第22話 どこまでも美しい絶望
俺は、優れていた。
誰よりも優れていると自負している。
弱冠30歳で大隊を率いる将軍にまで抜擢されたのだから。
指揮能力にも、自身の腕前にも、確かな自信がある。グランシス王国との戦でも、いくつも武功を立てた。
一つ残念なのは、『真紅の鬼神』と称されていた英雄ジルテスタと、剣を交える機会がなかったことだった。
グランシス王国のジルテスタといえば、我が国まで武勲が響いていた。
グランシス王国史上、最高の騎士と呼ばれる女傑。
俺が将軍まで上り詰めた頃には、まるで存在していなかったかのように、名前を聞かなくなっていた。俺の手で討ち取れなかったことだけが、唯一の無念だった。
だが、今はそれどころではない。
何故ならば、あの『白い魔女』が住む悪魔の地を、ついに見つけたのだから。
俺は今、自慢の精鋭部隊を率いて悪魔の地へと進軍している。
ジルテスタなどという過去の英雄は、もはやどうでもいい。
俺が英雄になるんだ。
◇◇◇
グランシス王国は、隣国『ベレタ帝国』と長年戦争状態にあった。
魔導具を生活の利便へと発展させたグランシス王国とは違い、ベレタ帝国は魔導具を兵器として発展させた軍事国家だった。
そして、両国の国境には、不可侵とされ、人類が立ち入ることのない土地が存在していた。
迷い込んだ者は誰も帰って来ず、詳細な場所は誰にも分からなかった。
だが、ようやくその場所を突き止めることに成功した。
そこは、これまですべてが謎に包まれていた厄災『白い魔女』の住まう、悪魔の地だった。
「先遣隊はどうなっている?」
俺の言葉に、副官の男は険しい表情を浮かべながら答える。
「……全滅した模様です。閣下、やはり……あの地が魔女の根城で間違いありませんね」
先遣隊は決して小さな戦力ではなく、魔物の群れ程度であれば容易く殲滅できるだけの規模を備えていた。
どうやら、魔女というものは俺の予想をわずかに超えるものらしい。
だが、だからといって負ける気などさらさらない。
厄災がなんだというのだ。
これは戦争ではない。帝国による一方的な殲滅作戦でしかないのだから。
「魔導兵を中心に陣を組み、進軍する。いかに魔女といえど、この数の飽和攻撃に抗えるはずもないだろう」
副官に指示を出し、陣形を整えていく。兵たちの表情は悪くない。恐怖よりも、高揚感と使命感が滲み出ていた。
いい兆候だ。恐怖など、戦いには必要ない。
これなら、俺の檄など必要もなさそうだな。
……とはいえ、士気は高いに越したことはない。
「我らはこれより、魔女の住まう悪魔の地へと進軍する! お前たちは強い。そして、俺はここにいる誰よりも強い」
槍を掲げ、声を張り上げる。
「お前たちには俺がついている! 先遣隊の分も、魔女に償ってもらおうじゃないか」
俺の言葉に、兵たちはそれぞれの武器を掲げて吠えた。全員が、確かな戦意を瞳に宿している。
さぁ、ここからは狩りの時間だ。
「進め! 今こそ悪しき魔女を滅ぼし、我らが帝国に栄光を!」
規則正しく隊列を組み、目的の場所へと進軍していく。
視界の先に、鬱蒼とした森がわずかに見えてきた。あの森を越えた先に、魔女の住まう地がある。
槍を握る手に、思わず力が入る。
決して恐怖などではない。これから自身が手にする栄光への期待からだった。
部隊の人数は千を超えるが、誰一人として油断も慢心もしていなかった。
自らの手で選び抜いた精鋭たちは、隊列を乱すことなく行軍していく。
隊が森のすぐ手前の平原へ差しかかった頃、副官が報告を上げた。
「閣下。まもなく先遣隊が消息を断った地点へと到達いたします」
そして、その地点には、信じられないような光景が広がっていた。
大地のすべてが、赤黒く染まっている。
百余名からなる先遣隊の姿はどこにもなく、わずかに残された肉片だけが、何が起きたのかを物語っていた。
魔女と思われる死体もなく、ただ見覚えのある旗や鎧の一部が散乱している。
「……魔女め……。全隊、警戒を怠るな。このまま森へと進軍する」
隊の一部が、目の前の惨状に、わずかな恐怖を滲ませる。
俺は彼らを奮い立たせるように低く言い放ち、自らも槍を構えて、森へと歩み始めた。
その時だった。
鬱蒼とした森の影から、何かが静かに姿を現す。
陽光が、その何かが進むたびに、足元からゆっくりと照らしていく。
そして、全身が陽光の下にさらされたとき、それが何者なのかを理解した。
それは、この世のものとは思えないほどに美しい女性だった。
地面に届くほど長い純白の髪が絹のように艶めき、白い睫毛の隙間から、銀色の瞳が静かに覗いている。
すべてを慈しむような表情を浮かべたその姿は、目の前にいるにもかかわらず、存在していないかのような錯覚を抱かせた。
思わず見とれてしまうほどに美しい。
『白い魔女』
厄災とも呼ばれる魔女。
いくつもの都市を滅ぼしたとされる、おとぎ話の世界の住人。その存在が、目の前に姿を現していた。
「くくっ……まさか本当にいたとはな」
俺は英雄になる。あのジルテスタをも超え、ベレタ帝国こそが世界の覇者なのだと証明するために。
「全軍構え! 目標、白い魔女! 弓兵部隊、一斉射撃の用意!」
俺の声に合わせて、隊が一糸乱れず戦闘態勢へと入っていく。
あまりにも未知の存在。いたずらに兵を減らすわけにもいかない。
まずは、お手並み拝見といかせてもらおう。
「──放てッ!」
合図とともに、豪雨のごとく矢が放たれる。
これで終わるならば、それはそれで良し。何よりも優先すべきは、帝国の繁栄なのだから。
だが、厄災と呼ばれる存在が、これで終わるはずがないとも考えていた。
白い魔女は、一歩も動かなかった。
いや、こちらを見てすらいない。頭上に迫る矢の雨にも、視線を向けることさえしていない。
まるで我々の存在など、初めからいないかのように。
「……気味の悪い……。所詮おとぎ話か──」
矢の雨が降り注ごうとした、その刹那。
魔女の少し手前で、矢が音もなく、無に吸い込まれるように消失していく。
まるで魔女の周囲にだけ、ぽっかりと大きな穴が開いているようだった。
「……貴様はどう思う?」
目の前で起きた不可解な光景に、隣に立つ副官へ問いかけた。
「……距離、でしょうか?」
素晴らしい答えだった。
俺の予測に極めて近い、冷静な分析だ。
そう、恐らく魔女の魔法には効果範囲が存在している。でなければ、今ごろこの隊はすべて、あの消失した矢のようになっていたはずだ。
自身を中心とした一定の範囲が、魔法の効果範囲といったところだろう。
「いい答えだ。第二隊と魔導兵を中心に攻め立てろ」
長物を構えた数百の兵と、中距離から攻撃可能な魔導兵が、魔女を取り囲むように陣形を組んでいく。
魔女は、いまだ動きを一切見せていない。
奴の魔法がどんな力を持っているのかは分からない。
だが、一人の人間が扱える力など、たかが知れているはずだ。たとえそれが魔女だとしても、千を超える隊を相手に無傷でいられるはずもない。
そして、一つ確信に近いものがある。
魔導具と魔法は似ている。
魔導具は、媒体を介して特異な現象を引き起こす道具。対して、魔女の扱う魔法は、道具を介さないものの、起こす現象は魔導具のそれと非常に似通っていた。
そして、魔導具には一つ大きな欠点がある。
それは、生物に直接作用させるものが存在しないことだ。
火を出す魔導具や、水を出す魔導具はある。だが、生物そのものに作用させることは不可能だった。
仮に魔法にも同じ欠点が存在するのだとすれば、攻撃手段は自ずと限られる。
この開けた平野と、背後の森。
せいぜい、土を操るか、火を出す程度だろう。
「魔導兵の一斉射撃ののち、全方位から一気に攻め立てろ。何も恐れることはない。俺がついている」
指示を出し、自らも槍を構えて隙を探る。
こちらの魔導兵は多種多様な兵器を搭載しており、一人の魔女の魔法など、十分に打ち消すことも可能だろう。
魔導兵が杖や剣を手に、それぞれ火球や水球を作り出し、一斉に放つ。
全方位から、視界を覆うほどの圧倒的な物量攻撃。
だが、それは届かなかった。
土煙の一つも上げることなく、音すら立てずに消失していく。そして、兵たちが一瞬の動揺を見せた、その時だった。
隊の後方で、突如として兵の一人が水音を立てて弾けた。
肉片すら残さず、赤黒い血潮を散らし、花火のように消える。
「クソッ……! まだ他に魔女がいたか!?」
俺の遥か後方で、次々と水音だけが耳に飛び込んでくる。
だが、振り向けなかった。目の前の白い魔女から、目を離すことができなかったのだ。
槍を握る手に、わずかに汗が滲む。
「閣下! 敵の姿はありません! 我々の周囲には……あの白い魔女しか確認できません!」
副官の叫びが耳に届く。
誰もいない? なら、後方で聞こえるあの不気味な水音はなんだ?
悲鳴と狂気に満ちた声が、水音とともに次々と消えていく。後ろで何が起こっている?
まさか……そんなことが許されるのか?
奴は……白い魔女の魔法には、距離など関係なく、そして──
生物そのものに作用している……?
「ちっ……! バケモノがぁっ……! 全隊、突撃用意! 奴に距離が関係ないのなら、押し潰すまでだ……!」
奴の魔法が生物に直接作用するのなら、どこにいようと、もはや関係ない。
ならば取る手段はただ一つ。
殺されるよりも先に、奴を殺せばいい。
最も単純な暴力こそが、この場での最適解だと俺は考えた。
「全隊突撃ッ! 奴を殺した者こそが真の英雄だッ!」
兵たちを奮い立たせるように、声を張り上げた。
それは、自身の中に生まれ始めていた未知の感情を、押し殺すためでもあった。
王から賜った聖槍を握りしめ、一気に距離を詰めていく。
突撃した兵たちは、まるで子どもが遊んでいるかのように、無造作に赤黒い血溜まりと化していく。
一人、また一人と、自慢の兵たちが消えていく。
そんな中、魔女はあくびをしながら、晴天を眩しそうに見上げていた。
すでに数百人もの人間を惨殺しながらも、見てすらいない。ただ穏やかで美しい表情のまま、日常を謳歌していた。
「……舐めやがって……! 忌々しい魔女がッ! 貴様の家族も……残りの魔女も、一人残らず我がベレタ帝国が討ち滅ぼす!」
それは、虚勢でもなんでもなかった。
ただ込み上げる怒りを、育て上げた大切な部下たちを感情もなく踏み殺していく魔女に、ぶつけた言葉だった。
目が合った。
白い魔女の瞳が静かに、言葉を吐いた俺へと向けられる。
まるで時が止まったかのような静寂に包まれる。吸い込まれそうなほど深く、銀色に澄み渡る瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
ようやく認識された俺の中に湧き上がったものは、怒りでも憎しみでもなかった。
恐怖。
怖い怖いこわいこわいこわいこわい。
帝国で将軍にまで上り詰めた自分が、感じたこともない圧倒的な恐怖。虚無そのものに存在を認識されたかのような感覚がする。
俺は間違っていたのかもしれない。
奴は……魔女は人ではない。人が抗えるものなんかじゃなかった。
「……嫌だ……死にたくない……まだ俺は英雄に……」
槍の先から、ゆっくりと押し潰されるように、この世から消失していく。
それはやがて、槍を構えていた俺の指の先にまで到達した。
「……痛い……怖い……こわいこわいたすけて」
指の先から、音もなく肉体が消えていく。
焼けるような痛みが走った途端、次の瞬間にはその痛みを感じた箇所さえ消えていく。
真っ赤な血液だけが空中に残され、俺の肉体だけが、何かに潰れるように音を立てて無くなる。
「い゛やだ……じにだぐ……」
パシャンっ。
耳に、何かが弾ける音がした。
その音の正体はすぐにわかった。それは、自身の体が弾けて赤い水溜まりを作った音だった。
そして……俺は、それを眺めていた。
魔女は、首だけになった俺を見つめながら、優しく微笑んでいた。
そして、静かに手を振っていた。
パシャン。
その音とともに、ベレタ帝国の精鋭からなる千余名の隊は、すべて跡形もなく消失した。
◇◇◇
見渡す限り、真っ赤な平野が広がっていた。
まるで夕焼けが差し込んでいるかのように大地は赤く染まり、むせ返るような血の匂いがあたりに充満している。
ルシエラは、その中心で、静かに髪に付いた汚れを気にしていた。
「もう……少し汚れちゃった。せっかくの良い天気が台無しだわ」
ルシエラは、まるで拗ねるように頬を膨らませている。
そこへ、後ろから一人の魔女がやってきた。
「うっひゃぁ……今回は多かったっすね!」
ラヴィアは、目の前に広がる光景に、ちらりと目を向ける。
たまに人間が迷い込むことはあるが、これほど大規模なものは、ラヴィアも経験したことがなかった。
「むぅ……いい加減、少し邪魔になってきたわね」
ルシエラが指を鳴らすと、大地を染めていた赤黒い血溜まりが、きれいに消えていく。
残った肉片も跡形もなく消え去り、そこには元の美しい平原が残されていた。
「ラヴィア、少し出かけてくるわね」
ルシエラは、日傘を何もないところから取り出すと、ある方角へ向かって、ゆっくりと歩き始めた。
ラヴィアは、突然のことに驚きを隠せず、慌てて声を上げる。
「え!? ル、ルシエラ様、どこに行くんすか!?」
ルシエラは振り返り、にこりと微笑んで、静かに答えた。
「ふふっ、お掃除……かしら?」
いくら羽虫同様の存在でも、ここまで集まれば、さすがに鬱陶しくなっていた。
ルシエラにとって人間は、これまで目に映っても、意識の内側に入れる価値すらないものだった。魔女以外は存在しないものと同義。
だが、初めてルシエラは、彼らを「邪魔な存在」として認識した。
いや、認識してしまったのだ。
そして、ルシエラは口笛を吹きながら、一人、軽い足取りで帝国へと歩き始めた。
その、わずか20日後。
魔導具によって軍事国家として栄えていたベレタ帝国は、住民の全てが一人残らず、赤い大輪を咲かせるように消えた。




