第7話 午後のバイパス
叩きつけるような土砂降りの雨が夕刻の街を濡らしていた。郊外の国道は薄暗い雨雲と不透明な水煙によって視界をひどく遮られていた。
ネオンの光が泥交じりの水たまりに反射している。ラブホテルの駐車場から、一台の黒い高級セダンが滑り出した。ハンドルを握るのはしのぶの愛人、実業家を気取る山村浩一。昼過ぎからの密会を終えた直後だった。
「まったく……あの甲斐性なしの夫と不気味な娘たちには、本当にうんざりさせられるわ」
助手席に深く腰掛けた神谷しのぶは、コンパクトの手鏡でメイクを直し、昼間の情事の余韻を覆い隠しながら言葉を吐き捨てた。車内には高価な香水の甘い匂いと、濡れた衣類の湿気が充満していた。
「高時さんは相変わらず、建築のCADと迷信にしか興味がないのかい? 祠を取り壊してから家で妙なことが起きると言って騒いでいるらしいね」
浩一はワイパーが動くフロントガラスの向こうを見据えながら、冷笑を鼻から漏らした。
「そうなのよ。昨日なんて、美和と美代が泥水に濡れて不気味な声を上げていたと電話をしてきたの……あの男の頼りなさには呆れるばかりよ。早く離婚して、あの土地の収益であなたと優雅に暮らしたいわ」
「しのぶ、焦ることはないさ。あのマンションの事業さえ順調に進めば、あとは高木家の資産を僕たちが相続するだけだ。あの無能な婿には建築設計のタダ働きだけをさせたら、適当な理由をつけて追い出してやるさ」
浩一は満足げな笑みを浮かべ、アクセルを踏み込んだ。夕刻ラッシュの前で、郊外のバイパス道路は交通量が少なかった。車は豪雨の中を高い速度で駆けていく。
ザーーーッ……
カーオーディオのスピーカーから突然、耳を刺すような激しいノイズが響いた。
「なんだ? 故障か……?」
浩一が不機嫌そうに手を伸ばし、カーナビのタッチパネルを操作した。しかし雑音は消えるどころか音量を増していく。しだいに若い女性の掠れ声が混ざり始めた。
『……お……か、あ……さ……』
『……じゃ……、ま……』
「きゃあっ! 何よこれ!」
しのぶが両耳を塞いで声を上げる。山村も眉をひそめた。フロントガラスに叩きつける雨で視界が歪んでいる。だが山村は雑音を消そうと一瞬だけ視線を手元に落とした。
再び前方に視線を戻した、まさにその瞬間——。
雨幕で白く霞む道路の中央に、「それ」は佇んでいた。
「……ッ!」
ライトの光にぼんやりと浮かび上がったのは、二人の女の影であった。
ずぶ濡れの白い衣類を纏い、濡れた黒髪を顔全体に垂らした二人の女。彼女たちは雨の中に並んで立ち、じっとこちらを見つめていた。その姿は——神谷家の長女・美和と次女・美代の姿に似ていた。
夕闇の中で二人の血走った異様な白目が光っている。
なぜか走っている車の中から二人の様子が、はっきりと見えた。
「う、うわあぁぁぁぁっ!!」
山村は動転し、悲鳴を上げながらブレーキを力任せに踏み込み、ハンドルを左へ急激に切った。
タイヤが雨で濡れた路面を滑り、金切り声を上げる。制御を失った車体はスリップし、道路脇の街路樹とガードレールに側面から激しく接触した。
ガガガッ、バンッ!!
鈍い金属音と強い衝撃が車内を揺さぶり、エアバッグが白い煙とともに膨らんだ。
車体はそのまま路肩に乗り上げて停止した。即死を免れる程度の衝撃ではあったが、バンパーは歪み、エンジンルームからぷすぷすと煙が立ち上っている。
助手席でシートベルトに強く圧迫されたしのぶは、激しい頭痛と打撲の痛みに喘ぎながら、かすれゆく意識の中で窓の外を見た。
叩きつける雨の中、ひびの入ったガラスの向こうに立つ二人の女の影が、静かな歩調で車へ近づいてくるのが見えた。
二人の女は窓から助手席を覗き込みながら、無表情でひそひそとささやいた。
『……お母さん、邪魔よ。……お父さんは、渡さない……』
それが、しのぶの意識に届いた最後の音だった。
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