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優しい魔女へ  作者: 十 名鈴
第二部
26/29

第26話 強さの理由

薄い雲の切れ間から、朝日が静かに差し込んでいた。


空は曇天に覆われたまま。小さな港町を出てすぐの草原では、ラックとジルが稽古に励んでいる。

ラックの右手にはいつもの剣、左手には贈られたばかりの短剣が握られていた。


「……いい構えだ。思うままに振ってみろ」


ジルの言葉に頷き、ラックは二振りの剣を鋭く振り抜く。

初めての二刀流だというのに、体は自分でも驚くほど動いた。毎日の稽古を一日も欠かさず、基礎をおろそかにしなかった日々が、確かな地力となって身についている。


「ははっ……すげぇ!」


短剣の軽さと、手に吸いつくような感触に、ラックは驚きを隠せない。同時に、それを寸分違わず見抜いたジルの眼力に、改めて背筋が寒くなった。


「私のグランシス流剣術には、二刀の技もある。安心しろ、優しく……叩き込んでやる」


ジルが笑みを浮かべ、鞘に収めたままの剣を構える。ラックの頬が引きつり、冷や汗が一筋伝った。


「お、お手柔らかに……」


「ああ。私の得意とするところだ」


小さく笑うジルの口元に、やけに楽しげな色が差す。


そうして始まったのは、いつも通りの──ラックにとっては地獄に等しい──剣術訓練だった。何事が起きるでもなく、至って平和に、ただひたすら叩きのめされる時間が過ぎていく。


ラックが息を切らして草の上に大の字になっていると、右手の腕輪がふわりと淡い光を放った。

ミカが寝ぼけて、腕輪に触れているのだろうか。そんなことを思い、ラックは思わず口元を緩める。


「良い動きだった。並の騎士では、もう相手にならないだろう」


差し出されたジルの手を取り、ラックは立ち上がる。それが世辞でないことは、よく分かっていた。

ジルは、世辞を口にするような人間ではない。事実を見て判断する。この旅で、嫌というほど知ったことだ。


「……いつか、その剣を抜かせてやるからな」


現状に甘んじないラックの威勢のいい言葉に、ジルは嬉しそうに目を細めた。


「ふっ……期待している。そろそろ戻るとしよう」


鈍色の朝日を背に、二人は町へと引き返していった。




朝の苦手なミカの身支度がようやく整った頃。

四人は昨日と同じ店で朝食を囲み、これからの方針を確認していた。


「王都までは、まだかなり距離がありますね……」


ローシュの言葉に、ジルが頷く。


「次に目指すのは、ここだ。この町から街道沿いにしばらく歩いた先にある。だが……一つ問題がある」


パンを片手に、ラックが顔を上げた。


「問題? またクラーケンみたいにヤバい奴でも出たのか?」


ジルは首を横に振る。


「今朝、衛兵から聞いた話だ。この先の街道で、大規模な崩落が起きたらしい」


聞けば、街道は現在通行止めで、復旧には一月近くかかるという。


「それは困りましたね……。ほかのルートはあるんですか?」


眉を寄せるローシュの隣では、ミカが一心不乱にご飯をかき込んでいた。

ジルは黙って考え込み、やがて何かを思い出したように口を開く。


「……たしか、旧道があったはずだ」


テーブルの皿をどけて、地図を広げる。ミカが一瞬「わぁ」と小さく声を漏らしたが、すぐに食事へ戻った。

ジルの指が、地図の上を滑っていく。


「見てくれ。街道の脇に、かすかに記されているだろう。これが旧道だ」


指さされた先には、山を跨ぐ細い道が描かれていた。だが、その上には、無造作にバツ印が書き込まれている。


「これ……通れるのか?」


道を打ち消すようなバツ印が気になって、ラックが尋ねた。


「多少険しい道かもしれないが、お前たちなら問題ないだろう」


ジル基準の「多少険しい」に、ローシュとラックは嫌な予感を覚える。けれど、ほかに道はない。二人は黙って頷くしかなかった。


「食事のあと、支度を済ませて出立しよう」


ジルの言葉に頷く二人を見て、ミカも目を丸くしたまま食べ物を頬張り、つられたように頷いた。



◇◇◇



食事を終え、それぞれの支度が整った頃。

四人は、崩落した街道の近くまで足を運んでいた。実際に目で見てから判断したほうがいい、というジルの提案だった。


少し歩くと、人だかりが見えてくる。

衛兵や作業員が右往左往し、その向こうでは、崖がまるごと崩れ落ちたような土砂の山が、街道を埋め尽くしていた。


「この先は立入禁止です。さらなる崩落の恐れがありますから」


一人の衛兵が、手をかざして四人を制する。

崩落はまだ続いているのか、パラパラと小さな瓦礫が転がり落ちるのが、遠目にも見えた。


「横道に逸れたら行けるかと思ったけど、こりゃ無理そうだな……」


ラックが肩を落として呟く。


「や、やっぱり……旧道に行くしかないですね」


ミカの言葉に三人は頷き、来た道を引き返し始めた。

その遥か後方。崩落した街道の向こう側に、真っ白な長髪を風になびかせる人影があった。

だが、誰一人、その存在には気付いていなかった。




「ここが……入り口?」


四人の前で、鬱蒼とした山の木々が口を開けていた。

長い年月、放置されてきたのだろう。

道とは名ばかりの、草に呑まれた細い筋が、闇の奥へ続いている。人の往来が絶えた地面には、獣の足跡だけが、いくつか刻まれていた。


「行くぞ。武器はいつでも抜けるようにしておけ」


迷いなく、ジルは旧道へ足を踏み入れる。三人は緊張を飲み込み、そのあとを追った。



旧道は、ひどく静かだった。

湿った土と苔の匂いが濃く立ちこめ、木々が風にさざめく。どこかで獣の鳴き声が、遠く細く響いた。頭上を覆う高い木々に光は遮られ、曇天は少しずつ、厚みを増していく。


「あの地図のバツ印……何を意味してるんですかね?」


先頭を歩くジルに、ローシュが尋ねた。 


「さあな……。崩落の影響がこちらに出ていないことを、祈るしかない」


そう答え、ジルは勾配など意にも介さず、軽い足取りで進んでいく。そのすぐ後ろには、ローシュがぴたりとついていた。

かつて短い間とはいえ野盗として暮らしていたローシュにとって、山道は慣れたものだった。


「はぁ……はぁ……。これじゃ、ただの登山だな……」


その少し後ろで、ラックが汗を滲ませて歩いている。隣のミカも同じだった。


「あ、足が……プルプルって……してきました」


二人とも、慣れない山道に苦戦していた。

その様子に気付いたジルが、ちらりと視線を向けた、その時。


四人のすぐ横で、木々が激しい音を立てて揺れた。



「……なるほど。どうりで誰も使わなくなるわけだ」


ジルが呟いた瞬間、木々をなぎ倒して巨大な影が姿を現す。

複数の獣を無理やり継ぎ合わせたような異形。その瞳に、理性の光など欠片もなかった。


「ローシュ、ラック。お前たちで倒してみろ」


そう言い放った時には、ジルはいつの間にか別の場所に立っていた。その脇に抱えられたミカは、唖然とした顔をしている。


「……ふぇ? あ、あれ? いつの間に……」


一瞬で移動していたことに、ミカは困惑していた。


「山の中で火を使うわけにもいかないだろう」


ジルはミカを下ろし、魔物と睨み合う二人へ声を投げる。


「そいつは、無差別に人を襲う魔物だ。何も気にしなくていい」


その言葉に、ラックの表情が少し和らいだ。相手が魔物であっても、生き物であることに変わりはない。命を絶つ感触には、いつまでも慣れそうになかったからだ。

けれど、人を襲う危険な魔物なら話は別だ。自分の身を、誰かを守るためなら──不思議と、剣を握る手に力がこもった。


「ローシュ! 援護頼む! 俺に当てないでくれよ……!」


声を飛ばし、ラックは二本の剣を手に駆け出す。


「当たっても、文句は言わないでくださいね?」


そんな冗談を口にしながら、ローシュは流れるような動きで矢をつがえ、放った。

二本の矢が、魔物の両目を正確に射抜く。視界を奪われた魔物は怯んだ。それでもラックの気配を嗅ぎ取り、巨大な爪を振るってくる。



「ラック……! ジ、ジルさん! 助けないんですか!?」


悲鳴のようなミカの声にも、ジルは二人から目を離さない。声だけは、優しかった。


「大丈夫だ。あいつらは……もう弱くない」


強く、確かなその言葉に、ミカは黙って小さく頷き、二人へ視線を戻す。


ローシュの矢が、魔物の動きを縫い止めるように降り注ぐ。ラックが二本の剣で、振り下ろされる鋭い爪を切り裂いていく。

以前の二人なら、この凶暴な魔物の餌になっていただろう。

だが、もう違う。二人は、魔物にとって「餌」ではなくなっていた。


「ローシュ!」


叫んで、ラックが高く跳ぶ。

その声が届くより先に、ローシュは数本の矢を放っていた。暴れる尻尾と足が貫かれ、大地へ縫い付けられる。


「グランシス流剣術、一の太刀ッ!」



「──月鈴(げつれい)」



静かに、二振りの剣が振り下ろされた。

二本の刃が交差し、わずかな火花が散る。りん、と鈴のように澄んだ音が、山の静寂に鳴った。

一瞬の無音。ラックが静かに着地する。

遅れて、音が戻ってきた。魔物は、切り裂かれて絶命していた。


ジルの顔に、わずかな驚愕が浮かぶ。一の太刀は教えてあったが、二刀で使う技ではない。それを土壇場で、我流でやってのけた。

ラックの成長に、ジルは満足げに口元を緩めた。


「す、すごい……! ラック、ローシュさん! すごいです!」


興奮を抑えきれず、ミカが二人に駆け寄っていく。

その背を見ながら、ジルはエルンの森でのガルダとの戦いを思い返していた。今の三人なら、あのガルダにも負けないだろう。


「できた……。俺、強くなってるんだな」


ラックは、自分の手を見つめて呟いた。毎日の稽古相手が、あのジルなのだ。自分がどこまで強くなっているのかなど、気付けるはずもなかった。

もう、守られるだけじゃない。誰かを守れる。

ミカを守れる。

その喜びが、静かにラックの胸を満たしていった。


ミカははしゃぎながら、二人のどこがすごかったかを熱心に語っている。ラックとローシュは気恥ずかしそうに、けれど満更でもなく笑っていた。


「よくやった」


ジルは二人の頭を、ぽんと優しく叩く。


「……雨が降りそうだ。先へ進むとしよう」


三人が頷き、旧道を再び歩き始めた。

人の往来が絶えて久しいせいか、道中では凶暴な魔物が何度か襲ってきた。それでも苦戦することはなく、ラックとローシュを中心に退けていく。



やがて、山の中腹に差しかかった頃。厚い雲で薄暗くなった空から、ぽつり、ぽつりと雨粒が落ち始めた。


「やはり降ってきたか……。急ごう、この先に小屋があるはずだ」


ジルの言葉に、三人は足を速める。


遠くで雷が低く唸り、雨脚が強まり始めた頃、四人はようやく小屋にたどり着いた。

傷んではいるが、雨風をしのぐには十分だった。魔物避けでも施されているのだろうか。中も、意外なほど荒らされていない。


「ふぅ……本降りになる前で良かったな」


荷物を下ろして、ラックが腰を落とす。

そばでは、ミカが濡れた髪をそっと拭いていた。


「す、すごい雨ですね……」


小屋の外では雷が鳴り始め、滝のような雨音が壁を叩き、中にまで響いている。


「ミカ、灯りをもらえるか?」


ランプを手にしたジルが声をかけた。

頷いたミカが杖の先に小さな炎を灯し、ランプへ移す。やわらかな橙色の明かりが、薄闇に沈んでいた室内の輪郭を、ゆっくりと浮かび上がらせていった。


「やっぱり魔導具は便利ですね。その杖……相当高価な物ですよね?」


前から気になっていたのだろう。ローシュが尋ねる。けれどミカは、自分の杖の価値をよく分かっておらず、ただ杖が褒められたことだけは伝わった。


「たしかに、そこまで高性能なものは見たことがない。……いい杖だな」


ジルも同調して、ミカの杖へ視線を向ける。ミカは大切な杖を握りしめ、嬉しそうに頬を緩めた。 


「まあ……うちの工房で買おうとしたら、相当するぜ、それ」


ラックが杖を指さして言う。

熱を生む魔導具なら、一般家庭にもある。小さな火を出すだけのものも、珍しくはない。

だが、自在に炎を生み出して操れる魔導具は、ほとんど存在しなかった。魔石が大きいぶん、扱いが非常に難しいからだ。


その杖をここまで使いこなせるのは、ミカが魔女で、魔導具との親和性が高いからこそだった。


「え、えへへ……親方さんとラックと作った、大切な杖ですから……」


杖についた雨粒を丁寧に拭いながら、ミカは大事そうに杖を見つめていた。



雨は勢いを弱めることなく、ざあざあと降り続いている。

四人は軽食を取りながら、それぞれの時間を過ごしていた。

ミカとラックが、ローシュと出会う前の旅の話を聞かせる。ジルは少し離れた壁にもたれて剣の手入れをしながら、その声に耳を傾けていた。


「僕、てっきりジルさんも最初から一緒だったのかと思ってましたよ」


話を聞き終えて、ローシュが呟く。

ラックが、ふと何かを思い出したようにジルへ振り返った。


「そういや、ジルは一緒に来てくれた時、確かめたいことがあるって言ってたよな?」


ジルの瞳が、ほんのわずかに揺れる。


「それって、何なんだ?」


純粋な疑問だった。

ミカもラックも、旅の目的は似たようなものだ。世界を見て回る。ミカは魔導具のことを深く知るために、ラックはそのミカと世界を回りながら、王都へ依頼の品を届けるために。

ローシュも、この世界のことを知りたいという理由だった。


だが、ジルの目的だけは、誰も知らない。

何か大きな目的があるのかもしれない。それだけは、全員が感じ取っていた。元とはいえ騎士団長にまで上り詰めた人物が、魔女であるミカの旅に同行している。

ただの好奇心でないことは、明らかだった。


「理由か……。そうだな、少し長くなる」


剣の手入れを終え、ジルは剣を鞘にそっと収めて、壁に立てかける。


「それでも構わないか?」


三人は顔を見合わせて頷いた。


「時間はたっぷりありますから」


ローシュが、窓の外の大雨を指さして笑う。

ミカとラックも頷いた。幼い子どもが物語をせがむような瞳で、ジルの言葉を待っている。


「ふっ……何も面白いことなどないが、いいか?」


ミカが首をぶんぶんと横に振った。


「だ、大丈夫ですっ……! ジルさんのこと、知りたいですから!」


ラックとローシュも、黙って頷く。

雷光が一瞬、窓を白く染め、ジルの横顔を闇に浮かび上がらせた。


ジルは小さく笑うと、静かに語り始めた。



それは、一人の少女が騎士になるまでの、決して語られることのなかった、とても悲しい英雄譚だった。


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