挨拶に一言付け加えるだけなのに(後編)
いつもの通学路。
もう、挨拶だけなら何とかなる。
たぶん。
「あ、早坂さんたちだ」
よし。深呼吸。
そして――。
「お、おはようございます」
「あ、はるとくん。おはよう」
早坂さんたちが挨拶を返してくれる。
成功。ここまでは順調だ。
よし、一言追加だ。
大丈夫。練習した通りに言うだけだ。
「今日の一時間目って何だっけ?」
思ったより自然に言えたと思う。
多分……アルゴとの特訓の成果だと思いたい。
「英語だよ」
早坂さんが答えてくれた。
よし。ここで「そっか、ありがとう」と返そうとしたら――。
「英語の宿題、難しかったよね」
桜井さんが言った。
しまった。
先に続きの会話が始まってしまった。想定外の事態だ。
アルゴ、どうすればいい?
……アルゴはいない。
というか、今「宿題」って言った?
何のことだ?
そんなもの、あったっけ……。
あった。思い出した。確かにあった。英語の宿題。
そして――やっていない。
「うん、難しかったよねー」
早坂さんが何か言っている。
「私、適当に埋めた」
悠木さんも何か言っている。
申し訳ないが、まったく会話の内容が入ってこない。
「……」
「あれ? はるとくん?」
早坂さんがこちらを覗き込んできた。
近い。
「あ、もしかして――」
桜井さんが何かに気づいたように言いかける。
その瞬間。
悠木さんが言った。
「こいつ、宿題忘れたんだ」
ピンポーン。当たり。その通りでございます。
「えっ、そうなの?」
早坂さんが鞄をごそごそと探し始めた。
「仕方ないなぁ」
軽く笑いながら、ノートを差し出してくる。
「授業が始まるまでなら間に合うでしょ?」
「え?」
「ほら。使っていいよ」
あー。
女神様って、いるんだ。
【放課後】
「アルゴー」
「おかえりなさい、はるとさん」
「なんか、今日いろいろあった」
「『いろいろ』では情報量が不足しています」
予想通りだった。
「まず、挨拶はできましたか?」
「それはできた」
「素晴らしいです」
「挨拶だけなら、もう普通にできるよ」
「成長しましたね」
ちょっと嬉しい。ほんのちょっとだけ。
「次は、何か話しましたか?」
「うん。練習した通りに、『一時間目なんだっけ』って聞いたよ」
「挨拶のあとに会話を付け加えることを実践したのですね」
「うん。早坂さんも『一時間目は英語』だって答えてくれて」
「一ターン成功です」
「でも、そのあと『ありがとう』って言う前に、宿題の話になっちゃって……」
「なるほど」
「探られて、宿題を忘れていたことが発覚した」
数秒の沈黙。
そして――。
「宿題を忘れるのは、よくありません」
「このところ、アルゴとの会話が忙しくて……」
「はるとさんと私との直近一週間の会話時間は、平均三十分程度です」
「……」
「宿題との因果関係は認められません」
いつものように、冷静な分析結果を返してきた。
当然、反論はできない。
「ごもっともです」
「それで?」
「早坂さんがノートを貸してくれた」
「ほう」
アルゴの声が、少し変わった。
宿題を見せてもらうことはよくないことだとか、言い出すのだろうか?
「早坂美月との交流に進歩が見られました」
宿題を写したことではなかった。少し安心した。
「そうなの?」
「はい。早坂美月との宿題イベントが発生しています」
なんか、イベント扱いされてる。
「宿題を忘れただけだけど」
「結果的に、会話することができました」
「まあ、それはそうだけど」
でも、早坂さんからノートを貸してもらえたのは事実だ。
早坂さんのノートは、きれいだった。丁寧な字で、要点もきちんとまとめられている。
それに――早坂さんの優しさに触れたような気がした。
これも、挨拶の成果だと思いたい。
「明日は、お礼を言いましょう」
アルゴが明日の話を始める。
「え、うん。一応、ノートを返したときに言ったことは言ったけど」
「感謝の気持ちは、複数回伝えても問題ありません」
「そうなのか」
「会話のきっかけにもなります」
そして、アルゴが続ける。
「明日の宿題はありますか?」
「まだやってない」
「では、このあと宿題をしましょう」
「はい……」
「そして、明日はこのように会話してください」
なんか、嫌な予感がする。
「『昨日はノート貸してくれてありがとう。今日の宿題もあったよね。今日はちゃんとやったから、よかったら見せようか?』」
「無理!」
即答だった。
「そんな高度な会話、できない!」
「できます」
「できない!」
「では、練習しましょう」
「いや。先に宿題やらせてください!」




