第5話「冬休み」
「えぇぇぇぇ、すごいじゃない。これ買ったらいくらするの?」
寝起き姿のままで台所の食卓テーブルの椅子に腰かけた母親は、紅が持ち帰ってきたタブレットの箱を開けて声を上げた。
「もしかしたら、付属品も入れたら十万円近くするかもしれない」
帰宅したてで制服姿の紅はつけたばかりのヒーターの前に立ち、足元を温めながらそう答える。
「十万!? スマホを拾っただけで十万円のお返し!? 岩森君のお家って大金持ちなの?」
「分かんない。ほとん話したことない人だから」
「そう。たしかにお店で貰った名刺の肩書は取り締まり役になってたけど、小さな会社って言ってたからそれ以上聞かなかったのよ。今日お店行ったら詳しく調べてみようかな」
そう言うと母親は、慎重に箱のふたを元に戻して紙袋に入れる。
その様子を見ながら、紅は淡々と話を続けた。
「こんな高い物受け取れないって断ったんだけど、じゃぁ合格祝いの前渡しって言われちゃったから断れなくて」
「へぇ、サラッとすごいこと言えちゃう子なのねぇ。学校でモテモテじゃない?」
「そんな感じ。見た目も良いからね」
「そうなの? 確かにあのお父さんの美貌を受け継いでいるなら相当なイケメンじゃない。紅ちゃん、そんな人と仲良くなれて良かったわね」
「別に仲良くないよ。友達になったワケでもないし」
「そっか。まぁ女たらしの男なんて、いても良い事ないからね」
妙に実感がこもった言葉を呟いた母親は、テーブルの上に置かれていたマグカップを手に取ると、熱々のティーバッグの緑茶をズズズと飲みだした。
イケオジともう少し話したかったという理由でスマホを持ち帰ってきた張本人が、どの口が言う?
と紅は思ったが、それは口にするのを止めた。
「で、それ使うのにいくら掛かるの?」
「いくら?」
「スマホみたいにさ、使うために毎月何千円か必要なのかなって」
「あぁ、そういうこと」
全く機械系に興味がないIT弱者の母親は、スマホ以外はどうやって使うのか全く分かっていない。
紅は水道で手を洗いながら、わざと淡々とした口調で返事をした。
「これはパソコンみたいな物だから、使うならギガかWi-Fiが必要かな」
「Wi-Fi? じゃぁ使えないじゃん」
築古アパートのこの建物にはWi-Fiは設備されておらず、住人は必要に個人で契約するしかなかった。
「もうさ、この機会にウチもWi-Fi入れちゃおうか。そしたらそれ、使えるんでしょ」
「ううん、要らない。スマホで十分だし、もしそれを使うとしたら大学に入ってからかな」
「それでいいの?」
背中越しにする母親の心配そうな声に、手洗いを終えた紅は、タオルで手を拭きながら母親を見て話を続けた。
「もちろん。それに受験が終らないと先のことも分からないから。もしかしたら家にWi-Fiを引くよりタブレットに入れた方がいいかもしれないし」
「そうなの? よくわかんないけどそれでいいの?」
「いいの。Wi-Fi引くのだって年間で数万円は掛かるんだよ。使わないのにそんな無駄遣いしなくていいんだって」
紅はそう頷く母親を横目に、冷蔵庫からケーキの箱を取り出してターブルの上に置くと、中からケーキが乗ったトレーを取り出す。そこには四等分したケーキの三ピースが残っていた。
「あれ? ケーキ三つある。お母さんまだ食べてないの?」
母親の朝食も、毎年このケーキなのに。
「あぁ、うん。……二日酔いで気持ち悪くて」
「それでも毎年食べてたじゃん」
「そうなんだけど、……今起きたばかりだからさ」
「あ、やっぱり? なんか寝起きっぽいなぁとは思ってたけど。朝起こした後に二度寝したんだ」
「毎年衰えは感じてるけど、四十代になると一気にくるわね。去年との違いをしみじみ感じるわ」
母親はそう言うと目を閉じて顎を上げ、ストレッチするかのように頭を後ろに曲げて首を左右に小さく振った。すると白くで細い首が全開となり、横に伸びたシワの線が数本ある。
二十二歳で自分を産んだ母親はずっと若く綺麗なイメージだったのに、その首のシワが妙に年齢を意識させ、途端に心細くなった紅は、自然と「肩でも揉もうか?」と声を掛けていた。
「やだ? どうしたの急に?」
母親が苦笑いで紅を見る。
「別に。ただ肩がこってるのかなって思ったから」
「大丈夫よ。私より勉強頑張ってる紅ちゃんの方が絶対こってるから。何なら私が揉んであげようか」
そう言って母親は立ち上がろうとしたが、立ち眩みがしたのか、フラッと体が揺れてしまう。
「お母さん!?」
驚いた紅が母親に掛け寄る。
テーブルに手をつき、かろうじて転倒をまぬがれた母親は、紅に支えられながら椅子に座ると背もたれに背中を預け、ふぅぅっと息を吐いた。
「大丈夫?」
紅は不安そうな顔で母親の横に立ち、声を掛ける。
「大丈夫よ。ごめんごめん。ちょっとまだお酒が残ってるみたい」
母親が苦笑いで紅を見る。
「お酒? ほんとに? どこか痛いとか苦しいとかじゃないの?」
「違う違う。ただの二日酔いよ。昨日クリスマスで忙しかったから」
「薬は、確か飲んだよね」
「うん。朝、紅ちゃんが学校行った時にちゃんと飲んだから」
紅は母親の額に手のひらを当てた。
「熱は、なさそうね」
「当たり前じゃない。病気じゃないんだから」
そう言うと母親は、いつもの笑顔で紅を見て話を続けた。
「だから心配しないで。紅ちゃんは早く着替えて勉強しなさい。私もシャワー浴びたらちゃんとするから」
「ご飯はどうするの? まだ今日何も食べてないでしょ」
「それも大丈夫だって。ケーキは無理そうだけどラーメンが食べたい気分だから、インスタントラーメンを作って食べるわ」
「じゃぁ、私もお昼はケーキはやめてラーメンにするから、シャワーから出たら一緒に食べよ。お店も今日は休んでいいから」
すると母親は「何言ってるのよ」と笑い、「よいしょ」と再び椅子から立ち上がる。
「クリスマスイベントは今日が本番なのよ。休めるワケないでしょ。今日頑張れば明日は休みだから、明日思い存分ゆっくりするわ」
そう言い残し風呂場へと向かう母親を見て、紅は不安げに溜息をついた。
「まぁ確かに、コロナやインフルでもない限りイベント当日に急に休めるワケもないか」
不本意ではあるが仕方ない。
年に一度のビッグイベントなのは紅も承知している。
箱に戻したケーキを冷蔵庫へ入れた紅は、タブレットの箱が入った紙袋を持って自室へ戻り、紙袋は部屋の隅に置いた。
そして私服に着替え終えると、母親がシャワーから出る頃を見計らって台所に立ち、ラーメンを作る準備を始めた。
クリスマスイベントを無事に終えた母親は、宣言通り、翌日の休みはほぼ布団の中で過ごした。
昼過ぎまで眠り、起きてからは胃薬を飲み、その後はたまにトイレや水分補給で自室を出てくる以外は横になって過ごし、結局食事がとれるほどに回復したのは夜の七時を過ぎてだった。
母親がここまでお酒で調子を崩した姿を始めて見て、紅はより一層受験勉強に力が入った。
ーー絶対に国立大学に合格して、いい会社に就職して、お母さんをラクにしてあげたい!ーー
その強い気持ちは1月の大学入学共通テストの点数にしっかりと現れ、紅は無事に第一希望の地元の国立大学へ願書を提出することが出来た。




