第七話 石像を見る
一歩進むごとに、たえの体から、ぽたぽたと血が逃げてゆく。
たえは、ふらつく体を一生懸命に奮い立たせ、天神さまの山を登っていた。
日が暮れかかっていた。
山の斜面に、熟柿のような色の光が当たり、辺り一面が濃密な橙色に染まっていく。
たえは何度も転んだ。転ぶたび、傷口に激痛がはしった。意識が遠のくほどの、強い痛みだったが、たえは歯を食いしばって、歩き続けた。
石打丸のことを考えた。
石打丸。
あなたはわたしに、いろいろなことを教えてくれた。
あなたの石像は、どれも暖かかった。
わたしのことを醜いといったり、わたしを見て、顔をしかめたりしなかったのは、あなたが初めてだった。
あなたは、わたしのことを、初めてまともに見てくれた。
あなたは、こんなに醜いわたしの顔に、笑い掛けてくれた。
日が沈んでいった。
山道を、頂上へと急ぐたえの顔は、青ざめていた。
空が暗さを増したせいなのか、あるいは、両肩からの、大量の出血のせいなのか、それは分からなかった。
石打丸。
あなたは、優しくて、大きくて、なにごとにも動じなかった。
誰になにをいわれても、あなたはにっこりと微笑んでいた。
だけど、あなたは、馬鹿にされていることを、分かっていた。
あなたは、みんなに馬鹿にされている、ということを、ちゃんと分かっていた。
分かっていて、怒らなかったのは、気が弱かったせいではない。
あなたは、ただ、みんなのことが、好きだったから。
ただ、好きだったから、微笑んでいたのだ。
あたりはますます薄暗くなり、足元が見えにくくなってきた。
たえは、よろける足を懸命にふんばり、ともすれば失神しそうになるのを、気力でこらえていた。
たえの両肩から、どんどん血が流れている。
たえは、頭が次第にぼんやりとしてくるのを感じていた。
ああ、石打丸。
わたしは、あなたが好き。
あなたを、死なせたくない。
あなたは、死んではいけない。
あなたは、まだ、彫っているのでしょう。
もう、聞こえてきたわ。
きれいな音。
コオォォォォ………‥‥ン
コオォォォォ………‥‥ン
石打丸。
あなたの音が聞こえる。
あなたが彫っているのは、それは石の像ではない。
それは、あなたのいのちよ。
たえが、ようやく、山の頂上に着いたころ、空はもうすっかり暮れていた。
約束の晩だった。
西の山から、それは見事な満月が、顔を覗かせている。
頂上についたたえは、そこにあるものを見て、おもわず息をのんだ。
「ああ…!」
それは、一千体の、沙都の像だった。
夥しい数の石像は、天神さまのほこらを取り囲むように、円形にならんでいた。
「きれい…」
たえは、たくさんの像の中をあるいていた。
沙都の石像は、美しかった。
沙都の石像には、すべて、漆黒の黒耀石が使われていた。
手抜きは、一切なかった。
すべての像が、渾身の出来栄えだった。
一千体の石像が、満月の濃密な明かりに照らされて、現実離れした美しさを放っていた。
ある像は舞を舞っていた。腰のあたりまで届きそうな沙都の黒髪は、触れればたゆたゆとほどけそうに軽く、また樹々の露をたっぷりと吸って、ますます鮮やかな黒色だった。
また、ある像は、両手を胸の前で組み合わせ、遠い天を仰いでいた。絣の着物を着て、ひたむきな肩の曲線をしていた。神々しいまでに美しい顔は、満月の光を浴びて、透明に艶やかに光っていた。
哀しい目をして、なにかを必死に追いかけている像があった。両の手を前に突き出した沙都の指先は、暗い地中から中空に突き出した水晶石のように、ぴんと張り詰めていた。
そこには、氷のような空気と、気品とがあった。しかし、それでいて、どの石像も、ある熱気のようなものを内包していた。その熱気は、あるときは炎熱地獄のように燃え上がり、見るものに激しく襲いかかるかと思うと、次には、真っ赤に焼けた剣のように、ジリジリと苦悩して、おのれ自身の身を焦がした。
それは、ある種、名状し難い美しさであった。
たえは、また、ふっと気が遠くなり、必死で頭を振った。
たえは泣いていた。
像の中を歩きながら、いつしかたえは叫んでいた。
「石打丸ッ!」
叫びながら、石打丸を探した。
「石打丸ッ! 石打丸ッ!」
会いたかった。
一目会って、なぜこんなに涙が出るのか、尋ねたかった。
たえは、歩き続けた。
朦朧とした意識の中で、石打丸を思った。
胸が、きりきりと痛んだ。
心臓が、わしづかみにされたような痛みだった。
両肩の痛みなど、問題にならなかった。
たえは、髪を振り乱し、無い両腕をふりまわすように、その身をよじった。
「石打丸ッ!」
たえは、叫んだ。
泣きながら、そう叫び続けた。




