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12 ジャスパー

ブックマークありがとうございます。

この物語は皆様の優しさに支えられております。



 とりあえず、無理やりキスしなかったのが救いだ。

 俺は笑顔でごまかしてベンチに座り直した。落ちていた資料も拾って横に置く。


 エメラルドはベンチの前に腰を落として俺を見ていたが、俺が起きるとまっすぐ立ち「ごきげんよう」と礼をした。

 抱きしめたことを怒ってはいないようだが、動揺もしていないようだ。


 …………


 ……匂いまで嗅いだのに動揺しないってどういうことなんだ……


「ジャスパー様、お疲れなのですね。お部屋で休まれてはいかが? 王妃様もご心配されていましたわ」

「母上にお会いしたのか」

「ええ、短いお時間ですけれども。私にできることがありましたらおっしゃってくださいね」

 そう言って優しい笑顔を向けられる。

 鼓動が早まる。それも俺だけだろうか。


「では今は、隣に座ってくれないか」

「かしこまりました」

 小さく笑ってすぐ隣に座ってくれた。しまった、資料が邪魔だ。エメラルドを見ながら気付かれないように逆側に移動させた。

「その他にございますか?」

 エメラルドに会うのは十日ぶりだ。ルビーのお茶会に迎えに行った後、なかなか時間が取れず会えなかった。

 十日ではそれほど何かが変わるわけではないが、前に会った時より綺麗になった気がする。


「ジャスパー様?」

「ああ、うん」

 一度咳ばらいをする。見惚れている場合じゃない。何か、話題を。

「ああ、そうだ、エメラルド」

「はい」

「僕の事も、名前で呼んでくれないか?」

「ジャスパー様?」

「ジャスパーと」

 エメラルドが細かく瞬きした。可愛い。

「僕も君のことをメ……」

 メローと呼びたい、と言おうとしたが、実際呼ぼうとすると緊張した。

 なんだこれは。思春期の子供じゃあるまいし。


「僕は、君のことをメローと、呼びたい」

 エメラルドは口を少しだけ開けてまた瞬きした。驚いている? 困っている? あまり表情を崩さない彼女は気持ちが読み取れない。


「ジャスパー……?」

 こみ上げるものが抑えきれず引き寄せて抱きしめた。

 キスは我慢した。彼女は抵抗せずされるがままに俺の腕の中に収まった。

「メロー、もう一度、読んでくれないか?」

「ジャスパー」

 ただ名前を呼ばれただけでこんなに嬉しいとは思わなかった。

「名前なんて、いつでもお呼びいたしますわ」

「じゃあ次は僕の膝に乗ってくれないか」

「それはいたしかねます」

 ぴしゃりと言われた。腕の中から解放するとにっこり笑顔を向けられる。怒っているわけではないようだ。


「ジャスパー、疲れていらっしゃるのならお部屋でお休みになられては?」

 ものすごく優しい顔をしている。今なら多少のことは許されそうだ。

「君が添い寝してくれるなら……」

「冗談を言う元気はあるようですわね。安心しましたわ。申し訳ございませんが、私、まだ用事が残っておりますの」

 ちょっと口調が冷たくなった。目も笑ってない。調子に乗りすぎた。

「メロー、怒っているかい?」

「怒ってはいませんわ」

「本当に?」

「ええ」

「じゃあ、添い寝はともかく、明日の昼食か午後のお茶を一緒に取らないかい?」

「いいですわよ」

 優しい笑顔が戻ってホッとした。

 ああもう、本当に、彼女に振り回されている。


「お話し中、恐れ入ります殿下」

 そんな中話しかけてきたのは補佐官のジョリだ。急ぎの書類があると縮こまって言われる。

 せっかくエメラルドに会えたのに……とため息が出そうになるが、彼女の前で格好悪いことはしたくない。笑顔ですぐに執務室に行く旨を伝える。


「お忙しいようですわね。無理なさらないで。明日は楽しみにしていますわ」

「後で連絡する」

 明日の約束が出来ただけで気分が浮上している自分に少し呆れてしまう。


 ジョリはエメラルドに深く頭を下げてから後をついてくる。誰でも彼女には王族に対するように深く礼をする。

 サルファーの言葉が再び聞こえた気がした。


「お前はメローを幸せに出来るのか?」




 エメラルド・ブライト・クライマシー。

 子供の頃から落ち着いた態度で物事をしっかりと捉える姿は各所で驚かれていた。

 彼女の聡明さは俺の母である王妃が誰よりも気に入っている。


 彼女が五歳の時だ。

 今でも覚えている。幼馴染四人とその家族が高原にピクニックに行った時の事だ。

 王族と公爵家にはいなかったが、辺境伯──その時はサルファーの父親だ──は奴隷を連れていた。

 力仕事や汚れ仕事をする奴隷を見て、彼女は自分の母親に奴隷について尋ねたのだ。

 公爵夫人は彼女に問われたことに丁寧に答えた。はっきりとは覚えていないが、その答えには何も問題がなかったはずだ。それでも彼女は言った。


「同じ人間で同じ国民で同じ言葉を話すのに、この世界では命の価値が同じではないのね。残念」


 その言葉に公爵夫人は困ったように笑っただけだったが、隣にいた王妃はめまいを起こすほどショックを受けていた。

 

 そしてその三年後、王妃の努力により奴隷制度が廃止になった。


 平民と貴族という身分差はまだある。

 しかし親が奴隷なら子も奴隷、主人が許さない限りどこにも行けない生活をしていた奴隷は、平民と同じように好きな場所で好きな職に就くことが許された。

 数年は混乱が生じていたが、王妃はとても心砕いて制度廃止に力を注いだ。

 今はもう、奴隷はいなくなった。


 王妃に助言をしたということで彼女も称えられたが、本人は全く気にしていなかった。

 気にしていないのは本人だけで、貴族中、いや国中で彼女のことは知れ渡った。

 その聡明さでわずか五歳で歴史を変えた少女。

 この国では王家に貢献した人物に名前を授ける風習がある。彼女には「ブライト」という名が贈られた。

 そのミドルネームは永遠に、彼女を照らし続ける。


 幼馴染四人の中でただ一人の女の子であったエメラルドは、男三人に大切にされていた。

 ナイフが怖いというから、剣の稽古はおざなりになったし、騎士団ごっこも騎士に近付くこともしなかった。

 眠るたびに怖い夢を見たと言って泣く彼女を慰めたくて、隣に寝るのは誰か、と喧嘩をした。

 あの頃はただ、妹の様に感じていたのに。


 年下の彼女の方が年上に感じる時がある。

 あの落ち着いた態度や視野の広さはどこで身に着けたのだろう。

 どんな勉強をしてもどんな本を読んでも、彼女と同じものを見ることは出来ない。

 それでも、彼女の傍にいたいと思う。

 

 傍にいるためには好きというだけでは、今のままでは駄目なんだ。




 中庭はかなり広く様々な木が植えられている他、花壇、トピアリー、小川とそれを跨ぐ橋、ガゼボ、ウッドデッキなどデートスポットとしても良い感じなのですが、王太子殿下は興味がないようです。


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