第21話 平穏
ミカエル神父による除霊の儀式から、数日が静かに経過した。
老神父が確信に満ちた声で告げた通り、神谷家を覆っていたあの悍ましい気配は、すっかり消え去っていた。
家中に蔓延していた土と黴の匂いも、深夜に二階から響いていた正体不明の小さな足音も、家具を揺るがすポルターガイスト現象も、すべてが嘘のように途絶えた。南向きの窓からは健やかな夏の陽光が差し込み、邸内はかつてのような静かな日常を取り戻していた。
入院していた妻のしのぶは退院して実家で生活している。
(終わったのだ……すべてはあの土地の悪霊が引き起こした災難だったのだ……)
高時はリビングルームのソファーに深く身体を預け、安堵の溜息とともに自らにそう言い聞かせた。あの忌まわしい夜、ベッドの上で美和に理性を揺さぶられ、決定的な一線を踏み越えそうになった記憶も、すべては怨霊が見せた悪夢に過ぎなかったのだ——。そう解釈しなければ、彼の正気は到底保ち得なかった。
キッチンからは、朝食の準備をする楽しげな物音が心地よく響いていた。
「お父さん、朝ごはんができたわよ」
美和が、エプロン姿で焼きたての料理をテーブルへ運んできた。その表情は晴れやかで、瞳にはかつてのような生き生きとした光が戻っている。続いて美代が、アイロンの効いた高校の制服姿で軽やかに階段を駆け下りてきた。
「おはよう、お父さん! 今日は美和姉さんがフレンチトーストを作ってくれたのよ」
美代が高時の右腕に無邪気に抱きつく。かつて彼の皮膚を凍らせた氷のごとき冷気はなく、娘の温かい体温が伝わってきた。
(……ああ、本当に元に戻ったのだな)
高時は胸を撫で下ろし、娘たちの屈託のない笑顔に応えようと、ぎこちなく安堵の笑みを浮かべた。悪霊の影は去り、かつての家族の日常が再開されている。ミカエル神父の霊的な能力に、深い感謝を捧げねばならないと思った。
「いただきます」
三人で明るい食卓を囲む。学校や世間のたわいのない話題で会話が弾み、平和な時間が流れていった。




