第22話 本性
食後の穏やかな雑談がひと段落した頃、高時のスマートフォンに教会から連絡が入った。
電話の主によれば、ミカエル神父は先日の除霊儀式の直後から激しい高熱と原因不明の悪寒に襲われ、体調を崩してしまったのだという。神父は自らの老躯を鑑み、急遽母国へ帰国して療養に専念することになったらしい。高時は驚きつつも、命がけで神谷家の平穏を取り戻してくれた老神父に対して、電話口で幾重にも深い感謝の言葉を伝えた。
(あの敬虔な神父様が体調を崩されるほど、あの怨霊は強力だったのだ……。だが、お陰で我が家は救われたのだ——)
そう自らを説得し、電話を切った高時の前で、美和は大学へ、美代は高校へ行く準備を整えていた。
「じゃあお父さん、行ってきます」
玄関で靴を履きながら、美和が高時に向き直った。その時、彼女はふと可憐な足取りで近づき、高時の耳元に顔を寄せた。
「お父さん、愛してるわ」
「……え?」
高時が全身を硬直させる。美和はすっと顔を離し、漆黒の底なし沼のごとき瞳で高時をじっと見つめた。その瞳は、あの日暗闇のベッドの中で高時に唇を重ね、記憶を奪い去った夜の瞳と同じだった。
「私は本当にお父さんを愛している。……だから、あんな神父なんて、関係ないわ」
美和は冷たく妖しい笑みを浮かべ、そのまま軽やかにドアを開けて外へ出て行った。
高時は全身の血の気が一気に引いていくのを感じ、玄関口に立ち尽くした。霊のせいだったのでは?
では、あの夜の美和は、悪霊に憑依などされていなかったというのか。血がつながらないとはいえ、父親に迫り、女として見ろと追い詰めたあの狂気は、すべて彼女自身の内に秘められた本性だったというのだろうか。
「美和姉さん、何言ってたの?」
背後から、美代の声が響いた。振り返ると、美代が制服の袖口から伸びる華奢な手で、高時の左手をそっと握りしめていた。その指先は、除霊される以前のあの氷のように冷たい体温へと戻っていた。
「美代……もしかして……」
美代は高時の左腕にしがみつき、見上げるような体勢で高時の耳元に顔を寄せた。
「美和姉さん、バカみたい。霊のせいにできたって安心してたわ」
美代の声は普通の女子高生のものでありながら、しっとりとした湿り気を帯びていた。
「ねえ、お父さん。私はお父さんを襲ったりしない。誰よりも愛しているから」
「どういうことだ……」
「とぼけなくていいのよ」
高時は言葉を失った。
「祠の神様はもう来ない。私たちが幸せだと分かってくれたから。あの神様は私たちを憐れんでくれたのよ」
高時は息を吸うことすらできず、その場で凍りついた。
「だから、私を一番愛して。美和姉さんより、お母さんより、誰よりも。私を捨てないで、ずっと一緒にいてくれるなら、祠の神様はもう怒らないよ」
美代の焦点の合わない狂気の瞳が、高時の精神を奥底から浸食していく。
「お母さんのお見舞いに、また行こうね。今度は二人で『さようなら』って言ってあげようね」




