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優しい魔女へ  作者: 十 名鈴
第一部
4/26

第4話 約束の腕輪

店の奥で、店主がせわしなく立ち働いている。

鼻腔をくすぐる香ばしい肉の香りと、鉄板の上で弾ける心地よい音が、二人の座るテーブルまで漂ってきた。


「ふふ、楽しみですね……!」


ミカは小さな鼻歌を口ずさみながら、椅子の上で足をパタパタと揺らし、今か今かと料理の到着を待っている。


「はははっ。楽しみなのは分かるけど、少しは落ち着けって」


落ち着きのない様子に、ラックは苦笑いを浮かべた。


「ご、ご飯ですよ? 落ち着いてなんていられません……!」


ミカは謎の持論を展開すると、妙に誇らしげに小さな胸を張ってみせる。

そうこうしているうちに、笑顔を浮かべた女店主が大きな木皿を手にやってきた。


「可愛いお嬢さんだねぇ。はいよ、待たせたね! うち特製の、肉たっぷりミートパイだよ!」


テーブルの中央に、こんがりと黄金色に焼き上がった大きなパイが置かれた。

溢れ出す香ばしい湯気と肉汁の輝きに、ミカは呆然と見とれ、思わず唇の端からよだれがこぼれそうになる。


「あ、あのっ……! いいんですか……? 本当に、こんな素敵なものをいただいちゃっても……」


ミカは、ラックの顔と料理を交互に何度もチラチラと見つめた。


「いいって言ったろ? 気にすんな──」


ラックが呆れたように肩をすぼめて答えるより早く、ミカはすでにパイへとかぶりついていた。

一口では到底収まりきらない大きさに切り分け、勢いよく口いっぱいに頬張る。


「〜〜〜っッ!! 美味しいっ! 美味しいですっ!」


喉に詰まりそうになりながらも必死に飲み込むと、ミカは瞳をキラキラと輝かせ、全身で喜びを表現した。


「外の生地はサクサクで、中のお肉はホロホロに柔らかくてジューシーです! 噛むたびに肉汁の旨味と甘みが口いっぱいに広がって……! こ、これはすごいですっ、お野菜もたくさん入っているのに、ちっとも嫌な感じがしなくて──」


一息に熱弁を振るうミカの姿に、ラックは耐えきれず吹き出した。


「ぷっ……はははははっ! お前、さっきまであんなにオドオドしてたのに……っ!」


お腹を抱えて大笑いするラックに、ミカは頬をぷくっと膨らませる。


「そ、そんなに笑わなくてもいいと思います……!」


「いやだって……急に解説始めるから……ぷふっ、あはははっ!」


笑い転げるラックに少し拗ねたような素振りを見せつつも、ミカの唇からは自然と嬉しそうな笑みがこぼれていた。


「はははっ……ふぅ、ごめんごめん。ほら、冷めないうちに食べちまおう」


「はいっ!」


二人は仲良くパイを切り分け、口いっぱいに頬張っていく。


「むぐ……もぐ……。ところでさ、今更だけどミカっていくつなんだ?」


ミートパイを頬張りながら、ラックが尋ねた。


「むぐっ……ごくん。わ、私ですか? えっと……16歳になりました」


「そっか。じゃあ俺と同じだな」


ラックが同じ年齢だと知り、ミカの表情がぱっと明るくなる。


「じゃ、じゃあ……! と、友達……ということですか……!?」


「歳が同じなら友達なのかよ……。ほんっと変わってるやつだな」


「ほ、褒めてもこのミートパイの残りはあげませんよ……!」


ミカはご馳走してもらっている立場も忘れ、残りのパイを両腕で隠すように抱え込んだ。


「褒めてねぇって……。まあ、友達とかはよく分かんないけどさ、そんな焦るもんでもないだろ」


ラックは水を口にしながら、優しく語りかける。


「そ、そうですか……」


少しだけ残念そうに眉を下げたミカだったが、気を取り直したようにすぐに顔を上げた。


「あの……このあとは、どうするんですか?」


「んー……そうだなぁ。露店がたくさん並んでる通りがあるから、そこを見に行くか」


「い、行きたいですっ! すぐ食べちゃいますっ! 〜〜っ、美味しいっ!」


ミカは残りのミートパイを口に放り込み、満面の笑みで味わい尽くした。


「どうだ? 俺のおすすめ、美味かったろ?」


「はいっ! とっても!」


首が折れそうなほど大きくブンブンと頷くミカを見て、ラックは満足そうに口元を緩めた。


「ははっ、なら良かった。よし、じゃあ露店通りに行くとするか」


ラックが立ち上がると、ミカはそそくさと厨房のカウンターへ駆け寄っていった。


「あ、あのっ……!」


少し声が裏返りながらも、ミカは中にいる女店主へ声をかける。


「あら、さっきの可愛いお嬢さんかい。どうしたんだい?」


「お、美味しかったです! すごく……すごーく!」


ミカは身振り手振りを交えながら、心を込めてお礼を伝えた。その健気な姿を後ろで見守るラックの表情にも、自然と温かい笑みが浮かぶ。


(魔女……か。変わってるけど、悪いやつじゃないよな……)


「そ、それと! ラック……ごちそうさまでした!」


不意に振り返ったミカが目の前で大きな声を上げたため、ラックは不意を突かれて跳ね上がった。


「うえっ!? お、おお……、驚かせるなよな……」


思わず変な声を上げてしまい、ラックは照れくささを隠すように慌てて頭を掻いた。


「ほ、ほら、行くぞ! おばちゃん、ごちそうさま!」


赤くなった耳を隠すように歩き出すラックと、その後に嬉しそうに続くミカ。

空腹を最高の料理で満たされた二人は、活気あふれる大通りへと戻り、露店通りを目指して歩みを進めた。



大通りは、行き交う人々で溢れかえっていた。

見たこともない人の多さにミカは目を回しそうになりながらも、はぐれてしまわないよう、ラックの裾を掴む勢いでぴったりと後ろをついていく。


「そういえば、ミカはお金とか持ってるのか?」


人混みを歩きながら、ラックはふと気になっていた疑問を口にした。

街で過ごす以上、何をするにもお金が必要になる。もし無一文なら、稼ぐ手段も考えなければならない。


「は、はいっ! お母さんから持たされているので……!」


そう言ってミカがポケットから取り出した小さな布包みの中には、黄金色の輝きを放つ金貨が数枚、納められていた。


「き、金貨……!? はぁ……これは思ってた以上の箱入り娘だな……」


ラックは目を丸くして驚くと、慌ててミカの手に布包みを押し戻させた。


「いいか、まずはお金の価値を覚えないとな」


ラックは自身の革袋から数枚の小銭を取り出し、手のひらに並べた。


「これが銅貨。基本的にはこれがあれば普段の買い物は大体足りる。さっき食べたミートパイが、銅貨三枚ってところだな」


「はい……」


「次に、これが銀貨。これは銅貨百枚分の価値がある」


「百枚……!」


「そして……さっきミカが持ってた金貨。あれは──」


ラックは一呼吸置き、真面目な顔で告げた。


「銀貨千枚分だ。俺がなんで驚いたか分かったろ?」


ミカは首を傾げつつも、真剣な表情で頷いた。


「……わ、分かりましたっ!」


「……こりゃ、分かってねぇな」


ため息をつきつつも、ラックは苦笑した。


「とにかく、その金貨が一枚あれば、大抵のものは何でも買えるってことだ」


その言葉を聞いた瞬間、ミカの瞳がパッと輝いた。


「ご、ご飯も……たくさん買えますか……?」


「ああ! そりゃもう、この街が食べ物で埋まるくらい買えるぞ」


「え、えぇ……っ!?」


ミカは慌ててあわあわと街を見渡し、宝物のように布包みを抱え込んで服の奥へと隠した。


「はははっ。どれだけすごいか分かったろ? だから、大切にしまっとけよ」


「は、はい……っ!」


「よし、お金の大切さも分かったところで──」


ラックが少し大袈裟な動作で、大きく両腕を広げてみせた。

その視線の先には、広大な広場を中心に、隙間なく立ち並ぶ色鮮やかな露店の群れが広がっていた。



「ここがこの街の名物、露店通りだ!」



目の前に広がったその光景に、ミカは息を呑み、心を奪われた。


色鮮やかな布で飾られた屋台、呼び込みをする商人たちの威勢の良い声、見たこともないエキゾチックな装飾品。

あちこちから漂う香辛料や甘い菓子の匂い、きらきらと陽光を反射する鉱石、そして広場の中心では、賑やかな衣装を纏った大道芸人が軽快に踊っている。


溢れんばかりの活気と色に満ちたその世界は、ミカにとって、まるで絵本の中に迷い込んだかのように美しいものだった。


「……すごい……」


ポツリと、心の声が零れ落ちる。


「だろ? ここは俺も大好きなんだ」


誇らしげに笑うラックが、軽やかな足取りで進み出た。


「ほら、ボサッとしてないで行くぞ」


「ま、待ってくださいっ!」


置いていかれまいと、ミカは急いでその後を追う。

どこを見ればいいのかも分からない。

言葉では表現しきれないほどの新鮮な驚きが、波のように押し寄せてくる。

夢のような光景を前に、ミカの胸には大切な母の顔が浮かんでいた。


(お母さんにも……見せてあげたいな)


いつかお母さんと一緒にこの街を歩けたら、どれほど幸せだろう──ミカは胸の奥でそう願わずにはいられなかった。


「ラ、ラック! あれは何ですか……?」


「ああ、あれは魔物の骨や木の実を使った珍しい楽器だよ」


初老の男性が、美しい細工が施された笛を吹き、澄んだ音色を響かせていた。


「あ、あれはっ!?」


「あれは山奥で採れる珍しい鉱石だな。明かりを吸うと暗闇で光るんだ」


ミカは目に入るすべてに目を輝かせ、ラックはその一つひとつに優しく答えていく。


しばらく通りを歩いていたミカだったが、ふとある店の前で足を止めた。

吸い寄せられるように、並べられた品々をじっと見つめる。


「どうした? 何か気になるものでもあったか?」


ラックが覗き込むと、そこには色とりどりの糸と小さな鉱石で細やかに編み込まれた、美しい腕輪が並んでいた。

ミカはその中から、一筋の繊細な青い糸で編まれた腕輪に目を奪われていた。


「お、なかなか目の付け所がいいな。それは『約束の腕輪』って言ってさ、大切な人への贈り物に人気なんだよ」


「……これ、買います」


ラックの説明を聞くやいなや、ミカは迷いのない声で即答した。


「おっちゃん、この腕輪いくら?」


「銅貨四枚だよ。ラック、お前さん今日は可愛い嬢ちゃんなんか連れてどうした?」


気さくな店主がニヤニヤとからかうと、ラックは顔を赤くして反論した。


「う、うるせぇな! そんなんじゃないって!」


二人のやり取りには目もくれず、ミカは愛おしそうに腕輪を両手で包み込んでいた。そして、先ほどの金貨の包みを取り出そうとする。


「ちょ……待て待て! さっきお金の話したろ?」


「……え? た、足ります……よね?」


きょとんとするミカに、ラックは小声で耳打ちした。


「足りるけどそうじゃないんだよ……いきなり金貨なんて出されたら、お釣りに困るだろ」


ラックは小さくため息をつくと、自分の革袋から銅貨四枚を取り出し、店主の手へと渡した。


「だ、ダメです……! お金は大切なんですよね……!?」


慌てるミカを制し、ラックはニッと笑う。


「分かってるって。あとでちゃんと返してもらうからさ。……それ、渡したい人がいるんだろ?」


ミカは腕輪を胸元で大事そうに抱きしめた。


「……はい。お母さんに、渡してあげたくて」


柔らかな微笑みを浮かべ、ミカは静かに言葉を紡ぐ。


「お母さん、いつも腕輪を付けていたから……。これを渡したら、喜んでくれるかなって」


「……ふーん。きっと喜んでくれるだろ」


ラックの言葉に、ミカの表情がぱぁっと花が咲いたように華やいだ。

お世辞でも気休めでもなく、目の前の少女の思いを素直に受け止めたラックの言葉だった。


「……はいっ! ありがとうございます、ラック!」


ミカは宝物をしまうように大切に腕輪を納めると、心からの感謝を伝えた。


「あとでちゃんとお金は返してもらうからな」


「はいっ! 必ず!」


顔を見合わせ、二人は弾んだ笑顔を交わし合う。

初めて訪れた街で、初めてできた同年代の友達。ミカにとって、ラックと過ごす一刻一刻が、胸に刻まれるかけがえのない思い出となっていった。


気づけば空は茜色に染まり始め、街道に長い夕影が伸びていた。


「もうこんな時間か……ん?」


その時、一枚の手紙がラックの元へ届いた。

それは、領主の館へ向かっていた親方からの返信だった。

手紙を開き、目を通したラックが顔を上げる。


「親方、もう店に戻ってきたみたいだ。俺たちもそろそろ帰るか」


名残惜しそうに周囲を見渡すミカに、ラックは優しく言い添えた。


「今日は十分楽しんだだろ? 親方に挨拶くらいはしないとな」


「そ、そうですね……。あの、親方さんって……怖くないですか……?」


「はははっ、大丈夫だって! 豪快な人だけど、すごく優しい人だからさ」


ラックの言葉に、ミカはほっと胸を撫で下ろした。

すると、ラックは少し表情を引き締め、念を押すように告げた。


「あ……魔法使いだってことは、親方にも秘密だぞ? お母さんとの……約束だろ?」


ミカが一番大切にしている言葉を選んで伝えると、彼女は力強く頷いた。


「は、はいっ! 私は魔導具を学びに来た、ただの見習いです……!」


「よし、それでいい。じゃあ、戻るか」


傾きかけた夕日を背に、二人は工房を目指して歩き出した。

はしゃぎ疲れたのか、心なしか足取りの重いミカに合わせて、ラックは歩幅を緩めながら並んで歩いていく。


しばらく街道を進むと、見覚えのある小さな看板が見えてきた。

『セスタード魔導具店』の小窓からは温かな明かりが漏れており、親方の帰宅を知らせていた。

ラックが重い木扉をゆっくりと押し開ける。


「親方ー、帰ったぞー」


その声に応ずるように、店の奥の作業場から重い足音が響き、一人の大男が姿を現した。

綺麗に丸められたスキンヘッドに、不揃いに生やされた濃い無精髭。

強面そのものの迫力ある容姿は、お世辞にも「優しい人」という第一印象とは程遠いものだった。


ミカはひっと小さく息を呑むと、咄嗟にラックの背中へと隠れて縮こまった。


「おう、遅かったな。……後ろにいるのが、手紙に書いてたお嬢ちゃんか?」


親方の鋭い視線がミカに向けられる。

ミカは恐る恐るラックの肩越しに覗き込んだが、すぐにまた背中へと引っ込んでしまった。


「ははっ、大丈夫だってミカ。見た目がちょっと怖いだけで、ホントに優しい人だから」


ラックに促され、ミカはおそるおそる隠れるのをやめ、身を起こした。


「……怖がらせちまってすまんな。魔導具の勉強をしに来たんだって?」


親方はその大きな身体を屈め、ミカの目線に合わせるようにしゃがみ込むと、地響きのような、けれどどこか温かみのある声で語りかけた。

その柔らかさに、ミカの緊張が少しずつ解けていく。


「は、は、はいっ! べ、勉強させていただきに……来ましたっ!」


それでもなおガチガチに固まっているミカに、ラックは思わず吹き出した。親方はそんなラックを軽く手で制し、ミカへ優しく微笑みかける。


「こらラック、笑うな。……好きなだけ勉強していくといい。名前は何ていうんだい?」


「ミ、ミカ……ミカ・エステレラです……!」


「ミカか……。綺麗でいい名前じゃないか」


母から与えられた大切な名前を褒められ、ミカの頬がふわりと緩んだ。


「ラック! 今日嬢ちゃんが使う部屋は用意しといたから、案内してやってくれ」


親方はジャラリと金属音を立てて鍵を取り出すと、ラックへ投げ渡した。



案内された部屋は、小さな窓が一つと清潔なベッドが置かれた、とてもシンプルな作りの一室だった。


「今日は一日中歩き回って疲れたろ。また明日な、ミカ」


ラックはミカの荷物を部屋の隅へ置くと、おやすみを告げて扉を閉めた。


一人静かになった部屋で、ミカはそのままベッドへと倒れ込んだ。

天井の木目をじっと見つめながら、今日起きた出来事を一つひとつ噛みしめる。


初めて、お母さんとの約束を破ってしまったこと。

初めて、友達……?と呼べるような人ができたこと。

初めて訪れた街で目にした、宝石のように美しく輝く世界。


(今日の出来事……全部、ちゃんと覚えておかなくっちゃ)


いつかお家に帰ったとき、お母さんに話してあげる思い出がたくさんできた。そう思うだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。



ミカは手の中に収めた『約束の腕輪』をそっと愛おしそうに握りしめると、そのまま深く、穏やかな眠りへと落ちていった。

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