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優しい魔女へ  作者: 十 名鈴
第一部
3/28

第3話 知らない世界

小高い丘の上に立つ二人の視界に、街が見えてきた。街の入り口には遠くからでも、巨大な門がそびえ立っているのがはっきりと見える。高くそびえる城壁。

その中央に構えられた門は、これまでミカが見たどんな建物よりも大きい。


「……大きい……」


思わず、ミカは立ち止まった。

白く美しい城壁の向こう側には、一体どんな世界が広がっているのだろう。ミカが呆然と門を見上げていると、隣を歩いていたラックが振り返った。


「ミカ」


「……は、はい?」


「ここから検問があるからな」


ラックは真面目な顔をしている。


「俺が話すから、お前は余計なことを言わないようにしてくれ」


「……わ、分かりました!」


「特に、魔法使いだってことは絶対に言うなよ」


「い、言いませんっ! 絶対に……!」


ミカは大きくブンブンと首を縦に振って頷いた。

分かっている。母との大切な約束だから。

魔法使いであることは、人に知られてはいけない。それだけは、絶対に。


ミカが表情を引き締めると、前方から二人の衛兵が歩いてきた。


「止まれ」


その言葉にラックが足を止める。衛兵の一人はラックを見ながら、ゆっくりと近づいてきた。


「身分証を」


「はい」


ラックは懐から何かを取り出した。それは、小さな金属板だった。そこには見慣れない紋章が刻まれている。


「カールドルハの魔導具店、セスタード工房の見習いです」


ラックが取り出した金属板を衛兵は確認すると、次にミカへ視線を向けた。


「隣の女は?」


「新しく魔導具を学びに来た見習いですよ」


ラックは何でもないことのようにスラスラと答えた。


「へえ……」


もう一人の衛兵がミカを見る。足先から、ゆっくりと頭のてっぺんまで。

ミカの身体が強張り、心臓がどくんと大きく鳴った。

バレてしまったらどうしよう。

そんな不安がミカの頭をよぎった。

衛兵はしばらくミカを見つめていたが、やがて少しだけ表情を緩めた。


「そうか、よし」


「ようこそ、カールドルハへ」


門がゆっくりと開く。巨大な門の向こうに、街が姿を現した。


「……」


ミカは言葉を失い、呆然と立ち尽くしている。


「行くぞ、ミカ」


「は、はいっ!」


ラックの後ろを、ミカはぴったりとついて歩く。かなり緊張していたのか、手と足が同時に出され、その様子にラックは思わず笑ってしまいそうになる。

門をくぐった瞬間、目の前に広がった光景に、ミカは思わず息を呑んだ。


街の中を、何かが浮かんでいる。

大小様々な箱や荷物が、地面に触れることなく空中を移動していた。建物の間をすり抜け、まるで決められた道があるかのように、一定の速度で飛んでいく。


通りには色とりどりの花が植えられ、美しい噴水がいくつも並び、その周りでは子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる。

建物も、今までミカが見たことのないようなものばかりだった。


「……すごい」


「だろ?」


ラックは、にやっとまるで誇るように笑う。


「これがカールドルハだ」


「あ、あのっ! あれは……何ですか?」


ミカは空を指差した。


「あれ?」


「はい。あの……浮いているものです」


「ああ、あれは荷物だよ」


ラックはチラッと視線を向ける。


「荷物……?」


「この街じゃ、魔導具を使って荷物を運ぶんだ。店から店へ送ったり、家まで届けたりな」


「……荷物が?」


ミカは、まるで信じられないといったような表情で、宙を移動する荷物を見つめている。


「そう。だからわざわざ自分で運ばなくてもいい」


「……すごい」


ミカは目を輝かせた。


「魔導具って、そんなことまでできるんですね……」


「他にも色々あるぞ」


「色々……」


ミカは空を飛んでいく荷物を見つめたまま、固まってしまった。


「おーい、ミカ」


「……はい?」


「先に行くぞ」


「ま、待ってください!」


ミカは我に返り、慌ててラックの後を追った。

しばらく歩くと、大通りから少し外れた場所に小さな店が見えてきた。

看板には、『セスタード魔導具店』と書かれている。


「ここが俺の働いてる店」


「……ここですか?」


「そう」


店はお世辞にも大きいとは言えなかった。周囲には大きな店が並んでいるのに、この店だけは少し奥まった場所にひっそりと建っている。

ラックがゆっくりと扉を開けた。


「親方! 帰ったぞ!」


返事はない。


「……親方?」


ラックが店の中を見回す。

棚には様々な魔導具が並んでいる。小さな箱、奇妙な形をした道具、光を放つ石。ミカはそれらを興味深そうに眺めた。


「親方、いないのかな……」


ラックは店の奥へ向かう。

すると、机の上に一枚の紙が置かれているのを見つけた。


「……あ」


ラックが紙を手に取る。


「なんだこれ」


そこにはラックに宛てた短い文章が書かれていた。


『領主様のところへ試作品を届けに行ってくる。店番を頼む』


「親方……」


ラックは小さくため息をついた。


「領主様のところか……」


ラックは紙を机へ置く。

そして、別の紙を取り出すと、さらさらと何かを書き始めた。


「あの……何を書いてるんですか?」


「親方への手紙」


書き終えると、ラックは紙を窓の外へ放った。

次の瞬間。

紙が、風に乗るように宙へ浮かんだ。


「えっ?」


紙はひゅっと勢いよく飛んでいく。


「あ……」


その光景に、ミカは目を丸くした。


「い、いま……何をしたんですか?」


「手紙を飛ばしたんだよ」


「手紙を……?」


「さっき外で見ただろ?」


ラックが窓の外の空を指差す。


「あれと同じだよ」


「……」


ミカは窓の外の空を見上げ、先ほど見た荷物のことを思い出す。


「な、なるほど……?」


「分かってないだろ」


「……」


ミカは小さく首を傾げた。


「わ、分かりましたっ!」


「絶対分かってないな」


ラックは笑った。


「せっかくだし、店の中を見ていくか」


「いいんですか?」


「ああ。これから魔導具を勉強するんだろ?」


「はい!」


ミカは嬉しそうに頷いた。

ラックは棚から一つの道具を取り出した。


「これは火を起こす魔導具」


「火を?」


「そう。料理するときとかに使う」


「じゃあ、火打ち石みたいなものですか……?」


「まあ、似たようなもんだな」


ラックが魔導具を操作すると、小さな火が灯った。


「わぁ……」


ミカの目が輝く。


「こ、こっちは何ですか?」


「明かりをつけるやつ」


「これは?」


おそるおそる、指先で小さな箱を指す。


「水を汲み上げる」


「じゃあ、こっちは……!?」


さらに奥の棚へぐっと身を乗り出すミカに、ラックは苦笑いしながら答える。


「温度を測る」


ミカは次々と道具を指差していく。


「これはどうなってるんですか?」


「それは……」


ラックは少し考えるように魔導具を見る。


「お前にはまだ難しいだろ」


「……そうですか」


ミカが少しだけしょんぼりする。


「でも、ほんの少しだけなら教えてやる」


「ほ、本当ですか!?」


「ああ」


ラックは魔導具を手のひらに乗せた。


「魔導具の中には魔石って呼ばれるものが入ってる」


「魔石……」


「それを使って、色んなことができるんだよ」


「……」


「まあ、今はこれくらいで十分だろ」


「わ、分かりましたっ!」


「……分かってなさそうだな」


「わ、分かりました!」


「二回言っても同じだぞ」


ラックは楽しそうに笑った。

ミカも少し恥ずかしそうに笑った。


「荷物、どうする?」


ラックがミカの荷物を見る。


「ここに置いていくか?」


「いいんですか?」


「ああ。親方もいないし、盗む奴なんてそうそういないからな」


ラックはミカの荷物を自分の部屋へ運んだ。


「じゃあ、これからどうする?」


「ど、どうする、とは?」


「せっかくカールドルハまで来たんだ。街を見て回るか?」


「……!」


ミカの顔がぱっと明るくなった。


「は、はいっ!」


「よし。じゃあ行くか」


二人は店を出た。

大通りへ戻る途中も、ミカは周囲をきょろきょろと見回していた。


「あれは何ですか?」


「ああ、あれは水を運ぶ魔導具」


「じゃあ、あれは?」


「店の看板を動かしてるんだ」


「では、あれは?」


「あれは……」


ラックは一つ一つ答えていく。

ミカはそのたびに目を輝かせた。

街には知らないものがたくさんあった。

知らないものばかりだった。

それが、なんだか楽しかった。


「あ……」


ラックが足を止める。


「まずは飯にしよう」


「……ご飯?」


ミカの目が変わった。


「そう。腹減っただろ?」


「ご飯!!」


「うわっ!」


突然大きな声を出したミカに、ラックが驚いて飛び退く。


「び、びっくりした……」


「ご飯、大好きですっ!」


ミカは胸を張って答えた。


「……そうか」


ラックは少し笑う。


「じゃあ、その期待に応えないとな」


「はいっ!」


ラックは歩き出した。


「俺のお気に入りの店があるんだ」


「どんなお店ですか?」


「食べてからのお楽しみ」


「……?」


ミカは首を傾げながらも、嬉しそうについていった。

しばらく歩く。

中心通りから少し離れた場所に、小さな店が見えてきた。

大きな看板もない。客もそれほど多くない。

けれど。


「……いい匂い」


ミカの鼻を、美味しそうな匂いがくすぐった。

思わず足が速くなる。


「おい、走るなって」


「でも……!」


ミカは店の前で立ち止まった。今にも扉を開けて飛び込みそうな顔をしている。

ラックはそんなミカを見て笑った。


「今日は助けてもらったお礼だからな」


「……?」


「好きなもの食べていいぞ」


「……ほ、本当ですか? 私すごくお腹空いてますよ……?」


「ああ、気にしなくていいって」


ミカの顔が、さらに明るくなる。


「あ、ありがとうございます!」


「じゃあ入るか」


「はい!」


二人は店の中へ入った。

案内された席に座ると、ミカはメニューをじっと見つめた。けれど、たくさんの料理が並んでいて、どれを選べばいいのか分からない。


「あ、あのっ!」


「ん?」


「ラックのおすすめは、どれですか?」


ラックは少しだけ考える。

そして、口元をニヤッと歪めた。


「一番のおすすめ?」


「はい!」


「なら、これだな」


ラックが指差した料理を見て、ミカはすぐに頷いた。


「……じゃあ、それを!」


迷いのない返事に、ラックは吹き出した。


「決めるの早すぎだろ」


「だ、だって……ラックのおすすめですから!」


ミカは料理が運ばれてくるのを、今か今かと待ち始めた。

その顔には、魔法使いとしての緊張も、母との約束を守らなければという不安もなかった。

ただ、これから食べる料理への期待だけがあった。


カールドルハでの最初の一日。

ミカにとって、それは今まで知らなかったものを、少しずつ知っていく一日になろうとしていた。

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