第八話 修験者
その頃、信濃の山奥を一人で旅する修験者の姿があった。
修験者は、道に迷ってたいそう難儀をしていた。
「はてさて、困った。どこぞに、雨露の凌げる場所でもあればよいが」
いわくのある霊山をたずね歩き、つれづれなるままの旅を続けているのだったが、そろそろこのあたりで小休止、どこかで骨休めをしたいと、村を探していた矢先、道に迷ってしまったのである。
日が暮れるまであたりをさまよい歩き、疲れ果て、今夜はこのあたりで野宿でもしようかと思っていると、尾根一つ向こうの山の頂きに、なにやら光るものがある。
「やれ、有り難い。あれは人の明かりに違いない」
といって、急いで山の頂きに向かった。
明かりを頼りに歩き続け、修験者が山頂に着いた頃はもう真夜中で、漆黒の空の上の上の方に、冴えざえと青白い満月が浮かんでいた。
山頂に着いた修験者は、その場で言葉を失い。そこに広がる光景をただ呆然と眺めた。
「―――!」
実に、一千体の女の石像が山頂を埋めつくし、満月の明かりを受けて、妖しくも凄絶な光を放っていたのである。
石像は、どれも見事な黒耀石で出来上がっていた。
わずかに透明な部分のある石であり、満月の光が、その透きとおった部分――頬や胸にあたる部分だけが透明な像もあり、ほとんど全身が透明で、淡い黒色をしているだけの像もあった――に吸い込まれ、黒い光と水晶の光とを幾重にも交錯させて、新たな色彩の光を造り出していた。
修験者は、女の顔を見た。
女の顔は、この世のものとも思われないほど、美しかった。
凄絶な――と、そう表現するにふさわしい、鬼気迫る美しさであった。
あまりの美しさに圧倒され、見惚れているうちに、修験者は、ふと気がついた。
どの石像の眼差しもみな、ある一つの地点に向けられているのである。
よく見れば、石像はすべて、同じ方向の、同じ場所に向かって、円形に立てられていた。
その中心には、何かがあるはずだった。
修験者は言葉をなくしたまま、山頂の中心部へ向かって歩き始めた。
一千体の女は、みな同じ女のようであった。
だが、同じ姿でいるものは一つとしてなかった。
石像は泣き、怒り、笑い、拗ね、妬み、憧れ、憐れみ、愛しみ、しかしすべての石像が、どうしようもなく哀しんでいた。
そうして、すべての石像が、最高の出来栄えであった。
さらに奥へと歩いてゆくと、中心と思われる場所に、天神さまのほこらが立っていた。
その、ほこらの傍らに、折り重なるようにして倒れているものがあった。
「これは、どうしたことだ…」
修験者は、思わず声を漏らしていた。
倒れているのは、一組の男と女であった。
二人は、固く抱き合って、息絶えていた。
修験者は、男の死体に目をやった。
男の死体は、右手に鎚、左手に鑿を、固く握り締めていた。
男の両手は、破れ紙のようにぼろぼろになり、爪の間から吹きこぼれた血が固まって、指先にこびりついていた。
男は大男だったが、たいそうやつれて痩せていた。また男はたいそう醜かったが、その死に顔は静かに微笑んでいた。
修験者は次に、女の死体を見た。
女の死体には、両腕がなかった。両腕は、肩口から、ザックリと切り取られたかのように消え失せ、その肩口からの夥しい出血によって、彼女の全身はびしょ濡れになっていた。
女もまた、大層醜い顔をしていたが、安らかに微笑んでいた。それはまるで、世界中の宝物を手に入れでもしたのかと思えるほど、満足気で、恍惚とした死に顔だった。
どちらの死体もぼろぼろで、全身が傷だらけで、汗と血と泥にまみれ、墨のように真っ黒だった。男であるのか、女であるのかさえ、すぐには判別がつかぬほどであった。
修験者は、二人の死体を見ていた。
それはかつて、石打丸と、たえと呼ばれていた、二人の男女の死体であった。
修験者は、二人の死体を眺めながら、いつしか涙を流していた。
修験者の涙は止まることを知らなかった。
流れては落ちる涙を拭おうともせず、修験者はその場に佇んで、ただ二人を見つめていた。
「美しい…」
と、修験者はいった。
「このように美しいものを、私は他に見たことがない」
修験者は、天神さまのほこらに目をやった。
そうして、大きな声で、朗々と謳い始めた。
奇に奇に
奇しく尊
神の御前を
拝み祀る
幸魂、荒魂
成り行き給いて
願わくは
御前に果つるこの者達に
涼しき国の平安を
修験者は、天神さまに向かって深く頭を垂れ、そのほとりに穴を掘って、二人を手厚く葬ってやった。
二人の墓標には、二つの小さな石が置かれた。
二つの、黒く透明な黒耀石が、天神さまのほこらの脇で、ひっそりと寄り添って、いつまでもチカチカと光っていた。




