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黒い煙の礼拝

 八時になると、朝礼が始まった。


 ミトがカイシャクを手に取り、


 カチ、カチ。


 と音頭を取る。


 ミトはフュルステンブルク寺院の主幹であり、朝礼では淡々と連絡事項を読み上げていった。


 墓地の売約状況。


 どの僧侶が葬儀へ直行したか。


 法事の予定。


 見学者の有無。


 多種族霊園の火葬予約。


 送迎魔導車の予約。


 次々と情報が読み上げられていく。


 その後、ナコト写本をハイパーボリア段を唱える。


シャークヤ修道院本院でもそうだったが、僧侶はもちろん、事務員までハイパーボリア段を暗唱している。


 後には回向が続き、朝礼は終わった。


 朝礼後、ミトは私にざっと一日の予定を説明した。


 朝礼後、朝勤行に参加する。


 その後、礼拝行。


 礼拝行が終われば昼食。


 昼食後は作務を手伝う。


 作務の後に、さらに礼拝行を二座。


 その後は夕勤行に参加し、戸締まりを手伝う。


「礼拝行は、二ヶ月目から一日二座。三ヶ月目から一日一座になる」


 ミトは淡々と説明した。


「その代わり、ナコト写本の暗記や神聖文字の練習をしてもらう」


 本院には塔婆を印刷する魔導器があった。


塔婆は特殊な形の板であり、板上に魔法名と神聖文字を書き供養するものだ。


 しかし、フュルステンブルク別院では、塔婆は印刷ではなく、僧侶が自ら筆を取って書くという方針だった。


「ナコト写本の書写は、三ヶ月が終わって得度するまでに百枚」


「百枚ですか」


「百枚書き終わらない限り、得度は受けられない」


 そう言われた。


 先は長そうだった。






 朝勤行に参加する。


 私は半畳の目の向きに気をつけ、正座した。


 半袈裟をかけ、見よう見真似で数珠を擦る。


 内向きに擦ると自利。


 外向きに擦ると利他。


 そういう意味があるらしい。


 八時二十分。


 チーン、と鐘が鳴った。


 引金から導師が入堂してくる。


 導師を含め、僧侶は四人。


 経壇は帰依、開経偈、蕃ニャル神経、骸骨礼文、神名、回向。


 本院ではシャークヤ偈だったが、フュルステンブルク別院では蕃ニャル神経を読む。


 朝勤行が終わると、礼拝行の準備をザウヤが手伝ってくれた。


 経机に金色のアトラクナチャータ神像を置く。


 灯明。


 香炉。


 華瓶。


 すべてを整えると、


「それじゃあ、頑張ってね」


 とザウヤは軽く言い、階下へ降りていった。


 午前中の礼拝行をこなし、昼食の時間になった。


 私は階下へ降りる。


 寺務所の隣には、だだっ広い部屋がある。


 そこには駐車場へ抜ける勝手口があり、その隣には経理の部屋があった。


 勝手口近くの席で、先ほどの老僧と、もう一人、五十歳くらいの眼鏡をかけた僧侶が飯を食っていた。


 さらに、もう一人、年を取った僧がいる。


 三人は冗談を言い合っていた。


「どうですか、先生?」


「ボチボチですよ」


 修道僧同士、あるいは事務員から修道僧に話しかける時には、「先生」と呼ぶ。


 医者や教師と同じような呼び方だった。


 彼らは私に気づくと、声をかけてきた。


「飯、食った?」


 私は近くの商会の売店で買ったナンを取り出した。


 卵を使っていない精進食であることをさりげなくアピールする。


「前に、肉料理買ってきて怒られた奴いたな」


 眼鏡の修道僧が言った。


 彼はサーノ。


 老僧はカトリと名乗った。


「僕の前に新人の方がいたんですか?」


「いたよ」


 カトリが答えた。


「ヨシっていう、ちょっと頭のおかしいのがいた」


 聞けば、ヨシはシャークヤ修道院とは違う宗派。


 さらに言えば正規ですらない邪法をやっていて、たびたびトラブルを起こしていたという。


「今、その方はどちらにいるんですか?」


「ケーニヒスフェルトにいるよ。フーテイが預かってる」


 座学でお世話になったフーテイは、ケーニヒスフェルト別院の修道長だった。


 あれだけの横幅と貫禄があるのは、修道長だからなのだな。


 私は妙に納得した。


 するとカトリがヨシの話を続けた。


「自分の脳には魔導機械が埋め込まれているって言ってたね」


「……」


「俺は怒ったよ。信者さんの前でそんなこと言われたら、たまんないからね、怒ってやったのさ」


 カトリは、なぜか自慢げだった。



 ヨシの話題に興じていると、アンザが話しかけてきた。


 アンザは修道院に勤める僧侶ではなく、自宅を寺院としている僧侶である。


 歳を取って常勤で出勤できなくなった僧侶は、そのような嘱託僧になる。


「今、何歳?」


「三十です」


「なに、三十? ちょうどいいね」


 アンザは笑った。


「坊主になるには、ちょうどいい歳だよ。俺は四十くらいで坊主になったからな。二十年くらいはバリバリやった」


 そこで、彼は少し遠くを見るような目をした。


「代表がいなかったら、まだ現役だったかな……」


 代表。


 その言葉を聞いた瞬間、サーノとカトリが顔を見合わせた。


 アンザは朱印を結び人差し指を立てた。


 そして、それを舌で舐め回すような仕草をした。


 女の性的な行為を模した下品な冗談だった。


 老僧の下ネタはかなりグロテスクだった。


 二人の僧は大爆笑していた。


 そこへミトが寺務所から入ってきた。


 三人は慌てて席を離れ、それぞれの持ち場へ散っていった。


 私はしばらくしてから気づいた。


 今の下ネタは、例の女代表をからかったものなのではないか。


 そう考えると、妙に納得がいった。






 事件は午後に起きた。


 昼食時の伸び伸びした雰囲気も手伝っていたのだろう。


 胃に食べ物が入った状態で礼拝行をするのが億劫だった私は、アトラクナチャータに三十回ほど礼拝したところで十秒ほど休み、本尊を眺めていた。


 すると、本尊の向かって右側に、黒い煙のようなものが伸びたり縮んだりしている。


 よく見る。


 煙でできた人だった。


 顔は確かに、人である。


 しかし、その身体は煙のように伸び縮みしている。


 その動きが、まるで礼拝をしているようにも見えた。


 私の真似をしているのか?


 思わず見入ってしまった。


 気づけば、十分ほど経っていた。


 煙霊体は、いつの間にか消えていた。


 仕方なく、礼拝を少し端折ることになった。


 午後も二百回の礼拝をこなした。


 しかし、気が気ではない。


 時折、内陣を見る。


 煙が、中尊の横で礼拝していないか。


 確認する。


 夕勤には出てこなかった。


 それでも、正直なところ、私はずっと落ち着かなかった。



 この時、私の知らないところで、別の事態が進行していたらしい。


 夕勤が終わり、初日勤務が終わる三十分前。


 私はミトの前で正座していた。


「もう、あなたは信じられないですね」


 ミトの声は低かった。


「いったいどうなったら、あんな礼拝行になるんです?」


 私は黙っていた。


「少し礼拝しては休み、ぼうっとして……いったい何を考えてるんですか?」


 ミトの声が次第に大きくなる。


「アトラクナチャータを礼拝してるんじゃないの?」


 さらに語気が強くなった。


「今まで、こんな前例はないよ!」


 そこには、今までの飄々としたミトの姿はなかった。


 豹変した。


 怒りそのもの、であった。


 私はフワルの言葉を思い出した。


 ――気をつけたほうがいい。


 私はひたすら謝った。


 煙人間のことを言っても信じてもらえないだろう。


 しばらく沈黙した後、ミトは冷めた目でこちらを見た。


「まあ、このまま勤務しても、あなたのような人は続かないと思います」


 そして、


「今晩、よく考えてください。明日また話を聞きますから」


 と言った。





 ミトから解放されると、ザウヤがニヤニヤしながら話しかけてきた。


「いや、災難だったね」


「……はい」


「君は知らないだろうけど、大本堂には監視用の魔導鏡があってね。僕らは見ることができるんだよ」


 フュルステンブルク寺院には、数十個もの監視魔導鏡が設置されていた。


 正規の僧侶なら、それを見ることができる。


 いや。


 フュルステンブルクだけではない。


 本院にも、ケーニヒスフェルトにも魔導鏡があり、護摩堂の中にも設置されていたという。


 私は、フーテイから以前言われた、


 ――センズリこいたらあかんで。


 という言葉の、本当の意味を知った。


 あっけにとられている私を見て、ザウヤは真顔になった。


「続けたいならさ、明日七時前に来て」


 そして、


「頭もそんな五分刈りじゃなくて、全部剃って」


「……」


「それで、ミト先生に謝んな」





 禿頭にする時には、T字剃刀を使う。


 最初、寺で借りた魔導式の刈髪器で数十分をかけて髪を刈っていた私は、T字剃刀で剃った時、作業時間がその半分以下になることに驚いた。


 さらに、そのT字剃刀の練達度によっては、およそ五分で、明珠のような禿頭が世界を照らし出すのだ。





 翌朝。


 私は言われた通り、七時前に出勤した。


 ザウヤは私に目配せすると、ミトのところへ行った。


「こいつから話があるようです」


 私は、剃ったばかりの青々とした頭を下げた。


 そしてミトに謝り、どうにか続けさせてほしいと頼んだ。


 ミトは、ちらっとこちらを見た。


 そして頷いただけだった。


 少なくとも、礼拝行を続けてもいい。


 そんな雰囲気にはなった。





 私は二日目から、寺内での行動はすべて監視されているという前提で行動するようになった。


 とはいっても、黙々と礼拝行をこなし、写経をこなし、勤行に参加するだけである。


 あの黒い煙が凝ったような存在は、心の奥底に仕舞い込んだ。


 蓋をして、忘れた。





 一週間が過ぎた頃。


 終業後、ザウヤが話しかけてきた。


「君、どうやって通ってるの?」


「魔導バスで通ってます」


 十日間の行が終わった後、一週間の待機期間があり、その間にフュルステンブルクへ引っ越したのだ。


 しかし、徒歩で別院までは四十分ほどかかる。


 そのため、魔導バスを使っていた。


 ザウヤは唐突に聞いた。


「魔導二輪、いる?」


「魔導二輪?」


「金貨3枚で買わない?」


 私は渡りに船とばかりに飛びついた。


 ザウヤの魔導車に乗り、彼の邸宅へ向かった。


 そこには大きなガラス門があり、警備兵まで立っていた。


 公営宿舎などではない。


 かなりの高級邸宅だった。


 私は目を見張った。


 魔導二輪は白い車体の小型二輪だった。


 術者の魔力を動力源とする、都市部でよく使われている簡易型の魔導二輪らしい。


 邸宅の駐輪場で魔導二輪を受け取り、そのまま薬師寺と二百メートルほど先にある魔導具店まで押して歩いた。


 ルーシュのタンクに不備があるらしい。


 書類上の手続きを済ませる。


 しかし、印章を持っていなかったので、後日、改めて手続きをして、正式に魔導二輪を受け取ることになった。


「家まで送っていくよ」


 ザウヤが言った。


「ここの修道院ってヤバいですね。監視魔導鏡とか」


 私は言った。


「あ、修道僧としては『ヤバい』なんて言葉を使っちゃいけないのか」


「ああ。気をつけたほうがいいよ」


 ザウヤは笑った。


「ミトもね。ヤバかったでしょ」


「……はい」


「許してくれたのはラッキーだったね」


「気をつけたほうがいい、とは他の先生からも言われていたんですけど」


「誰?」


 ザウヤが笑った。


「フワルちゃんでしょ。あの二人、仲が悪いからね」


 彼はニヤニヤしながら魔導二輪を押して歩いた。


「他にもヤバい先生はいるよ。塔婆で人のこと叩く先生とか」


「塔婆でですか?」


「あんな木の板で人を叩くんですか?」


 ザウヤは渋い顔をして頷いた。


「その先生はケーニヒスフェルトにいるけど。ケーニヒスフェルトへ行く時には気をつけたほうがいいよ」


「誰ですか?」


「ガオ先生。俺も散々やられたから」


「……」


「足引っ掛けられて、床にビターンとなったし」


「うわ、それは相当ですね……」


「ガオ先生は、やりすぎてケーニヒスフェルトに飛ばされたけど」


 彼はそこで一度言葉を切った。


「ミトのほうは、怒らせたらアウトだよ」


「そんなに?」


「代表に気に入られてるから。権力直通」


 私は、ミトの社交界のプレイボーイみたいな顔を思い出した。


 そして、彼が代表に気に入られているという事実に、ある種の疑念を抱いた。


「代表って、綺麗な女の人なんですよね」


「え?」


 ザウヤの表情が変わった。


「それ、誰から聞いたの?」


 私は素直に、尼さんから聞いたと答えた。


 するとザウヤは舌打ちした。


「全く、キッシュさんもおしゃべりだなぁ……」


 それ以上は何も言わなかった。




 その後の沈黙が気まずくなったので、私はザウヤの前職について聞いた。


「前は何をされてたんですか?」


「魔導技師」


「魔導技師?」


「ああ。魔導言語プログラミングをやってた」


「魔導言語プログラミング?」


「魔導具を動かすための術式を、魔導言語で組む仕事だよ」


 ザウヤは少し懐かしそうに話した。


「へえ……」


「組み込み系とかやってた」


「組み込み系?」


「魔導具そのものに術式を組み込むやつ。惜しいよな、アトラクナチャータ系とかの蜘蛛の巣型魔導言語に行ってれば、今ごろ人生変わってたよ」


 魔導言語。


 魔導具。


 術式。


 技術者というやつだ。


「君は?」


 今度は私の前職を聞かれた。


 清掃会社とだけ言えばよかった。


底辺にいたということがわかるだろう。ザウヤが沈黙しているうちに、家に着いた。





 次の日、退勤後に魔導二輪を取りに行った。


 魔導二輪に乗るのは初めてだったが、感覚をつかむのにそれほど時間はかからなかった。


 ただ、道が分からない。


 そのため、家に着くまで一時間半もかかった。


フュルステンブルクの外れの、家賃が月で金貨3枚の安宿舎に私は幽居を定めた。


 そして、得度を目指して、魔導二輪で別院まで通った。



 一週間目を過ぎた頃には、毎日雨だった空模様も晴れた。


 外での作務が多くなる。


 外壁沿い。


 合祀墓の裏の坂。


 落ち葉は際限なく積もり、僧たちの嘆息の元になった。


 秋晴れの空の下で落ち葉を掃くのは楽しかった。


 監視魔導鏡を気にしながら、鬱々と寺内で暮らすよりは遥かにマシだった。


 朝の掃除では、外壁、合祀墓周辺、そして多種族霊園に重点が置かれる。


 特に多種族霊園は――


 掃除地獄だった。

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