灰色の門
フュルステンブルク修道院への初出勤の日は、雨だった。
雨は、その日から降り続いた。
二週間ものあいだ、空は晴れなかった。
私は言われていたとおり、七時半にフュルステンブルク修道院へ着いた。
ところが――遅かったらしい。
修道僧たちから、少し咎めるような視線を向けられた。
何が起きているのか分からない。
すると、すでに出勤していた数人の修道僧たちが、まるで何かに追い立てられているかのように、一斉に建物の外へ飛び出していった。
その中には、七十歳くらいに見える修道僧もいた。
老人とは思えないほどの勢いだった。
何か重大な仕事を忘れていた人間のような、ものすごく焦った顔をしている。
老修道僧は中庭へ走っていくと、ウボ=サスラヴァティ噴水の魔導装置へ駆け寄った。
そして、ポンプの電源を入れた。
別の二人は正門へ向かって走っていく。
さらにもう一人は、枝垂れ樹の脇にある折り畳み式の鉄門へ向かった。
私は、その光景を呆然と眺めていた。
「何をしているんですか?」
近くにいた修道僧に尋ねる。
「朝の開門だよ」
「……これが?」
「毎朝こうだ」
老修道僧が噴水の魔導装置から戻ってきた。
私は彼に話しかけた。
「今の噴水の装置ですが……」
「ああ」
老僧は息を整えながら答えた。
「冬は気をつけたほうがいい」
「どうしてです?」
「凍ってるのに気づかず電源を入れるとな、ポンプが焼き付く」
「焼き付く?」
「壊れるんだよ」
老僧は真顔になった。
「それでな、もし壊したら、壊した本人が修理代を払うことになってる」
「……いくらくらいするんですか?」
「金貨三百枚くらいだ」
私は思わず噴水を振り返った。
金貨三百枚。三百万デナリ。
それだけの金額を、朝のちょっとした確認ミスで負担させられるのか。
修道院というのは、想像していたよりもずっと世知辛い場所らしい。
門を開け終えた修道僧たちは、そのまま二階にある修道僧控え室へ向かった。
私は後を追った。
その間、一階ではミトが事務室の床に掃除用の魔導具を走らせていた。
控え室には、モップが何本か立てかけてある。
修道僧たちはそれぞれ一本ずつ手に取ると、散っていった。
ある者は内陣へ向かう。
内陣に入ると、前卓に置かれていた六器と華瓶を一つずつ確認し、盆に載せてパントリーへ運んでいく。
朝の勤行の準備だ。
「晴れてる日はな」
先ほどの老修道僧が説明してくれた。
「内陣を掃除する奴だけが二階をやるんだ」
「二階全部ですか?」
「ああ。朝の勤行の準備もあるからな」
「他の人は?」
「外だ」
老修道僧は窓の外を指差した。
フュルステンブルク修道院の敷地は広い。
修道院というより、小さな町に近い。
庭園。
石造りの回廊。
葬送施設。
墓地。
そして、修道院関係者のための様々な建物。
晴れていれば、修道僧たちは分担して、それぞれ決められた場所を掃除するらしい。
正門前。
他の種族たちのための墓域。
祖霊共同墓地。
そして、巨大の壁に沿った通路。
毎朝、担当場所が決められている。
雨の日も基本的には同じだという。
ただ、今日は雨が強い。
そのため、いつも以上に慌ただしい。
私はモップを動かしながら、周囲を眺めた。
しばらくすると、修道院の職員たちが次々と出勤してきた。
事務員。
石工の職人。
葬送部門の職員。
それぞれが入口にある勤務記録の魔導具へ手をかざし、出勤時刻を記録していく。
私は、その光景を眺めながら思った。
ここは修道院なのだ。
しかし同時に、一つの会社でもある。
祈りだけで動いている場所ではない。
掃除をする者がいる。
石を加工する者がいる。
葬送を手配する者がいる。
書類を処理する者がいる。
そして、そのすべてを管理する者がいる。
シャークヤ修道院という巨大な組織は、そういう無数の人間によって動いている。
事務室へ戻ると、何人もの事務員が出勤してきていた。
修道院の事務員たちは、私が想像していたより若かった。
顔立ちの整った者も多い。
その中に、一人、ひどく目を引く女性がいた。
王都で人気のある女優に似た顔立ちをしている。
私は修行を始めたばかりの身だった。
余計なことを考えてはいけない。
そう思いながらも、内心では少し嬉しくなっていた。
ところが――。
「彼女、もうすぐ辞めるよ」
近くにいた職員が、何気なく言った。
「え?」
「今月いっぱい」
私は女性のほうを見た。
彼女は何事もなかったように仕事をしている。
それから二週間ほどして、本当に彼女は辞めた。
私がシャークヤ修道院本院へ来て、わずか二週間だった。
彼女が、この箱庭のような世界からどこへ向かったのか。
私は知らない。
そして、おそらくこれからも知ることはないだろう。
ただ、あの雨だけは、その後もしばらく降り続いていた。
灰色の空の下で、フュルステンブルク修道院は何事もなかったかのように、毎朝決められた時間に門を開き、噴水を動かし、掃除をし、祈り、そして死者を送り続けていた。




