第3話 知らない世界
小高い丘の上に立つ二人の視界に、街が見えてきた。街の入り口には遠くからでも、巨大な門がそびえ立っているのがはっきりと見える。高くそびえる城壁。
その中央に構えられた門は、これまでミカが見たどんな建物よりも大きい。
「……大きい……」
思わず、ミカは立ち止まった。
白く美しい城壁の向こう側には、一体どんな世界が広がっているのだろう。ミカが呆然と門を見上げていると、隣を歩いていたラックが振り返った。
「ミカ」
「……は、はい?」
「ここから検問があるからな」
ラックは真面目な顔をしている。
「俺が話すから、お前は余計なことを言わないようにしてくれ」
「……わ、分かりました!」
「特に、魔法使いだってことは絶対に言うなよ」
「い、言いませんっ! 絶対に……!」
ミカは大きくブンブンと首を縦に振って頷いた。
分かっている。母との大切な約束だから。
魔法使いであることは、人に知られてはいけない。それだけは、絶対に。
ミカが表情を引き締めると、前方から二人の衛兵が歩いてきた。
「止まれ」
その言葉にラックが足を止める。衛兵の一人はラックを見ながら、ゆっくりと近づいてきた。
「身分証を」
「はい」
ラックは懐から何かを取り出した。それは、小さな金属板だった。そこには見慣れない紋章が刻まれている。
「カールドルハの魔導具店、セスタード工房の見習いです」
ラックが取り出した金属板を衛兵は確認すると、次にミカへ視線を向けた。
「隣の女は?」
「新しく魔導具を学びに来た見習いですよ」
ラックは何でもないことのようにスラスラと答えた。
「へえ……」
もう一人の衛兵がミカを見る。足先から、ゆっくりと頭のてっぺんまで。
ミカの身体が強張り、心臓がどくんと大きく鳴った。
バレてしまったらどうしよう。
そんな不安がミカの頭をよぎった。
衛兵はしばらくミカを見つめていたが、やがて少しだけ表情を緩めた。
「そうか、よし」
「ようこそ、カールドルハへ」
門がゆっくりと開く。巨大な門の向こうに、街が姿を現した。
「……」
ミカは言葉を失い、呆然と立ち尽くしている。
「行くぞ、ミカ」
「は、はいっ!」
ラックの後ろを、ミカはぴったりとついて歩く。かなり緊張していたのか、手と足が同時に出され、その様子にラックは思わず笑ってしまいそうになる。
門をくぐった瞬間、目の前に広がった光景に、ミカは思わず息を呑んだ。
街の中を、何かが浮かんでいる。
大小様々な箱や荷物が、地面に触れることなく空中を移動していた。建物の間をすり抜け、まるで決められた道があるかのように、一定の速度で飛んでいく。
通りには色とりどりの花が植えられ、美しい噴水がいくつも並び、その周りでは子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる。
建物も、今までミカが見たことのないようなものばかりだった。
「……すごい」
「だろ?」
ラックは、にやっとまるで誇るように笑う。
「これがカールドルハだ」
「あ、あのっ! あれは……何ですか?」
ミカは空を指差した。
「あれ?」
「はい。あの……浮いているものです」
「ああ、あれは荷物だよ」
ラックはチラッと視線を向ける。
「荷物……?」
「この街じゃ、魔導具を使って荷物を運ぶんだ。店から店へ送ったり、家まで届けたりな」
「……荷物が?」
ミカは、まるで信じられないといったような表情で、宙を移動する荷物を見つめている。
「そう。だからわざわざ自分で運ばなくてもいい」
「……すごい」
ミカは目を輝かせた。
「魔導具って、そんなことまでできるんですね……」
「他にも色々あるぞ」
「色々……」
ミカは空を飛んでいく荷物を見つめたまま、固まってしまった。
「おーい、ミカ」
「……はい?」
「先に行くぞ」
「ま、待ってください!」
ミカは我に返り、慌ててラックの後を追った。
しばらく歩くと、大通りから少し外れた場所に小さな店が見えてきた。
看板には、『セスタード魔導具店』と書かれている。
「ここが俺の働いてる店」
「……ここですか?」
「そう」
店はお世辞にも大きいとは言えなかった。周囲には大きな店が並んでいるのに、この店だけは少し奥まった場所にひっそりと建っている。
ラックがゆっくりと扉を開けた。
「親方! 帰ったぞ!」
返事はない。
「……親方?」
ラックが店の中を見回す。
棚には様々な魔導具が並んでいる。小さな箱、奇妙な形をした道具、光を放つ石。ミカはそれらを興味深そうに眺めた。
「親方、いないのかな……」
ラックは店の奥へ向かう。
すると、机の上に一枚の紙が置かれているのを見つけた。
「……あ」
ラックが紙を手に取る。
「なんだこれ」
そこにはラックに宛てた短い文章が書かれていた。
『領主様のところへ試作品を届けに行ってくる。店番を頼む』
「親方……」
ラックは小さくため息をついた。
「領主様のところか……」
ラックは紙を机へ置く。
そして、別の紙を取り出すと、さらさらと何かを書き始めた。
「あの……何を書いてるんですか?」
「親方への手紙」
書き終えると、ラックは紙を窓の外へ放った。
次の瞬間。
紙が、風に乗るように宙へ浮かんだ。
「えっ?」
紙はひゅっと勢いよく飛んでいく。
「あ……」
その光景に、ミカは目を丸くした。
「い、いま……何をしたんですか?」
「手紙を飛ばしたんだよ」
「手紙を……?」
「さっき外で見ただろ?」
ラックが窓の外の空を指差す。
「あれと同じだよ」
「……」
ミカは窓の外の空を見上げ、先ほど見た荷物のことを思い出す。
「な、なるほど……?」
「分かってないだろ」
「……」
ミカは小さく首を傾げた。
「わ、分かりましたっ!」
「絶対分かってないな」
ラックは笑った。
「せっかくだし、店の中を見ていくか」
「いいんですか?」
「ああ。これから魔導具を勉強するんだろ?」
「はい!」
ミカは嬉しそうに頷いた。
ラックは棚から一つの道具を取り出した。
「これは火を起こす魔導具」
「火を?」
「そう。料理するときとかに使う」
「じゃあ、火打ち石みたいなものですか……?」
「まあ、似たようなもんだな」
ラックが魔導具を操作すると、小さな火が灯った。
「わぁ……」
ミカの目が輝く。
「こ、こっちは何ですか?」
「明かりをつけるやつ」
「これは?」
おそるおそる、指先で小さな箱を指す。
「水を汲み上げる」
「じゃあ、こっちは……!?」
さらに奥の棚へぐっと身を乗り出すミカに、ラックは苦笑いしながら答える。
「温度を測る」
ミカは次々と道具を指差していく。
「これはどうなってるんですか?」
「それは……」
ラックは少し考えるように魔導具を見る。
「お前にはまだ難しいだろ」
「……そうですか」
ミカが少しだけしょんぼりする。
「でも、ほんの少しだけなら教えてやる」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ」
ラックは魔導具を手のひらに乗せた。
「魔導具の中には魔石って呼ばれるものが入ってる」
「魔石……」
「それを使って、色んなことができるんだよ」
「……」
「まあ、今はこれくらいで十分だろ」
「わ、分かりましたっ!」
「……分かってなさそうだな」
「わ、分かりました!」
「二回言っても同じだぞ」
ラックは楽しそうに笑った。
ミカも少し恥ずかしそうに笑った。
「荷物、どうする?」
ラックがミカの荷物を見る。
「ここに置いていくか?」
「いいんですか?」
「ああ。親方もいないし、盗む奴なんてそうそういないからな」
ラックはミカの荷物を自分の部屋へ運んだ。
「じゃあ、これからどうする?」
「ど、どうする、とは?」
「せっかくカールドルハまで来たんだ。街を見て回るか?」
「……!」
ミカの顔がぱっと明るくなった。
「は、はいっ!」
「よし。じゃあ行くか」
二人は店を出た。
大通りへ戻る途中も、ミカは周囲をきょろきょろと見回していた。
「あれは何ですか?」
「ああ、あれは水を運ぶ魔導具」
「じゃあ、あれは?」
「店の看板を動かしてるんだ」
「では、あれは?」
「あれは……」
ラックは一つ一つ答えていく。
ミカはそのたびに目を輝かせた。
街には知らないものがたくさんあった。
知らないものばかりだった。
それが、なんだか楽しかった。
「あ……」
ラックが足を止める。
「まずは飯にしよう」
「……ご飯?」
ミカの目が変わった。
「そう。腹減っただろ?」
「ご飯!!」
「うわっ!」
突然大きな声を出したミカに、ラックが驚いて飛び退く。
「び、びっくりした……」
「ご飯、大好きですっ!」
ミカは胸を張って答えた。
「……そうか」
ラックは少し笑う。
「じゃあ、その期待に応えないとな」
「はいっ!」
ラックは歩き出した。
「俺のお気に入りの店があるんだ」
「どんなお店ですか?」
「食べてからのお楽しみ」
「……?」
ミカは首を傾げながらも、嬉しそうについていった。
しばらく歩く。
中心通りから少し離れた場所に、小さな店が見えてきた。
大きな看板もない。客もそれほど多くない。
けれど。
「……いい匂い」
ミカの鼻を、美味しそうな匂いがくすぐった。
思わず足が速くなる。
「おい、走るなって」
「でも……!」
ミカは店の前で立ち止まった。今にも扉を開けて飛び込みそうな顔をしている。
ラックはそんなミカを見て笑った。
「今日は助けてもらったお礼だからな」
「……?」
「好きなもの食べていいぞ」
「……ほ、本当ですか? 私すごくお腹空いてますよ……?」
「ああ、気にしなくていいって」
ミカの顔が、さらに明るくなる。
「あ、ありがとうございます!」
「じゃあ入るか」
「はい!」
二人は店の中へ入った。
案内された席に座ると、ミカはメニューをじっと見つめた。けれど、たくさんの料理が並んでいて、どれを選べばいいのか分からない。
「あ、あのっ!」
「ん?」
「ラックのおすすめは、どれですか?」
ラックは少しだけ考える。
そして、口元をニヤッと歪めた。
「一番のおすすめ?」
「はい!」
「なら、これだな」
ラックが指差した料理を見て、ミカはすぐに頷いた。
「……じゃあ、それを!」
迷いのない返事に、ラックは吹き出した。
「決めるの早すぎだろ」
「だ、だって……ラックのおすすめですから!」
ミカは料理が運ばれてくるのを、今か今かと待ち始めた。
その顔には、魔法使いとしての緊張も、母との約束を守らなければという不安もなかった。
ただ、これから食べる料理への期待だけがあった。
カールドルハでの最初の一日。
ミカにとって、それは今まで知らなかったものを、少しずつ知っていく一日になろうとしていた。




