ルーシュ
住民の動きは奇妙なものであった。一日に六回、鐘のような音が鳴り、それにより時を知ることができた。
まるで、伝承にあるイグの鐘のような…
懐中時計を隠し持っているとはいえ、時計を見ることもできない状況だ。この鐘を頼りにするしかない。
我々の魔力は神々にとっての食物であり、それをルーシュと呼ぶが。
奇妙なルーシュのフィールドのようなものがあり、仕事以外の時は巨大な伽藍のまわりを一定の規則に沿って歩いている。
何箇所か空地のようなものがあり、そこまで進むと鐘が鳴るまで、ただ佇んでいる。フィールドのルーシュの流れは佇んでいるものから、巨大伽藍の内部に流れ込んでいた。
そして、鐘が鳴るとコースに沿って、再び歩き始める、回遊する魚類のように。それを「おかしい」とも思っていないようだ。
変質した拉致被害者たちは、だんだんと自動人形のようになっていくようだ。
妙な地下世界に取り込まれ、操られたかのように巨大な伽藍のまわりを回っている。
支配血清でも一服盛られたかのように…
私は、朦朧とした頭で気づいた。
ルーシュ液。
ヨス別院のある地下都市では、やたら喉が乾いていたが水は飲めない。
水の代わりに、血のように赤い栄養液のようなものを支給された。
栄養液には、強いルーシュが込められていた。液の一滴でも頂ければ、数日間は動けたほどに。
毎日、血のようなルーシュ液を一杯頂く。
おそらく支配血清が混入しているのだろう。だが、栄養を賄うにはこれしかない。給料や支給と言えるものはこれだけであったから。
この液体の流れる水路のようなものがあり、都市の中には赤い貯水池すらある。
自分が血の一滴になり、広大で無辺な血の池に落ちていくような感覚に襲われた。
顔の無い住民にはまるで聞こえてないようだったが。
常に奇妙な叫び声のような高音が空間に満ちていた。
叫喚である。
この地下世界の基本構成要素がその叫びから成り立っているような。
叫喚は、群衆の叫びのようでもあり、歓声のようでもあった。
苦痛や性の極まりにおける叫びのようでもあり歌や声明のように曲調があるようにも聞こえた。
それは、まるで、繰り返し「おまえはわたしのもの」 と言っているようであった。
可聴音域にまで魔法を用いて変化させたその歌 は単調なフルートやひちりきを思わせた。歌は抑揚を伴い、かすかにすすり泣くような韻律を含みつつ、空間に拡がっていく。
空間の歪みとともに、シュルシュルという蛇を思い起こさせるような音は、聞くものをヌメっとした感覚を喚起させるものだった。それは、聞くものに、はてしない罪悪感と呪詛、陰鬱な気分、許しをこうような情感と、同時に、暗い穴に引きずりこまれるような感覚を与えた。
歌は罪と罰という概念を歌っていた。遥かな太古に罪を犯したものが暗い穴の中で罰を受けている・・魔力に感応する性質を持つ人間ならば、間違いなくそのような概念を、自らの感覚として体験するだろう。
イグ神がある領域にそれを封印したのだった。封印の権限を持つ蛇の神は、その存在達に永遠の罰を与えるために、その底無しの淵に押し込んだのだった。
我々は、もはや人の形態をしてはいるものの、人ではない、何かだった。
私は、方向感覚の異常に気づいていた。イグのような鐘で六時を数え一週間、魔法で歌可聴音域にまで引き下げたものを聴き続けたのだった。 歌を聞いていると、方向感覚がわからなくなる。
出口へ向かって歩いたところ、正反対の壁にぶつかったことを数回繰り返して、そこを出ることをあきらめた。空間構成じたいがおかしくなり、狂った角度になっているようだ。
歌に混じるシュルシュルとした蛇のような音を聞いているうちに、もはや、私は自らが誰なのかを忘れていた。どれだけの時が経ったのかもわからない。
道は、内部が非常に複雑で、迷い、もつれにもつれて伽藍のある広場への出口に出られなくなった。
迷いに迷ううちに一日の終わりを示す鐘が鳴った。
私は焦り、正しき路を探した。
ふと床を見ると、あの巨大な鱗が落ちていた。壁にもこびり付いたものがあった。
まさか…
しばらくすると、遠くの廊下から何か這いずるような音が聞こえた。
巨大な何かが。
巨竜種の通り道だとわかってしまった。
音は、ズルズルと遠ざかっていった。
私は、胸を撫で下ろした。




