第21話 魔女だけの世界
魔女。
それは魔導具を介さず、魔法の力を引き出すことのできる唯一の存在。
いつから存在し、何人いるのか誰も知らない。
超常的な力を操り、人々を脅かす恐ろしい存在と言われている。
目的も分からない。
人前に滅多に姿を現さず、一度姿を見せれば厄災が訪れると言い伝えられていた。
白き魔女は厄災とともに舞い降りる。
あまねくすべてを等しく滅ぼすために。
ただ、みんなの為に。
◇◇◇
雲一つない晴天。
小鳥の囀りが、庭先に心地よいリズムを刻んでいる。木々は爽やかな風に揺れ、色鮮やかな花びらが空へ、どこまでも高く舞い上がっていく。
周りを深い森に囲まれた、美しい町。
町というよりも、村と言ったほうが正しいのかもしれない。
だが、そんな小規模な場所でありながらも、ここに暮らす者たちは誰一人として不便など感じていなかった。
町の名前は「マグメル」。
そう、ここは魔女たちの住まう土地。
「魔法」の奇跡によって彩られた、どこまでも美しい場所だった。
中心を流れる小さな小川が太陽の光を反射して、銀の糸のようにキラキラと輝いている。
そのすぐ傍らでは、美しい純白の髪を靡かせる女性が椅子に腰掛け、静かで優雅な時間を過ごしていた。
白い睫毛の隙間から、神秘的な銀色の瞳が静かに覗いている。降り注ぐ温かな陽射しを眩しそうに細めながら、彼女は空を見上げて穏やかに微笑んでいた。
「ルシエラ様。ここにいらしたんですね」
その時、背後から別の女性が声をかけた。
ルシエラと呼ばれた魔女は、純白の髪を白い耳にかけながら、ゆっくりと振り返る。
その仕草一つひとつに気品が宿り、女性は思わず息を呑んで見とれてしまった。
「ここが好きなの。みんなの様子がよく見えるでしょ?」
ルシエラはそう言って、穏やかに辺りを見渡す。
視界の先では、何人かの少女たちが野花を摘み、色とりどりの冠を作りながら無邪気にはしゃいでいた。
少女たちはルシエラの視線に気づくと、パッと顔を輝かせ、大きく手を振って愛らしい笑顔を向ける。
「ふふっ、可愛いわね。まぁ、私の自慢のミカちゃんには敵わないかな?」
そんな言葉を口にしながら、ルシエラは優しく手を振り返す。
彼女が優雅に指を鳴らすと、何もない空間に白い大理石のテーブルとティーセットがふわりと現れた。
「今日は本当にいいお天気ね。こんな日は、ティータイムに限るわ」
テーブルの上で、ティーポットからカップへと、ひとりでに透き通るようなお茶が注がれていく。
柔らかなハーブの香りが、そよ風に乗って辺りに静かに漂った。
「ほら、ハミアも座ってちょうだい」
ルシエラは傍らに立つ魔女へと優しく声をかける。
ハミアと呼ばれた魔女は促されるままに席に座ると、目の前にカップがふよふよと宙を舞って静かに置かれた。
「……ありがとうございます。そういえばルシエラ様、先ほどラヴィアが呼んでいましたよ」
ハミアは注がれたハーブティーを口にしながら、静かに言葉を続ける。
「どうせ、ルシエラ様に自分の新しい魔法を褒めてもらいたいだけだと思いますけど」
彼女はどこか呆れたような笑みを浮かべていた。しかしルシエラは口元に手を当て、鈴を転がすように小さく笑う。
「じゃあ、いっぱい褒めてあげないといけないわね」
ルシエラの言葉に、ハミアは小さくため息をつきつつも、その頬を嬉しそうに緩ませる。
ルシエラは誰よりも優しく、みんなにとって母のような存在だったからだ。
この町に住む全員が、ルシエラを深く愛している。同じくルシエラもまた愛を注ぎ、彼女たちも、その愛に応えたいと心から願っていた。
「……あっ! ルシエラ様、見つけたっすよ!」
その時、一人の魔女がルシエラを見つけ、弾むような足取りで駆け寄ってきた。
赤に近いオレンジ色の、肩までかかる髪を揺らしながら、満面の笑みを咲かせている。
「……ラヴィア。今は私が、ルシエラ様と話しているんだけど?」
ハミアは少し不機嫌そうな顔を浮かべ、駆け寄ってきた少女の名前を呼ぶ。
しかしラヴィアはそんな様子を一切気にすることなく、ルシエラへと嬉しそうに飛びついていった。
「あら、ラヴィアに捕まっちゃったね」
ルシエラは飛びついてきた少女の柔らかな髪を優しく撫でながら微笑む。
その仲睦まじい様子を、ハミアは少しだけ頬を膨らませながら眺めていた。
「ルシエラ様っ! あたしの新しい魔法を見てほしいっす!」
ラヴィアはそう言うとルシエラから離れ、青空に向けて片手をかざした。
すると、手のひらの先から淡く光るまばゆい光球が現れ、空高く飛んでいってふわりと弾ける。それはまるで大輪の花火のように空いっぱいに広がり、一瞬、太陽がもう一つ生まれたかのような強烈な輝きを地上に投げかけた。
「ルシエラ様! 今の、見たっすか!?」
ラヴィアは成功を心から喜び、はしゃぎながら声を弾ませる。
ルシエラは眩しさに目を細めながらも、その様子を見つめ、満足げな笑みを浮かべていた。
「ちょ、ちょっと! あんたやりすぎよ!」
ハミアは眩しさに目を手で覆いながら、ラヴィアの肩を軽く叩く。
ルシエラはただ穏やかな笑みを浮かべ、二人の微笑ましいやり取りを見守っていた。
「まぁ、すごいわね。私、いつの間にか越えられちゃったかもしれないわ」
ただ、穏やかな時間だけがどこまでも流れていく。
ルシエラに褒めてもらおうと、次々に他の魔女たちも魔法を見せに来たり、中には摘んできた花で作った不格好な冠を持ってくる幼い魔女の姿もあった。
ルシエラはそのすべてをただ優しく受け止め、一人たりとも邪険にすることなく、慈愛に満ちた微笑みを向け続ける。
その時、ハミアがふと何かを思い出したように口を開いた。
「そういえばルシエラ様。さっき、森の近くで虫を見たっすよ」
彼女は町の周りにどこまでも広がる、緑豊かな森を指差した。
森の木々は風に揺れてはためき、小鳥たちの無邪気な囀りが静かに響き渡っている。
「ほんと? じゃあ、虫さんたちの退治に行きましょうか」
ルシエラはぱぁっと顔を輝かせ、楽しげに手を叩いた。
ラヴィアは「待ってました!」と言わんばかりに、誰よりも早く軽やかに駆け出していく。
木々の間から爽やかな木漏れ日が差し込む森の中では、様々な小動物たちがのどかに暮らしていた。
ルシエラはラヴィアのあとを追うように、ハミアと並んで静かに森の中を歩いていく。
その時、ハミアがふと口を開いた。
「そういえば……ミカちゃんは今頃、どこで何をしているのでしょうね」
ルシエラは少し考え込むような素振りを見せたあと、ふわりと微笑んで応じた。
「んーと……どうやら、大きな生き物を助けたみたい。ミカちゃんってば、本当に自慢の愛しい娘なのよ……」
愛おしそうに目を細めて惚気るルシエラに、ハミアは呆れたような、しかしどこか温かい眼差しを向ける。
「はぁ……ルシエラ様は本当に、ミカちゃんのことになるとすぐ親バカになっちゃいますね」
その言葉に、ルシエラはほんの少しだけ頬を膨らませて拗ねたような仕草を見せた。
「むぅ……そんなことないわよ? ミカちゃんが世界で一番可愛いのだもの、仕方のないことだわ」
そう軽口を叩きながら、彼女たちは深い木漏れ日のなかを歩み進める。
その時、すぐ隣の美しい花陰から、何やら小さな影が不自然に飛び出した。
刹那、ルシエラが優雅に指をパチンッと鳴らす。
すると、その影はまるで一輪の紅い花が咲くように鮮やかにほどけ、跡形もなく光の中に溶けて消えていった。
「何か虫でもいました?」
ハミアは一連の出来事に全く気づいていない様子で、首をかしげている。
ルシエラは消え去った影に一瞥もくれず、ただ優雅に歩き続けた。
しばらく小道を歩いた頃、ようやく先を急いでいたラヴィアの姿が見えてきた。
彼女は森が開けた美しい平野に、腰に手を当てて誇らしげに立っている。
「もう、ルシエラ様たち遅いっすよ!」
そう言って振り返ったラヴィアの装いは、なぜか鮮やかな深紅の色彩に染まり、オレンジ色の美しい髪からは一筋の雫がぽたぽたと地面へ落ちていた。
そして、彼女の背後に広がるどこまでも長閑な平野には、なぜか不自然に凹んだ地面と、どこか赤く染まった小さな物体が無数に転がっている。
「こーら、あんたが勝手に一人で突っ走るからでしょう? まったく、そんなに汚して……」
追いついたハミアはラヴィアの頭を軽くコツンと叩くと、ハンカチを取り出してその汚れた額や髪を優しく拭ってやる。
ルシエラはその光景を、慈しみに満ちた笑みを浮かべたまま見つめていた。
その時、どこからか耳障りな、ひどく醜いノイズのような音が響いてきた。
思わずハミアが小さな眉をひそめる。
「……はぁ、耳障りですね。ルシエラ様に、不快な音を聞かせないで」
彼女はあからさまに苛立った態度を見せ、不快な音の主がいる茂みへと手をかざした。
次の瞬間、土の中から何本もの水の柱が突き出し、しなやかな無数の鞭となって激しく地面を叩きつけていく。
激しい水しぶきとともに、辺りには鮮やかな赤の色彩が美しく飛び散った。
「ふふっ……とても綺麗。二人とも、魔法の腕が一段と上がったのね」
ルシエラは彼女たちの成長を讃えるように、うっとりと目を細める。その言葉に、ラヴィアとハミアは嬉しそうにパッと顔を輝かせた。
魔法にはいくつかの種類が存在していた。
ハミアは水を操る魔法を扱い、ラヴィアは光を操る魔法を使う。
一人の魔女が扱うことのできる魔法は、その者に与えられた一種類のみ。
それ故に、それぞれが日々己の魔法を磨き上げていた。
だが、それは何者かと戦うためなどではなく、ただルシエラにもっと笑顔を向けてもらうためだった。
魔女たちにとって、ルシエラに褒められることこそがこの上ない喜びであり、世界で一番の幸せだった。
誰よりも深く魔法に通じ、誰よりも美しい魔女ルシエラ。彼女はすべての魔女たちの憧れだった。
「ルシエラ様の足元にも及ばないっすけど、あたし達も頑張ってるっす!」
ラヴィアがそう言うと、ハミアは当然だと言わんばかりに彼女の頭を軽く小突いた。
「当たり前よ! ルシエラ様と比べること自体が不敬だわ」
そうやって、お互いに笑い合う。
ルシエラは、こんな穏やかな時間が心から好きだった。
この大切な魔女たちに、もっと広くて美しい世界を見せてあげたい。
愛しい娘であるミカが、いつまでも笑顔でいられるような平和な世界にしてあげたい。
それだけが、ルシエラの心からの願いだった。
雲一つない穏やかな晴天の中、今日も空から赤い雨粒がパラパラと降り注ぐ。
ルシエラはこの赤く鮮やかな色彩に満ちた景色が好きだった。
まるで一面に咲き誇る薔薇の花びらのようにキラキラと輝き、群青色の空とこの上ないコントラストを描いている。
ただ一つだけ嫌いなものを挙げるとすれば、この美しい光景に時折混ざり込む、あの醜い不協和音だけだった。
「っ……! 怯むなッ! もっと隊を広げて──」
また、遠くからあの耳障りな音が聞こえてくる。
せっかくの穏やかな時間を、どうして邪魔しようとするのだろう。地を這う虫ほどの小さな存在に、これ以上の感情や興味など湧くはずもなかった。
赤い花が、あちらでも、こちらでも、たくさん、たくさん咲き誇っていく。
三人の魔女は笑顔を絶やすことなく、ただ美しい日常を優雅に過ごす。
ルシエラの銀色の瞳には、ラヴィアとハミアという二人の魔女の楽しげな姿しか映っていなかった。
「ルシエラ様、一つだけ聞いていいっすか?」
ふと、ラヴィアが気になっていたことを素朴な調子で問いかける。
「どうしてミカちゃんを外に出したんすか? お屋敷からほとんど出さないくらい、すごく過保護だったっすよね」
彼女は不思議そうに小首をかしげた。
ミカはこれまで、マグメルの外へ出たことがほとんどなかった。いつもルシエラと屋敷のなかで、静かに暮らしていた。
たまに外へ出る時も、ルシエラと手をつなぎ、近くの花畑をゆっくり散歩する程度だった。
そのため、ミカと直接言葉を交わしたことのある魔女は、この町にも多くなかったのだ。
「こら、ラヴィア。ルシエラ様にはちゃんと深いお考えがあるのよ」
ハミアは少し呆れたようにラヴィアの物言いをたしなめる。
しかしルシエラは柔らかい笑みを崩すこともなく、優しく答えた。
「ミカちゃんは、あまりにも優しすぎるの。だから、大きくなるまでは、この世界の綺麗なものだけを見てほしかったのだけど……」
彼女はどこか遠くを見るような、穏やかな表情を浮かべて言葉を続ける。
「でも、どうしても自分で外の世界を見てみたいって、お願いされちゃった」
「それは……少し寂しくなりますね」
ハミアは静かに同情するように、小さく息をもらした。
だが、ルシエラは優しく首を横に振る。
「……いいえ、寂しさはあるけど、それ以上に嬉しかったわ。あんなに小さかったミカちゃんが、自分からお願いしてくれたもの」
ルシエラはミカの確かな成長を、母親として心から誇らしく思っていた。
幼く、いつまでも自分の腕の中の可愛い子供だと思っていた娘が、自らの言葉で外を見たいと言ったのだ。
彼女をこの町に縛り付けることなど、ルシエラにとって容易いことだった。それでも、愛しい娘のまっすぐな意思を尊重したかった。
「だから、魔導具の勉強をしてきなさいって、外に送り出したんすね」
ラヴィアはすべてを納得したように、大きく頷いてみせる。
「魔導具の事は、知っとくべきっすもんね!」
その言葉にハミアも強く頷きながら、険しい表情を浮かべた。
マグメルの魔女たちの中に、魔導具を好む者など一人もいなかった。むしろ、忌み嫌うものばかりだったのだ。
「でも、心配じゃありませんか? 外の世界には、ここと違って危険もたくさんありますから……」
ハミアの懸念に、ルシエラは包み込むような笑みを浮かべて答える。
「ミカちゃんなら、きっと大丈夫。ふふっ……それに、私があの子のことをいつでも見守っているもの」
ルシエラはおどけて親指と人差し指で小さな輪っかを作り、それを覗き込むような仕草を見せて優しく微笑んだ。
気がつけば、三人の足元から広がる大地は深く鮮やかな赤に染め上げられていた。
動く影はもはやどこにも存在せず、降り注ぐ陽光が赤い水たまりの表面に反射して、キラキラと残酷なまでに美しく輝いている。
「……なんだか歩いたら、お腹が減ってきちゃった。綺麗になったことだし、そろそろ町に戻りましょうか」
ルシエラはお腹を優しくさすりながら、子供のように愛らしく微笑んだ。
二人も小さくお腹を鳴らし、恥ずかしそうに頬を赤らめて頷く。
「何を食べるっすか? あたしは……お肉がたーくさん食べたいっす!」
ラヴィアは頬についた小さな赤い染みを拭いながら、無邪気に声を弾ませる。
そんないつもと変わらない呑気な彼女の様子に、ハミアは呆れたような、しかし愛情も含んだ目を向けた。
三人はゆっくりと、自分たちの美しい町へと歩き始める。
何てことはない、いつものどこまでも平穏な日常。
どこかで誰かが楽器を奏でているのか、鳥の囀りのような美しい旋律が微かに風に乗って響いてくる。木々が風に揺れる音がその歌声を彩り、小川のせせらぎが心地よい奥行きを添えていく。
彼女たちはそんな心地よい音楽に耳を傾けながら、静かに町へと戻っていった。
その背後には、美しく赤く染まりきった大地。
その周囲には、わずかに原型をとどめた「何か」が無数に、静かに転がっていた。
小さなその肉片は赤黒く染まり、見る影もなくひしゃげている。
どす黒い怨嗟と恐怖が張り付いたままの無数の小さな瞳が、遠ざかる三人の背中をただ見つめるように、冷たく虚しく転がっていた。




