第九話 沙都の不幸
天神さまの山に、見事な石像ができたという評判は、瞬く間に広まった。
村は、沙都の石像を一目見たいという旅人たちによって、大変な賑わいを見せていた。
沙都は得意の絶頂だった。
沙都は、父の孫兵衛と連れだって天神さまの山を登り、頂上の入り口に立って、旅人たちを出迎えていた。
「ようこそいらっしゃいました。ようこそいらっしゃいました。いま国中で大評判の、千体の天女がおわします、千寿天神でございます。至上無類の天照らす乙女が実に一千体、その有り難い御霊験によって、どなたもこなたも無病息災、金満成就一族繁栄商売繁昌うたがいなし。さあさあどちらさまも御存分に御覧遊ばして、お通りなさいまし、お通りなさいまし」
孫兵衛は、誇らしげに声を張り上げ、見物客から拝観料を取っていた。
見物客たちは、石像を見てみな一様に驚き、目を見張った。
石打丸とたえの事や、この石像が持つ悲しい由来など、もちろん誰も知るはずがなかった。
しかし不思議なことには、石像を目にしたひとはすべて、深い感動に胸を貫かれ、涙を流した。
石像は変わらずにそこにあり、黒く透き通っていた。
まるで、その中にある秘密を覗き込もうとするひとに、そのひと自身の闇を映し出して見せる碧銅のようでもあった。
そうして、だれもが説明のつかぬ胸苦しさを感じ、この奇妙な涙を流していた。
沙都の不幸は、唐突に訪れた。
「父上、沙都は父上の娘にうまれて、本当にしあわせです」
沙都は天にものぼる気持ちだった。
あの馬鹿な石打丸が、想像以上に美しい石像を造り上げただけでなく、わたしの誇りをズタズタにした例の醜い女と共に、勝手に死んでくれたのである。
ざまをみろ。
それは願ってもないことだった。
わたしの美しさが石の中に刻み込まれた今、わたしが巨万の富と揺るぎない権力を手にするのはもはや時間の問題といってよいだろう。
「そうか、そうか。ワシも、おまえの父親であることが、なによりうれしいでな」
この馬鹿な父親とも、もうすぐお別れだろう。
まったく清々する。煩わしい事この上なかったからな。
殿様の側妻になれば、おまえのような貧乏庄屋はおいそれと口もきかれないのだから、今のうちにせいぜい父親らしいことをいっていればよかろう。
そして、わたしという娘を持ったことをしあわせに思うがいい。
石像を堪能した見物客たちが、ぞろぞろと戻ってきた。
沙都は、見物客たちが自分に浴びせ掛けるであろう賛美の言葉を期待して、少し頬を染め、さも恥ずかしそうにうつむいて待っていた。
ところが、見物客たちは、石像に刻まれた沙都の美しさを褒めるどころか、沙都のほうを見向きもせずに、
「あのように狂おしく、切ない石像は見たことがない」
といって、しきりに涙を拭いながら、ぞろぞろと通り過ぎて行くのだった。
あわれなものだ。
と、沙都は思った。
どうやら、石像のあまりの美しさに、まわりが見えなくなっているらしい。
礼儀知らずはまあ許してやろう。
しかしこの分では、彼らが石像の主であるわたしに気付いたら、一体どうなってしまうのだろう。
かれらはまだ、わたしを見なくて幸せだったのかもしれない。
見ていたら、間違いなく卒倒していたろう。
あまりの神々しさに、目が潰れてしまったかもしれない。
ああ、わたしもつくづく罪な星の下に生まれたものだ。
美しすぎるということは、それだけで幾多の罪業を背負うことなのか。
だが仕方あるまい。みなは嫌でも、このわたしの美しさを認めないわけにはいかないのだからな。
だって、この完璧な美しさは、いかなる者も否定のしようがないではないか。
「ありがとうございました。ありがとうございました。またのお越しを心よりお待ち申し上げております。千寿天神の御利益によりて、みな皆様の上に大いなる安楽の来たらんことを」
孫兵衛が得意満面で皆に挨拶をしていると、一人の老人が近寄ってきて、孫兵衛に尋ねた。
「今日は実に素晴らしいものを拝見いたしました。あの石像の哀しさ、わびしさは心に響くものがあります。恥ずかしながらこれこのように、今も涙が止まりませんのじゃ。そこで是非、伺いたいのですが、あの石像の主は一体、どこの、どういうお方なのですかな」
孫兵衛は、ひときわ胸をそらせ、ここぞとばかりにいった。
「はい、それは実は、ここにおりますわたくしの娘、沙都でございます」
すぐそばにその主が立っているというのに、なんという鈍いじじいだ。
沙都は心の中で毒づいたが、鈍ければ思い知らせてやればよい、と考えなおし、最高の笑顔を浮かべて、しずしずと前に進み出た。
その沙都の顔を、しばらくの間、老人はしげしげと眺めていたが、
「これは何かの悪い冗談なのですかな、それとも、ワシをからかっておいでなのか」
といって、顔をしかめた。
「失礼ながら、全然似ておりませんな」
沙都は、自分の耳が信じられなかった。
このやり取りを聞いていた見物客たちが、けたたましく笑い始めた。
沙都は、みるみるうちに、頭に血がのぼるのを感じた。
「あなた、目がどうかしてるんじゃないの、なにを見ているの。
あの石像はわたしよ。誰が見たってそうじゃないの。
あんたみたいなジジイにね、そんなこといわれる筋合いはないのよ。
よおくみて御覧なさい、あの石像はわたしなのよ。
あの美しく気高い石像の主がこのわたしなのよ。
つまりわたしはその何十倍も何百倍も美しく気高いのよ。
あんたみたいな歯抜けジジイ、わたしと対等に口をきく資格すらないのよ。
分かっているの。あんたなんかね、そんな口をきいていたら、今に絶対後悔するのよ。
そうよ。あたしはね、この美しさを買われて、今に殿様の側妻になるんだから。
あんたみたいな下郎は、殿様にお願いして、真っ先に打ち首にしてもらうから、よく覚えておきなさい。
打ち首が決まって、刀の切っ先が首の付け根に届くとき、あたしの美しさを思い出して、ああ、あんなことをいうのではなかったと、せいぜい後悔するがいいわ」
沙都が、一息にそう言い放つと、まわりの笑い声は収まるどころか、ますます大きくなっていった。笑い転げて、あたりをのたうちまわっている者までいた。
「何よ。なにがおかしいっていうの」
沙都は涙をこぼしながら怒鳴った。
なぜわたしが、なぜこの美しいわたしが、こんな下等な奴らに笑い者にされなければならないのか。
「何がって、おお、お嬢さん」
客の一人が、前に進み出た。
こちらも目に涙を浮かべていたが、それは笑い過ぎたためであった。
「へへへへ。あんた、それはしかしよくできた冗談だが、もし本気でいっているのなら、今後のために教えといてやろう。こういうことは、知らないでいるほうがよっぽど不幸なんだ」
男はそこで一旦言葉を切り、沙都の顔を真剣なまなざしで見つめた。そして後ろを向き、見物客たちに向かって大きくうなずき、うひひひひ、と笑った。
そうして振り向きざま、こういった。
「お嬢さん、あんたの顔は、この中の誰よりも醜いよ」
……この男はなにをいっているのだろう。
頭がおかしいのか。
それとも、わたしに恨みを持っていて、わたしを陥れようとしているのか。
沙都はあまりのことに、しばらくの間、口を開くことができなかった。
見物客たちは笑い続けていた。
あまりおかしそうに笑っているので、沙都はだんだんと、これは何かおかしい、ということに気づき始めた。
何かがおかしい。だが何がおかしいのか、その異変の原因が分からない。
沙都は誰かに助けを求めようと、必死で、孫兵衛の着物の袖を引っ張った。
「父上、父上、この無礼な者たちに、何もおっしゃってはくださらないのですか」
しかし、泣きながらすがりつく娘の顔を、孫兵衛は驚愕の眼差しで見つめていた。
「ば、ば、化け物ッ!」
孫兵衛は、娘の手を強く払いのけ、ひいひいと叫びながら瞬く間に逃げ去った。
不吉な、この上なく忌まわしい予感のために、沙都の全身は悪寒の発作に見舞われた。
沙都は懐から手鏡を取りだし、己の顔を照らした。
そこに、あの女がいた。
あの、獲れたてのイワナも腐るような、おぞましい醜さだった。
沙都は、口から真っ白な泡を吹きながら、悲鳴を発し続けた。
それはまさに、気が違ってしまうほどの恐怖だった。
沙都の悲鳴はあたりの山々に谺した。
聴く者の心をかきむしるような、殷々たる悲鳴だった。
「ひぃいいいいいいいいいいいいッ」




