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アトラクナチャータ

 入門者が必ず潜り抜けなければならない十日間行は、フュルステンブルクでは行われない。


 王都から少し離れた場所にあるノイエン駅。


 そこから歩いて五分ほどのところに、シャークヤ修道院の本院があった。


 塔を持つ建物が、ヴァルーシア社の葬儀会館と隣り合わせに建っている。


 納骨堂の守護者、モルディギアン神の像が遠目にも見えた。


 別院の黄金色の派手さとは違い、こちらはずいぶん落ち着いた佇まいだった。


 だが、よく見ると、やはりどこか作り物めいている。


 古い聖堂を模した建築なのだろうけれども。


 遠目には立派だが、少し近づけば、


 ――ああ、これはレプリカなのだな。


 と分かってしまう。


 行の前日から修道院へ来るように言われていた。


 九月二十日の朝八時。


 建物に入ると、中年の女性事務員が出てきた。


 額には細かな皺があり、丸眼鏡をかけている。


 事務員は慣れた様子で書類を取り出し、入門に必要な手続きを進めていった。


 開け放たれた修道院事務室の奥から、何人かの修道僧がこちらをちらちらと見ている。


 書類を書き終えた頃だった。


 修道院長クラウス・シェーファーが姿を現した。


「ヴァルトナーさん」


「はい、おはようございます」


「では、これから加行をする護摩堂をご案内しましょう」


 修道院長について建物の裏手へ回る。


 すると、巨大な瓦葺きの屋根が見えた。


 私は思わず足を止めた。


 巨大な伽藍だった。


 これから、あそこで修行するのだ。


 そう思うと、不安と同時に妙な高揚感が湧いてきた。


 ところが――。


 修道院長が案内したのは、その巨大な建物ではなかった。


 大伽藍の脇に建っている、民家のような建物だった。


「こちらです」


「……こちら?」


「ええ。加行道場です」


「では、あちらの聖堂は?」


「あれは別の宗派の聖堂です。当院とは関係ありません」


 私はがっかりした。


 護摩堂の中に入ると、壇上にアトラクナチャータの神像が鎮座していた。


 その像の前には護摩壇が設置されている。


 毎月二十八日には、ここでアトラクナチャータに供物を捧げる聖火の儀式が行われるという。


 私は像を見上げた。恐ろしげな表情の神像には静けさがあった。その八臂の腕は蜘蛛を表したものだ。手には羂索を垂らしているもの、浄土の蜘蛛を掌に乗せたものもある。浄土の蜘蛛は胴体が髑髏であり、そこから虚ろな視線を堂内に注いでいた。


 背後には放射状に光条を放つ光背の放射状の光の線が、まるでクモの巣のように伸びている。この蜘蛛神の糸は、地獄に墜ちたものを救いとる羂索の糸を垂らすとされる。


 あまりにも有名な神話がある。地獄に堕ちた大罪人を救わんと、アトラクナチャータ神は銀の糸を垂らしたものの、大罪人は我も我もと糸に縋りついた他の罪人達を蹴落としたとたんに糸は切れて、彼は地獄へと真っ逆さまに堕ちて逝った…この話しは霊的な利己性を表すとされる。


 私が堂内を見回していると、修道僧ミトがやってきた。


 修道院長は、


「後はミトさんに任せます」


 と言って、廊下の向こうへ戻っていった。


「では、行について説明します」


 ミトはそう言った。


「行というのは、繰り返すということです」


 まず道場を荘厳する。


 灯明に火をつけ、華瓶に水を入れる。


 灯明と華瓶の位置にも決まりがある。


 灯明は左、華瓶は右。


 その中央に香炉を置く。


 香炉の向こうには、八臂の神が本尊として鎮座している。


 礼拝を三回繰り返す。


 その後、長跪合掌して四つの誓願を唱える。


 それからアトラクナチャータに向かって五体投地をする。


 正座をして右手を出す。


 続いて左手。


 そのまま肘をつき、掌を上に向けて礼拝する。


 起き上がり、右脚を立て膝にする。


 立ち上がって合掌。


 そこから右脚を後ろへ引き、右膝を地につける。


 そして再び正座へ戻る。


 この一連の動作を、


「南無帰命頂礼本尊聖者大聖大悲羂索神悉地成就」


 と唱えながら繰り返す。


 一座百礼。


 午前に一座。


 午後に二座。


 一日三百礼。


 それを十日間続ける。


 三千回。


 古代の山岳修行者たちが行った礼拝法を模したものらしい。


 さらに、一礼ごとに行監――修行の監督役が、古い守護者たちの名前を読み上げる。


 過去の守護者。


 現在の守護者。


 未来の守護者。


 名前が読み上げられるたびに一礼するので、手を抜くことはできない。


 百礼が終わると、念珠行に入る。


 アトラクナチャータ呪を千返唱える。


 食事にも決まりがある。


 肉は禁止。


 魚も禁止。


 動物性の出汁も禁止。


 許されるのは植物性の出汁だけだった。


 もっとも、食事そのものは近くの商店で購入する。


 そのため、完全に監視されているわけではない。


 だが、修道僧たちはそれとなく食事内容を確認してくる。


 さらに午前中には礼拝だけでなく、ナコト写本の書写もある。


 正式に入門するまでに、百枚を書写しなければならない。


 私は説明を聞きながら、これは思っていた以上に本格的な修行なのだな、と感じた。

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