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優しい魔女へ  作者: 十 名鈴
第一部
2/29

第2話 ありふれた魔女


「まさか……魔女……?」


少年は、目の前で起きた惨劇に怯えていた。


大人たちが、悪い子どもを躾けるために聞かせるおとぎ話。

その中に登場する、恐ろしい存在である魔女。

恐ろしい姿をしていて、人を食べて生きている化物だと聞かされていた。


だが、目の前の少女は違っていた。

美しい白髪。そして、老婆を優しく抱きしめる姿。


とても、おとぎ話で聞かされていた魔女には見えなかった。


「……怖いよね」


ふと、少女がゆっくりと少年に声をかけた。


少年の胸の中では、恐怖と、自分の命を救われたことへの感謝が複雑に絡み合っていた。

それでも、少年は恐怖を押し殺し、静かに答えた。


「怖いよ……。でも、助けてくれたから……ありがとう」


素直な感謝の言葉だった。

少年はゆっくりと立ち上がり、少女に向き直る。


「俺は……ラック。ラック・セスタード。カールドルハで魔導具店の見習いをしてる」


「……わ、私はミカ。ミカ・エステレラ。えっと……その、魔法使い……です」


ミカは目を合わせないまま、たどたどしく答えた。


「ミカ……か。とりあえず街に向かおう。安心してよ。命の恩人をどうにかしようなんて考えるほど、俺も最低じゃないから」


ラックの言葉に、ミカは少し安心したような表情を浮かべた。


「良かった……。お母さんに、怒られちゃうから……」


「お母さん……ね」


ラックは、どこか引っかかるものを感じながらも、それ以上は尋ねなかった。


「移動する前に、その汚れた服をどうにかしよう。着替えくらいあるんだろ?」


そう言って、ラックは先ほどまで乗っていた荷車に視線を向けた。


「は、はいっ! 持ってます……!」


ミカは足元の泥を軽く払い、荷車へと向かっていく。

その途中、老婆の遺体に目を向けた。


「……おばあさん。かわいそう……」


小さく呟くと、ミカはそのまま荷車の中へと入っていった。


(それだけ……? 変なやつだな……)


ラックは、ミカの後ろ姿を見つめながら、何とも言えない違和感を覚えていた。


やがて、着替えを終えたミカが荷車から出てくる。

手には、少し大きめのカバンが一つ。

着替えた服は飾り気のないシンプルなもので、どこにでもいる普通の少女にしか見えなかった。


「ミカ……だっけ? 何のためにカールドルハに行くんだ?」


ラックの問いには、純粋な疑問と、わずかな警戒心が含まれていた。


魔女と呼ばれる存在が、自分の住む街を目指している。

その目的によっては、街に恐ろしいことが起きるかもしれない。

そう考えるのも無理はなかった。


しかし、ミカから返ってきた答えは、拍子抜けするようなものだった。


「え、えっと……お母さんが、魔導具のことを勉強してきなさいって……。あと、いっぱい色んなものを見てきなさいって……」


ミカは俯き、少しもじもじしながら答える。

その姿は、どう見ても内気な少女そのものだった。


「へ……? そんだけ……?」


ラックは思わず聞き返した。


「は、はいっ! それだけ……です!」


ミカは、今度ははっきりと答えた。

そのあまりにも素直な返事に、ラックは思わず吹き出した。


「ぷっ……あははは! 何だよ、考えすぎた俺が馬鹿みたいじゃん!」


ひとしきり笑うと、ラックはミカに手を差し出した。


「改めてよろしく、ミカ。魔導具のことが知りたいなら、一緒に俺の店に行こう」


そして、少し照れくさそうに付け加えた。


「助けられた恩返しくらい、させてほしいからさ」


ミカは差し出された手を見つめ、少し戸惑った。

それから、おそるおそる手を伸ばし、握り返す。


「は、はいっ! ラックさん……! よ、よろしくお願いします……!」


同じくらいの歳の少年と、こうして言葉を交わすのは初めてだった。

ミカは、握った手の温かさを感じながら、胸の奥がほんの少し弾むのを感じていた。


「あ、ラックでいいよ。とりあえず街に向かおう」


ラックは周囲を見渡し、倒れた人々へと視線を向けた。


「この人たちのことは、衛兵に弔ってもらおう。いつまでもここにいたら、また襲われるかもしれないしな」


この世界では、強盗や野盗は決して珍しい存在ではない。

ラックの判断は、そうした現実を知っているからこそのものだった。

ミカも、特に異論を挟むことなく頷いた。



二人は並んで、ゆっくりと歩き始めた。

しばらくは、どちらも口を開かなかった。


ラックは隣を歩く少女をちらりと見た。

白い髪に、整った顔立ち。先ほどまで人が死んだ場所にいたというのに、彼女の表情には不思議なほど陰りがない。


あの老婆の亡骸を抱いて泣いていたとき、彼女は確かに悲しんでいた。

それなのに、今はもう前を向いて歩いている。


(……やっぱり、普通じゃないよな)


魔女。

幼い頃から聞かされてきた、恐ろしい存在。

人を惑わし、災厄を呼び、気に入らない人間を呪い殺す。そんな話を、ラックは何度も耳にしてきた。

目の前の少女が、本当にその魔女なのだろうか。


「……あの」


「ひゃいっ!?」


不意に声をかけられ、ラックは肩を跳ねさせた。


「い、いや! 何!?」


「えっ……? あ、あの、どうかしましたか?」


ミカは不思議そうに首を傾げている。

どうやら、ただ話しかけただけらしい。


「な、何でもない!」


「そ、そうですか……?」


ミカは少し困ったように眉を下げた。


「……あの、ラックさん」


「ラックでいいよ。さっきも言っただろ?」


「そ、そうでした……。じゃあ、ラック」


呼び慣れない名前を口にするように、ミカは小さく呟いた。


「……ラックは、その……カールドルハに住んでいるんですか?」


「いや、住んでるっていうか、店で働いてるんだ。住み込みでさ」


「お店……?」


「ああ。魔導具店だよ。俺はまだ見習いだけどな」


「魔導具……」


ミカはその言葉を繰り返した。


「……あの、魔導具って、どんなものなんですか?」


「どんなものって……。そりゃ、いろいろあるけど」


ラックは少し考え込んだ。


「火を起こすためのものとか、明かりをつけるものとか。あとは、魔物から身を守るためのものもあるな。使い方も仕組みも、それぞれ違うんだ」


「そうなんですね……!」


ミカは目を瞬かせた。


魔導具という言葉は知っていた。けれど、実際にどんなものがあり、どのように使われているのか、詳しいことは知らない。


母親から勉強してくるように言われたもの。

それがどんなものなのか、少しずつ分かっていく。


「……あの、そういうものは、たくさんあるんですか?」


「まあな。店によって扱ってるものも違うし、珍しいものだってあるぞ」


「珍しいもの……」


ミカは小さく呟いた。

知らないものが、まだたくさんある。

そう思うと、少し不思議な気持ちになった。


「じゃ、じゃあ……ラックのお店に行けば、魔導具について勉強できるんですか?」


「え? ああ、そりゃあ……できると思うけど」


「ほ、本当ですか!?」


ミカの表情が、ぱっと明るくなった。

あまりにも勢いよく返されたので、ラックは思わずたじろいだ。


「お、おう……。見習いの俺に教えられることなんて限られてるけどな」


「それでも、十分ですっ!」


ミカは嬉しそうに微笑んだ。

母親から言われたことを、少しでも早く果たせる。

それが、何よりも嬉しかった。


「……良かった」


「え?」


「あ、いえ……。お母さんも、きっと喜んでくれると思うので」


そう言って、ミカは胸元の銀色のロケットにそっと触れた。


「お母さんが……魔導具について勉強して、いろいろなものを見てきなさいって。そうすれば、きっと私のためになるからって……」


「へえ。お母さんに言われて来たのか」


「はいっ!」


ミカは迷いなく頷いた。


「お母さんが喜んでくれたら……私も嬉しいんです」


その声は、どこまでも穏やかだった。

母親のことを話す彼女の表情には、疑いも、不安もない。ただ、母親が喜んでくれることを心から信じている。


ラックは、何となくそれ以上を尋ねられなかった。


「……そっか。いいお母さんなんだな」


「はいっ!」


またしても即答だった。

あまりにも迷いがなかったので、ラックは少し笑ってしまった。


「ははっ、即答かよ」


「えっ? だ、だって……お母さんは、優しいですから」


ミカは頬を赤くし、照れたように視線を逸らした。

その様子は、どこにでもいる女の子と何も変わらなかった。


だからこそ、ラックは戸惑う。

この少女は本当に、あの魔女なのだろうか。


「……まあ、いいか」


「?」


「いや、何でもない。それより、もう少し歩けば街道沿いの休憩所があるはずだ。そこで少し休もうぜ」


「休憩所……?」


ミカは顔を上げた。


「ああ。街まではまだ少し距離があるからな」


「そ、そうなんですね」


ミカは周囲を見回した。


木々の間から差し込む陽光。道端に咲く小さな花。頭上を飛び交う鳥の声。

それらを一つ一つ確かめるように、彼女はきょろきょろと視線を動かしている。


「……どうかしたのか?」


「い、いえ! その……」


ミカは少し迷ったあと、道端の草むらを指差した。


「あそこにいる虫……初めて見ました」


「虫?」


ラックが目を向けると、草の上に小さな緑色の虫が止まっていた。


「……バッタだろ?」


「ばった……?」


「いや、バッタも知らないのか?」


「えっと……名前は、初めて聞きました」


ミカは真剣な顔で虫を見つめている。

そのあまりにも真面目な様子に、ラックは思わず吹き出した。


「ははっ! 何だよ、それ!」


「えっ!? わ、私、何か変なことを言いましたか!?」


「いや、だって……バッタだぞ? そこら辺にいくらでもいるだろ!」


「そ、そうなんですか……?」


ミカは驚いたように目を見開いた。

それから、もう一度バッタへ視線を戻す。


「……そうなんだ」


知らなかったものの名前を教えてもらえた。それだけのことが、彼女には新鮮だった。


「……ミカって、もしかして外に出ること少なかったのか?」


「は、はい。あまり遠くには行ったことがなくて……」


「ふうん……」


ラックは彼女の白い髪を眺めた。


どこかの貴族の娘なのだろうか。それとも、魔女というのは人里離れた場所で暮らしているものなのだろうか。

気になることはいくつもあったが、聞いていいのか分からなかった。


「……じゃあ、街に着いたら驚くかもな」


「街に?」


「カールドルハは大きいぞ。人も多いし、店もいっぱいある。魔導具だって、いろんなところで売ってるからな」


「すごい……いろんなお店があるんですね……」


ミカは目を輝かせた。

街には、母親の言いつけを果たすために必要なものがある。

そう思うと、街へ向かう足取りまで軽くなる気がした。


「……あの、ラック」


「ん?」


「街に着いたら……すぐにお店を見せてもらってもいいですか?」


「え? ああ、もちろん。そんなに急がなくても逃げたりしないって」


「そ、そうですよね……!」


ミカは恥ずかしそうに俯いた。


「すみません。早く勉強できたら……お母さんも喜んでくれると思って……」


ラックは少し不思議そうに彼女を見た。


「……そんなに、お母さんに褒めてもらいたいのか?」


ミカはきょとんとした。

そして、当たり前のことを聞かれたように頷く。


「はい。お母さんに喜んでもらえるのが、一番嬉しいですから」


ラックは返事に迷った。

母親が好きなのは分かる。自分だって、世話になった人に褒められれば嬉しい。

けれど、この少女は何かをするたびに、まるで母親の顔を思い浮かべているようだった。


それが少し不思議で。

けれど、今はまだ、その理由を聞く気にはなれなかった。


「……そっか。じゃあ、なるべく早く案内してやるよ」


「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」


ミカは嬉しそうに笑った。

ラックは、そんな彼女を見て小さく息を吐く。


魔女という言葉から想像していた存在とは、ずいぶん違う。

まだ怖くないと言えば嘘になる。

先ほど目の前で見せられた魔法を思い出せば、背筋が冷たくなることだってある。


それでも。


隣を歩く少女は、知らないものを見つけては不思議そうに首を傾げ、母親の話になると嬉しそうに笑う。

そんな彼女を、いつまでも化け物と呼ぶ気にはなれなかった。


「……なあ、ミカ」


「な、なんですか?」


「街に着いたら、まずは店に案内してやるよ。そのあと、時間があれば街の中も見て回ろうぜ」


「……!」


ミカは一瞬、ぽかんと口を開けた。


「街の中も……ですか?」


「ああ。せっかく来たんだし、いろんなものを見ておいた方がいいだろ?」


「……はいっ! ありがとうございます、ラック!」


ミカは満面の笑みを浮かべた。

母親から言われた勉強もできる。

知らないものも、たくさん見られる。

これなら、きっとお母さんも喜んでくれる。


そう考えるだけで、胸の奥が温かくなった。


「……お、おう」


まっすぐに笑いかけられ、ラックは何となく気恥ずかしくなって頬を掻いた。

二人の間にあった気まずい沈黙は、いつの間にか消えていた。



しばらく歩いたあと、ミカは何かを言いたそうに、ちらちらとラックを見始めた。


「あ、あの……ラック。私たちって、その……」


「ん?」


ミカは俯き、指先をもじもじと動かす。


「その……と、友達ってことでいいんですか……?」


ラックは、きょとんとした。


「い、いや……それはどうだろ……」


予想もしていなかった問いに、思わず言葉が詰まる。

ミカの顔から、見る間に笑みが消えた。


「……そ、そうですよね! いきなり友達なんて……」


しゅんと肩を落とすミカを見て、ラックは大きなため息をついた。


「はぁ……。まあ、これから友達になればいいだろ? そんな落ち込むなよ」


ラックの胸には、まだ魔女への恐怖が残っていた。


目の前にいるのは、どう見ても普通の少女だ。

それでも、先ほど目撃した光景と、彼女が魔法使いだと名乗った事実を忘れられるわけではない。

だからこそ、すぐに友達だと言い切ることができなかった。


ミカは顔を上げた。

まだ少し落ち込んでいるものの、先ほどよりも表情が明るくなっている。

これから友達になれるかもしれない。


その可能性を思うだけで、ミカの胸はじんわりと温かくなった。


「ほら、見えてきたぞ。あれがカールドルハ。魔導具で栄えた大都市だ」


ラックの指差す先に、広大な街並みが姿を現した。

高くそびえる建物。遠くまで続く街道。そして、見たこともないほど大きな街。

その光景に、ミカは思わず声を上げた。


「わぁ……! す、すごいです! これがカールドルハ……!」


ミカの瞳は、希望に満ちていた。


これから、たくさんのことを知ることができる。

そして、それをお母さんに伝えれば、きっと喜んでくれる。


ミカは、目の前に広がる街並みをただ見つめていた。



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