ……ふぅ、ごめんごめん。ほら、冷めないうちに食べちまおう」
「はいっ!」
二人は仲良くパイを切り分け、口いっぱいに頬張っていく。
「むぐ……もぐ……。ところでさ、今更だけどミカっていくつなんだ?」
ミートパイを頬張りながら、ラックが尋ねた。
「むぐっ……ごくん。わ、私ですか? えっと……16歳になりました」
「そっか。じゃあ俺と同じだな」
ラックが同じ年齢だと知り、ミカの表情がぱっと明るくなる。
「じゃ、じゃあ……! と、友達……ということですか……!?」
「歳が同じなら友達なのかよ……。ほんっと変わってるやつだな」
「ほ、褒めてもこのミートパイの残りはあげませんよ……!」
ミカはご馳走してもらっている立場も忘れ、残りのパイを両腕で隠すように抱え込んだ。
「褒めてねぇって……。まあ、友達とかはよく分かんないけどさ、そんな焦るもんでもないだろ」
ラックは水を口にしながら、優しく語りかける。
「そ、そうですか……」
少しだけ残念そうに眉を下げたミカだったが、気を取り直したようにすぐに顔を上げた。
「あの……このあとは、どうするんですか?」
「んー……そうだなぁ。露店がたくさん並んでる通りがあるから、そこを見に行くか」
「い、行きたいですっ! すぐ食べちゃいますっ! 〜〜っ、美味しいっ!」
ミカは残りのミートパイを口に放り込み、満面の笑みで味わい尽くした。
「どうだ? 俺のおすすめ、美味かったろ?」
「はいっ! とっても!」
首が折れそうなほど大きくブンブンと頷くミカを見て、ラックは満足そうに口元を緩めた。
「ははっ、なら良かった。よし、じゃあ露店通りに行くとするか」
ラックが立ち上がると、ミカはそそくさと厨房のカウンターへ駆け寄っていった。
「あ、あのっ……!」
少し声が裏返りながらも、ミカは中にいる女店主へ声をかける。
「あら、さっきの可愛いお嬢さんかい。どうしたんだい?」
「お、美味しかったです! すごく……すごーく!」
ミカは身振り手振りを交えながら、心を込めてお礼を伝えた。その健気な姿を後ろで見守るラックの表情にも、自然と温かい笑みが浮かぶ。
(魔女……か。変わってるけど、悪いやつじゃないよな……)
「そ、それと! ラック……ごちそうさまでした!」
不意に振り返ったミカが目の前で大きな声を上げたため、ラックは不意を突かれて跳ね上がった。
「うえっ!? お、おお……、驚かせるなよな……」
思わず変な声を上げてしまい、ラックは照れくささを隠すように慌てて頭を掻いた。
「ほ、ほら、行くぞ! おばちゃん、ごちそうさま!」
赤くなった耳を隠すように歩き出すラックと、その後に嬉しそうに続くミカ。
空腹を最高の料理で満たされた二人は、活気あふれる大通りへと戻り、露店通りを目指して歩みを進めた。
大通りは、行き交う人々で溢れかえっていた。
見たこともない人の多さにミカは目を回しそうになりながらも、はぐれてしまわないよう、ラックの裾を掴む勢いでぴったりと後ろをついていく。
「そういえば、ミカはお金とか持ってるのか?」
人混みを歩きながら、ラックはふと気になっていた疑問を口にした。
街で過ごす以上、何をするにもお金が必要になる。もし無一文なら、稼ぐ手段も考えなければならない。
「は、はいっ! お母さんから持たされているので……!」
そう言ってミカがポケットから取り出した小さな布包みの中には、黄金色の輝きを放つ金貨が数枚、納められていた。
「き、金貨……!? はぁ……これは思ってた以上の箱入り娘だな……」
ラックは目を丸くして驚くと、慌ててミカの手に布包みを押し戻させた。
「いいか、まずはお金の価値を覚えないとな」
ラックは自身の革袋から数枚の小銭を取り出し、手のひらに並べた。
「これが銅貨。基本的にはこれがあれば普段の買い物は大体足りる。さっき食べたミートパイが、銅貨三枚ってところだな」
「はい……」
「次に、これが銀貨。これは銅貨百枚分の価値がある」
「百枚……!」
「そして……さっきミカが持ってた金貨。あれは──」
ラックは一呼吸置き、真面目な顔で告げた。
「銀貨千枚分だ。俺がなんで驚いたか分かったろ?」
ミカは首を傾げつつも、真剣な表情で頷いた。
「……わ、分かりましたっ!」
「……こりゃ、分かってねぇな」
ため息をつきつつも、ラックは苦笑した。
「とにかく、その金貨が一枚あれば、大抵のものは何でも買えるってことだ」
その言葉を聞いた瞬間、ミカの瞳がパッと輝いた。
「ご、ご飯も……たくさん買えますか……?」
「ああ! そりゃもう、この街が食べ物で埋まるくらい買えるぞ」
「え、えぇ……っ!?」
ミカは慌ててあわあわと街を見渡し、宝物のように布包みを抱え込んで服の奥へと隠した。
「はははっ。どれだけすごいか分かったろ? だから、大切にしまっとけよ」
「は、はい……っ!」
「よし、お金の大切さも分かったところで──」
ラックが少し大袈裟な動作で、大きく両腕を広げてみせた。
その視線の先には、広大な広場を中心に、隙間なく立ち並ぶ色鮮やかな露店の群れが広がっていた。
「ここがこの街の名物、露店通りだ!」
目の前に広がったその光景に、ミカは息を呑み、心を奪われた。
色鮮やかな布で飾られた屋台、呼び込みをする商人たちの威勢の良い声、見たこともないエキゾチックな装飾品。
あちこちから漂う香辛料や甘い菓子の匂い、きらきらと陽光を反射する鉱石、そして広場の中心では、賑やかな衣装を纏った大道芸人が軽快に踊っている。
溢れんばかりの活気と色に満ちたその世界は、ミカにとって、まるで絵本の中に迷い込んだかのように美しいものだった。
「……すごい……」
ポツリと、心の声が零れ落ちる。
「だろ? ここは俺も大好きなんだ」
誇らしげに笑うラックが、軽やかな足取りで進み出た。
「ほら、ボサッとしてないで行くぞ」
「ま、待ってくださいっ!」
置いていかれまいと、ミカは急いでその後を追う。
どこを見ればいいのかも分からない。
言葉では表現しきれないほどの新鮮な驚きが、波のように押し寄せてくる。
夢のような光景を前に、ミカの胸には大切な母の顔が浮かんでいた。
(お母さんにも……見せてあげたいな)
いつかお母さんと一緒にこの街を歩けたら、どれほど幸せだろう──ミカは胸の奥でそう願わずにはいられなかった。
「ラ、ラック! あれは何ですか……?」
「ああ、あれは魔物の骨や木の実を使った珍しい楽器だよ」
初老の男性が、美しい細工が施された笛を吹き、澄んだ音色を響かせていた。
「あ、あれはっ!?」
「あれは山奥で採れる珍しい鉱石だな。明かりを吸うと暗闇で光るんだ」
ミカは目に入るすべてに目を輝かせ、ラックはその一つひとつに優しく答えていく。
しばらく通りを歩いていたミカだったが、ふとある店の前で足を止めた。
吸い寄せられるように、並べられた品々をじっと見つめる。
「どうした? 何か気になるものでもあったか?」
ラックが覗き込むと、そこには色とりどりの糸と小さな鉱石で細やかに編み込まれた、美しい腕輪が並んでいた。
ミカはその中から、一筋の繊細な青い糸で編まれた腕輪に目を奪われていた。
「お、なかなか目の付け所がいいな。それは『約束の腕輪』って言ってさ、大切な人への贈り物に人気なんだよ」
「……これ、買います」
ラックの説明を聞くやいなや、ミカは迷いのない声で即答した。
「おっちゃん、この腕輪いくら?」
「銅貨四枚だよ。ラック、お前さん今日は可愛い嬢ちゃんなんか連れてどうした?」
気さくな店主がニヤニヤとからかうと、ラックは顔を赤くして反論した。
「う、うるせぇな! そんなんじゃないって!」
二人のやり取りには目もくれず、ミカは愛おしそうに腕輪を両手で包み込んでいた。そして、先ほどの金貨の包みを取り出そうとする。
「ちょ……待て待て! さっきお金の話したろ?」
「……え? た、足ります……よね?」
きょとんとするミカに、ラックは小声で耳打ちした。
「足りるけどそうじゃないんだよ……いきなり金貨なんて出されたら、お釣りに困るだろ」
ラックは小さくため息をつくと、自分の革袋から銅貨四枚を取り出し、店主の手へと渡した。
「だ、ダメです……! お金は大切なんですよね……!?」
慌てるミカを制し、ラックはニッと笑う。
「分かってるって。あとでちゃんと返してもらうからさ。……それ、渡したい人がいるんだろ?」
ミカは腕輪を胸元で大事そうに抱きしめた。
「……はい。お母さんに、渡してあげたくて」
柔らかな微笑みを浮かべ、ミカは静かに言葉を紡ぐ。
「お母さん、いつも腕輪を付けていたから……。これを渡したら、喜んでくれるかなって」
「……ふーん。きっと喜んでくれるだろ」
ラックの言葉に、ミカの表情がぱぁっと花が咲いたように華やいだ。
お世辞でも気休めでもなく、目の前の少女の思いを素直に受け止めたラックの言葉だった。
「……はいっ! ありがとうございます、ラック!」
ミカは宝物をしまうように大切に腕輪を納めると、心からの感謝を伝えた。
「あとでちゃんとお金は返してもらうからな」
「はいっ! 必ず!」
顔を見合わせ、二人は弾んだ笑顔を交わし合う。
初めて訪れた街で、初めてできた同年代の友達。ミカにとって、ラックと過ごす一刻一刻が、胸に刻まれるかけがえのない思い出となっていった。
気づけば空は茜色に染まり始め、街道に長い夕影が伸びていた。
「もうこんな時間か……ん?」
その時、一枚の手紙がラックの元へ届いた。
それは、領主の館へ向かっていた親方からの返信だった。
手紙を開き、目を通したラックが顔を上げる。
「親方、もう店に戻ってきたみたいだ。俺たちもそろそろ帰るか」
名残惜しそうに周囲を見渡すミカに、ラックは優しく言い添えた。
「今日は十分楽しんだだろ? 親方に挨拶くらいはしないとな」
「そ、そうですね……。あの、親方さんって……怖くないですか……?」
「はははっ、大丈夫だって! 豪快な人だけど、すごく優しい人だからさ」
ラックの言葉に、ミカはほっと胸を撫で下ろした。
すると、ラックは少し表情を引き締め、念を押すように告げた。
「あ……魔法使いだってことは、親方にも秘密だぞ? お母さんとの……約束だろ?」
ミカが一番大切にしている言葉を選んで伝えると、彼女は力強く頷いた。
「は、はいっ! 私は魔導具を学びに来た、ただの見習いです……!」
「よし、それでいい。じゃあ、戻るか」
傾きかけた夕日を背に、二人は工房を目指して歩き出した。
はしゃぎ疲れたのか、心なしか足取りの重いミカに合わせて、ラックは歩幅を緩めながら並んで歩いていく。
しばらく街道を進むと、見覚えのある小さな看板が見えてきた。
『セスタード魔導具店』の小窓からは温かな明かりが漏れており、親方の帰宅を知らせていた。
ラックが重い木扉をゆっくりと押し開ける。
「親方ー、帰ったぞー」
その声に応ずるように、店の奥の作業場から重い足音が響き、一人の大男が姿を現した。
綺麗に丸められたスキンヘッドに、不揃いに生やされた濃い無精髭。
強面そのものの迫力ある容姿は、お世辞にも「優しい人」という第一印象とは程遠いものだった。
ミカはひっと小さく息を呑むと、咄嗟にラックの背中へと隠れて縮こまった。
「おう、遅かったな。……後ろにいるのが、手紙に書いてたお嬢ちゃんか?」
親方の鋭い視線がミカに向けられる。
ミカは恐る恐るラックの肩越しに覗き込んだが、すぐにまた背中へと引っ込んでしまった。
「ははっ、大丈夫だってミカ。見た目がちょっと怖いだけで、ホントに優しい人だから」
ラックに促され、ミカはおそるおそる隠れるのをやめ、身を起こした。
「……怖がらせちまってすまんな。魔導具の勉強をしに来たんだって?」
親方はその大きな身体を屈め、ミカの目線に合わせるようにしゃがみ込むと、地響きのような、けれどどこか温かみのある声で語りかけた。
その柔らかさに、ミカの緊張が少しずつ解けていく。
「は、は、はいっ! べ、勉強させていただきに……来ましたっ!」
それでもなおガチガチに固まっているミカに、ラックは思わず吹き出した。親方はそんなラックを軽く手で制し、ミカへ優しく微笑みかける。
「こらラック、笑うな。……好きなだけ勉強していくといい。名前は何ていうんだい?」
「ミ、ミカ……ミカ・エステレラです……!」
「ミカか……。綺麗でいい名前じゃないか」
母から与えられた大切な名前を褒められ、ミカの頬がふわりと緩んだ。
「ラック! 今日嬢ちゃんが使う部屋は用意しといたから、案内してやってくれ」
親方はジャラリと金属音を立てて鍵を取り出すと、ラックへ投げ渡した。
案内された部屋は、小さな窓が一つと清潔なベッドが置かれた、とてもシンプルな作りの一室だった。
「今日は一日中歩き回って疲れたろ。また明日な、ミカ」
ラックはミカの荷物を部屋の隅へ置くと、おやすみを告げて扉を閉めた。
一人静かになった部屋で、ミカはそのままベッドへと倒れ込んだ。
天井の木目をじっと見つめながら、今日起きた出来事を一つひとつ噛みしめる。
初めて、お母さんとの約束を破ってしまったこと。
初めて、友達……?と呼べるような人ができたこと。
初めて訪れた街で目にした、宝石のように美しく輝く世界。
(今日の出来事……全部、ちゃんと覚えておかなくっちゃ)
いつかお家に帰ったとき、お母さんに話してあげる思い出がたくさんできた。そう思うだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
ミカは手の中に収めた『約束の腕輪』をそっと愛おしそうに握りしめると、そのまま深く、穏やかな眠りへと落ちていった。




