第29話 君の誇れる騎士に
私は選べなかった。
テスタを助けることも、騎士の誇りで彼女を斬ることも……どちらも選べなかった。
随分と軽くなったテスタを抱きかかえたまま、私は泣き叫んだ。さらさらだった髪は、血で赤く固まり、ぱさついていた。
テスタには、私しかいなかったのに。
ごめんなさい……ごめんなさい……。
魔女の頭を抱えて泣き叫ぶ私を、民衆や王たちは失望の目で見ていた。
そこにはもう、皆が憧れた英雄の姿などなかった。
テスタの遺体は、弔うことも許されなかった。
私は捕らえられ、裁判にかけられた。王都に魔女を引き込んだ罪。魔女を庇おうとした罪。
騎士の誇りを手放し、魔女に与する者として罰された。
それまでの騎士団長としての功績により、死罪にはならなかった。隣国ベレタ帝国との戦争の兵器として、私ほど都合のいい存在はいなかったのだろう。
だが、そんなことはもうどうでもよかった。
私はしばらく勾留されたのち、最前線へ送られることになった。
王都を出る朝、私を慕っていた騎士の一人が、あるものを手渡してくれた。
見覚えのある色と手触りの、一房の髪だった。
テスタの髪だと、すぐに分かった。
その髪を、いつかの冬に二人で雪だるまを作った場所の、土の下に埋めた。
私が死んだら、私もここに埋めてもらおう。
きっと、一人では寂しいと思うから。
私は騎士団長の地位を剥奪され、王国の都合のいい刃として、激しい戦地へ送られ続けた。
来る日も来る日も、人を斬る毎日だった。
私は……何故、生きているのだろう。
自ら命を断とうと考えたこともあった。だが、ヴァルドから譲り受けた剣を見るたびに、思いとどまった。
私の心をかろうじて繋いでいたのは、ヴァルドがこの国を好きだったという、ただそれだけだった。
ヴァルドが愛した国を守ろう。
テスタの眠る場所が、争いに包まれぬように。
私の中のテスタの顔が、血で染まっていく。
私の赤い髪は、毎日血を滴らせていた。
ひたすらに剣を振り続けた。守るための剣は、命を奪う剣となり、帝国の兵を斬り続けた。
私はどこで間違えてしまったのだろう。
気付けば、あの日から二年余りが流れていた。
私の体には傷が増え、民の心からは、私の存在もいつしか消え始めていた。
魔女も、幾人かこの手で斬り捨てた。
あの優しいテスタとは違う、恐ろしい魔女たちだった。まるで子どもが玩具で遊ぶように兵を殺し、そこに悪など感じていないかのように、当然のこととして殺戮をばらまいていた。
だが、人間も魔女も変わらない。人間の中にも、恐ろしい者はいる。
魔女だからと、罪もない幼い少女を斬り捨てる人間がいる。そして、その少女を助けもせず、斬りもせず、何も選ばなかった半端者も。
魔女の中にも、きっとあの子のように、テスタのように優しい子がいるはずだ。
もし……またテスタのような優しい魔女に会えたなら、今度こそ……私が守ろう。
もう二度と、テスタのような少女を生み出さないために。
ベレタ帝国とは、いつしか休戦協定が結ばれた。長い争いに、互いに辟易していたのだろう。
それに、両国にとって最も危惧すべき存在は、「厄災の魔女」だった。
休戦と同時に、私の居場所もなくなった。
騎士団長の座には別の者が就き、新たな英雄となった。私はただの、使い捨ての騎士だった。
魔女を庇おうとした騎士など、王国にとっては汚点でしかなかったのだろう。
戦争が終わると、私は追放されるように、王国の端の小さな村へ左遷された。
深い森に囲まれたエルンの村。旅人も来ない、とても小さく静かな村だった。
村人たちは、私が騎士だというだけで手厚く迎えてくれた。手は血で汚れ、大切なものも守れなかった私に、優しくしてくれた。
このままここで、一人の騎士として終えてもいいと思い始めていた。目の届く範囲の人間を守り、そのまま死ぬのも悪くない。
そんなある日のことだった。
村で魔物による事件が起き、一人の少女と少年に出会った。
旅人の二人だった。王都を目指して、子どもだけで旅をしているらしい。
ミカ・エステレラ。
ひと目で分かった。この白い髪の少女は、魔女なのだと。笑った顔がテスタによく似た、優しい少女だった。
世界のことを何も知らず、白い髪のようにどこまでも純真で素直な魔女。
私は悟った。
これが、今日まで生かされてきた理由なのだと。
テスタの面影を感じるこの優しい魔女を、世界から守り導く。あの時の私にできなかったことを。
もう私は、魔女だからというだけの理由で、テスタのような少女が傷つく姿を見たくない。
この世界には美しいものがたくさんあるのだと、知ってほしい。
すまない、テスタ。もう少し……待っていてくれるか?
お前にまた会う時に、顔を背けず、まっすぐ目を見られる私になりたい。
お前が自慢できるような、立派な騎士に。
私は、ヴァルドから譲り受けた血染めの剣を手放し、新たな剣に誓いを立てた。
この少女を導こう。
きっと、その先に私の求める答えもあるはずだから。
◇◇◇
ぽつぽつと、雨の静かな音が響いていた。
ジルの過去を聞いた三人は、黙って俯いていた。
彼女の強さの裏に隠されていたのは、あまりにも悲しい物語だったからだ。
ラックは拳を握りしめた。その肩が、小さく震えている。
「魔女だからって……何なんだよ、それ」
行き場のない悲しみを押さえ込むように、ラックが呟く。誰よりも辛いのはジル本人だと、分かっていたからだ。
ローシュは何も言わず、窓の外を見つめていた。その唇が、わずかに震えている。
ミカは目を逸らさず、まっすぐにジルの話を聞いていた。
ジルが何故、魔女の自分に優しくしてくれるのか。知りたかった。ただ、ジルがどこまでも優しい騎士だからだと思っていた。
それは、間違いではなかった。この騎士は、誰よりも優しい人なのだと、ミカは感じていた。
母のように、とてもとても優しい人。
ジルは、三人の様子に心が少し軽くなるのを感じていた。いつかは話すつもりでいたが、人に話すことがこんなに楽になるとは知らなかったのだ。
圧倒的な強さゆえに、誰もジルの弱さには目を向けなかった。誰よりも深く傷ついた心に、誰も気付いていなかった。
この三人は、顔も知らないテスタのことを、こんなにも真剣に思ってくれている。
それが、ジルは嬉しかった。
「……これからもよろしく頼む」
そう静かに呟き、ジルはミカの頭を撫でた。白く美しい髪が、指に優しく絡みつく。
ミカはまっすぐにジルを見つめたまま、黙っていた。やがて、ふっと笑みを浮かべ、ジルの赤い髪を優しく撫で返した。
その瞬間、ジルの目の中で、ミカとテスタの面影が重なった。
テスタは、ジルの赤い髪が好きだった。よく嬉しそうに撫でていた。結んで遊んだり、強く引っ張ってはジルに少し怒られたり。
ジルの頬を、雫が静かに流れ落ちた。
「私は……泣いているのか?」
涙など、とうに枯れ果てたと思っていた。ヴァルドを失い、テスタを目の前で失ったあの日から、心ごと乾ききってしまったのだと。
この涙が何を意味するのか、ジルには分からなかった。
ミカは、ジルの涙を指で優しく拭い、笑顔で口を開いた。
「……ジルさん。これからも私達に、たっくさん色々なこと、教えてください!」
ラックとローシュが顔を見合わせ、ジルのもとへ歩み寄る。三人で頷き合い、そっとジルを抱きしめた。
ジルの赤い髪が静かに揺れ、涙が頬を伝っていく。
「これからも鍛えてくれるんだろ?」
ラックがにやりと笑う。ローシュも笑いながら続けた。
「ジルさんがいないと、二人はすぐ遊んじゃいますから」
ミカとラックが、少し拗ねたように笑う。
ジルは、いつもと変わらない三人に思わず笑ってしまい、三人を強く抱きしめ返した。
「ぷっ……あはははっ! そうだな、私がもっと厳しくしないとな」
つられるように、三人も笑った。
ジルの欠けていた心には、気付けば大切なものが満ちていた。
血に染まっていたテスタの顔が、いつしか、あの無邪気で大好きだった笑顔に戻っていく。
ジルはふと立ち上がり、静かに剣を抜く。
三人が見つめる中、剣を床に突き立てる。凛とした表情だった。
それは、まさに英雄ジルテスタ・レルグリンドの姿だった。
「この剣に誓おう」
「私はお前たちの剣となる」
次の瞬間、ジルは幼い少女のような無邪気な顔で笑った。
気付けば、小屋の外の雨は止んでいた。
窓から月明かりが差し込み、ジルの剣にきらきらと反射している。
険しい旧道の疲れからか、ミカもラックもローシュも、いつしか寝息を立てていた。
ローシュはラックの寝相に巻き込まれながら、ジルの足を枕にしている。ミカは、ジルに抱きつくようにして、すうすうと眠っていた。
広い小屋の中で、三人はジルにくっつくように身を寄せ合っていた。
ジルはミカの頭を撫でながら、窓から差し込む月を見つめた。
「テスタ。少し寄り道してから、お前のところに行くよ」
「土産話もたくさん用意しよう。お前が喜びそうなものを、たくさん」
どこまでも穏やかな表情で、月に手をかざす。
「その時は……また『おかえり』と言ってくれるか? 次は……ちゃんと返すから」
テスタが大好きだった赤い髪が、隙間風に静かになびいていた。
「テスタ、ただいま──って」
四人は静かに眠っていた。
ジルの頬を、温かな雫が一筋伝っていく。
大切な人の夢を見ながら、穏やかな寝顔で眠っていた。




