第10話:ついに聖剣が返還……されない?
カン――。
乾いた音が、静かな室内に響いた。
ベルが、書類にハンコを押した音だ。
「……おめでとう、サトシ君」
淡々とした声。
だが、その一言には確かな区切りがあった。
「君のこれまでの労働――皿洗い、傘配り、雑務全般、そして魔王様の機密回収。その全ての功績が、ついに『聖剣エクスガリバー』の保管料および利息を上回った」
ペンが置かれる。
「本日付で、君の忘れ物は返還される」
静寂。
ほんの一瞬。
サトシは――理解が追いつかなかった。
「……え」
そして。
「……本当ですか?」
声が震える。
「やった……」
一歩、前に出る。
「やっと……」
目に、涙が滲む。
「やっと勇者に、戻れるんだ……!」
カウンターの上。
ベルが、静かにそれを置く。
――聖剣。
かつて世界を救うために振るわれた、伝説の武器。
今は。
おろし金付き。
浅漬け対応。
若干しっとりしている。
「さあ、受け取りなさい」
ベルが言う。
「これが君の『折れた聖剣(浅漬けパワー最大)』だ」
「ネーミングどうにかなりません!?」
反射的にツッコみつつも。
サトシは、そっと手を伸ばす。
震える指。
柄に、触れる。
――帰ってきた。
自分の、原点。
ここからまた。
勇者として――
その時。
パカッ。
背後で、何かが開く音。
「できたよー、新作の浅漬けー」
ルルの声。
ふわり。
空気が、変わる。
漂ってくるのは――
やわらかくて、
優しくて、
どこか懐かしい、
あの香り。
「……」
サトシの手が、止まる。
香りが、胸に沁みる。
脳裏に浮かぶのは――
ピカピカに磨いた皿。
雨の日のカラフルな骨たち。
水たまりではしゃぐ魔王。
爆速で駆けるアヒ丸。
そして。
仕事終わりに、そっと差し出される一皿。
あの味。
あの時間。
「……あ」
小さな声。
「……ベルさん」
サトシは、ゆっくりと顔を上げた。
「なんだい?」
「一つ、相談があるんですけど」
「聞こう」
一拍。
そして。
「この聖剣……」
ぎゅっと握りしめたまま。
「ここに置いておいてもらえませんか?」
沈黙。
「……」
「……」
「……は?」
「は?」
ベルとルルの声が、綺麗に重なった。
「だって!」
サトシは真剣だった。
「これ持って帰ったら、もうここで浅漬け食べられないじゃないですか!」
「理由が軽い!!」
「あと僕、これ絶対また失くします!」
「断言した!?」
「だったら!」
ビシッと指差す。
「世界で一番管理が厳しいここに置いとくのが、一番安全です!」
「理屈としては正しいのが腹立つな!?」
サトシは、にこっと笑った。
迷いのない顔で。
聖剣を――
そっと、ベルの方へ押し戻す。
ベルは、しばらくその光景を見つめていた。
そして。
深く。
本当に深く。
溜息をつく。
「……君は」
眼鏡を押し上げる。
「勇者としてのプライドを、本当に“大根”と引き換えるつもりか?」
一拍。
サトシは即答した。
「はい!」
迷いゼロ。
「あと、明日の皿洗いシフトも入ってます!」
「入ってるの!?」
「これからもよろしくお願いします!」
そう言って。
サトシは、くるりと踵を返し――
全力で走り出した。
「ちょ、待ちなさいサトシ君!」
「浅漬けなくなりますよ!?」
「それは困る!!」
ドタドタと去っていく足音。
静寂。
残されたのは――
ベルとルルと。
カウンターの上の、聖剣。
ほんのり、ぬかの香り。
「……ルル」
ベルが静かに口を開く。
「台帳の書き換えだ」
「了解、主任」
ペンが走る。
「品目:『聖剣エクスガリバー』」
一拍。
「ステータス――」
ベルは、少しだけ考え。
そして書いた。
「『勇者本人の希望により、永久保管(漬物石)』」
「正式採用だね、それ」
「あ、そうだ」
ルルがふと思い出したように言う。
「サトシのやつ、またバイト用のサンダル片方忘れてったよ」
「……回収しておけ」
「了解ー」
ベルは再び、深く息を吐いた。
そして、小さく呟く。
「……あいつがここを卒業する日は」
視線の先。
聖剣。
沈んでいる。
いい感じに。
「……来る気がしないな」
その頃。
地下食堂では。
「今日もピカピカにしますよー!」
元気な声と共に。
一人の勇者が、皿を磨いていた。
魔王城の地下。
そこには今日も――
世界で一番幸せな「忘れ物」が。
ちょうどいい重さで、
いい塩梅に、
大根を沈めていた。




