第24話 新しいページ
盛大な祭りは、三日三晩続いた。
別の町から訪れた旅人たちも巻き込み、衛兵も日々の職務をしばし忘れて、誰もがただ純粋に喜びを分かち合った。
後にこの三日間は、四人の英雄がクラーケンを救った日として語り継がれ、町の伝統的な祭りとなるのだが──それはまだ、少し先の話である。
ポーディリアでの滞在期間は、一週間と決まった。
それはラックの傷が完治するまでの期間であり、同時に傷ついた船の修繕と、次なる旅路への準備期間でもあった。
「よぉ、ミカちゃん! 今日もいい食いっぷりだなぁ!」
ミカはすっかり、町の住人たちの間で「大食いの少女」として認知されていた。祭りの三日間、立ち並ぶ屋台の品をすべて制覇した唯一の存在だったからだ。
声をかけられたミカは、両頬をパンパンに膨らませたまま、無邪気な笑顔を返す。
そのすぐ傍らでは、何度目かの誘いでようやくミカとの食事の席に着くことができた若い船乗りが、彼女の愛らしい姿に見惚れるように表情を緩めていた。
その時、近くをラックとジルが並んで歩いている姿がミカの目に入った。
すると彼女は、目の前の料理をまるで吸い込むように一気に口の中へ放り込むと、若い船乗りに深く頭を下げて、その場をあっさりと後にする。
「……奢ってやるよ。あれもミカちゃんの良さ……だろ?」
残された哀れな若い船乗りを慰めるように、周りの男たちが集まって声をかけた。
集まってきたのは全員、ジルを誘っては「私に勝てたらな」と言われ、腕相撲で返り討ちに遭った男たちだった。
男たちと若い船乗りは、互いの傷を舐め合うように、あおるように酒を飲み交わした。
「ラック! ジルふぁん! 何を……してるんでふか?」
ミカはリスのように頬を膨らませたまま、ラックとジルへ駆け寄っていく。
その愛らしい姿に、ジルは小声でぼそっと「可愛い」と呟いたが、それに気づいていたのは隣のラックだけだった。
ジルは軽く咳払いをして誤魔化すと、ミカの問いに応じる。
「あ、ああ。体が鈍らないように稽古をしようと思ってな」
ラックとジルは、腰に下げたそれぞれの剣に視線を落とす。
ミカは深く納得したように頷くと、二人の後をちょこんとついていった。
「ミカも来るのか? 見ても面白いものなんてないぞ?」
ラックの言葉に、ミカはぶんぶんと首を横に振ってついていく。
ミカは二人の稽古の時間を眺めるのが好きだった。
親と子でもなく、友達でもない、ふたりの「師弟」という不思議な絆。完全には理解できずとも、厳しい打ち合いの中に確かな信頼と楽しさをにじませる、二人の剣戟が好きだったのだ。
ポーディリアを少し外れた平原で、剣を構えて向き合うラックとジル。
ラックの怪我は完治したわけではない。だが、おとなしくじっとしているのも性に合わず、ジルに稽古相手を頼み込んだのだった。
一人での素振りは欠かさず続けていたが、実戦に近い組手ほど身になるものはない。
ジルもまた、どこか嬉しそうにその申し出を承諾していた。
「全力でこい」
そう呟くと、ジルは鞘に収めたままの剣を構える。
ラックはその光景に驚いて目を見開きつつも、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
ジルはこれまで、木の棒や、酷い時には素手でラックの相手をしてきたのだ。
だが今回は、鞘に収まったままであるとはいえ、本物の剣を手にしている。
それが、ジルに一人前として認められつつある証のように思えて、この上なく胸が熱くなった。
ラックは剣を力強く構え、一気に地を蹴った。
だが結局は、ジルに一撃を与えることすらできず、ヒラリヒラリと軽やかに交わされ、最後には鞘の柄で腹を軽く突かれてその場にうずくまった。
「……驚いたな。しっかり基礎稽古は欠かしていないようだな」
ジルはうずくまるラックの成長に、満足げな笑みを浮かべていた。そして、ふと何かを深く思案するような素振りを見せると、ラックの手を取って立ち上がらせる。
「体も出来上がってきた。そろそろ教えてもいい頃合いだな」
ラックは突かれたお腹を押さえながら立ち上がり、問い返す。
「げほっ……教えるって、一体何を教えてくれるんだ?」
ジルは自身の剣の柄を指でなぞりながら、静かに答えた。
「……グランシス流剣術だ」
その流派の名には、ラックも聞き覚えがあった。
ジルが扱う剣術であり、先のクラーケンとの激闘でも披露されていたものだ。
「お前なら、きっとものに出来る」
ジルは穏やかな表情を浮かべ、ラックの頭をポンと優しく叩いた。
ジルに認められた嬉しさに、ラックの心は跳び上がりそうなほど熱く震えていた。
ミカは、そんな二人の微笑ましい師弟の姿を、楽しそうにずっと見つめていた。
ポーディリアでの一週間は、あっという間に過ぎ去った。
ローシュは意外にも船そのものに強い興味を示し、連日職人たちの修繕作業を手伝い、夜は夜で船乗りたちに半ば強引に酒場へ連れていかれていた。
まだ14歳と幼いローシュを屈強な船乗りたちはやけに可愛がり、「もっと大きくなれ」と言わんばかりにご馳走を振る舞った。
ローシュも最初は戸惑っていたが、気づけばその強引な優しさを心地よく感じるようになっていた。
ラックは相変わらず、剣の稽古に明け暮れる日々を送っていた。
ジルの指導のもと、一筋縄ではいかない技を一つひとつ学び取っていく。
ジルが扱うグランシス流剣術はかなり特殊な技法らしく、体力の消費があまりにも激しいことにラックは気づかされた。
それにもかかわらず、汗一つかかずに技を繰り出すジルの規格外さに、改めて驚かされる毎日だった。
そして稽古の合間には、町にある魔導具店へ足を運び、専門的な技術や構造を熱心に学んでいた。
ミカはといえば、毎日とにかく食べ歩いていた。
祭りが終わった後も、気づけば毎日のようにどこかの店で料理を平らげている。
町の子どもたちの遊び相手になっては駆け回り、空いた時間はラックの剣術稽古をのんびり見守る。
なぜか町の青年たちから頻繁に食事に誘われたが、ミカはいつもラックの後ろをくっついて歩いていたため、男たちはみな肩を落として去っていった。
ジルはというと、次なる目的地への情報を念入りに整理していた。空いた時間はラックの指導に費やし、それ以外の時間は剣の手入れや町の警備を手伝った。
騎士が常駐していない港町ポーディリアでは、元騎士団長であるジルは非常に頼りにされ、親しみを込めて「騎士様」と呼ばれ、特に若い女性たちと屈強な船乗りたちから圧倒的な支持を集めていた。
ジルのもとには、彼女を酒や食事に誘おうと屈強な男たちが代わる代わる訪れては、ことごとく腕相撲で返り討ちに遭っていた。
「はぁ……諦めたらどうですか?」
ローシュは酒場で男たちに捕まっていた。
その男たちは、ミカとジルに言い寄ってはあっさり玉砕した町の男たちだった。
気づけばその人数は膨れ上がり、酒場を埋め尽くすほどの軍団と化している。
酒が入った男たちは「ジル様派」と「ミカちゃん派」に分かれて不毛な言い争いを繰り広げていた。
ローシュもその光景にすっかり毒気を抜かれたのか、冷めた眼差しを向けながら黙々とパンをかじっている。
「はぁ、あの二人は無理でしょ」
呆れ果てた様子で呟きつつも、目の前の賑やかすぎる騒動に、ローシュはどこか楽しげな笑みを浮かべていた。
そしていよいよ、ポーディリアを出発する日がやってきた。
ラックの傷もすっかり完治し、船の修繕作業も無事に完了していた。
「なんだか寂しくなっちまうな」
船へ乗り込みながら、ラックがぽつりと呟いた。
ミカは小さく頷く。
この旅を始めてからというもの、本当にたくさんの素晴らしい出会いがあった。
カールドルハ、エルンの村、そしてポーディリアの人々。ローシュ、ジル。
そして、ラック。
世界を知らなかったミカの幼い心は、いまや温かな思い出と大切な人々の姿でいっぱいに満たされていた。
ミカは、自分をこの広い外の世界へ送り出してくれた母ルシエラに、心からの感謝を抱いていた。
(お母さん。私、外に出て良かった……。いっぱい大切な人出来たんだよ? みんなお母さんに会わせてあげたいな)
いつか大好きな母と再会できた時に話したい思い出が、数え切れないほど積み重なっていく。
まだ理解できていない感情や出来事はたくさんある。恋愛のことも、命の尊さも、この世界の姿も。
それでも、確かに自分の足で刻み始めたこの物語が、嬉しくてたまらなかった。
大切な仲間たちの手によって、ページをめくるたびに世界が鮮やかに彩られていく。
母と静かに過ごしたあの幸福な日々とはまた違う、新しい温もりを感じていた。
「ほら、ミカ。下向いてないで顔見せてやれよ」
ミカが甲板でそんな想いに耽っていると、隣に立つラックが優しく声をかけた。
「え? わ、わかりました──」
ミカは言葉の意味を理解しきる前に、言われるがまま顔を上げる。
そこには、自分たちの出港を見送るために、町中の人々が集まっていた。
一緒に遊んだ子どもたち、美味しい料理をご馳走してくれた店主、いつも温かく声をかけてくれた住人たち。
全員が四人との別れを惜しむように、大きく手を振っている。
「みなさん……」
ミカは思わず感極まった声を漏らす。
「はは、ほらあそこなんて大泣きしてるぞ」
ラックが少しからかうように指を差した。
その先には、ミカとジルに玉砕した男たちが大群をなし、大粒の涙を流しながら二人の名を絶叫していた。
「ミカちゃーん! うぅ……俺達のミカちゃん……!」
男たちの凄まじい熱量に、ミカは少々驚き困惑しながらも、健気に手を振って笑顔を向けた。
すると男たちは、その眩しすぎる笑顔に胸を撃ち抜かれたように一斉に倒れ込んでいく。
ラックはその大げさな反応に、思わずお腹を抱えて笑ってしまった。
ミカだけはその意味がよく分からず、首を傾げながらも一生懸命に手を振り続けていた。
「ふっ……罪な女だな」
ジルはその様子を微笑ましそうに見守る。
「騎士様ぁ! ジル様ぁ!」
ミカに撃ち抜かれた男たちの隣では、屈強な男たちがジルに向かって必死に手を振り、涙を拭っていた。彼らは固い絆で結ばれたジル派の面々だった。
ジルはそんな男たちを一瞥すると、キリッと表情を引き締めて言い放つ。
「私は弱い男には興味がない。次に来るときは……期待している」
凛としたジルの言葉に、男たちは「はっ!」と力強く返事をして敬礼を捧げた。ジルはその光景に満足げな笑みを浮かべる。
「ははっ……ほんと賑やかですね」
その光景に、ローシュも呆れたように笑っていた。
やがて船は静かに港を離れ、広大な大海原へと滑り出していく。
港からはいつまでも、住人たちが大きく手を振り、別れを惜しむ声が響いていた。
町を、そして海の神クラーケンを救った四人の英雄たちの背中を、誰もがいつまでも愛おしそうに見つめ続けていた。
◇◇◇
船はどこまでも穏やかな海を進んでいく。
眩しい陽光が波間に反射し、キラキラと美しく輝いていた。
「いい町だったな」
ラックとミカは、船の最後尾で最後まで港へ手を振った後、並んで穏やかな海面を眺めていた。
「そうですね……。そ、そういえば、ラック。剣術稽古の調子はどうですか?」
ミカはふっと思い出したように問いかける。
するとラックは胸を張り、得意気な笑みを浮かべて答えた。
「……聞いて驚くなよ?」
ミカは真剣な表情を浮かべ、ゴクリと喉を鳴らして次の言葉を待つ。
「は、はい……!」
ラックは一拍の溜めのあと、誇らしげに言い放った。
「……まだ一つも出来てないっ!」
「へ?」と間抜けた声を上げ、ミカは呆気にとられる。
すると絶妙なタイミングで、硬い鎧の足音が近づいてきた。
「当たり前だ。馬鹿なことしてないで来い。今後の話をしよう」
いつの間にか現れたジルが、ラックの頭をポンと軽く叩くと、船室へ集まるよう促した。
ラックとジルは顔を見合わせてニッと笑い、ジルの後に続いて船室へと向かっていく。
船室に入ると、すでにローシュが椅子に腰掛けて待っていた。
中央に置かれた大きな卓の上には、一枚の大きな地図が広げられている。
「集まったな。改めて今後の確認をする」
ジルは船乗りから聞き出した現在地のおおよその位置に、指で印を置いた。
そこは広大な海の只中であり、目的地まではまだかなりの距離が残されていた。
グランシス王国の国土は風変わりな形状をしている。円形に近い大陸の中央に広大な内海が広がり、そこに無数の島々が点在しているのだ。
船はいま、まさにその内海を縦断している最中だった。
「話によれば、目的地まではおよそ2日かかるそうだ」
ジルは地図の航路を指で丁寧になぞっていく。
「途中、2ヶ所の島を経由する。そこでの長期滞在はなく、あくまで補給のための寄港だ」
ローシュは地図をじっと見つめながら、静かに呟いた。
「それにしても、改めて変な形してますよね。この国って」
その言葉に、ラックもミカも深く頷く。
「たしかにな。このベレタ帝国ってのも何か聞いたことあるな……」
ラックは、地図の端にわずかに記された国境線を指差した。
ジルは、その「ベレタ帝国」の文字を静かに見つめる。
「ベレタ……か。今は知る必要はない」
ジルはそう切り捨てると、言葉を続けた。
「目的地の港に着いてからは、再び徒歩での移動になる。馬車はいま、要人や貴族しか使えない状況だからな」
馬車が一般に使えなくなっている理由──それは、魔女による被害だった。
少し前、グランシス南西にある魔石の産地として有名な町が、ルシエラたちによって一瞬で滅ぼされたことが原因である。
だが、その恐ろしい真実を四人が知る由もなく、ジルも衛兵から断片的な噂を聞き及んでいるに過ぎなかった。
「長い……旅になりそうですね」
ミカが小さく呟く。
するとラックはニッと笑みを浮かべ、明るく声をかけた。
「だな。お母さんに聞かせる話がまた増えるな」
ラックの言葉に、ミカも弾んだ笑顔で深く頷く。
その後、四人は今後の方針をしっかりと確認し合い、船は再び静かに海を進んでいった。
海は驚くほど穏やかだった。
クラーケンと遭遇した際の激しい嵐とはうって変わり、あたたかな日差しと爽やかな潮風が、四人の船旅を優しく包み込んでいる。
「わぁ……! 見てくださいラック!」
ミカは船の手すりから身を乗り出すようにして、前方の一角を指差した。
その先では、クラーケンほどではないものの大きな魚群が何度も海面から躍り出て、弾ける水しぶきが鮮やかな虹を描き出していた。
「あ、あれは……なんですか!?」
次に指を差した空の彼方では、無数の渡り鳥が美しい列をなして群青の空を横断していた。
ミカはまるで幼い子どもに戻ったかのように、目に映るすべてに瞳をキラキラと輝かせていた。
三人はそんな彼女の無邪気な様子を、微笑ましく見守っていた。
途中、小さな島へ船を寄せて補給を行う。
島特産の果実で作られたジュースをミカは何杯もお代わりし、樽ごと船へ持ち込もうとしてジルに嗜められていた。
「さあ、ラック。打ち込んでこい」
航海の合間、ラックとジルは日課である剣の稽古に励んでいた。
ジルは鞘に収めたままの剣を構え、ラックは刃を抜いた本気の構えをとる。
ラックは静かに目を閉じ、全身の集中力を研ぎ澄ませていった。そして呼吸を整えると、ジルに向かって一気に地を蹴る。
「グランシス流剣術、一の太刀!」
ラックは叫びとともに一気に剣を振り上げる。
かすかに「りん」と鈴のような澄んだ音が空気に響いたが、それも一瞬で波音の中に溶けて消えた。
「……甘い!」
ジルは流れるような身のこなしで刃を受け流すと、その勢いのままラックを甲板へと倒し込んだ。
背中から派手に打ちつけられたラックは、苦しげに顔を歪める。
「っ……! くっそ……いけると思ったんだけどな……」
甲板で悔しそうに大の字になるラックへ、ジルが優しく手を差し伸べた。
「悪くなかった。お前は筋がいい」
ジルはそう言ってラックの手を引き、力強く立ち上がらせる。
ラックは悔しがりながらも、どこか誇らしげに微笑んでいた。ミカとローシュは、そんな二人の稽古風景を、島の実を頬張りながら楽しげに眺めていた。
そして、二つの夜を越えた頃。
ついに船旅の終わりが見えてきた。かすかな水平線の彼方に、真新しい町のシルエットが浮かび上がってくる。
あの場所から、また新しい冒険が始まるのだと思うと、ミカの胸は小さく踊った。
「あそこから始まるんだね……」
ミカは大切な杖をギュッと強く握りしめ、見えてきた新しい町を見つめる。
長くも短かった船旅が静かに終わりを告げ、小さな魔女の新しい旅のページが、いま開かれようとしていた。




