19
大きな猿の魔物が、死に掛けた子供を抱えて泣いていたのを覚えている。
自分の子供を思い、助けてくれと泣いている姿を覚えている。
子を思う母の姿は、人だろうが魔物だろうが等しいのだと知った。
俺はその姿を美しいと思い、手を差し伸べた。
息を吹き返した子供を見て、咽び泣く姿はとても尊い物なのだと知った。
この親子には、幸せになって欲しいと思ってしまった。
猿の魔物の腕には、潰された子供の魔物の姿がある。
人には不可能な殺し方。
魔物を見ると、その目に意思は無く、暴れるだけの存在になっていた。
それでも、子供を腕に抱き抱えているのは、その愛情からなのだろう。
「ルーク⁉︎」
ジールの呼び掛けに「大丈夫だ」と返して、猿の魔物の攻撃を避けて距離を取る。観覧席は人が少なくなっており、動いても人に当たる心配は無い。
ただ、魔物は他にもおり、そちらに関しては剣を抜き対応する。
ジールも襲われていて、槍を使い魔物を圧倒していた。
「やはり強いじゃないか」
予想通りの強さだ。どうして隠すのだろうか? その気になれば、セガール様にも届くかも知れないというのに。
まあ、今はそれよりも……。
「……その子は、お前の手で殺したのか?」
追い掛けて来る大きな猿の魔物に告げると、ピタリと動きが止まった。
魔物の目から涙が溢れる。
表面上の意思は奪われていても、心の奥底には確かに残っていた。
涙を流して、咆哮する母親。
その声が大きくて、スカルビカンテにまで届いてしまった。
「まったく、猿はうるさいなぁ! あっ⁉︎ そいつは私に従わなかったから、指示して子供を殺してやったんだ! 自分の手で抱き締めて殺すなんて! なんて野蛮なんだろう! やっぱり猿は猿だな!」
スカルビカンテは気色悪い笑みを浮かべて、まるで自慢するように告げる。
近くには、スカルビカンテが召喚したであろう召喚獣がおり、アストの召喚獣も参加しているようだった。
「そうか……」
魔物の母親は、泣きながら俺に攻撃を繰り返す。
子供を思って泣き、やりたくもない戦いを強制される。
仮に、ここでスカルビカンテを倒しても、召喚された魔物達が正気を取り戻すことはない。
それは、召喚主によって、その頭の中が作り替えられてしまったからだ。
「何だろうな……」
心の奥底が騒つく。
こんなことは、これまでになかった。
何かを美しいと思うのとは、まったく違った感覚。
これを言葉にするのなら、何と呼ぶのが正しいのだろう?
大きな猿の魔物の拳が目の前に迫る。
「そうか、これが怒りか」
俺は殴り飛ばされて、空中を舞い壁に叩き付けられた。
瓦礫の中から闘技場を見ると、スカルビカンテがアンドレア様を捕まえている所だった。
「……装着」
さあ、悪を殺そう。
◯
マリーベルは、王妃でありロイヤルガードの【人形使い】でもある。
正体を知るのは、夫である国王とロイヤルガード筆頭である獅子王。そして、新たに加わった【魔術屋】リーナ・ストロングだけである。
メノウ大会に魔王の配下を名乗る魔族が現れて、会場は混乱に陥った。
国王の護衛をマリーベルが引き受けることで、獅子王を向かわせ混乱を抑えようと考えたが、それは無意味だった。
四天王スカルビカンテ。
見た目は老人のようで弱そうだが、獅子王の力を持ってしても倒すのは不可能だった。
それを理解した獅子王は、時間を稼ぐことに意識を割く。
獅子王の意図を察して、マリーベルは夫に避難するように告げるが、思わぬところで待ったが掛かった。
「お待ち下さい、今ここで逃げるのは危険です」
「リーナ・ストロング、何が危険だと言うの?」
魔術屋リーナ・ストロングは、大勢に見られながら平然としている。このVIPルームには、騎士の他に各貴族家の当主に加えて他国の重鎮、教会の重要人物までいるのだが、まるで気にした様子は無い。
もっと言うと、国王にさえ敬意を持っていない。
「街中に充満した魔力は、あの魔族の武器その物です。もし無闇に外に飛び出せば、抵抗出来ない者は殺されるでしょう」
「ならば、ここも同じではないのか?」
「いいえ、私が結界を張っておりますので、街で最も安全なのはこの場所になります」
「結界?」
言われて気付く。
いつの間にかこの建物含めて、闘技場全体が結界に守られていた。
だが、それに気付かない貴族が騒ぎ始める。
「ふっふざけるな! 国王陛下を一刻も早くあの魔族から離す方が先決だ!」
「そうだ! 小娘が張った結界など信用できるか‼︎」
この言葉は保身からだろう。
国王をダシにして、逃げ出したいと考えている。
とはいえ、この精密な結界を感じ取れない者では混乱するのも無理はない。
国王と目が合い、大丈夫だと意志を告げる。
「待て、このリーナは我が信頼する臣下である。皆、落ち着きことの成り行きを見守ろうぞ」
「そっ、それは……」
本来なら、このような少女に信頼する臣下という言葉は使わない。
その意味を理解した者は驚き、察しの悪い者は頭を捻る。
リーナは国王に一礼すると、マリーベルの隣にやって来る。
「陛下の護衛は私が引き受けましょう。獅子王様には、思う存分やっていただきましょう」
「……そうね」
これは、【人形使い】が参戦しても大丈夫だという意思表示だろう。
だが、これはチャンスでもある。
魔王の配下、その四天王がどれだけの力を持っているのか、正確に知ることができる。
四天王の元に人形を送ろうと準備をする。
しかし、それよりも早くに暴力的な魔力が建物を覆ってしまう。
「しまっ⁉︎」
「大丈夫ですよ」
焦るマリーベルを他所に、リーナは落ち着いて四天王スカルビカンテを眺めていた。
目の前がカッと光、爆発が巻き起こる。
だが、建物には何の影響も無く、少しの衝撃と音があったくらいだった。
今この瞬間に、リーナという少女の実力が示された。
「助かったわ」
「当然のことをしたまでです」
当然のように言うが、これは異常な出来事だった。
◯
マリーベルはリーナが味方でいてくれて良かったと思う。
最初にリーナの存在を知ったのは、第二王子であり息子のセガールからの申し出だった。
「気になる子がいたんだ⁉︎」
女性にこれといった興味を示さなかった息子が、突然言い出した。
どんな子だろうと直接見てみると、そこには社交界デビューしたばかりの美しい少女がいた。
なるほど、これなら息子が惚れるのも無理はない。そう思ったのだが、どこか違和感があった。これだけの美貌ならば、もっと周囲から視線を集めてもおかしくはない。もっと多くの人から話しかけられてもおかしくはない。
それなのに、今は友人らしき子と並んでいるだけ。
マリーベルは解析の魔眼を使い、少女を調べてみる。
すると、なんらかの魔術を使って、興味を持たれないように調整していたのだ。
一体何の為に?
そう疑問に思い少女に目をやると、美しい瞳と目が合った。
息を飲むとはこういうことだろう。
ロイヤルガードに選ばれるほどの実力者であるマリーベルが、まだ年端もいかない少女に気圧されてしまった。
「マリーベル様、いかがなさいました?」
「……少し人に酔ってしまったようです」
顔色が悪くなったのか、周囲から心配されてしまう。
この程度の人混みで、体調不良になることはないのだが、この時は少しでも離れたいと思ってしまった。
この後、セガールがリーナ・ストロングと婚約がしたいと言い出すが、身分が吊り合わないという理由で却下した。
伯爵家ならば貴族階級は十分なのだが、家が起こって二百年やそこらでは王族と交わるのに足りていない。という適当な理由を付けて断った。
セガールはそれでも引き下がらずに、国王にまで進言する。
リーナ・ストロングと婚約させてくれと、必死に懇願するのだ。
こうなっては、他に断る方法を考えなければならないと、国王と話し合った結果、一度本人と面会することになった。
ただし、マリーベルは【人形使い】としてだ。
どれだけの魔術が使えるのか、どれだけの剣技を収めているのか、その人物像を知る為に、リーナを王城に呼び付けた。
当初は、リーナをロイヤルガードに入れるつもりは無かった。
だが、その優れた技術と新たに開発した魔術を見ると、その考えを捨て去った。この子は、近くで見張っていなければならない。
どこかで道を間違えれば、この子は国を滅ぼしかねない。
その心配からの決断だったが、結果的に今は助けられている。
「リーナ、セガールと婚約する?」
「ご冗談を…………勘弁して下さい」
試しに尋ねてみると、本気の拒絶が返って来た。
今更ながら、息子は見る目があるんだなと感心するマリーベルだった。
◯
マリーベルは、改めて人形を放ち獅子王の援軍に向かう。
拮抗した戦い、だったら良かったのだが、残念ながら力に差があり過ぎた。
獅子王は聖剣の力で、何とか食らいついている。
人形使いが戦いに加わっても、不可視の力によって破壊されてしまう。
セガールやミレイが参戦しても片手間にいなされ、アンドレアの魔術もスカルビカンテに傷を負わせることは出来ない。
婚約者の危機を察知したベルモットが強襲するが、それさえも通じなかった。
「まさか、ここまでの力があるとはね」
人形の口から、呆れた声が漏れる。
絶望的な実力差。
リーナが言っていた通り、この街を覆う魔力がスカルビカンテの物ならば、いくら戦っても勝ち目は無い。
唯一通じている聖剣も、本来の持ち主ではない獅子王では、その性能を十分に発揮出来ていない。
今も戦えていられるのは、数の有利を活かして狙いを定められないようにしているから。もしこれが崩れたら、一気に劣勢に傾くだろう。
そして、それは現実の物になった。
スカルビカンテは街中に魔物を召喚したのだ。
魔物は結界内にも召喚されており、このままでは多くの人が犠牲になるだろう。
「これはっ⁉︎ リーナ、ここはいいから街の住人の救出に行きなさい!」
「安心して下さい。そちらも手は打っております」
その言葉を聞いて、マリーベルは魔眼である千里眼を使おうとする。しかし、それは出来なかった。
誰かに妨害されたのではなく、スカルビカンテがとんでもない物を召喚したからだ。
「流石四天王、召喚獣まで呼べるとは……」
リーナの言葉は呑気なものだったが、実態はそんな生優しい物ではない。
「あれは、ベヒーモス」
かつて栄えた国を滅ぼしたという、伝説の魔獣の姿がそこにあった。
戦いは劣勢に陥った。
アストによる召喚獣の助けがあっても、ベヒーモスの前では無力だった。使い手としての技量にも差があり、敵うはずもなかったのだ。
絶望的な戦いが続く。
一人、また一人と倒れて行く中で、敵であるスカルビカンテはある人物に接近する。
「あなた! そうあなたです! 猿の中でもちょっとは優秀なあなた! あなたならば、魔王様も満足するでしょう!」
「なに、を……」
スカルビカンテは、アンドレアの額に手を置き意識を奪う。
不可視の力で抱えると、まるで用事が終わったかのようにスカルビカンテは去ろうとしていた。
このままではアンドレアが連れ去られてしまう。
ベルモットが必死の抵抗を見せるが、殴り飛ばされて沈んでしまった。
「……リーナ、あなたなら救えますか?」
マリーベルが問い掛けると、リーナは立ち上がる。
だが、その問いかけに対しての返答は無かった。
「リーナ?」
「……マリーベル様、まずいことになりました」
「え?」
今以上にまずいこととは何だろうか?
マリーベルはリーナの視線の先を見ると、そこには全身を隠した何者かがいた。
その格好を見て、円卓会議で出て来た単語を思い出す。
「あれは、ニンジャ?」
反射的だった。
マリーベルはその素顔を探ろうと、魔眼を発動してしまった。
「いけません⁉︎」
リーナの焦った声が届く。
ニンジャに接近して、覆面の内側を見ると、そこには理解不能な魔法陣が浮かんでいた。
「あっ」
目の前が光で満たされる。
それはスカルビカンテが巻き起こした爆発よりも強力で、全てを消し飛ばす凶悪な爆発の魔術だった。
ここにリーナがいなければ、マリーベルは助からなかった。
マリーベルだけではない、ここにいる騎士も貴族も国王陛下も爆発に巻き込まれて死んでいただろう。
「無事ですかマリーベル様……」
「リーナ?」
マリーベルが目を開くと、心配そうにしているリーナの顔があった。
背後でストロング家の当主が騒ぎ始め、「誰か⁉︎ 回復魔術を使える者を呼んで来い⁉︎」と怒鳴っている。
どうしたのだろうかと視線を下に向けると、リーナの右手が血だらけになっていた。
マリーベルは、リーナに助けられたのだと察した。




