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クロノスギア ーミネルヴァの箱庭  作者: 桜ジョー


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第9章

――ガチリ……ガチリ……ガシィンッ!!


重厚なる金属の駆動音が、天なき虚空に鳴り渡る。


歯車世界の深部、「鉄の霊峰」。無数の武具や甲冑の破片が巨大な歯車の歯に噛み合わされ、凄絶な戦の記憶を吐き出し続ける冷酷なる領域であった。


自らの過去の記憶を失い、「フレッシュ」という新たな名を刻んだレイは、手に馴染む無骨な大鎚(ハンマー)を握りしめ、青白く光る巨大歯車の上に立ちすくんでいた。


彼の傍らには、サファイアの如き瞳をたたえた少女「ウール」・アリスが寄り添っている。


周囲を覆うのは、命を持たぬ無機質な「歯車」たちだけ。


二人を乗せた巨大歯車が激しく振動し、中心軸から眩いばかりの純白の光芒が噴き出した。


光の中から現れたのは、巨大な「白銀の歯車」であった。


寸分の狂いもない精密さで回転し、その中心部から一騎の騎士の姿をした歯車が具現化する。全身を白銀のプレートアーマーで包み、その手に長大にして重厚な騎兵槍(ランス)を構えた歯車――。


フレッシュはその槍先に見覚えがあった。


白銀の歯車は一切の言葉を発せず、ただ――カチカチカチカチッ――と冷徹な駆動音だけを響かせるその佇まいを目にした瞬間、空間の空気が凍りついた。


「あっ……あぁ……っ……!!」


ウールが息を呑み、突如として激しく身体を震わせ始めた。


言葉を失っていた心の傷、そして娘アリアとともに背中を槍で貫かれたあの瞬間の凄絶な激痛と恐怖が、記憶を失ったはずのウールの魂を狂暴に苛んだのだ。


「嫌……嫌ぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」


ウールは頭をかかえ、血を吐くような悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。サファイア色の瞳は大きく見開かれ、焦点の合わない瞳で白銀の槍を見つめながら、爪が食い込むほど髪をかきむしる。


半狂乱となり、過呼吸を起こしながら石飛ぶ歯車の上を這い回るウールの姿は、まさにあのミネルヴァの地獄そのものであった。


「ウールッ!」


フレッシュがウールを抱きかかえようとしたその時、胸の奥底――魂の最深部から、マグマのような灼熱の怒りが一気に爆発した。


ウールをここまで狂わせ、悲鳴を上げさせるこの白銀の歯車が何者であるか、フレッシュの魂は正確に理解していた。


「お前だ……。お前が……ウールを……俺の大切なものを……ッ!!」


フレッシュの目が血走り、全身の皮膚から血管が浮き上がる。血管を走る血すらも怒りで沸騰し、手にする大鎚がギチギチと音を立ててきしんだ。


「許さない……絶対に……許さないぞぁぁぁぁぁッ!!!!」


――シューーッ!!


白銀の騎士の歯車は、二人の狂乱と怒りに対しても一切の感情を示さず、ただ機械的に突進を開始した。


言葉なき殺意。長槍の穂先が、寸分の狂いもなくフレッシュの胸元を穿ちにかかる。


――ガキィィィィィンッ!!


フレッシュは大鎚で受け止めるが、その威力は凄まじく、身体ごと激しく吹き飛ばされた。


追撃として、白銀の歯車から放たれる無数の光の槍。


――ドドドドドドドドドッ!!


「ハッ……ガ……っ!?」


言葉を発せぬ歯車の攻撃は、どこまでも冷酷で隙がない。狂乱するウールを守りながらでは、完全に防ぎきれず、フレッシュの身体は血に染まっていく。


(くそっ……強い……! 精密すぎる……! このままじゃウールが……!)


激痛と焦燥の中、フレッシュの瞳に狂おしいほどの集中力が宿った。


愛する者を護りたいという執念が、フレッシュの中に眠っていた理外の能力を目覚めさせる。


――蒼い閃光。


世界から一瞬、すべての音が消え去った。


フレッシュの視界の中で、刻(とき)の流れが極限まで遅延する。


白銀の騎士の歯車の動き、高速回転の調子、それどころか空間を飛来する光の槍の「過去から未来へと繋がる運動の軌跡」が、無数の光の線となって見え始めたのだ。


「見えた……!」


フレッシュの蒼い閃光は、相手の動作の「過去の刻」を読み解き、次に歯車が噛み合う「絶対的な未来の隙」を完全に割り出す能力であった。


白銀の歯車がどれほど精密で無欠の攻撃を繰り出そうとも、歯車である以上、歯と歯が噛み合う一瞬の「継ぎ目」が存在する。


フレッシュの目が、白銀の長槍の根元――もっとも強い力がかかり、かつもっとも脆いギヤの結節点を捉えた。


「ウール……もう大丈夫だッ!!」


フレッシュは蒼い閃光によって導き出された「未来の線」に沿って踏み出し、光の槍の隙間を完璧に縫うようにすり抜けた。


言葉なき騎士の歯車が、初めて驚愕したかのように駆動音を乱す。


「お前の冷酷な歯車(システム)の隙間は……ここだぁぁぁぁっ!!!!」


フレッシュは足を踏みだし、白銀の歯車と大鎚を同調させた。


――ズゥゥゥォォォォォンッ!!


大鎚が、白銀の長槍の根元へと叩き込まれる。


打撃音ではない。それは、硬質な鉄と鉄が噛み合い、限界を超えて破砕する地鳴りのような咆哮であった。


――バゴォォォォォォォォンッ!!!!


白銀の長槍が、根元から真っ二つに粉砕された。


勢いのまま大鎚は騎士の胸甲へと叩き込まれ、絶対の防御を誇っていた白銀の甲冑が、蜘蛛の巣状に亀裂を走らせて崩壊を始める。


その瞬間――破壊された白銀の歯車の亀裂から、凄まじい光の奔流とともに、「その歯車がかつて人間であった頃の記憶と悲しみ」が、フレッシュと、正気を取り戻しつつあるウールの脳裏へ直接流れ込んできた。


歯車が誰であったのか、そしてなぜこれほど冷酷な存在へとなり果てたのかの真実が解き明かされる――。


銀色の光が二人を包み込む。


それは、ミネルヴァ包囲戦よりも遥か昔の光景であった。



かつて、あの十字軍隊長には、心から愛する妻がいた。

慎ましく、信仰心にあつい美しい妻であった。


だが――ある日、近隣の住民による「嘘の密告」によって、妻は濡れ衣を着せられ、「カタリ派の異端者」として教会の宗教裁判にかけられてしまった。


隊長が戦場から駆け戻った時には、すでに遅かった。


妻は広場の柱に縛り付けられ、狂信者たちの罵声と炎の中で、命を奪われた後だったのだ。


『あなた……私は異端などでは……っ』


炎の中で消えていった妻の悲鳴。


隊長は狂乱し、妻を冤罪で焼き殺した教会と教皇代行へ、激しい殺意と狂おしいほどの怒りを抱いた。


しかし――人間としての心があまりにも深く壊れてしまった男は、その凄惨な現実を受け止めることができず、精神の破綻を防ぐために「歪んだ論理」へと逃避したのだった。


(教会が悪いのではない……教会の狂信が悪いのではない……。すべては……世の中に『異端者』などというものが存在するからだ……! 異端者さえ存在しなければ、妻が誤解されて密告されることも、火炙りにされることもなかったのだ……!!)


己の怒りの矛先を教会に向けることを恐れた男は、自らの魂に「無理やりな殉教精神」と「冷酷な騎士道」を言い聞かせた。


(異端を根絶やしにする。一人残らず、この手で消し去る……! それこそが神の御心であり、二度と妻のような犠牲を出さない唯一の道だ……!)


男は心を殺し、感情を捨て、機械のような冷酷な十字軍隊長となった。


「言葉を発せないアリス」をカタリ派の幹部と決めつけ、躊躇なく槍で貫いたあの惨劇もまた――異端への激しい憎悪で己の正気を保とうとしていた、哀しき男の壊れた果てだったのだ。


――沈黙。


光が消え去り、崩壊していく白銀の歯車が映し出される。


胸甲が砕け、ただの錆びた鉄くずへと変わっていく騎士の歯車。


言葉を発することは最後までなかった。だが、壊れゆく白銀の目線の奥に、狂気から解放された静かな諦念の光が一瞬だけ宿ったように見えた。


――カラカラカラ……カコン。


白銀の歯車は完全に砕け散り、虚空の彼方へと消えていった。


「う……あ……」


ウールは荒い息をつきながら、地面に座り込んでいた。激しいトラウマのフラッシュバックからは脱したものの、全身がまだ震えている。


フレッシュは大鎚を置き、ゆっくりとウールの前に膝をつくと、彼女の小さく震える手を優しく、強く包み込んだ。


「大丈夫だ、ウール……。もう、あの槍はお前を傷つけない」


「フレッシュ……」


ウールはフレッシュの胸に顔をうずめ、ぽろぽろと涙を流した。


「怖かった……すごく怖かったの……。でも、あの歯車の人も……悲しい炎の中にいたのね……」


「ああ……。許すことはできない。だが……奴もまた、狂った世界に心を壊された男だったんだな」


フレッシュは深く息を吐き出し、遠く歪んだ歯車の地平を見つめた。


現世のミネルヴァで二人を絶望に突き落とした「十字軍隊長」の因縁は、レイの能力と二人の絆によって打ち砕かれた。


しかし、二人から言葉と記憶を奪い、世界をこのような不気味な歯車へと変え奉った真の元凶は、さらに深く、巨大な闇の中で静かに時を刻んでいる。


フレッシュとウールは立ち上がり、互いの温もりを確かめ合いながら、次なる歯車の領域へと足を踏み出していくのだった――。

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