第28話 「おかえり」
魔女。
一度だけ、対峙したことがあった。
国境付近での争いの最中、突然、私の隊に襲いかかってきた若い魔女。数人の騎士が犠牲になった。
魔導具の媒介もなしに、何もない空中から氷を生み出す、恐ろしい力だった。
幸い、魔女は未熟だったのか、私なら問題なく対処できた。
あの時の感覚に似ている。
魔女に特有の、ごく微かな違和感。人間として、いや、生物としての違和感。
それを目の前の幼い少女から感じた。
ひと目で気付いた。この少女は魔女なのだと。
幼い魔女は、怯えるように私を見つめ震えていた。魔女は危険な存在だ。
私の手は、剣の柄へと伸びかけていた。
だが、その時、ヴァルドの顔が浮かんだ。
幼く、何も分からずただ暴れるだけの獣だった私に、手を差し伸べてくれた人。あの優しい顔。
そうか……。目の前の幼い魔女は、私と同じなのだ。
「……安心しろ。傷つけるつもりはない」
気付けば私は、魔女の前にしゃがみ込み手を差し出していた。
これでいい。私は、ヴァルドの誇りを受け継いだのだから。彼ならきっと、今の私と同じことをした。
幼い魔女の緊張が、ほんの少しだけほぐれたように見えた。
「私はジルテスタ──いや、長いか……。ジルでいい。……名は?」
幼い魔女は、私の手を小さな指で握りしめ首を横に振った。名前も知らないのだろうか。
「名も分からないのは不便だな……。そうだ、お前に名をやる」
幼い魔女の頭を優しく撫で、微笑みかける。
絹のようにさらさらとした髪が指に絡んだ。
「……テスタ。私とお揃いだ」
テスタと名付けた幼い魔女は、弱々しいながらも、わずかに笑みを浮かべた。
その直後、張り詰めていた糸が切れたのだろう。テスタは気を失うように、眠りに落ちた。
「……軽いな。ふっ……私は何をしているのだろうな」
抱きかかえたテスタは、同じ年頃の少女と比べてもずいぶん軽かった。小さな温もりが、腕の中で寝息を立てている。
魔女が危険だということは、十分に理解している。数年前には、カールドルハの街が魔女によって一度壊滅した、との報告もあった。
だが、この子に罪などない。
落ち着いたら親の元へ送り届けてやろう。
私は幼い魔女を抱いたまま、家へと静かに歩き出した。
その日から、私と魔女テスタの奇妙な生活が始まった。
目を覚ましたテスタは、見覚えのない景色に怯え、布団を握りしめて震えていた。
だが、私の姿を見つけた途端、ほっとしたように表情を緩める。
「お腹が減っているだろう? ほら、食べろ」
簡単な食事をテスタに手渡した。
豆と少しの肉を煮詰めただけの、質素なスープ。私は料理が得意ではなかった。いつも剣の鍛錬ばかりしていたからだ。唯一作れるのが、このスープだった。
幼い私に、ヴァルドがよく作ってくれたものだ。
受け取ったテスタは、手を震わせながら不器用にスプーンで掬って口へ運ぶ。ポタポタと少しこぼしながらも、ごくりと、静かに飲み込んだ。
「ふふっ……そうか。美味しいか」
テスタは弾けるような笑顔になり、勢いよくスープを飲み始める。よほど空腹だったのだろう。
気付けば、私の口元にも笑みがこぼれていた。
こんなに自然に笑ったのは久しぶりだった。
「焦るな。まだまだたくさんある」
頭を撫でると、テスタは嬉しそうに頷きスープを味わっていく。
私は、ただそれを静かに見つめていた。ヴァルドを失ってから、ぽっかりと空いたままだった胸の穴に少しだけ温もりが戻ってくる。
そんな感覚だった。
「どこから来た? 親はどうした?」
尋ねると、テスタは表情を曇らせ、黙って首を横に振った。
魔女とは、一体どういう存在なのだろう。親も魔女なのだろうか。あまりにも、知らないことが多すぎる。
だが、目の前の幼い魔女を放っておくわけにはいかない。
「親はいないのか……。私と同じだな」
テスタは黙って頷き、またスープを夢中で飲み始めた。
よほど、ひどい目に遭ったのだろうか。テスタは、反応こそするものの、言葉も声も出すことがなかった。
私は、一つの決断をした。
この幼い魔女が、一人で生きられるようになるまで保護しよう。それが騎士である私のするべきことだと思ったからだ。
魔女だと悟られないよう隠し、私自身も気付いていないふりをする。普通の少女として育て、魔女の住む土地や、話の通じる魔女が見つかれば引き渡そう。
それまでだ。それまでは私が守ってやろう。
テスタとの日々は、平穏そのものだった。
素直で大人しく、私の言うことをきちんと聞いた。騎士団や国には隠し通せないだろうと考え、戦地で保護した孤児だと偽りの報告をした。
騎士たちは驚き、中には、私とともに育てたいとまで言い出す者もいた。
私を想う者がいることは分かっている。だが、私の心には今もヴァルドがいた。それに、近づく者が増えれば、テスタが魔女だと知られる危険も高まる。
私は、一人で育てると決めた。
どうせ、少しの間だけだ。何も問題はないだろう。そう考えていた。
「テスタ。ついてくるか?」
その日は、私の誕生日だった。
ヴァルドの墓参りに、テスタを連れて行くことにした。今の私を見たら、ヴァルドは腹を抱えて笑うだろうな。
そう考えると、自然と笑みが溢れた。
「ここは……私の大切な人が眠っている場所なんだ」
ヴァルドの墓に、彼の好きだった酒を供える。
彼を想い、手を組んで祈りを捧げた。すると、テスタが私の仕草を見様見真似で、祈るように手を合わせている。
「ふふっ……ありがとう。彼もきっと、喜んでくれる」
静かな英雄の墓前で、二人で目を閉じ、祈りを捧げた。以前は、ここへ来るたびに胸が締め付けられた。
けれど、何故だろう。今日は心が穏やかだった。
その時、あの手紙の言葉が、ふと頭をよぎる。
『愛している』
そうか……。私は、この子をいつの間にか大切に想い始めていたのか。
血に染まった私の前に現れた、どこまでも純粋な存在。気付けば、欠けていた私の心は温かな気持ちで満たされ、心から笑えるようになっていた。
「さあ、帰ろう。今日は私の誕生日だからな。豪勢な食事にしよう」
テスタが、満面の笑みで頷く。
その小さな手を握り、二人の家へと歩いていく。
私達の足取りは軽く、美しい夕焼けが背中を優しく照らしていた。
季節が巡る。
春には二人で花を愛で、夏には、まるで子どものように水をかけ合ってはしゃいだ。
秋には、茶色く染まり始めた近場の森へ、テスタを連れて散歩に出た。たくさんの落ち葉に二人で寝転び、顔についた葉を見て笑い合った。
テスタは、いつまで経っても声を出すことができなかった。その分、大げさなほどに手や体で喜びを伝えてくれた。
王国に雪が降り、王都も一面の雪景色に染まった。
人目の少ない平原へテスタを連れていくと、一面の雪に目を輝かせ、跳ねるように走り回った。
私の注意にも耳を貸さず、転んで全身が雪まみれになったりもした。
二人で、雪だるまも作った。大きいものと、小さなもの。
二つ並んだ雪だるまを見て、私が「私達みたいだな」と言うと、テスタは嬉しそうに笑っていた。
毎日その雪だるまを見に行き、溶けてしまう日には、テスタはぽろぽろと涙を流していた。
私は、幸せだった。
人生で一番の幸福だった。欠けていた私の心は、いつの間にか、テスタがくれた温かなもので満たされていた。
私が幸せになれるなど、思ってもみなかった。
この子の、テスタの笑顔だけが私の生きる道だ。そう感じていた。
季節が一巡した頃。
私は、近隣の街で起きた野盗騒ぎの鎮圧に、遠征することになった。家を三日ほど空けてしまう。
テスタはこの一年で留守番をすることもあったが、長くても一日ほどだった。
「本当に……一人で大丈夫か?」
私の心配をよそに、テスタは力こぶを作るような仕草で、にっと笑ってみせた。いつの間にか、私のほうが心配性になっていたらしい。
戻ってくる頃には、ちょうど私の誕生日か。
「すぐに戻ってくる。……テスタ」
言葉に詰まる。いざ口にしようとすると、これほど恥ずかしいものなのか。だが、どうしても伝えたくなってしまった。
「……愛している。お前は私の宝だ」
勢いのまま、テスタを抱きしめて頭をくしゃくしゃと撫でた。
テスタは笑いながら、小さな手で強く抱きしめ返す。そして、真似をするように私の赤い髪を撫でた。
「行ってくる。帰ったら、たくさんご飯を食べよう」
名残惜しさを振り切って、私は手を離し家をあとにした。
野盗への苛立ちが湧いてくる。
さっさと終わらせて、テスタの元へ帰ろう。帰ったら、テーブルいっぱいのご馳走を用意しよう。
そんなことを考えながら、私は出発した。
◇◇◇
ジルが出発して、二日が過ぎた頃。
テスタは、初めて一人で家の外へ足を踏み出していた。
今日は、ジルの誕生日。
いつも優しくしてくれる大好きなジルに、贈り物をしたかったのだ。
一人で買い物ができたと知ったら、きっと驚くだろう。そんなことを考えながらテスタは笑みを浮かべ、跳ねるような足取りで市場へ向かった。
小銭の入った小さな巾着を、大事に握りしめて。
お小遣いはジルから貰っていた。たまにする留守番の時、何かあった時のためにと、持たされていたものだ。
市場に着くと、たくさんの人が行き交い、様々な出店が所狭しと並んでいた。
ジルと来たことは一度あったが、一人で来るのは初めてだ。それでも不思議と不安はなかった。
ジルはどんなふうに喜んでくれるだろう。
胸が踊っていた。
「あら、可愛いお嬢ちゃんだね。一人でお買い物かい?」
市場を歩いていると、出店の店主が声をかけてきた。
テスタは戸惑いながらも頷く。
「えらいねぇ! 分からないことがあったら、誰かに聞くんだよ? みんな優しいからね」
その言葉に頷き、テスタはトコトコと市場の奥へ駆けていく。
店が多すぎて、何を買えばいいのか迷ってしまう。ジルは何を渡せば喜んでくれるだろう。
そんなことを考えていると、ふと、揺れる何かがテスタの目に留まった。
キラキラと赤く輝く、耳飾り。
まるで、ジルの綺麗な赤い髪のような光だった。
これしかない。そう決めて、店主に合図を送ろうとした、その瞬間。
「あぶねぇッ……!」
そばで木箱を運んでいた男が、足を躓かせた。抱えていた木箱が宙に舞い、ゆっくりとテスタの頭上へ落ちてくる。
周りの視線が集まる。誰もが間に合わないと悟り、次の瞬間に起きる悲惨な光景から目を背けた。
その時。
テスタの頭上に迫っていた木箱は、音を立ててひしゃげ、バラバラの木片になっていた。
それはテスタの魔法だった。
今まで、一度も使ったことはなかった。使い方も知らなかった。ただ、差し迫る危険から身を守ろうとする、防衛本能。無意識だった。
パラパラと、木片が地面に落ちる音だけが響く。辺りは、目の前の光景に静まり返った。
「ま……魔女……」
一人の男が、怯えた声を漏らした。
つい先ほどまで温かく、優しげだった住人たちの顔が険しく曇っていく。
その視線は、幼い魔女に向けられていた。
テスタには、何故そんな目を向けられるのか分からなかった。
戸惑って、きょろきょろと辺りを見渡す。
「魔女だ……! 離れろッ! 殺される……!」
住人たちは怯えた声を上げ、我先にと逃げ出していく。
何が起きているのかも分からないまま、テスタの目に涙が浮かんだ。そして、騒ぎを聞きつけた騎士が駆けつけた。
ジルが帰ってくる、三時間前の出来事だった。
◇◇◇
私は遠征を終え、王都へと馬を進めていた。
もうすぐテスタに会える。
今日は、食べ切れないほどのご馳走にしよう。そんなことを考えながら帰路を行く私の元へ、その時、王都からの伝令が届いた。
「伝令? なんだ、一体──」
それを聞いた瞬間、私の時が止まった。
心臓が、大きな音を立てて鳴っている。
伝令の内容は、王都で魔女が発見された、というものだった。
中央市場で、魔導具を使用せずに不思議な力を使った少女を確保したこと。
そして、王都ではその魔女の処刑がまもなく行われようとしていること。
気付けば私は、騎士たちも置き去りにして馬を走らせていた。手綱を握る手から血が滲む。
やがて馬は限界を迎え、足をもつれさせて倒れ込んだ。私は放り出され、地面に叩きつけられる。
それでも、駆け出した。痛みなど感じなかった。
「テスタ……! テスタ……っ!!」
鎧の中で、足が血を滲ませている。それでも、足は止まらなかった。
私のせいだ。私がテスタの側を離れなければ、こんなことには……。
持てる力の全てを使って、王都へと駆ける。景色が次々と後ろへ流れ、肺は焼けるように熱かった。
ようやく、王都の門へたどり着く。
守衛の声も耳に入らず、私は街の中へ駆け込んだ。
中央広場に着いた私の目に飛び込んできたのは、鎖に繋がれ、頭を垂れたテスタの姿だった。
「テスタ……!!」
無我夢中で、駆け出す。
その時、私に気付いた民衆と王が歓喜の声を上げた。
「ジルテスタ様だ! 我らの英雄が帰ってきてくれた!」
私を見つめる民衆の目には、期待と羨望が混じっていた。私は、この国の英雄ジルテスタ・レルグリンドだったから。
そして、私の足は止まってしまった。
「よく帰ってきたジルテスタ。お前に、名誉ある任を与えよう」
高みに立つ王が、私に向けて静かに告げる。
「その恐ろしい魔女を処刑するのだ。我らが英雄、ジルテスタよ」
その声に、広場が熱狂に包まれた。私の名を叫び、魔女を殺せと、全員が一つになっていた。
体が震える。
ヴァルドから受け継いだ、騎士としての誇りと責務が、目の前の少女と天秤にかけられていた。
私は、この国を、この街を守る騎士としての役目を彼から受け継いだ。彼はこの街が大好きだった。だから私も、守りたいと思った。
でも、目の前の少女には罪などなかった。
ただ魔女である。それだけだった。
「……私は……」
震える手で、ゆっくりと剣を抜いていく。
そこに、自分の意思があるのかさえもう分からなかった。涙が止まらない。
声が、体が震えている。
私のせいだ。これは私が招いたことだ。
私は……テスタを愛してしまった。
「……できない。私は……殺せない……」
剣が手から滑り落ち、硬い音を立てて転がる。
私は、その場に膝をつき、涙を流しながら力なく震えていた。
「……貴様には失望した。もうよい」
そんな私の姿に、王は冷たく言い放つ。テスタの側に立つ衛兵が、剣を高く振り上げた。
民衆も王も、騎士団長の誇りを手放した私に失望の眼差しを向けている。
けれど、もう……そんなことはどうでもよかった。
「テスタ……。テスタ……!」
ただ、小さな魔女に手を伸ばす。視界が滲み、声が震える。
剣が高く掲げられた、その時だった。
テスタが顔を上げ、私に気付いた。
涙を流す私を見て、小さな口が動いた。
「……ジル? ──おかえり」
初めて 私の名を呼んでくれた。
初めて 声を聞かせてくれた。
そして、剣は静かに振り下ろされた。
最初で最後の、愛しい少女の声だった。




