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シオン  作者: あいちあい
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第6話「嘘みたいな偶然」

 二月に入り、国立大学の試験日まであと三週間となっていた。


 この時期になると、三年生の中には学校を休み始める生徒がチラホラ出始める。進学先が決まっていたり、受験勉強に専念するためだったりと理由はそれぞれだが、卒業までの過ごし方は自己責任ということでそれを咎める教師は一人も居なかった。

 

 紅は自宅よりも学校に来ていた方が集中力が高まるので、毎日登校していた。往復の自転車通学も、ほどよい運動になって生活リズムを整えられている。


 放課後。

 日直だった紅は職員室に出向いていた。担任に教室の掃除が終わったことを報告するためだ。


「失礼します」

 中に入った紅は、奥にある担任の席を見た。すると膝を突き合わせるように担任と向かい合って座る青弥の姿が目に入る。


(岩森君?)

 

 紅は足を止め、席へ向かうのをためらった。


(どうしよう。出直した方がいいかな)


 するとふと青弥の美しい顔が紅に向けられ、視線が合った紅の心臓がドキッと跳ねる。

 紅に気付いた青弥は優しく微笑むと、右手の人差し指を使ってジェスチャーを始めた。


 ー先生に用事?ー

 

 そう聞かれているように思った紅は、大きく二回頷いてみせる。


 それが通じたのか、次に青弥は手のひらを下に向けると、指先を下に向かってチョイチョイと何度か曲げた。まるで、ーおいでーと誘ってくれているように。


(もしかして呼ばれた? 、のかな?)


 紅は確認のつもりで、人差し指を自分の顔に向けてみた。すると青弥は親指と人差し指でOKと合図を作り、肯定するように頷いてくれる。


(行ってもいいってことだよね)

 そう思った紅は、担任の席に向かって歩き始めた。


「坂本さんか。君はどうした?」

 担任は、青弥を前にしたまま顔だけを紅に向けて声を掛けてくれた。


「日直の報告です。教室の掃除が終わりました」

「あぁ掃除か。ありがとう。お疲れさん」

「はい」


 そう言いながら紅が小さく会釈をすると、視線の先に青弥と担任の太さも長さも違う足があり、紅は改めて青弥のスタイルの良さを思い出した。


(何を食べて育ったら、こんな体になれるんだろう)

 

 紅はふとそんなことを考えてしまったが、「報告は以上?」という青弥の声でハッと我に返ると、大きく頷いた。

 

「じゃぁ俺も帰ろっと」

「え? だってお話してたんじゃ」

「別に。話はもう終わっててダベッてただけ」


 青弥は立ち上がると担任に「じゃぁ先生、ありがとうございました」と告げ、担任も「おう。気を付けて帰れよ。坂本さんもな」と言葉を返す。

 

 青弥と一緒に職員室を出るのが当たり前のような雰囲気になってしまった紅は、扉に向かってサクサク歩く青弥の後をついて行くしかなかった。


 紅はもう一度中に向かって頭を下げてから扉を閉めると、青弥は紅を待つように、数メートル先の廊下で立ち止まってこちらを見ていた。


(……待ってなくてもいいのに)

 

 紅はそそくさと歩き、青弥の横をすり抜ける。だが青弥は紅の斜め後ろを、まるでついてくるように一緒の歩調で歩いてきた。

 

「なんか久しぶりだね」

 案の定、青弥が紅に声を掛けてきた。


「そお? 三学期始まってひと月経ってるよ」

「じゃなくて、しゃべるのがってこと」


 紅は(だよね)と思いながら、前回話したタブレットを貰った時を思い出す。


「タブレットだけど、お母さんもびっくりしてた。改めてありがとう」

「まじで? 良かった。学校で使ってないみたいだから、要らなかったのかなってちょっと不安だった」

「え?」


 紅は思わず青弥を見た。

 まさか青弥がそんな風に思っていたなんて、想像もしていなかったからだ。

 

「そうじゃなくて、今は受験勉強で時間がないから使ってないだけで、終わったらちゃんと使わせてもらうから」


 紅のその言葉を聞いた青弥は、「なら良かった」と頬を緩める。

 その笑顔があまりにも優しくて、紅はつい顔を反らせてしまったが、青弥は気にせず話を続けた。


「ちなみにだけどさ、言いたくなかったら答えなくていいんだけど、坂本は大学は地元狙い? それともどっか別?」

「……一応地元を考えてる。受かればだけど」

「受かるよ。だってもう合格祝いあげたでしょ。でも良かった。じゃぁチャンスは残ったってことか」

「チャンス?」


 せっかく顔を反らしたのに、紅はまたも青弥の顔を見てしまった。それも今度は訝しみながらだ。 


「言ったじゃん。歌が聴きたいって。俺、諦めてないからね」

「え、なんで? だって私、断ったよね」


 音楽準備室でのことだ。

 紅はあの時はっきりと、青弥に断りを入れたつもりでいた。


「でも受験が終ったら、気持ちが変わるかもしれないでしょ」

 

 それなのにケロッとこう言ってのける青弥に、紅は開いた口がふさがらない。


「変わらないってば。私ほんとに歌わないからね。歌なんて、校歌しかくらいしかほんとに知らないんだから」

「校歌?」


 青弥の顔がパッと明るくなる。


「いいじゃんいいじゃん。校歌なら先生に言えばすぐピアノ譜もらえると思うし」

 

「ピアノ譜?」と紅の眉間に皺が寄る。


「まさかだけど、ピアノの練習するつもりじゃないよね。話聞いてました? 私は歌わない前提で話してるの。それに岩森君も受験前でピアノなんか練習する時間ないでしょ。勝手に練習されて、落ちても責任持てないからね」


 発言を終え、紅は瞬時にヤバッ! と思った。

 言い過ぎた。

 ”落ちたら”、なんて縁起でもない言葉は受験生が口に出すような単語ではない。

 ましてやそれをクラスメイトに向かって発言するなんて、ありえない。無神経にもほどがある。


「ご、ごめんなさい」


 紅は咄嗟に謝った。

 青弥はその突然の謝罪に、「え? 何?」と驚く。


「私、岩森君も絶対合格すると思ってるから。落ちてもなんて、そんなこと絶対に無いって分かってるから」

「なんで坂本が謝るの? 今の流れだと叱られなきゃいけないのは俺だよね」

「だって私、縁起でもないことを言っちゃったから」

「縁起でもない? あぁ、ピアノなんかってとこ?」

「……ピアノ?」


 じゃなくて、と言い掛けた紅に、青弥は言葉をかぶせるように話を続けた。


「まぁ、確かにピアノなんかと言われると寂しいかな。音楽は俺のモチベーションだからさ」

「モチベーション? 音楽が?」

「そう。坂本にだってそんな存在、なんかあるでしょ」


 そう言われ、紅の脳裏には毎朝玄関で見送ってくれる母親の姿が思い浮かぶ。


「そうね、あるね私にも。だから私は頑張れる、みたいな」


 その話す紅の顔を見て青弥は、「うん、決めた」とボソッと告げる。


「え?」

「坂本の歌、俺の合格祝いにする」

「……え!?」

「俺が大学に合格したら、坂本は俺に校歌をプレゼントな」 


 紅は目を真ん丸にして驚く。


「何勝手に決めてるのよ」

「俺は地元の国立受けるんだけど、坂本は?」

「!!……私も、同じ、かも」


 嘘でしょ!

 まじか!?


 と、紅と青弥はお互いの顔を見つめ合う。

 青弥は制服のポケットからスマホを取り出すと、嬉しそうに紅を見た。


「嘘みたいな偶然だけど、連絡先交換しよっか。これから俺達、一蓮托生だからね」


 かくして紅は、一軍男子を初めてスマホに登録することになった。

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