火葬
シャークヤ本院での研修が終わり、再びフュルステンブルク別院での日々が始まった。
ナコト写本の書写も、いつの間にか百巻近くになっていた。
私はフェアリー多種族霊園の火葬業務を担当していた。
あの深きものは、太っていた。
名前は……なんだったか。
火葬係のヤーカが、
「あとで複写機のインクを交換するので、内線しますね」
と言っていた。
「深きもの」の亡骸には、遺族が持ち込んだクリシュトルフ神の神像の前に、酒のツマミの魚介類、それからルルイエ銘酒「深淵の雫」が添えられていた。
あちらでは、酒を飲んでいてほしい。
そんなことを思った。
だが、目の前の亡骸の顔からは、別の印象が漂っていた。
何かを恐れている……ひょっとしたら、永遠を。
――そんな感覚だった。
私は頭を軽く振った。
そんなものはただの印象だ。
私はフイゴの呼吸法を行い、尾骶骨の魔力の発生源、クンダバッファーから周天法の容量で魔力を汲み、臍のあたりにある火のチャクラに力を集中させた。
「 イア!イア! クトゥグアグニ フングルイ フングルイ ムグルウナフ クトゥグア フォマルハウト ンガー グア ナフルタグン イア! クトゥグアグニ!」
焦げ臭い幻臭が神経系を伝い、私の鼻腔に再生される。火輪は振動しそのまま回転し始める。
そして火葬術式の紋様基板の刻まれたタンクに、手をかざし、火輪と呪文の振動でで精製した火のルーシュを充填する。
社会において修道僧が重宝されるのは、神々の単なるエネルギー源としてである。我々は畑のキャベツにすぎない。それを是とする、それ故に我々は神々に奉仕するものなのだ。
魔力タンクにルーシュを満タンまで充填し終わり、私は疲労感に包まれた。
ヴォーン……。
低い唸り声が炉の内部から響く。
まるで無数の死霊が一斉に泣き叫んでいるようだった。
肥満した「深きもの」の亡骸は、ゆっくりと鉄の扉の向こうへ飲み込まれていった。
私はすぐに魔導炉のガス計器を確認し、記録紙に日付を記入する。
誘引送風機。
再燃炉。
二つの術式を順番に起動させる。
炉内温度が五百度に達するのを待つ。
やがて計器の針が所定の位置へ来た。
私は助燃炉の起動盤に手を伸ばした。
ボタンを押す。
――ゴォッ!
三十秒もしないうちに、炉内が紅蓮の炎に包まれた。
私は二つある観察窓から内部を覗き込み、燃焼調整器のつまみを少しずつ絞っていく。
目盛りは〇・五前後。
それが、この炉で最も安定する位置だった。
炎の熱風を浴びた髪の毛が、最初に焦げていく。
続いて鱗の目立つ表皮が露出する。
その肉は、焼き魚のような質感になっていった。
そのとき――
「深きもの」の前脚が動いた。
私は一瞬だけ息を止めた。
もちろん、生きているわけではない。
熱によって筋肉が収縮しているだけだ。
火葬では珍しいことではない。
中には、まるで起き上がったように身体を持ち上げ、こちらを見ているように見えるものさえいる。
死んでいる。
ただの筋肉収縮だ。
頭では分かっている。
それでも、観測窓越しにこちらへ向けられる魚眼には、恨めしげな表情が浮かんでいるように見える。
五分ほど経つと表皮が裂け、身体の内部から液体が流れ始める。
太った死体の場合、その大部分は脂肪分を含んだ液体だった。
炎がそれに引火する。
そのまま燃焼させると黒煙が出る。
匂いがひどい、まるで焼き魚を焦がした時のようだ。
王国の環境規則では、これは好ましくないとされている。
私はバーナーの角度を上へ向け、自然燃焼に任せる。
あとは待つしかない。
三十分ほど。
火葬係は、その間ずっと炉を見つめているわけではない。
魔導通信の画面を眺めたり、持ってきた本を読んだりする。
時々、思い出したように炉を覗く。
炎の届いていない部分があれば、火掻き棒を差し込み、燃焼の流れに当たる位置へ移動させる。
そのとき、炉の中にあるものは、完全に《物》として感じられる。
生前、長い時間をともに過ごした家族にとっては、最後まで《家族》なのだろう。
だが、火葬の仕事をする者にとっては違う。
意識を持っているようには感じられない。
臭気を帯びた大きな肉。
その程度の感覚にまで薄れている。
火葬人が考えることは一つだけだ。
どうすれば、白く美しい骨を、できるだけ崩さずに焼けるか。
「深きもの」の遺骨が綺麗に残ると感動的ですらある。
炉壁に磁石で取り付けられた砂時計型が、三十分を示した。
私は円形の観察窓から炉内を覗く。
そこには、きれいな骨格標本のようになった「深きもの」が残っていた。
私は緑色の停止術式を押した。
緑のランプが、まるで起きたばかりの人間が不機嫌そうに瞬きをするように点滅する。
やがて炎が消えた。
炉内が暗くなる。
円窓から覗くと、骨だけが赤く熱を帯びて光っている。
あとは残留熱に任せればいい。細かな残滓が燃え尽き、最後には骨だけが残る。
不謹慎だが、焼き魚のようだ、と思った。




