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優しい魔女へ  作者: 十 名鈴
第一部
1/28

第1話 約束

挿絵(By みてみん)

魔法。


それは神がもたらした奇跡であり、世界を導き照らすもの。

魔法を行使する者は天からの使徒であり、人々に救いを授ける光である――と、いつかの古いおとぎ話には記されていた。


「うんっと昔にはね、それはもうたくさんの魔法使いがいたんだよ」


遠い記憶の底から、とても優しく穏やかな声が響く。

ぬくもりに満ちたその声は、目の前に座る幼い少女に向けられたものであり、母からの無償の愛の証でもあった。


「今は減っちゃったの……?」


少女はあどけない瞳を瞬かせ、疑問を投げかける。

母は少しだけ哀しげな影をその瞳に宿しながらも、穏やかな微笑みを崩さずに少女の頬を撫でた。


「そうね……。今はみんないなくなっちゃったね」


「どうして?」


「みんな、遠いところへ行ってしまったの。でもね、ミカ。忘れないで。あなたは私達みんなの宝物なのよ」


愛おしそうに少女の頭を撫で、小さな体を力強く、けれど壊れ物を扱うように優しく抱きしめる。


母の肌の匂い。心臓の鼓動。温もり。

その一つひとつが、幼い少女の心を満たし、深い安心感を与えていた。


「私の愛しい愛しい……ミカ」




◇◇◇




「んん~……ふわぁ。いっぱい寝ちゃったなぁ」


木漏れ日と暖かな朝日に包まれ、一人の少女が目を覚ました。


少女の名は、ミカ・エステレラ。

雪のように真っ白な長髪と、それに沿うように長くしなやかな白い睫毛。

どこか浮世離れした美しさを持つ少女だった。


「……大丈夫だよ、分かってるから。お母さん」


ミカは華奢な指先で、首にかけた小さな銀色のロケットを愛おしそうに握りしめた。

ひんやりとした金属の感触が、胸の奥に残る母の温もりを呼び覚ます。


少女はいま、ガタガタと音を立てて揺れる馬車の荷台に乗っていた。

目指す先は、魔導具の栄光によって目覚ましい発展を遂げた巨大都市、カールドルハ。

数多くの先進的な魔導具を取り扱い、各地との貿易の要でもある繁栄の街だ。


荷台の中には、ミカの他にも幾人かの男女が身を寄せるように座っていた。

旅の退屈を紛らわすように、一人の年配の女性がミカへと視線を向け、柔らかな笑みを浮かべる。


「あら、よく眠っていたわね。あなたはカールドルハに何をしにいくの?」


「え、えっと……! 魔導具について勉強してきなさいって言われたので……!」


突然声をかけられたミカは、肩をびくっと跳ねさせながら慌てて答えた。

人見知りと緊張からか、頬をほんのり赤く染めながら言葉を続ける。


「お、お母さんが……いっぱい勉強すれば……褒めてくれるから」


そう言って、ミカは再び首元のロケットを宝物のように握りしめた。

その健気な様子に、老婆は目尻の皺を深めて優しく目を細める。


「うふふっ。それは頑張らないといけないねぇ。お母さんも楽しみに待っているでしょう」


「は、はいっ! 私、頑張るんですっ!」


ミカは大げさなほど元気に頷いてみせた。

馬車の中に、ぽかぽかと暖かな空気が広がる。


未知の土地へ向かう不安の中、最初に優しく声をかけてくれたこの老婆は、どこか母を思わせるような安心感を纏っていた。


「それにしても……魔導具ねぇ。私はどうもあれが苦手でね。なんだか恐ろしい物のような気がしてならないのさ……」


老婆は荷台の隅に置かれた魔導具の箱へ視線をやり、小さく息を吐いた。


「あ、あのっ! おばあさんは……何をしに街に行くんですか……?」


ミカが尋ねると、老婆は嬉しそうに表情を和らげた。


「ああ。息子が結婚するんだよ」


「結婚……!」


「昔はとってもヤンチャで手のかかる子だったんだけどねぇ……今は街で自分の店を持って、立派にやっていてね」


老婆は荷台の隅に置かれた大きな荷物へ目を向けた。

使い古されてはいるものの、丁寧に手入れされている。


「だからね、相手の娘さんに、私が若い頃に使っていた道具を譲ろうと思ってね」


「す、素敵ですっ! きっと喜んで……くれると思います」


「ありがとうねぇ。そう言ってもらえると嬉しいよ」


老婆は嬉しそうに笑った。



――その時だった。

突如として馬車の前方で、激しい爆発音が響き渡った。


「きゃああっ!?」


「な、なんだ!?」


悲鳴と怒号が交錯する。

衝撃で御者台が吹き飛び、制御を失った馬車が街道を大きく逸れて猛スピードで暴走する。

視界が激しく回転した。

直後、巨大な木々へと激突する。


凄まじい破壊音とともに荷車が大きく傾き、乗客たちの身体が宙を舞った。

散乱する荷物と砕け散る木枠。

さらには血を流して動かなくなる者や、うめき声をあげる者。


「ッ……! いたた……おばあさん……大丈夫――」


激痛に耐えながら、ミカは真っ先に隣にいた老婆へ手を伸ばした。

しかし、その手は届かなかった。


バキッ!

歪んだ荷車の扉が、力任せに蹴破られる。

差し込んできた木漏れ日を遮るように、数人の男たちが姿を現した。

その手に握られているのは、泥にまみれた刀剣や斧。


「ハハハッ! この道で張ってて大正解だったな!」


「へへっ、いいもんが転がってやがるぜ」


男たちは、倒れている乗客たちを見回して笑っていた。

リーダー格と思われる男が唾を吐き捨てる。


「お前ら、運が悪かったなぁ。金目のものを残らず奪え。抵抗するやつは殺せ」


男たちが一斉に雪崩れ込む。

乗客たちの悲鳴が響いた。


「い、痛いっ! やめて……!」


ミカも髪を乱暴に掴まれ、泥と砂利の上へ叩きつけられた。

膝と肘を強く打ちつける。

痛みに視界が滲んだ。

周囲では容赦ない暴力が吹き荒れていた。

悲鳴、命乞い。そして、肉が裂ける不快な音。


その中でミカが見つけたのは、血を流しながらも、大きな荷物を必死に抱きかかえている老婆の姿だった。


「これだけは……これだけは持っていかないでおくれ……!」


老婆は震える腕で荷物を抱きしめる。


「息子の……嫁になる子への、大切な……っ!」


「あぁ? くだらねえこと抜かしてんじゃねえよ、ババア!」


男の一人が鬱陶しそうに舌打ちした。

そして――


大剣を振り下ろす。

直後、鈍い音が響いた。


「あ……」


老婆の声が途切れた。

抱きかかえられていた荷物が、手から零れ落ちる。

泥に染まっていく。

老婆の瞳から光が消え、その身体が力なく地面へ倒れ伏した。


「おばあ……さん……?」


ミカの時が止まった。

つい数分前まで、息子の幸せを語っていた。

嬉しそうに笑っていた、その人がもう動かない。


「……あ……」


身体が震えた。

怖い、怖くて仕方がない。なのに、逃げることもできない。

その時だった。


「く、来るな……!」


少し離れた場所から、少年の声が響いた。

同じ馬車に乗っていた、まだ幼さの残る少年だった。

カールドルハの魔導具店で働く見習いで、商品の納品を終えて戻る途中だったらしい。


少年は腰を抜かしながらも、懐から護身用の小さな魔導具を取り出した。

魔石が埋め込まれた、小さな筒状の道具。


「来るな……! 来るんじゃない……!!」


震える手で男へ向ける。

魔石が淡く光り、小さな火炎弾が放たれた。

しかし、恐怖で手元が狂っている。

火炎弾は男の足元の泥を跳ね上げただけだった。


「ハッ。なんだそりゃ? 玩具か?」


男が笑う。

次の瞬間には、少年の目の前まで迫っていた。

手首を踏みつけられる。


「いっ……!」


魔導具が地面へ落ち、男はそれを踏み砕いた。

少年の身体が勢い良く蹴り飛ばされる。


「カハッ……!」


地面を転がった少年の胸元を、男が足で踏みつけた。

そして、血に濡れた剣先を喉元へ突きつける。


「頼む……助けて……誰か……!」


少年が泣きながら叫ぶ。

涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に周囲を見回す。

そして――ミカと目が合った。

助けてほしい、そう訴える目だった。

男の腕が持ち上がり刃が陽光を反射して、冷たく光った。


その瞬間。

ミカの脳裏に、母の声が蘇った。


『魔法使いだということは、決して人に明かしてはいけないよ』


『約束よ、ミカ。私達を傷つける人たちがいるから……だから、絶対に』


「……お母さん」



涙が頬を伝う。

母との約束。

それだけは、絶対に破ってはいけない。

ミカはそう教えられてきた。

魔法を使ってはいけない、魔法使いだと知られてはいけない。

それが、自分と母を守るために必要なことだから。

分かっている、分かっているのに。


目の前には、今にも消えてしまいそうな命がある。

そして少し離れた場所には、もう二度と動かない老婆がいる。

息子の結婚を、あんなに嬉しそうに話していた。

未来を楽しみにしていた。


「……っ」


ミカは唇を噛んだ。

怖い。

このまま何もしなければ、自分は助かるかもしれない。

母との約束も守れる。

それでも――


ミカは、震える足で立ち上がった。


「……ごめんね、お母さん」


ロケットを強く握りしめる。


「約束……破っちゃうね」


次の瞬間。

男の動きが止まった。

ミカが、手を伸ばす。

ただ、それだけだった。空気が震える。

地面に落ちていた小石が、わずかに浮いた。


「な――」


男の身体が、見えない何かに弾かれた。

そのまま地面を転がり、動かなくなる。


「な、なんだ……!?」


別の男が叫ぶ。

ミカは何も言わなかった。

ただ、震える手をもう一度動かすと、男たちの足元から地面が大きく裂けた。


「う、うわあああっ!」


逃げようとする男たちを、見えない力が次々と吹き飛ばしていく。剣も、斧も、怒号も。

すべてがミカの前では意味をなさなかった。

男たちだった物が地面に転がっている。

やがて森に静寂が戻り、ミカは立ち尽くしていた。

自分の手を見つめるミカ。

魔法を使ってしまった、母との約束を破った。

その事実だけが、頭の中を何度も巡っていた。


「……どうしよう」


ミカの声が小さく震える。


「お母さん……怒るかな……」


その言葉が零れた瞬間。

ミカは、老婆の亡骸へ駆け寄った。

泥の上に膝をつき、その身体を壊れ物のように抱きしめる。


「ごめんなさい……」


もう温かくない。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


涙が止まらなかった。

けれど、その涙が何に対するものなのかは、ミカ自身にもまだ分かっていなかった。

目の前で人が死んだこと、自分の魔法で人を傷つけたこと。

それが怖いのかもしれない。

けれど、それ以上に胸を締めつけているのは――


「お母さん……」


胸元のロケットを握りしめる。


「約束……破っちゃった……」


それは、ミカにとって何よりも大きな罪だった。

その凄惨な光景を、間近で見ていた少年がいた。


少年は腰を抜かしたまま、震える手で地面を這い、目の前の少女を見上げていた。


男たちを退けた力。

魔導具では説明できない、古い伝承の中にしか存在しないはずの力。

少年はがちがちと歯を鳴らし、絶望と畏怖の混ざった声を漏らす。


「そんな……」


少年の目に映る少女は、白い髪を泥に濡らし、亡骸を抱きしめながら泣いていた。

けれど、その少女が使った力だけは、少年の知るどんな魔導具とも違っていた。



「まさか……魔女……?」



その言葉は、静まり返った森の中へ、冷たく吸い込まれていった。

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