忌明け法要
祭壇には少し光背のずれた、木のアミトース神像が安置されていた。その前に遺骨を納めた壺。
半眼の神像が、なんともいえない表情でこちらを見ている。
施主の管につながれた男が言うには、亡くなった妻はアミトースと契約していないらしい。修行した魔法僧でもないのだから、当然だ。西方教会では契約は已にされ、救われていますという大衆向きの教えだ。
が、契約は当然なされていないので、魂は迷うこととなる。
そういった魂は忌明けの儀式をする。遺骨から魂を抜いて、始祖シャークヤのいる地底浄土に送らなくてはいけない。イグの浄土は地底にあるのだ。クン=ヤンには、イグ神の姿に戻られたシャークヤが眠り世界を夢見ている。超巨竜のベッドの上で。九頭竜はイグと戦ったが、その神性に畏怖して、神に帰依したのだと伝えられている。象徴的なことかもしれないが、そのまま信じている者も多い。信者とはそういうものだ。
撥遣に近いことをやるが、より丁寧にやるのである。撥遣は魂抜きのことであり、開眼は魂入れのことである。
「それでは、これより忌明けの法要を勤めさせて頂きます」
と施主に挨拶をする。
忌明けは前星系の古き伝承では、四十九日だが、この世界のこの時代でも四十九日となっている。
まず、アミトースと遺骨に礼拝する。
私自身もアミトースとの契約はしていない。シャークヤの使徒だからだ。この南方大陸にあっては、それでよいのだ。魔導聖人ニルヴァンなどは、シャークヤの教えがあるのに、アミトースと契約するのは父がいるのに、叔父を頼るようなもの、と言って徹底批判している。我らが父はイグなのである。
しかし、施主がアミトースを崇拝している場合、それに合わせる。こちらも宗教という商売上、ある程度、フレキシブルでないと勧進ができない。勧進とは僧侶が神の教えを説いて、寄付、浄財を募る宗教的経済活動のことだ。
つまり、施主のご宗旨に合わせる必要がある。
しかし、私ではアミトースの歓喜浄土には送れないので、こっそりイグの法を修するのだ。
「汝ら、恐れを抱きて伏して拝すべし。
十方の虚空を充たす法、果てしなき時の輪において、悟りの宝は消えず」
と詠唱しながら、
八つの印を結び結界を張った。正確には結界術の応用で、四方の壁と、床下と天井裏を二次元化した亜空間の幕を張ったのだ。空間全体を亜空間にしたならば、内部にいたものが修行を積んだ蛇人僧でない場合、発狂する。上の階の床や隣の部屋の壁に二次元化が及んだ場合、触ったものに次元崩落の危険があり、また、結界自体にも三次元化の懸念がある。
そこで、天井裏や床下に亜空間の幕を張るという器用なことをしているわけだ。これで他の霊体はこの領域に入れない。
そして、懺悔文を詠唱する。
「遠き星の闇より積まれし汝が作りし災いの業。
終わりなき太古からの、貪り、怒り、そして愚かさ。肉体と、言葉と、昏き意志の深淵より生まれしそれら、我今、懺悔せんとす。」
続いて香偈を詠唱して焼香する。
「我が器は白き器のごとく清められ、
胸の奥底には、知恵の炎が密かに燃え上がる。
絶え間なき瞬間のなかで刻まれる誓いの薫煙は、
十方法界と三世を統べし者へ捧げられんことを」
その後、携帯用の香炉にお焼香をして、魔導書を香に薫じる。
そして、讃歌を詠唱する。
――
つつしみ敬って
バイジャジャ・ヨグ=ル神に申して申さく
百の暦が巡るとき、
儚き蓮の影は消え、
暁の露は晨光に散らん。
諸神の座の前にて、人は宿世を知る。
仮そめの宿りに繋がれし魂は、
定められし別離の風に吹かれ、
ただ無常のによって削り取られん。
滅びの刻を逃れうる者は、一人としてなし…
ここに信心の施主の精霊の追福の梵筵をのべ、バイジャジャ・ヨグ=ル神の威光を仰ぐものなり。
そもそも、バイジャジャ・ヨグ=ル神とは――。
この神は医王とも呼ばれ、あらゆる薬やヒーリング、医療行為を司る。驚くべきことに、千手ニャル神よりも先に、アミトースが創造神した神性と言われる。
第一使徒であるタウィル・アト=ウムルは不老不死をその弟子に与えるという。その弟子が東方教会の法主であるチャンドラプトゥラ師だ。彼は不死者だと言われている。
ゾゥタクトウァ主席崇拝は宗教ではなく現実的な政党なので、宗教から除外するとして。東方大陸はバイシャジャ=ヨグ=ル神の宗派教会が主力を占める。
あらゆる薬の輸出入、医療ツアーなどがその財源である。不老長寿の秘薬すら研究されているという。そのため、東方プールヴァ大陸は潤い、巨大資本や富裕層が存在する。トゥコ・リューもその1人で、前職は薬屋であったし、死体保存の秘薬も東方教会で開発されたものだろう。
もっとも、ゾゥタクトウァが神々に星間テレパシーでとりなしてくださらなかったら、その恩寵も本来なかったものだ、と東方連邦共産党は主張しているが。
忌明け法要の御本尊がこの神なのは、東に象徴される此岸、つまりこの世を、バイシャジャ・ヨグ=ル神の住まう東方浄土になぞらえるのだ。かの神は東方浄土において虹色の泡に住むと云う。虹色の泡そのものが御神体だと主張する学派もある。
東の此岸からバイジャジャ・ヨグ=ルが門を開き、西の彼岸からアミトースが召喚、つまりは我々を招いているのである。
そこで、忌明けではバイシャジャ・ヨグ=ルの呪文や讃歌を詠唱する。
この神の主たる特徴、東方浄土の虹色の泡の宮に住むこと、あらゆる薬の納められた壺を開いて衆病速疾を除くこと、また夜叉、鬼の王であり眷属の夜叉の軍団が付き従っていることをつらつらと述べて詠唱が終わると、私はジャリジャリと算盤数珠をジャッと擦った。
その時、施主にお盆に敷いた携帯用の香炉を回した。
「では、施主様より順にお焼香ください」
そう言うと、私は遺骨の壺に向き合った。
壺から遺骨を取り出す。
知覚の対象である遺骨は、人でなくモノに見える。
古代神聖語で呪文をゆっくりと表白を詠唱する。
壺より出でし白き骨、
滑らか・鹹き・無関心の性。
名の核は束ねて一と為すも、
多と一は相克し、ここに争う。
名は識に還りて像を結び、
性は鋳型に凝りて虚を抱く。
凝りし鋳型、やがて空しく崩るれば、
諸性は散り 何処へか去る
反転せし鏡像
生と死と、等しき地に結集すれど、
そこは故人の影、実なき檻。
衣剥がれて残るは顔無き貌、
等しきもの、大いなる矛盾に呻く。
かくて知覚の対象は没落し、その根に至らん。
否定は無限に虚空を生みて巡る。
その虚空に体はかりそめに創られど
この崩壊こそ、根源の力とならん。
一にして全、全にして一なるものよ
この魂に安らぎを与えたまえ
私は、修道院から借りた銀の鍵を取り出した。
目の前に人の頭ほどの蜃気楼の渦巻きがが表れた。渦巻きからは瑠璃色の稲妻が迸り、真ん中から虹色の泡のようなものが泡だっているのを確認すると、銀の鍵で円を描き、真ん中に鍵を差し込み、門を開くような動作をする。
葬送儀礼の所作である。
そしてバイジャジャ・ヨグ=ル神の呪文を、唱えた。蛇人しか発声できぬ発音で。
イア イア ングアアンンガイガイ
イア イア ンガイ ンヤア ンヤア
イグ フタグン
イア イア イハア イニヤアイニヤア
ンガア ンンガイ ワフル フタグン
ヨグ ソトオス! ヨグ・ソトオス!イア!イア!ヨグ・ソトオス! イグ!ヨス ンゴス!
そして、そして黙念した後に、微声で行き先を告げると、白い遺骨から光球が飛び出し、渦に吸い込まれていった。
バイジャジャ・ヨグ=ルの窮極の門は何処にでもつながっているのだから、法儀に間違いはない。問題は送り先だ。この魂はアミトースの歓喜浄土ではなく、イグの眠るクン=ヤンに送られることとなる。ゾゥタクトウァの法統はアミトースの曾孫ななので、アミトース儀式ではよく神名を唱えられる。
しかし、そちらに行ってもらっても困るので、こっそりと微声でゾゥタクトウァの息子であるオサダゴワァや、ショゴスの部分を消し、イグに変えて呪文を唱えたのだ。しかし、檀家はそれを知らない。
だいたい詠唱が終わる頃にはお焼香が終わっているので、回向文を唱える。
歓喜の天の慈悲より溢れ出でし大いなる功徳は
あまねく世界の生きとし生けるものへ注がれん。
我らと万物、断ち切られぬ絆によりて結ばれ、
やがて共に悟りの高み、至高の道を歩まん。
僅かな間があり、後ろで溜息が聞こえる。
ようやく、正座が崩せる、という安堵の溜息である。
しかし、安心するのはまだ早い。
これから法話がある。
私は、魔導書をそっと閉じた。
「皆さま、お手合わせ合掌願います。故人様に感謝の気持ちをこめて、そしてアミトース様に故人様をよろしくお願いします、という願いをこめて、ご唱和ください」
そして、アミトースの名を十念する。
「ナムアミトース、ナムアミトー、ナムアミトー、アミトー、ナムアミトース、ナムアミトー、ナムアミトー、ナムアミトー、ナムアミトース、ナムアミトー」
九回目にスをつけて、やや語尾をホップする感じである。
これを檀家さんは知らないので、皆十回とも「なむあみとぉす」と唱えているので、拍子がズレた。
念呪が終わり、沈黙が場を支配した。
しばらく私は固まり、祭壇の本尊を仰ぎ見る。
本尊はアミトースである。
単立の修道院は宗派を問わず受け入れるため、様々な宗派の法事を勤める。
西方教会の宗徒はやたら多い。
しかし、しきたりに相違はかなりある。例えば、西方教会では戒を授けないために、教団の魔法名ではなく、アミトースから授かったアヴァロニャルに続く弟子としての名という解釈なのである。
シャークヤ修道院は東方教会に連なるの単立教会なので、そもそも契約してないアミトースやの呪文は唱えないが、そこを、バイジャジャ・ヨグ=ルの儀式と、アミトース神名の十念を強調することでクリアしていた。バイジャジャ・ヨグ=ルもアミトースの子であり、トゥコ・リューは東方教会の正式な導師の資格があるからだ。その弟子のクラウスや孫弟子の私もその法脈に連なる。
西方教会からすれば、言い訳にすぎないが。
こうまでしているのも、西方教会の宗徒が無視できないほど多数だからだ。
現代では自分の家の宗派がどんなお経をあげるのかもわからず、葬儀社の紹介の修道僧で納得してしまう。
無論、葬儀社からはそれとなくお客さんに了解をとるのである。
「西方教会の修道僧ではないけれどよろしいですか? お布施のほうはずいぶんお安くなります……」
だいたいの客はこれで納得してしまう。
全知のアミトースは呆れているかもしれなかった…。
ちら、とカスパーにもらった懐中時計で時間を測る。
私は意を決して沈黙を破り、信徒のほうに向き直ると、
「では、これから少しお話しをさせてもらいます」
と断ってから法話を始めた。
「法事では嫌でも死ぬということに向き合います。
先ほど、神名を十念させて頂きましたが
目を閉じて観想しなくともよく、名号に集中する。
しかし、十念をしてみると、ナムアミトース、の前後には沈黙があります。
念呪の背後にある静寂がなければ、言葉は発せられません。
ナムアミトース、と一声。
量ることのできない、外宇宙の闇の静寂の中に、神名の句点を打つわけです。この聖なる御名により、無の闇よりすべての無限の中核で沸きかえる、混沌の無定形の揺らぎ…すなわち時を超越した想像もおよばぬ、聖なる庵で、諸天の叩く鼓と、天人の笛の音色の中…アミトースは顕現したもう。
しかし、この背後の無の闇の静寂こそが顕現しないアミトースであり、声に出した神名、が顕現したアミトース。
つまり寿命のある全ての生命です。
そして、この声に出したアミトースは、仮に形なされたものです。
アミトースとは本来、何であるか、ということに留意することが重要になります。
アミトースの語源は、古代神聖語のアン・メーター。
つまり、量ることができないもの、という意味です。
古代神聖語でメーターは、量ることです。
そう、量ることができない。
色形もなく、言葉も絶えた後。
私たち寿命を持つものを音としたら、静寂がアミトースです。
私たちはそこに帰っていくのです……」
やはり、難しい話しだったのか、信者さんの何人かは座りながら、寝ていた。
ただ、魔導式生命維持装置につながれた老人だけが、こちらを見ていた。
表情筋は動かずに無表情だったが、黒い目が輝き、こちらに焦点を合わせている。
私は、合掌して法事の終了を告げた。
帰り道、生命維持器につながれた老人の姿が、脳裏から離れなかった。
終活という言葉もあり、また苦しみながら孤独に死を迎える老人も多い。
終末期の療養や死者を見送るための施設が注目されている。
宗教、葬儀業界、死者の処置を担う者たちも、それに合わせて変化してきている。
必要なのは死に場所かもしれない。
じっとりとした不快な病室で、あるいは住居の一室で孤独に死を待つのはつらい。
過去の感覚がまだ鮮明だったころの追憶にふける老人たちを思う。
死に場所、死すべき時期を逸した彼らに、救いはあるのだろうか?
生存を苦しみとすれば、己が無となり、二度と再生しないことは幸福である。
その理解に到達するものは少なく、歓喜浄土や、また人に生まれ変わることを孤独な病室で願うのだろう。
浄土で自分が生きている、これは精神的な延命だ。
或いは、血のつながった子供や孫の繁栄を願う。
これは肉体的な延命に過ぎないのではなかろうか…
革命大師シーランの言葉を思い出した。
己が生存を投げ捨てて、死の恐怖を超克する者は必ずや浄土に到達する。
末期の寝床で五欲の楽の追憶に耽っていては往生もおぼつかないだろう。




