第3話 いざ、査問会へ
(結局昨日は殆ど眠れなかったわ……)
一夜明けて、私は眠い目を擦りながら身支度をしていた。今日は学園査問会が開かれる日だ。
私は、気合を入れるためにお気に入りの髪留めを身に付けた。少し子供っぽいかもしれないけれども、以前ギルバートがくれたリボンの髪留めは、私にとってお守りのような物なのだ。大事な時に付けることにしている。
ふと、窓の外に目をやると、馬車が一台やってきた所だった。こんな朝早くに珍しいなと思って見ていたら、馬車から降りてきたのはギルバートだった。
「ねぇ、今ギルが来ていなかった?!」
「はい、ギルバート様は旦那様を訪ねて来ました。なんでもお約束があったとかで」
私が玄関ホールに向かうと彼の姿は既になかったが、使用人を捕まえてそれが事実である事は確認がとれた。
(ギル、確か昨日もお父様に話があるって言っていたわよね……?)
どうしてそんなに頻繁にお父様と会うのだろう?そんな疑問が頭を過って、私が玄関ホールでそわそわしていると、階段の上から声がかかった。
「やぁユリア。おはよう」
見上げると、丁度ギルバートが二階から降りてくるところだった。
「おはよう、ギル。こんな朝にお父様に用事だったの?」
「うん。伯爵に届ける物があったからね」
「それって…今日の査問会のことで……?」
「そうだね。でもユリアが不安に思うようなことじゃないよ。ちょっとした根回しだから」
私と話をしながら、ギルバートは階段をゆっくりと降りてくる。一歩、二歩とこちらに歩んで、そして丁度私の正面に来た時、ギルバートはハッとして動きを止めた。
「その髪飾り……」
「うん。以前あなたに貰った物よ。勝負の日だから、勇気を貰うためにつけたの」
「そっか……君が大切にしてくれて嬉しいよ」
私は少し照れながら、髪に付けている髪留めにそっと触れてみせた。
そんな私の様子をギルバートは目を細めてどこか嬉しそうに見ていた。
「今の君には、もっと大人っぽいアクセサリーも似合うんだろうな」
「持ってるには持ってるけど……全部ナイジェル様から頂いた物なのよね。今日は身に付けたくないわ」
私は少し曇った表情でそう答えた。一体誰のせいでこんな目にあっているのか。それを考えるとナイジェル様から貰った物はとてもじゃないが身に付けたくなかった。
「それは確かに……あんな奴から貰った物など身に付けないで欲しいな」
ギルバートは苦々しい顔で私の意見に賛同し、そして手を伸ばして私の髪飾りに優しく触れた。
「……コレが終わったら、僕がユリアに買ってあげるよ。今の君に似合う髪飾りを。」
「……あ、有難う……」
至近距離でのギルバートの甘い笑顔に、私はまた全身がゆでタコみたいに真っ赤になって、上手く返事が出来なかった。
***
私とギルバートは、そのまま一緒にアカデミーへと向かった。
今日の午後に行なわれる査問会への不安は拭えなかったが、それよりも今は、隣にギルバートがいることの方に意識を持っていかれてしまっている。
一緒の馬車で登校だなんて初めてで、玄関ホールでのやり取りもあって、私はなんだかこそばゆい気持ちでいっぱいだった。
「……まさか、ギルと一緒に登校するなんて、不思議な感じだわ」
婚約者が居る身としては、たとえ幼馴染であっても、異性であるギルバートとはどうしても距離を取らざるを得なかった。
だから婚約した頃から、自然と距離を置くようになってしまったけれども、昨日と今日は、昔みたいにギルバートと接する事が出来て、こんな状況だけれども嬉しかった。
……まぁ、私は思ってたよりギルバートへの免疫がなくなっていて、昔は平気だったのに、優しくて甘い笑顔を無条件に向けられて平常心で居るには、中々忍耐が必要だけどね。
「そうだね。ユリアと一緒に登校出来るなんて嬉しいよ」
チラリと見たギルバートの表情は、とても晴れやかで機嫌が良さそうに見えた。
彼も少なからず、私との登校を好ましい感情で過ごしているのだろうと感じ取ってほっとした。
(……馬車がアカデミーに着かなければ良いのに……)
他愛のないお喋りをしてギルバートと過ごすこの穏やかな時間がずっと続けば良いなと思った。
けれども、現実からは逃げられない。
私にはアカデミーの授業が終わった放課後に、査問会が待っているのだ。
(……大丈夫。ギルバートが居るんだもの。絶対にゲームの通りにはいかないわ)
心の中で必死にそう言い聞かせて平静を装っていたが、私の手は少し震えていた。
すると、そんな私の様子に気づいたギルバートが、私の手の上にそっと自分の手を重ねて私の顔を覗き込み、その綺麗な目でしっかりと私の瞳を見つめながら訊ねてきたのだった。
「不安かい?」
私は、咄嗟に何も声を発せなかった。
私の心情を見透かされたこともさることながら、彼に手を重ねられたことにとても動揺してしまったのだ。
「大丈夫。僕に任せて。僕が絶対に、ユリアを守ってみせるから」
私は言葉を言えないまま、ギルバートのその言葉にコクンと頷いた。
うん。ギルバートを信じてる。
彼は「女神の天秤」に出て来ていない。きっと純粋にユリアの味方だ。
***
アカデミーでは、いつも通り授業を受けた。
……といっても、昨日の事を心配して声をかけてくれた友人たち以外は、私の事を腫物のように遠巻きに眺めてヒソヒソと話し合っているので、居心地はとても悪かった。
(査問会に呼ばれた……この学園じゃ、それだけで罪人と同等にみなされてしまうのよね)
ここで負けたら、アカデミーでの立場が無くなる。学園査問会の影響力はそれくらい強力なのだ。
だから一緒に居ると友人たちにも迷惑がかかると思って、私は今日はなるだけ一人で行動をした。
お昼休みになって、人が来ない場所を探してやっと人目から解放される……って思ってたのに、どうして今一番会いたくない二人に出くわしてしまうのだろう。
(あれは……ナイジェル様とフランソワさん)
私が裏庭の木陰で一人昼食を食べていると、少し離れた場所に、あの二人が現れたのだった。
幸いなことに私は座っていて、向こうからは茂みの陰に隠れてこちらは見えていないらしく、二人は私の存在に気付かないまま会話を始めた。
「ナイジェル様、私不安です。平民だった私が、伯爵令嬢であるユリア様に勝てるでしょうか……」
「フラン、大丈夫だ。俺が側についている。正しいことをしようとしているフランが負けるわけないさ」
フランソワさんはしおらしく項垂れながらナイジェル様に寄りかかった。
ナイジェル様に何の情も無い私はその光景を見ても何にも思わないが、婚約者が居る男性に対してするべきでない行動を躊躇いもなく出来るその図太さには感心した。
そしてナイジェル様もナイジェル様で婚約者でもない女性を堂々と愛称呼びをしている。私は生暖かい目を向けざるを得なかった。
昼食を食べながら、私はそのまま二人を観察した。何か……二人の姿に既視感を感じて、目を離せなかったのだ。
(あ、これ……ゲームのイベントだ!!)
これは確か、最初の査問会が始まる前に裏庭でナイジェル様がフランソワさんを励ますストーリーイベントだと気付いた。
目の前でゲームのシナリオが進行している様子は、なんだか不気味で怖かったけれども、私は気になって目を逸らせずにいた。
「ナイジェル様は、ユリア様の婚約者なのに、どうして私を応援してくださるの?」
「それは……君の心根の綺麗さに感動して。例えユリアであっても、こんな君を虐めているだなんて、そんな事は許されない。罰せられるべきだ」
「ナイジェル様……」
2人だけの世界がそこには出来上がっていて、私は死んだ魚のような目をしてその光景を眺めていた。
不意に隣から声がかかった。
「これ、なんの茶番?」
「びっくりした!ギルどうしてここに?!」
「ユリアが教室に居なかったから探した。どうせ周囲に遠慮して一人になってるんだろうと思って。それに……」
ギルバートはチラリとナイジェル様の方を見た。
「向こうがああなら、僕も遠慮する事ないと思って」
「えっ……?」
ギルバートの言ってる意味が分からず、頭にはてなを浮かべたが、その間も二人の会話は続いていた。
「ナイジェル様、私、ナイジェル様の励ましのお陰で頑張れそうですわ!安心してください。絶対に勝ちますから。勝ってナイジェル様をユリア様から解放してあげますわ!」
「フラン、君は何て優しいんだ。俺のことまで考えてくれているのか」
「えぇ、だってユリア様ってとても陰湿でナイジェル様のことを無視しているのでしょう?それに頭の良さをひけらかしているとも聞きましたわ。そんな人と許嫁だなんて可哀想だわ」
私は能面の様な顔で二人の会話を聞いていた。ナイジェル様を無視した覚えはない。
そもそも向こうから話しかけないのでこっちも話しかけていないだけだ。それに頭の良さもひけらかしている訳ではない。単純にナイジェル様がその……お勉強が苦手で卑屈になっているだけなのだ。
「あぁ、君みたいな可愛い子が婚約者だったらどんなに良かったか」
「……私が査問会でユリア様を糾弾して彼女を負かせれば、コンテール家の責で婚約破棄出来ますわ」
「……学園査問会で、そこまでの決定が出来るか……?」
「えぇ、出来ますわ。絶対に。私には分かるんです」
そう言って不敵に微笑んだフランソワ嬢を見て、私はぞわっとした。
(今の発言……彼女もゲームの記憶持ち……?)
ヒロインがゲームの記憶を持っていて、ゲームシナリオ通りに物事を進めようとしている。
その可能性に気づいてしまい私は一人青ざめたが、不意に、隣から物凄い不穏な気配を感じとったのだった。
「ねぇ、ユリア。あの二人容赦しなくていいよね?」
何が切っ掛けだったのかは分からないけれども、明らかにギルバートは怒っていて、彼は今まで見た事ないような笑顔で、私に二人に対する処遇を確認してきたのだ。
「えっ?……う、うん」
「そう……楽しみだなぁ、査問会」
ギルバートはずっと笑っているが、その目は全く笑っていない。笑っていないどころか、とても強い怒気が籠っていた。
(……もしかしてあの二人は、とんでもない人を怒らせたのでは……?)
そんな考えが頭を過ぎったところで、午後の授業の始まりを告げる予鈴が鳴り響いたのだった。
***
放課後
いよいよだ。私の運命が決まる査問会が始まる。
私は目を瞑り深呼吸をして、気持ちを整えた。
(大丈夫、ギルが居るわ。全てがゲーム通りじゃない。だからきっと、大丈夫。)
そんな時、不意に教室のドアの方が騒がしくなった。なにか査問会に関する事が起きて居るのか、そうではないのか、気になって思わずそちらに目を向けるとそこには見知った顔が居たのだった。
「やぁユリア。迎えに来たよ」
「ギルバート?!」
憧れの先輩の登場に、級友たちがざわめいていた。
私とギルバートは幼馴染だから愛称で呼ぶほど仲が良かったが、妙な評判が立たないようにと学園内では極力接触を避けていた。だから私たちが幼馴染であることを知っている人は殆どいない。
なので学園の憧れの的が急に現れて、これから査問会で裁かれる私を呼んだのだから、それだけで教室中の視線を一身に集めてしまった。
(うーん……私としてはあまり注目されずに教室を出て行きたかったんだけど……)
私のそんな心情など知らないギルバートは、臆することなくこちらへ向かってきて、私の前にスッと手を差し出した。
その手をじっと見つめて、私は一瞬躊躇う。
(私は一応まだナイジェル様と婚約している身……それなのに、違う男性の手を取ったらどう思われるかしら……)
注目される中、そんな世間体も一瞬考えたが、そんなのもう構わなかった。
私はギルバートから差し出されたその手を取ると、覚悟を決めて学園査問会が開かれる議事堂へと向かった。
***
「ユリア・コンテール、入ります」
ギルバートにエスコートされながら、私は高らかに自分の名前を名乗って講堂に入室した。
案の定、婚約者ではない男性に手を引かれている私を見て、傍聴の生徒たちはザワザワしていたが、そんなもの気にせずに、私は堂々と歩みを進めた。
「ユリア・コンテール嬢、婚約者が居る身でありながら、婚約者ではない男性にエスコートして貰うのはどうかと思うが」
「あら、だって私の婚約者であるナイジェル様はフランソワ様をエスコートしてるんですもの。彼が分裂でもしない限り、私が婚約者にエスコートされる事は無理ですわ」
生徒会長であるクロード殿下の苦言にも怯まずに、私は堂々と反論した。
「もし、ギルバートに婚約者が居たらそれは問題になりますけど、でも彼に婚約者は居ませんわ。彼は、純粋な善意から幼馴染である私の入廷が惨めなものにならない様にと申し出てくれたんです」
私の発言を、王太子殿下は真っすぐに聞き入れて、そして公平に話を進める。
「……そうだな。ユリア嬢の言い分は筋が通っている。この話を掘り下げるとなると、そちらにいるナイジェルにも話を聞く必要があるが、それはこの後の査問の中で明確になるのか?」
王太子殿下にチラリと視線を投げかけられたナイジェル様は、とても自信満々に答えた。
「勿論です殿下!」
一体どこからその自信が湧いてくるのか不思議だが、ナイジェル様は私が悪いと信じきっているから仕方ないのかもしれない。
なんて残念な人なのかと、心の中でため息を吐いていると、王太子殿下が動いた。
「よろしい。それも踏まえて、それでは査問を始めようじゃないか」
こうして、殿下の宣言によって審問会は始まったのだった。




