紅蓮華
朝勤行、夕勤行、法儀で使う呪文の練習、作務、清掃や土木、フェアリー多種族霊園の火葬業務をしているうちに、得度から二か月があっという間に過ぎ去った。
そして、サクラが咲き始めた。東方由来のこの植物は美しい反面、厄介だ。
毎日、サクラの花びらを掃き続ける清掃業務以外には、とくに霊園業務のウェイトが大きかった。
毎日火葬しているうちに、私は深きものどもや、アトラクナチャータの娘、蛇の同胞らの頭蓋骨をいかに崩さずに焼けるかに集中するようになった。
頭蓋骨をそのまま残すと、お骨上げのときに遺族が尊ぶ。どの根源人種も同じだ。無形の落とし子とショゴスには骨はないが。
人間、どんな職業でもやっていると、次第に工夫するようになる。
退屈な業務を、いかに退屈せずにするか。
それも一つの技術だった。
この仕事を熱心にしていたためか、私は代表から火葬部に抜擢されてしまった。
修道院には三つの部署がある。
法儀部。
布教部。
庶務部。
そのうち庶務部が廃止され、フェアリー多種族霊園の火葬業務と庶務を兼務することになった。
庶務部はもともと、修道院の香や香炭、樒などの発注と在庫管理をしていた。
そこに骨壺や棺の発注と在庫管理が加わる。
さらには火葬業務。
霊園内の清掃。
草引き。
花への水やり。
新しい花を植える。
園芸のような仕事まで増えた。
必然的に代表との接触率が高まる。
そのため、僧侶たちは皆、この部署を嫌がっていた。
火葬部は、私とミト、それからイッシュが配属となった。
私も火葬業務なんてやりたくない。
収骨の際の地獄の暑さ。
深きものどもの亡骸に蛆が湧き、凄まじい臭いになっていることもある。
極めつけが金属毒である。
焼けた骨が緑色になっていることが、ときどきある。
これは火葬炉内部の金属に含まれる成分が高温によって溶け出し、骨に付着したものだ。
金属毒は猛毒である。
「この緑色のやつ、何ですかね? うちの婆ちゃんが死んだときもあって、火葬場の職員から、徳の高い死者は魔法が作用して、お骨が青緑色になるって聞いたんですが……」
そうクラウスに聞くと、彼は驚いた顔をした。
「そんなの嘘だよ。炉の金属が溶けて、金属毒が付着してるんだよ。水溶性だからね。洗骨…骨を洗えば取れる。猛毒だから、ちゃんと防護服と手袋をして」
そんな事実を知っているからなのか、たまに火葬炉を見にくるジルケ・リューは、経営者のくせに、魚人の腐った匂いに顔をしかめ
「私、ペットを飼ってるから、ノミとか細菌とかいそうなここには入りたくないのよ」
などと、どこか王妃のような台詞を言っては、五分ほどで霊園の受付室へ帰ってしまっていた。
春になり、火葬の際に行われる見送りの儀も、その内容が刷新された。
これまでは、担当する修道僧がそれぞれ良かれと思って行っていた案内や所作が、すべて統一された。
使う言葉。
立ち位置。
礼の仕方。
亡骸を載せた台車を押す経路。
どこで止まり、どの方向へ向きを変えるか。
その一つ一つまで、細かく決められていた。
統一のため、ジルケ・リューは頻繁に火葬部を集めて会議を開いた。
事務を担当するヤーカと、ミト、イッシュ、そして私。
集められた私たちは、何度も見送りの儀の稽古をさせられた。
ジルケは、何もかもを自分の思い通りにしなければ気が済まないらしい。
まるで、世界そのものを自分の定めた魔法に従わせようとしているようだった。
春になったので、多種族霊園の花壇も総入れ替えすることになった。
私は朝からミトに、
「今日は朝礼に出なくていい。花を植えてくれ」
と命じられ、イッシュと二人で庭仕事をしていた。
早朝、リュー家が運営する花店、ダイヤフラワーから、数十鉢もの花が届けられた。
ジルケがヤーカに指示を出し、火葬部の修道僧や、手の空いている修道僧たちが総出で作業を手伝う。
私は鉢を抱え、花壇へ運んでいた。
そのときだった。
視界を鮮やかな青が横切った。
思わず顔を上げる。
一匹の蝶が、花に止まっていた。
翅の表面は、薄い金属のような青に輝いている。
眩いほどの青。
まるで、晴れ渡った空そのものが翅になったかのようだった。
しかも、胴体に近づくにつれて、その青はエメラルドのような緑へと変化している。
その色を見て、私は火葬炉の中で骨に付着していた金属毒のことを思い出した。
あの毒々しい青緑とは、まるで違う。
こちらは、生きている。
そして、この蝶の色は、色素によって生み出されたものではない。
魔法生物学的には、翅に刻まれた微細な格子状の構造が、特定の波長の光だけを反射することで、青く見えているのだ。
構造色。
この蝶は青い色を持っているのではない。
光を青く返しているだけなのだ。
私はしばらく、その蝶を見つめていた。
鮮やかな翅を持つのは雄だけだ。
雌は光沢こそあるものの、もっと地味な色をしている。
どうして雄だけが、こんなにも目を奪われるような美しさを持っているのだろう。
雌が子を産むために使う時間とエネルギーを、雄は持て余していたのかもしれない。
あり余る力と時間。
それをすべて、あの金属のような青を生み出すことに費やした。
何世代も。
何万世代も。
翅の微細な構造を少しずつ変化させながら。
何のために。
私は蝶を見つめながら考えた。
――消滅を避けるためだ。
この小さな生き物もまた、消えることを恐れている。
始祖シャークヤなら、こう説くのかもしれない。
「消滅への恐怖、すなわち無明を因として、その反動として生存への意志が生じる。生存への意志は、己の情報である識を残そうとする。識とは、生命の設計図である。その設計図に従い、生物固有の精神と肉体が生じる。
精神には思考する器官が備わり、肉体には眼、耳、鼻、舌、身の感覚器官が備わる。
それらが世界と接触することで、感受作用が生じる。
感受作用から苦と楽の振幅が生まれる。
快楽を求め、苦痛を避ける。
その傾向そのものが、すでに生物の内側へ組み込まれている。
識という設計図は、生物を細胞の奥底から制御している。
生物は快楽を感じる方向へ進み、快楽を与える対象との接触と行為を繰り返す。
その繰り返しが性行為への執着となる。
そして、その執着によって新たな存在が生まれる。
有があり、生があり、老いがあり、死がある。
老いと死を知った生物は、再び消滅への恐怖を抱く。
その恐怖から、生存への意志が生じる。
そしてまた、同じ輪を巡る。
生きるために生き、消滅を恐れる。
それこそが、輪廻という永久機関なのだ」
そんなことを考えているうちに、蝶はふわりと翅を広げた。
青い光の軌跡を残しながら、春の空へ飛んでいく。
そのとき、大きな魔導車のエンジン音が聞こえてきた。
見ると、ジルケが黒塗りの大型魔導車から降りてきたところだった。
午前中では花植えは終わらなかった。
昼食を挟み、ようやく作業が終わったのは午後三時頃だった。
ジルケの指示を受けて働いていた修道僧たちやヤーカは、すっかり疲れ切っている。
しかし、ジルケ本人は上機嫌だった。
珍しく、現場の者たちに飲み物まで振る舞った。
私はまだ、紅い魔蓮華の苗を植えていた。
この紅蓮華は乾いた土地でも生えるように、魔法科学で改良されている。
それを見つけたジルケが、ケラケラと笑った。
「エリアスさんには、紅い花が似合うわね」
ヤーカがきょとんとする。
ミトとイッシュは顔を見合わせた。
私は、その言葉を聞いて、ふと昔、酒場で聞いた歌を思い出した。
敵対する者へ向けて刃を放ち、その血で赤い花を咲かせる――そんな内容の歌だった。
もちろん、こんな穏やかな花壇には似つかわしくない。
ジルケ自身も花植えを手伝っていた。
暑くなったのか、上着を脱ぎ、薄い衣だけになっている。
私は思わず視線を逸らしかけた。
だが、その瞬間。
目に入ったものから、視線を外せなくなった。
豊かな乳房。その谷間。
生命の設計図に刻まれた生存の命令。
それに従うように、欲望は春の虫のように蠢いていた。
私は慌てて視線を花壇へ戻した。
修行僧になったばかりだというのに、身体の奥底から湧き上がる衝動だけは、戒律を授かる前と何も変わっていない。
そのとき、ジルケが何かを思い出したように言った。
「そうそう。倉庫にある段ボール、あとで火葬場で焼いておいてね」
「……はい」
私が答えると、ジルケは満足そうに頷いた。
そして黒い魔導車に乗り込み、そのまま霊園を走り去っていった。
私は紅い蓮華を植え続けた。
春の陽射しの下で。
土の匂いを嗅ぎながら。
遠ざかっていく魔導車の音を聞きながら。




