第30話 祝福の鐘
雨上がりの道を歩いていく。
足取りは軽かった。四人の間には、短い付き合いの中で確かな絆が芽生えている。
知らないことはまだまだ多い。だが、互いに弱さはもう見せた。それだけで十分だった。
「なぁ、王都に着いたらさ、まずはテスタの墓に俺達も連れてってくれよ」
先頭を歩くラックが、振り返って言った。
ローシュとミカは顔を見合わせて頷く。
「いいですね。花でも添えさせてください」
「わ、私は……美味しそうなものを!」
三人の言葉に、ジルは穏やかな表情で頷いた。
「私は……いい仲間を持ったな……」
ジルは小さく笑みを浮かべて呟く。その声は、爽やかな雨上がりの風に優しく溶けて消えていった。
「何か言ったか? ほら、早く行こうぜ」
おどけるように、ラックが先へ歩いていく。ミカとローシュも楽しげにあとを追った。
ひどく険しいはずの旧道が、まるでピクニックのような穏やかな空気に包まれていた。
道中、幾度か魔物が襲いかかってきたが、苦労することはなかった。これまで以上の連携で、互いの呼吸を感じるように、自然に体が動いた。
「ラック。剣の調子はどうだ?」
魔物を難なく斬り伏せたラックに、ジルが声をかけた。ラックは両手の二振りの剣を軽く振ると、流れるような動作で鞘に収めて答えた。
「最高だよ。重さもほとんど感じない」
ジルは満足げに笑みを浮かべる。ラックには剣の才能がある。天賦の才とまではいかない。だが努力を積み重ねられる才能と、何よりその素直さが、まるで剣にも伝わっているかのようだった。
「騎士になれば、お前はいい騎士になりそうだな」
お世辞ではなかった。精神性も実力も、もはや申し分ない。この歳でここまでの力を身につけながら、溺れることなく弱者を思いやれるラックに、ジルはどこかヴァルドの面影を重ねていた。
「騎士にはならないって。俺はセスタードを最高の魔導具店にするんだからさ」
ラックは無邪気に笑って夢を語る。世界を回って一人前になったら、親方の跡を継ぎ、大切なセスタード工房を世界一の魔導具店にする。
それが夢だった。
「ふっ、そうだな。お前にはその方が似合っている」
ジルは静かに笑い、ラックの肩をぐいと引き寄せて、小声で耳打ちした。
「自分の心には、早く素直になったほうがいい。……師匠からの助言だ」
ジルの視線の先には、楽しげに歩くミカがいた。ラックはその視線に気付き、ごまかすように話題を逸らす。
「そ、そんなんじゃねぇって……! そ、それよりさ、旧道は今どの辺まで来てるんだ?」
ジルは笑ってラックの肩を叩き、辺りを見渡した。それから、前を歩くローシュに声をかける。
「ローシュ! 木に登って、何か見えないか確かめてくれないか?」
頷いたローシュは、跳ねるような足取りで、そばの大木を軽々と駆け上がっていった。
頂上に着くと、持ち前の視力で辺りを見渡し始める。
「す、すごい……。私もできるかな……」
感心して呟いたミカが、真似をして木にしがみつく。
だが、まるで上がれない。少し登ってはずるずると滑り落ち、ストンと根元に座り込んでしまった。
「はははっ、何してんだよミカ」
ラックが笑いながら見ている間に、ローシュが音もなくするすると降りてきた。
「どうだ? 何か見えたか?」
「一つ山を越えた先に、かすかにですが大きな建造物が見えました。次の街でしょうか?」
ジルは頷き、地図を開く。
旧道は、いつの間にか半分を過ぎていた。あとは小さな山を一つ越えるだけ。そして旧道の先で街道に戻り、進んだところが次の目的地だった。
「あと一日もあれば十分だろう。次の街は……いや、実際に見たほうが早いな」
意味が分からず、三人は顔を見合わせた。
「王都の近辺には、ある信仰が根付いていてな」
ジルは地図の上の、目的地の街を指さす。
「ここは、その宗教の教団本部がある街だ」
ローシュが眉間にしわを寄せた。
「宗教ですか……。あまりいい予感はしませんね」
ジルは小さく頷く。
「私もこの街はあまり好きではない。だが、寄らないわけにもいかないからな」
三人がその意味に気付くのは、まだ少し先のことだった。
しばらく歩き続け、旧道を抜けるまでもう間もなくという頃には、辺りは暗くなり始めていた。安全のためにも旧道での野宿は避けたい。
ひとまず旧道を抜けることを目指して、ミカの杖の先に灯した火を頼りに、四人は歩き続けた。
少し行ったところで、ローシュが暗闇の先に何かを見つけた。
「あれは……トンネルですか?」
薄暗い山中に、ぽっかりと穴が開いたように、古びたトンネルが口を開けていた。
壁面には苔が生え、前日の雨の名残が、ぽたぽたと静かに垂れている。
「この先を抜ければ街道はすぐだ」
ジルの言葉に頷いて、四人はトンネルへ足を踏み入れた。
中は暗く、足元もほとんど見えない。ミカが杖の先の炎を二つほど増やすと、辺りがぼんやりと明るくなった。
「お、助かったよミカ──」
礼を言いかけたラックが、何かに気付いて言葉を止めた。壁面に、無数の文字が殴り書きされている。
その文字を見るなり、ラックはすぐに目を逸らし、再び歩き出した。
「ど、どうかしましたか?」
自分のそばの壁に何が書かれているのか、ミカは気付いていない。トコトコとラックのあとをついていく。
ローシュは壁の文字にちらりと目を通し、何も言わずに歩いた。ジルは、知っていたかのように気にも留めず、三人の後ろを静かに歩いている。
ミカのすぐそばの壁には、赤い文字が一面に書き殴られていた。
『魔女を許すな。魔女は殺せ』
ラックは、ミカがその言葉に気付かないよう、先導するようにトンネルの出口へ足早に進んでいった。
トンネルは長いようで短く、すぐに終わりが来た。
抜けた先は、先ほどまでと変わらぬ木々に囲まれた場所で、その真ん中を、街道へ続く細い道が通っている。
「山登りで足がクタクタだよ」
ラックが大げさに足をぷらぷらと揺らして笑ってみせる。ミカは頷きながら、新しい街での食事を想像して胸を躍らせていた。
「街道に出る前に、どこかで休むとしよう」
ジルは野営できそうな場所を探しに行った。辺りはすっかり暗くなり、静かな風が木々を揺らしている。
少しして、よさそうな場所を見つけたジルが戻ってきた。
そこは街道に出る前の、森の中でわずかに開けた場所で、周りの木々が風を防いでくれていた。
「……野宿もすっかり慣れちゃいました」
ミカは近くの倒木に腰掛けて笑った。マグメルに住んでいた頃は、毎日を屋敷で過ごし、ふわふわのベッドで眠る、何不自由ない生活を送っていた。
不自由は良くないものだと思っていた。だが、そうではなかった。
大切な人たちとなら、この不自由も幸せな時間なのだと、ミカは感じ始めていた。
「お前のすごいところは、どこでも寝れるところだよな」
ラックがからかうと、ミカは少し拗ねた顔をした。
ローシュとジルは、二人のいつものやり取りを微笑ましく見ている。
「そうだ、ミカ。杖の手入れしてやるよ」
ラックが杖を指さした。
杖はとても大切に扱われていた。ミカは毎日愛おしそうに磨き、少しでも汚れがつけばすぐに拭いていた。
嬉しそうな顔で、ミカは杖を手渡す。
「お、お願いしますっ!」
受け取ったラックは、杖の状態をしっかりと見極めていく。驚くほど綺麗だった。これまでの旅の激しさを感じさせないほど、大切に扱われているのが見て取れて、ラックは満足げに笑う。
「ちゃんと大切にしてくれてるんだな」
ミカが大きく頷く。
ラックは真剣な表情で、杖の魔石や装飾、破損している箇所がないかを、丁寧に調べていった。
ミカはその様子を、ただ静かに、幸せそうに見つめていた。
「ふっ……もどかしいな」
そんな二人を見て、ジルは小さく笑みを浮かべ、立ち上がってローシュに声をかける。
ローシュも何かを察したのか、続いて立ち上がった。
「少しローシュの稽古をつけてくる」
ジルがラックたちに告げる。
「すぐに戻ります」
ローシュの言葉に、ラックは杖から目を離さず、手だけを上げて答えた。
セスタード工房の跡取りらしく集中するラックの姿に、ローシュは少し感心した顔をしていた。
「ジルさんらしくもないですね」
向かった先で、ローシュが矢を放ちながらジルに声をかけた。
ジルは、その矢を片手で正確に掴み取って答える。
「私にもあんな時があったなと、思っただけだ」
暗闇に存在を溶かすように息を潜め、ローシュは次々に矢を放つ。絶妙な時間差で放たれた矢を、ジルは思わず両手で掴み取った。
「お前たちには、私のようになってほしくはない。……それだけだ」
ジルの呟きに、ローシュは小さく笑って矢を放ち続ける。
この騎士は、誰が何と言おうと英雄であり、誰よりも優しい最高の騎士だ。ローシュはそう感じていた。
「それにしても……この暗闇でよく見えますね」
ジルはローシュの放った矢を、一本残らず丁寧に掴んでいる。矢を無駄にしないための気遣いであり、それほどまでに余裕があるという証でもあった。
「コツがあるんだ。お前は気配を消すのが上手い。だが、それが違和感にも繋がる」
ローシュが瞬きをして、再び目を開けた瞬間、ジルはすぐ後ろに立っていた。
剣の柄で、頭をこつんと軽く小突く。
「生き物の気配に満ちた森の中では、なおさらだ。並の相手なら何も問題はない。だが私のように勘の鋭い者は、まるでそこに穴が開いたような違和感を覚える」
優しい口調で、ジルは続けた。
「気配を消すのではなく、環境に馴染め。お前ならすぐにできるようになる」
ジルがぽんと頭を叩くと、ローシュは気恥ずかしそうにしながらも、年相応の少年らしい笑みを見せた。
「……そこまで言われたら、応えたくなりますね」
ジルは頷く。
「だが、今日はもう遅い。そろそろ二人のところへ戻るとしよう」
ジルは掴み取った矢を、すべてローシュの矢筒へ放り込んだ。ローシュは、その様子に少し引きつった笑みを浮かべた。
二人が戻ると、杖の手入れを終えたラックは、二振りの剣で素振りをしていた。
そのそばで、ミカが磨き上げられた杖を、うっとりと見つめている。
「ふっ……感心だな。そろそろ寝るとしよう」
四人は焚き火を囲み、思い思いの体勢で眠りについた。
眠りに落ちる寸前、どこからか、かすかな鐘の音が聞こえていた。
夜が明け、眩しい日差しが降り注ぐ。
木漏れ日が、まだ眠りこけているミカの顔を照らした。
「ん……ふわぁ……」
寝ぼけ眼をこすりながら、ミカは辺りを見渡す。先に起きていたのか、ジルとローシュの姿はなく、ラックはまだ寝息を立てていた。
何かを思いついたように、ミカはにやりと笑い、忍び足でラックへ近づいていく。
「ふふ……お寝坊なラックが悪いんですよ?」
眠っているラックの髪に、そっと葉っぱや枝を乗せていく。乗せては、その姿を見てくすくすと笑った。
「つ、次は……これもいっちゃいますよ……?」
すぐそばに咲いていた可愛らしい花を一輪摘み、手を震わせながら、ラックの耳にそっとかける。
飾り立てられた特製ラックの完成だった。くすくす笑いが止まらない。
「ふ、ふふっ……か、可愛いですよ」
笑い声を押し殺すミカ。その時、ラックのまぶたが静かに開いた。
「……よぉ。随分と、楽しそうだったなぁ?」
状況を悟ったミカは、ごまかすように顔を逸らして笑う。
「な、なんのことか分かりませんっ! 気のせいじゃないですか……?」
とぼけるミカに、ラックはにやにやしながら近づく。寝癖の爆発したミカの頭を、わしゃわしゃとかき回し、さらに髪を逆立てた。
「ぶっ……あはははっ! 仕返しだよ!」
ラックが笑って手を離すと、ミカの髪はまっすぐ真上に反り立ち、まるで塔のようになっていた。
「ったく……お前たちは一体何を騒いで──」
近くの湧き水で顔を洗っていたジルが戻り、二人の姿を見て顔を背けた。
「湧き水、冷たかったですね。って……ジルさん、どうしました?」
顔を背けたまま、ジルが指をさす。その先には、おとぎ話のお姫様のように寝癖を飾られたラックと、巨塔のように真っ白な髪を逆立てたミカが、こちらを見ていた。
「っ……! む、向こうに湧き水あります……から!」
ジルが顔を背けた理由を悟ったローシュは、ぷるぷると肩を震わせながら、湧き水の場所を指さした。
ジルは、笑いを押し殺すように、地面の土をじっと見つめていた。
ラックとミカが身だしなみを整えて戻った頃。
四人は、いよいよ新しい街へ向けて歩き出した。長かった旧道を抜け、ようやく整備された街道に出る。
背後には立入禁止の看板が立ち、遥か遠くには崩落の跡が見えていた。
しばらく歩くと、どこからか美しい鐘の音が響いてくる。
「……鐘の音? どこからだ?」
ラックが耳を澄まし、辺りをきょろきょろと見渡す。ジルは足を止めずに答えた。
「……すぐに分かる」
目的の街に近づくほど、鐘の音は大きくなっていった。心の隙間に入り込んでくるような、美しくも、どこか恐ろしい音色だった。
「お腹、減りました……」
お腹をさすりながら、俯いたままとぼとぼと歩いていたミカが、前を歩くラックにぶつかった。
「わっ……! ど、どうしたんですか?」
ラックは何かに見とれたように立ち止まり、一点を見つめている。
何も言わず、ただ静かに、視界の先に見えたものへ指を伸ばした。
ミカも、その指の先を追って視線を向ける。
「……なに……これ……」
そこには、これまでとはまるで様相の違う光景が広がっていた。
天を突くほど大きな聖堂と、それを取り囲む無数の尖塔。白を基調とした建物群が、陽光を反射して眩く輝いている。
遠くからでも見えるほど巨大な鐘楼が揺れ、荘厳な鐘の音が、辺りに響き渡っていた。
カールドルハともポーディリアとも違う、異様さだった。
「あれが、教団本部の街」
ジルが、静かに言葉を続けた。
「信仰の街、『タヴナート』だ」
四人を包み込むように、鐘の音が響き渡る。
それは祝福の音色か。それとも凶兆なのか。誰もまだ知らなかった。
美しさの裏に隠された、恐ろしさと贖罪を。




