蕃神の御使い
患者の体内から吠えられながら、円錐形の触手ウィルスを摘出した国立魔導感染症研究所の調査チームは、隔離された患者から採取されたウィルスを解析し、ワクチンを造ろうと試みた。このウィルスは体内に侵入する際に、体内の受容体に、その尾の先にある極小の銀の鍵を使い、結合するのである。
侵入したウィルスは自らを複製して大量に放出し始める、その様子はあたかも、深い淵の穴を鍵によって開いた後、大きな炉から出る煙のようなものが広がるようだった。
無数のウィルスはそれぞれ千の触手を持ち、触手の先端はそれぞれ刻々と変化する手印…未知のハンドサインを形成し、何かのメッセージを表しているかのようだ。まさに千手の名にふさわしい様相である。
ウィルスは体内のエネルギーを自らに変換し、大量に放出するが、 その大量のウィルスを魔導顕微鏡から見たところ、煙のように見えたのである。しかし、ワクチン製造は困難であった。肝心の対策については光を照射すること以外はできることがなかった。
そもそも抗体のできないウィルスなど、ハイパーボリア人類史上、今まで皆無であった。治療とは体内の免疫を高めるものであり、免疫系がピクリともしないこのウィルスは、ウィルスとして定義されていたものの常識範疇外だった。
そして、眠った番犬のようになっているこれら免疫系の異常は、あたかも主人が道を通るから、吠えないと言わんばかりの免疫系のリアクションだった。
そのため、ひょっとしたら蛇神イグを産んだウボ=サスラヴァティ、もしくはその双子神であるアミトースの眷属ではないかと研究チームは推測した。
西方教会に正式に出勤を要請した結果、西方教会が千手ニャル神の化身である「吠えるもの」ではないか、という報告書を送付してきたのだ。
問題はこの蕃神のメッセンジャー、千の触手を持った円錐形のそれが、何があってこのようなことをしているか、だ。
報告書には、西方教会星の智慧派のナイ神父の署名付きで、ジャンブドヴィーパ王国現地調査員からの報告で「輝くトラペゾヘドロン」が贋作とすり替えられていて行方不明なこと。西方教会では「さまようもの」の召喚回路の停止で混乱していること。苛立つニャルラトホテプが「吠えるもの」を遣わしトラペゾヘドロンを捜索している可能性が詳細に書かれていた。
ちょうどエリアス・ヴァルトナーがヨス寺院で懐中時計を解放していた時間に、吠え声に我慢しながらウィルスを電子顕微鏡で監視していた研究員は目をこすった。ウィルスに微妙な変化が生じたからである。再び、魔導顕微鏡を見た彼は叫び声をあげて椅子ごとひっくり返った。ウィルスがいっせいに亀裂のような口から、血塗られた赤い触手のような長広舌を、上方に向けていっせいに伸ばしたからである。吠え声はそれから韻律を帯びた讃歌…声明に変わっていく…
―――
「さまようもの」の三眼から赤い光が放たれた。光は特殊な波長を帯びており、私の脳内で立体のヴィジョンが形成される。
言葉ではなかった、意味が直接、頭にポーンと入ってくる感覚だ。
「あなたは、無限者の使徒を解放した。無限者の脇侍である非限定者を認識したからには、無限者が因位の時代に誓った四十八願の、その履行対象となる。」
何を言われたのか、わかったが何故か動けない。さまようもの、は私を封印を解いたもの、と言っているのだ。
カスパーが影の次元にトラペゾヘドロンを隠形収納していたことが、ニャルラトホテプにとっては封印に他ならなかったのだ。そのまま聖なる言が紡がれる…
…非限定である聖なる無限者は全てにして一つのもの一つにして全てのもの全てであるが故に全てでないどれでもあるがどれでもない何処にもいるが何処にもいない何時でもいるが何時でもいない故に全ての存在にとって無であり混沌である…
このような情報が圧縮され脳に焼きつけられ、泡を吹きそうになった。蕃神のメッセージは止まらない。
…この聖なる無限を否定して仮の有が生じこの無限性の欠如が有である有限の者にとって無限者は永遠の彼岸にあり…




