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第5話:勇者、魔王城の食堂でバイトする

魔王様の手帳を無事に(そして中身をチラ   見したい誘惑に打ち勝って)回収したサトシだったが、彼には大きな問題が立ちはだかっていた。


 ――カラン。

 空っぽの袋が、やけに軽い音を立てた。

「……ベルさん」

 遺失物管理センターのカウンターに、サトシは静かに両手をついた。

「軍資金が、なくなりました」

 間。

「……でしょうね」

 ベルは書類から目を上げない。

「フリマ会場にて『限定版・伝説の武器フィギュア(シリアルナンバー入り)』を発見し、五分悩んだ末に購入したという報告を受けています」

「五分も悩んだんですよ!?」

「長いですね」

「長いですか!?」

 サトシはその場に崩れ落ちた。

「だって……あれ、ずっと探してて……! 子どもの頃、買えなくて……!」

「で、現在は?」

「一文無しです」

「でしょうね」

 即死だった。

 サトシは床に額を擦りつける勢いで頭を下げる。

「お願いします! あと数日! ここで食べさせてください! 水でもいいです! できれば固形物を!」

「当センターは福祉施設ではありません」

 バッサリ。

 しかしベルは、わずかにペンを止めた。

「……ですが」

 その一言で、サトシの顔が跳ね上がる。

「魔王様のプライベート流出を防いだ功績は評価に値します」

「ベルさん……!」

「食堂の主任に話を通しておきました」

「神ですか?」

「違います」

 即否定だった。

 案内されたのは、魔王軍専用の巨大地下食堂。

 天井は高く、熱気と肉の匂いが渦巻いている。

 オークが肉をかじり、骸骨兵が無音でスープをすする。

 その光景の中で――

「今日からここで皿洗いをしてもらう」

 山。

 いや、“壁”だった。

 食器の山が、サトシの前にそびえ立っている。

「報酬は三食。浅漬け付きだ」

「浅漬け付き……!」

 一瞬、心が揺れた。

 しかし次の瞬間、我に返る。

「……いやいやいや! 勇者ですよ僕!? 魔族の食べ残しを洗うってどうなんですか!?」

「嫌なら帰って結構です」

「やります」

 即答だった。

 ――最初は、屈辱だった。

 脂。焦げ。正体不明の粘液。

「うっ……これ何……」

 だが。

 サトシの手が、ふと止まる。

(……いや、待てよ)

 脳裏に蘇る。

 人間界での、極貧生活。

 安い洗剤、少ない水、終わらない油汚れ。

 ――生きるために、磨いた技術。

「……あ」

 スイッチが、入った。

「これ、先にぬるま湯で脂を浮かせてから……魔界洗剤を少量……三分置く……」

 手が、速くなる。

「水切れを考えて……この角度……」

 並びが、美しくなる。

「乾燥効率、最大化……」

 無駄が、消える。

 一時間後。

 厨房は、静まり返っていた。

 そこにあるのは――

 鏡のように輝く皿の山。

「……なんだ、これ」

 誰かが呟いた。

 それは“清潔”というより、“芸術”だった。

「……おい、新人」

 低い声。

 振り向いた先には、巨大な牛頭の魔人。

 この食堂の支配者――料理長。

 サトシの背筋が凍る。

「ひ、ひぃ! すみません! やりすぎましたか!?」

「いや」

 料理長は、皿を一枚持ち上げる。

 光を反射するその表面を、じっと見つめ――

「……いい」

 短く言った。

「明日も来い。ここまで脂を落とせる奴は初めてだ」

「え……」

「気に入った。これを持っていけ」

 差し出されたのは――

 肉。

 分厚い。

 香ばしい。

 輝いている。

「魔界牛のステーキだ。……の、端だがな」

「……!」

 サトシの目が、潤む。

 数分後。

「うまい……」

 サトシは、涙を流しながら肉を頬張っていた。

「なんだこれ……やわらか……ジューシー……」

 噛むたびに、幸福が広がる。

「正義のために戦ってた時より、いいもの食べてる気がする……」

 ぽつりと漏れた本音。

 誰も否定しなかった。

 その様子を、少し離れた場所から見ている影があった。

 ベルである。

 彼女は静かに手帳を開き、ペンを走らせる。

『勇者サトシ

・皿洗いスキル:カンスト

・適応能力:異常

・食事満足度:極めて高い』

 一行、空けて。

 ゆっくりと書き足す。

『魔王軍への帰化率――現在、四〇パーセント』

 ペン先が、わずかに止まる。

 そして、ほんの少しだけ。

 口元が緩んだ。

 ――勇者はまだ、自分がどこに向かっているのかを知らない。

 ただ、今日も。

 ピカピカの皿と、温かい飯がある場所へ。

 少しずつ、確実に。

 “そちら側”へと、歩いていた。

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