第25話 小さな腕輪と大きな幸せ
港に接岸する船の周りを、カモメが祝福するように飛び交っている。
ポーディリアとは違い、小さな港だった。建物もまばらで、普段から人の往来は少ないのだろう。
「俺が最初に降りるんだよ!」
ラックが船の上を駆け、桟橋へ向かう。その隣で、ミカがラックを押しのけるように負けじと駆けた。
「ず、ずるいですよ……! ラック!」
二人は団子のように押し合ったまま、桟橋へ続く渡り橋に足を踏み入れる。
人ひとりがやっと通れる幅だ。足を踏み外せば、海へ真っ逆さまだろう。
ローシュとジルは、そんな二人を呆れ顔で見つめていた。
「はぁ……危ないですよ? 落ちても知りません──あっ……」
ローシュの声が漏れた、その時。
互いに譲らない二人は、情けない悲鳴とともに左右の海へ弾かれた。バシャンと、水柱が二本。
「まったく……先が思いやられる」
ジルは気にも留めず、静かに桟橋へ降り立つ。ローシュも梯子だけを海面に下ろすと、あとは知らぬ顔でジルに続いた。
ラックとミカが這い上がる頃には、二人はとっくに先を歩いている。海水を吸って重くなった服を絞りながら、ラックとミカはむすっとした顔で並んで歩き出した。
「馬鹿二人がやっと来たか。まずは宿を取ろう」
全身から海水を滴らせる二人を、ジルがちらりと見やる。
この港は簡素な町らしい。通りがかりの住人に宿の場所を尋ね、ジルはさっさと歩き始めた。
「服……着替えたいです……」
ミカがポツリと呟く。隣のラックも、こくりと頷いた。
町の中心から少し外れた場所に、小さな宿があった。
ポーディリアの宿に比べると、ずいぶん小規模だ。部屋数も多くはなさそうに見える。それでも手入れは隅々まで行き届いていた。
「空き部屋は二つしかないそうだ。お前たちの鍵だ」
受付を済ませたジルが、ローシュに鍵を手渡す。
部屋割りは、ジルとミカ、ラックとローシュになった。
荷物を置き、濡れた服も着替え終えた頃。
食事にありつくため、四人は町を歩いていた。
「店の場所、聞きますか?」
ローシュが尋ねる。すっかり機嫌を直したラックとミカは、顔を見合わせてにやりとした。
「なーに言ってんだよ。こういう時は……こいつの出番だろ? なぁ、ミカ!」
ミカが大きく頷き、鼻をすんすんと鳴らして美味しそうな匂いを探し始める。
小さな体をぴょこぴょこと弾ませ、辺りを見渡す姿。ジルは思わず「可愛い……」と小声で漏らしていた。
「むっ……! み、見つけました! こっちからいい匂いがします!」
髪の毛先が動物の耳のようにぴょんっと跳ね、ミカは匂いの方へ駆け出す。
笑いながらラックが続き、ローシュは肩をすくめつつ、二人を追った。
少し歩くと、一気に香ばしい匂いが漂ってくる。扉の隙間からは賑やかな声。ジュージューと、肉や魚の焼ける音も漏れていた。
「いらっしゃい! おや? 見ない顔だね」
店に足を踏み入れると、主人が声をかけてくる。目立つ立地ではないこの店に、他所の旅人が入ってくるのは珍しいのだろう。
促されるまま、四人は席に着いた。
メニューのようなものはない。その日に獲れた海産物を使ったおすすめが、出てくるだけらしい。
「ははっ、さすがミカだな。飯のことに関しちゃジル超えだ」
いい店を見つけられて、ラックは満足げだ。ミカは胸を張り、得意そうに鼻を鳴らす。
「まったく……お前は私を何だと思っているんだ」
ジルの言葉に、三人は顔を見合わせて笑った。
やがて、料理が運ばれてくる。
新鮮な海産物をふんだんに使った皿から、海そのものを思わせる芳醇な香りが立ちのぼった。
皿が置かれた瞬間、ミカの手が見たこともない速さで伸びる。次の瞬間には、もう口の中がいっぱいだった。
「あっ! 俺達の分も残しとけって!」
ラックが慌てて料理を頬張り始める。
二人は顔をとろけさせ、極上の味を堪能していた。
「はぁ……いつかテーブルマナーも叩き込んでやらないとな」
そうこぼしつつも、ジルはローシュと自分の分を取り分け、静かに食べ始める。
いつもの賑やかな食卓。気付けば、四人とも笑っていた。
料理が半分ほど減った頃、ローシュが周りの席を見渡す。
「それにしても、店の規模の割に人が多いですね。あそこなんて、家族総出で来てますよ」
視線の先では、幼い少女を囲んだ一団が、楽しげに食事をしていた。
何かの祝い事らしい。大人たちや他の子ども達が、少女に小さな包みを手渡していく。少女は嬉しそうに笑っていた。
「あ、あの……あれは何をしてるんですか?」
不思議に思ったミカが尋ねると、ジルが答える。
「あれか? 誕生日を祝っているのだろう」
「誕生日」。その言葉を、ミカは心の中で反芻した。胸がじんわりと温かくなる響きだった。
「まさか……祝ったことないのか?」
ラックの問いに、ミカは首を傾げる。
「た、誕生日ですか……? お母さんはいつもいっぱい優しくしてくれますよ?」
少しずれた答えに、ラックは驚いた。
話を聞く限り、母親とは普通の親子以上に仲が良いと思っていた。むしろ溺愛されているとさえ感じていた。それなのに、誕生日を祝ったことがないという。この矛盾は何なのか。
魔女には、そもそもそういった習慣がないのだろうか。
そこへ、ローシュが手を挙げた。
「あ、僕もないですよ。そもそも生まれた日なんて知りませんから」
野盗の捨て子だったローシュの自虐めいた言葉に、ラックは頬を引きつらせる。曖昧に笑うしかなかった。
(は、反応しづらいなぁ……)
話題を逸らすように、ラックはジルへ水を向けた。
「そ、そういや……ジルは誕生日いつなんだ?」
ジルは視線を落としていた。握った拳を、じっと見つめている。
「ふっ……誕生日か。どうだろうな……」
その様子に、ラックは内心で「やっちまった」と焦る。慌てて自分の誕生日の話でもしようと考えを巡らせた、その時だった。
「……あっ。俺の誕生日……今日だった」
三人が、ぽかんとする。静寂が落ちた。
それを破ったのは、何かを思いついたミカだった。
「あ、あの……! みんなでお祝いしませんか? 誕生日って、そうするものなんですよね?」
ミカは、祝われている少女をちらりと横目で見る。家族に囲まれた少女は、どこまでも幸せそうに笑っていた。
ラックにも、あんな顔をしてほしい。
「ふふっ……そうだな。なら、贈り物をそれぞれ選ぶというのはどうだ?」
ミカの気持ちを察したのか、ジルが微笑んで提案する。ミカとローシュは、顔を見合わせて頷いた。
こうして急遽、ラックの誕生日祝いが決まった。
店を出た四人は、町の中心に立っていた。
「では、日が沈むまでにラックさんの部屋に集まりましょうか」
ローシュの言葉に、ミカとジルが頷く。
ジルとローシュは迷いのない足取りで、それぞれ町の中へ消えていった。
その場に残されたのは、ミカとラックだけ。
「贈り物……贈り物……うーん……」
何やら呟きながら、ミカは考え込んでいる。ラックは無性にむず痒くなって、恥ずかしさをごまかすように言った。
「な、何でもいいよ。適当でいいって」
「だめです……!」
ミカが強く言い返す。
「わ、私はお買い物に行くので、ラックは遊んでてください!」
そう言い残し、ミカは町をきょろきょろと見渡しながら、人混みへ消えていった。
一人残されたラックは、頭を掻く。さて、どう時間を潰そうか。
「……剣の稽古でもしてくるか」
呟いて、ラックは町外れへ静かに歩き出した。
夕焼けが町を染め始める頃。
宿の部屋には、ラックを除く三人が集まっていた。それぞれが選んだ贈り物を手に、主役の帰りを待っている。
「遅いですね……。主役がいないと始まりませんよ」
椅子に腰掛け、ローシュは小さな包みを手にぼやいた。
その時、廊下から足音が近づいてくる。
「悪い悪い! ちょっと稽古に身が入り過ぎちゃってさ」
額にうっすら汗を滲ませたラックが、扉を開けて戻ってきた。
遊び回っていたわけではないと知り、ジルが満足そうに口元を緩める。
「だ、誰から渡しますか?」
ミカが困ったように尋ねると、ローシュが立ち上がり、ラックの前へ歩み寄った。
「どうぞ。これが僕からの贈り物です」
受け取った包みを、ラックは静かに開く。中には、剣の手入れに使う道具がいくつか収められていた。
「悩みましたが……ラックさんはその剣を大切にしていると感じたので」
ローシュが小さく笑う。
決して高価ではない。けれど実用的で使い勝手のいい、いかにもローシュらしい贈り物だった。親方から貰った大切な剣を、ローシュが気にかけてくれていた。
それが、ラックには何より嬉しかった。
「さすがだな。なら……私からはこれをお前に」
ジルが、改まった仕草で何かを取り出す。
通常の剣より刃の短い、一振りの剣。白を基調としたシンプルな装飾に、職人の確かな腕が光っていた。
「お前は二刀が向いている。この剣は丈夫で軽い。きっと手にも合うはずだ」
差し出された短剣を、ラックは受け取る。
驚くほど軽い。なのに、芯の強さが手に伝わってくる。柄は、ラックの握りにぴたりと収まった。
日々の鍛錬から癖を見抜いていたジルの選んだ一振りは、長年連れ添った相棒のようだった。
目頭が熱くなり、ラックは短剣を強く握りしめ、声を少し震わせて笑った。
「二人とも……ありがとう」
ジルとローシュは小さく笑って応え、部屋を出ようとする。
戸惑うラックに、ジルが告げた。
「祝いの席を確保してくる。お前たちもあとで、またあの店に来い」
そう言い残し、ジルはローシュとともに部屋をあとにする。
残されたのは、ミカとラックの二人。
しばらく沈黙が流れたのち、ミカが口を開いた。
「あ、あの……! 私……これしか思い浮かばなくて……」
ミカが差し出したのは、腕輪だった。小さな魔石の埋め込まれた腕輪が、手のひらに二つ。
ミカにとって、贈り物といえば『約束の腕輪』だった。カールドルハで、母のためにラックと初めて買い物をして選んだ贈り物。それ以来、腕輪は大切な人に贈る特別なものだと思うようになっていた。
「こ、これ……光るんです! ほら、見てください!」
ミカが片方の魔石に手をかざすと、対になったもう一方の魔石が、ほんのりと淡い光を帯びる。
何てことはない、小さな子どもが喜ぶための仕掛けだ。お揃いの、小さな腕輪。
「は、はは……綺麗だけど……お揃いってことか?」
初々しい恋人同士のような贈り物に、ラックは気恥ずかしくなる。頭を掻くと、ミカが上目遣いで見つめてきた。
「う、嬉しくないですか……?」
腕輪を握りしめ、不安そうに瞳を揺らす。
ただ純粋に、大切な人へ特別な贈り物がしたかった。だから選んだのだ。
その気持ちを汲み、ラックは腕輪を一つ手に取って腕にはめた。
「嬉しいに決まってんだろ。ありがとう、ミカ」
腕輪をはめた腕を、見せつけるように掲げて満面の笑み。
その笑顔に、ミカはぱぁっと花が咲いたように顔をほころばせる。対の腕輪を自分の腕にはめ、嬉しそうに眺めた。
「手を……かざしてみてくださいっ!」
はしゃぐように急かされ、ラックは自分の腕輪に手をかざす。
ミカの腕輪が、淡くほんのりと光を放った。
その光を見つめ、ミカは満足そうに目を細める。
「ははっ、こりゃいいな。さすがミカのセンスだな!」
微笑ましくなって、ラックはミカの頭をぽんと撫でた。
白いまつ毛の隙間で、綺麗な瞳が細く輝いている。
「ほ、ほら! 行きましょう! ご飯の時間ですよ!」
跳ねるようにラックの手を引き、ミカが振り返る。純白の髪が揺れ、その笑顔は何よりも美しい。
ラックは一瞬、目を奪われた。
だが、それも束の間。すぐに笑みを返し、二人はジルとローシュの待つ店へ駆け出した。
店に着くと、テーブルにはすでにたくさんの料理が並んでいた。
主役の到着で、祝いの席が始まる。
ラックは勝てるはずもないのにミカへ大食い勝負を挑み、圧倒的大差で負けた。
苦しそうなラックを見て、ローシュは声を上げて笑う。その横では、ミカが主役を差し置いて、料理を吸い込むように平らげていく。
ジルはそんな光景を眺めながら、恐ろしいペースで酒を次々と空けていた。
気付けば、四人の賑やかさは店全体に伝わり、他の客も巻き込んだ宴会になっていた。
笑い声も歌声も、夜が更けるほどに大きくなっていく。
ふと、ラックは腕輪に手をかざした。
喧騒の向こう、大皿を抱えたミカの腕で、淡い光がぽうっと灯る。
目が合った。ミカは腕輪の光に気付くと、はにかむように笑った。
ラックは何も言わず、照れ隠しに木のカップを高く掲げる。
腰に提げた新しい短剣が、小さく揺れていた。




