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怒りというのは、こうも不快に感じるのだと初めて知った。
制御するのが困難で、衝動に駆られそうになるのだと知った。
目の前に迫る大きな猿の魔物に手をやり、その動きを止める。
「助けてやれなくて、すまない」
そう告げると、魔物は大人しくなり亡くなった我が子を大切そうに抱き締めた。
やはり、誰かが誰かを思う姿は美しいな。
そんなことを思いながら、大きな猿の魔物の命を奪った。
「……気分が悪いな。ああ、気分が悪い」
こんなに後味の悪い殺しは初めてだ。
心の奥にあるざわめきが治らない。
はあっと息を吐き出すと、これまで隠していた魔力が漏れ出してしまう。
ダメだな、感情という物をコントロールするのが、こんなに難しいとは思わなかった。
一歩踏み出すと、パキリと音を立てる。
どうやら、先ほどの魔力で足下が結晶化してしまったようだ。
一歩ずつ踏み出して闘技場を目指す。
ベヒーモスが俺に向かって必死の咆哮を上げている。まったく、うるさくて仕方ない。
短刀を握り無造作に振る、それだけでベヒーモスは弾け飛び先にある壁も破壊して、街にまで被害を与えてしまう。
「なっ⁉︎ なっ⁉︎ なっ⁉︎ なんだお前はーーーっ⁉︎⁉︎」
スカルビカンテが驚き狼狽している。
その甲高い声が不快で、直ぐにでも殺してしまいそうになる。
「貴様に名乗る名などない。チャンスをくれてやる、全力で抗ってみせろ」
「はっ? あがっ⁉︎」
間抜けズラを晒す魔族の足を消滅させる。
無様に倒れたスカルビカンテは、何が起こったのか理解出来ていないようだ。
そこで、あることに気付いた。
アンドレア様が捕まっていたんだった。
スカルビカンテの魔力が遮断されて、アンドレア様の拘束が解かれる。落下するのをキャッチすると、膝を突いてこちらを見ているミレイの下に持って行く。
「頼む」
「あっ……」
アンドレア様を寝かせるのと同時に、回復魔術を使い治療する。
これで、逃げることくらい出来るだろう。
意識が残っているのは、ミレイ、セガール様、獅子王の三名。倒れているのは、アストと兄上、アンドレア様。この三人を抱えて逃げるくらいは出来るだろう。
再びスカルビカンテに向き合うと、杖に寄り掛かるように上体を起こしており、憎しみを込めた目で俺を睨んでいた。
「きっ、きききききっ⁉︎ 貴様ぁーーー!!!!!! こっ、こここここっ! この私に何をしたのか分かっているのかーーーっ‼︎‼︎ 魔王アスモデウス様の配下にして、四天王が一人、改魔のスカルビカンテ様だぞぉーーーっ!!!!」
ぜーはーぜーはーっと息をしながら、足の治療に専念している。
今の言葉も、治療する時間を稼ぐ為の物だろう。
「害虫の配下ごときが吠えるな。全力を出せ、それが矮小な貴様に許された最後の行動だ」
言葉の内容を理解出来なかったのか、スカルビカンテは治療も止めて俺を見る。
だが、じわじわと言葉を噛み砕いて理解して、激昂する。
「なっ、なっ、なっ、なんだとぉーーーーー!!!!! 見せてやる!見せてやるからなぁーー!! 後悔するなヨォーーーーッ!!!!」
不可視の力で宙に浮かぶスカルビカンテ。
街に充満していた魔力が一点に集まり、体内に取り込まれた。
スカルビカンテの肉体はどんどん膨らんで行き、風船のようにぱんぱんになってしまった。
「下らん」
この下らない演出を終わらせる為に、短刀で払い破裂させる。
パンッと弾けて中から現れたのは、見上げるほどに大きな赤い髑髏。
『かっかっかっ! こっこここ、これ、が! スカ、ルビカンテぇ!様だぁーーーっ!!!』
肉体の変質により、自我の崩壊が始まっているようだ。
以前の魔族は自我を保っていたが、このスカルビカンテは長い時間保てないかもしれない。
意識が残っているうちに、圧倒的な力で絶望を与えて殺す。
魔族は強さを尊ぶ種族だ。
同族に負けるのなら許容するが、圧倒的な差で他種族に負ける場合、嫉妬し醜く狂い、絶望する。
実に分かりやい種族だ。
これで終わらせようと魔力を高める。
あのドラゴンの時と同じように始末してやろう。
そう考えたが、やめた。
『たっだっ大地の、のの、きっ記憶に残る英霊よ! わっはっわっ我ががににっにににににっ肉体をよっ憑代にしして顕現せよ! いーっいっいでよ! 憤怒の魔王サたン……』
予想外の召喚だった。
まさか自分の肉体を贄にして、格上の存在を呼び起こすとは思わなかった。
それも、憤怒の魔王サタン。
その昔、師匠が一撃で葬った魔王である。
骸骨の中央に心臓が生まれた。それを中心に肉が溢れ出して、魔王に相応しい肉体を作り上げて行く。
かつて見たシルエットを思い出す。
魔王サタンは、二本のツノに凶悪な面構え。筋骨隆々の黒い肉体に、下半身は特殊な毛で覆われていた。
だが、憑依した魔王サタンの見た目は、肌が赤く禍々しさが足りない。あの時に見た迫力が宿っていなかった。
『かはーっ‼︎ どうだ! 魔王サタンの肉体を手に入れたぞ! これで貴様を葬ってくれるわ!』
迫力が無い理由は、中身がスカルビカンテだから。
意思も魂も違うのなら、その肉体は十分に扱えない。
つまり、恐れるに足りない。
「貴様は召喚が得意なのだな、ならば我が術を見せてやろう」
大量の魔法陣を展開すると、両手に付与する。
それで印を結び、忍法を作り上げて行く。
「忍法・口寄せの術」
地面に手をやり、印を展開する。
その大きさは闘技場を超えて、街全体まで広がった。
だが、次の瞬間には何も起こらず、印だけが溶けるように消滅してしまう。
『……ふっ、ふはっ、ふはははっ!!! なんだ、なんだぁ! 大層なことをして、脅しやがって! 次は私のばっ…………』
スカルビカンテは、何かを察したのか空を見上げる。
紫色の空に、透明な何かがいる。
それは余りにも巨大で、天空が支配されているかのような錯覚を覚える。
いや、錯覚ではない。
空だけでなく、この世界を支配していた。
「……」
誰もが空を見上げて、偉大な存在の顕現を待つ。
透明な何かは、現れるだけでスカルビカンテの魔力を吹き飛ばして、己に相応しい青空を手に入れた。
太陽の光に照らされて、透明な肉体が色を取り戻す。
黄金。
世界が最初に生み出した生命の原初にして、最も偉大な神である。
神龍。
全てを平伏させる圧倒的な力を持って、原初の神は顕現した。
「これぞ我が口寄せの術。矮小な存在よ、己の愚かさを呪いながら逝け」
神龍の目が動き、スカルビカンテを捉える。
『っ⁉︎ ああああぁぁぁーーーーーーー⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎』
それだけで発狂し、神龍に向かって魔術を放ってしまう。
だが届かない。
矮小な存在の魔術では、神龍が無意識に発している魔力さえも突破出来ない。
『……あれは、なんだ? なんなんだーーーーッ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
スカルビカンテの体が宙に浮かぶ。
残念ながら己の力ではなく、空にいる神龍の力による物だ。
矮小な魔族は、空へと舞い上がり強制的に神龍と同じ目線に立たされる。
『あっ……あっ……あっ……』
神龍の圧倒的な存在感に当てられながらも、その意識を保っていられるのは、肉体が魔王の物だからだろう。
俺は神龍の頭部に立ち、指し示す。
「放て」
神龍の口が開き、世界で最も清浄な息吹きが放たれる。
『……あっ』
一瞬でスカルビカンテは消滅し、神龍の息吹きは遥か彼方まで行ってしまった。
「……虚しいな」
怒りは未だに残っており、それを覆い隠すほどの虚しさが去来する。
神龍の目が動き俺を見る。
大丈夫か?
そう心配してくれているのが分かる。
「問題ない」
短く返して、俺はこの世界を見る。
空から見る世界は、どこまでも美しくて偉大に見えた。




