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やさしい嘘のほどき方 こもれび喫茶と小さな謎  作者: 翠川しおり
しおりの謎

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17/22

第四章 しおりの謎(三)

 しおりのことが本当に商店街の話題になったのは、それから数日後のことだった。


 こもれびの閉店後、いつもの席に小さな紙片が何枚も並べられていた。

 淡い生成り色のもの、少し白すぎるもの、角がきれいに丸いもの、ぎこちなく切られたもの。片側に金色の線が引かれているものもあれば、線が少し波打っているものもある。


 小さな謎の会、と春日井さんが名づけた集まりは、もともと大げさなものではない。こもれびに持ち込まれたささやかな引っかかりを、商店街の人たちが珈琲片手に眺めるだけの会である。

 けれど今回は、テーブルの上に並んだ紙片の数だけ、商店街のあちこちに小さな入口が開いているようだった。


「本日の議題は、しおりの謎について、ということでよろしいでしょうか」

 春日井さんが、いつもの落ち着いた声で言った。

「議題って言うと、急にちゃんとした会みたいですね」

 菜穂が言うと、春日井さんは少しだけ笑った。

「ちゃんとしていない会ほど、名前だけはちゃんとしておくものです」

「名言っぽい」

「名言っぽいですが、逃げ道です」


 カウンターの奥では、湯気の細い線がゆっくり立ちのぼっている。こもれびはもう閉店しているので、入口の札は「準備中」に返されていた。

 けれど店内には、春日井さんと私と菜穂のほかに、木犀堂の柳田吾郎さん、松尾時計店の松尾宗一さん、雑貨店つづりの篠宮千歳さん、ベーカリー桜井の桜井真一さんが集まっていた。

 修司さんは、まだ家で仕事をしている時間だった。在宅勤務とはいえ、終わるのは十九時半である。今日も「終わったら迎えに行きます。謎に足首まで浸からないように」とメッセージが届いていた。足首までならまだ浅いのでは、と返しかけて、やめた。そういうところを見透かされるから、修司さんは厄介なのだ。


「まずは、うちからですかね」

 柳田さんが、小さな木箱をテーブルの端に置いた。

 箱の中には、木犀堂で見つかったしおりがまとめて入っていた。前に見せてもらったものよりも、少し増えているように見える。

「本に挟まっていたもの、棚の端に落ちていたもの、百円文庫の箱から出てきたもの。厳密には分けていません。気づいたらここに入れていました」

 柳田さんは、箱から何枚かを取り出して並べた。


『読めない日は、背表紙だけ眺めればいい』

『見つからない』

『急がなくていい。

 紙は逃げない』

『途中でやめた本も、あなたを責めたりしない』

『今日は、ここまででいい』


 短いものもあれば、二行に分かれたものもある。言葉の調子も少しずつ違っていた。けれど、どれも小さな紙の上に、静かに収まっている。


「うちでも見つかったよ」

 ベーカリー桜井の桜井さんが、エプロンのポケットから透明の袋に入れたカードを二枚取り出した。ひとつは店先の黒板メニューの裏に貼られていたもの。もうひとつは、紙袋を置いている棚のすき間から出てきたものだという。

 桜井さんは、袋から出したカードをそのままテーブルに置いた。


『しおりの跡だけ、残っている』

『朝が重い日は、昼にひとかけらでいい』


「パン屋さんっぽいのと、パン屋さんっぽくないのがある」

 菜穂がつぶやいた。

 桜井さんは少し照れたように笑った。

「朝が重い日は、っていう方は、ちょっといいなと思ったんだよ。朝ごはん食べられない日って、あるじゃない。そういう子がいるなら、うちの小さいパンでも買っていけばいいかなって」

「商売につなげた」

「違うよ。ほんの少しね、ほんの少し」

 店内に笑いが起きた。

 けれど桜井さんは、すぐに少し困った顔になる。

「最近、若い子たちが黒板の裏をのぞいたり、棚の下を見たりするようになってね。悪い子たちじゃないんだけど、ちょっと困ってるんだ。黒板、倒したら危ないでしょ」

「それは困りますね」

 春日井さんが静かに言う。

「言葉を探すために、誰かの店を傷つけてしまっては、言葉の方も居心地が悪いでしょう」

 春日井さんらしい言い方だった。


 次に、雑貨店つづりの篠宮さんが、自分の紙袋をごそごそと探った。雑貨店の店主らしく、紙袋の中からはカードだけでなく、小さなリボンや値札の予備まで一緒に出てきた。

「うちは、隠し場所だけなら売るほどありますから」

「本当にありそう」

 菜穂が身を乗り出した。

「どこにあったんですか?」

「陶器の小さな家の中、猫の置物の下。それから、木製の引き出しの三段目にもありました」

「完全に宝探しじゃない」

「最初は、誰かの遊びだと思ったんです。でも、最近はカードだけを探しているお客さんもいて」

 篠宮さんは、テーブルに三枚のカードを並べた。


『選べない日は、眺めるだけでいい』

『同じ棚を、また探した』

『かわいいと思えたものが、今日の味方です』


「つづりさんのは、なんか場所に合ってるね」

 菜穂が言った。

「そうなんです。だから最初は、うちの商品に合わせてくれたのかなと思っていたんですけど」

 篠宮さんは、少し困ったように笑った。

「でも、カードを探しに来る子たちの中に、楽しそうというより、必死な子がいるんです。見つからないと、すごく落ち込んでしまう子もいて」

「そんなに?」

「ええ。小さなカード一枚なのに、まるで合格発表でも見るみたいな顔をしているんです」


 松尾時計店の松尾さんも、胸ポケットからカードを取り出した。

「うちは、柱時計の裏に挟まっていましたのと、ガラス製の置時計の下でした」

「柱時計の裏って、普通のお客さんは見ませんよね」

 私が言うと、松尾さんはうなずいた。

「ええ。だから、掃除の時に気づきました。うちの古い時計は、背面にほこりが溜まりやすいので」

 松尾さんは二枚のカードを並べた。


『止まったまま、待っている』

『止まった時間があってもいい。

 針は、また動き出せるから』


 時計屋さんで見つかるには、できすぎているくらいの言葉だった。片方は、止まったままの時間を見つめている。もう片方は、動き出す日が来るかもしれないと、遠くに灯りを置いている。

「これ、いいですね」

 菜穂が、二枚目のカードを見て言った。

「でしょう。うちの時計にも聞かせたいくらいです」

 松尾さんが真面目な顔で言うので、春日井さんが小さく咳払いをした。笑いを隠したのだと思う。

 テーブルの上には、いろいろな店から持ち寄られたカードが並んでいた。


『読めない日は、背表紙だけ眺めればいい』

『見つからない』

『急がなくていい。

 紙は逃げない』

『途中でやめた本も、あなたを責めたりしない』

『今日は、ここまででいい』

『しおりの跡だけ、残っている』

『朝が重い日は、昼にひとかけらでいい』

『選べない日は、眺めるだけでいい』

『同じ棚を、また探した』

『かわいいと思えたものが、今日の味方です』

『止まったまま、待っている』

『止まった時間があってもいい。

 針は、また動き出せるから』


 どれも、悪い言葉ではない。

 けれど、並べてみると、同じ紙の上に違う温度の言葉が混ざっているように見えた。

 菜穂が、テーブルの上をじっと見下ろす。

「ねえ、澪」

「なに?」

「なんか、全部いい言葉のはずなのに、並べると変じゃない?」

「変?」

「うまく言えないけど。ほっとするやつと、胸の奥がざわっとするやつがある」

 その言い方は、いつもの菜穂にしては慎重だった。

 私はうなずいた。


 菜穂が感じているものは、私が木犀堂で感じたものと同じだった。紙や文字や金色の線の違いだけではない。もっと根っこのところで、置かれた言葉の重さが違っている。

 けれど、まだそれを結論にするには早い気がした。


「投稿していた人は、もう更新していないんですよね」

 柳田さんが言った。

 菜穂はスマートフォンを取り出し、SNSの画面を開いた。みんなが少しずつ身を乗り出す。

「元の投稿は、半年くらい前で止まってる。最後の方は、病院帰りとか、今日はこもれびで温かいものを飲んだとか、木犀堂で本を買ったとか、そういう内容が多いかな」

「名前は?」

「本名じゃないと思う。顔も出してない。手元とか、棚とか、カードの端だけ」

「その方の投稿が止まってからも、カードだけは見つかっているということですか」

 松尾さんが静かに言った。

「そうなりますね」

 春日井さんが答えた。

 断定するには、まだ足りない。けれど、テーブルの上には確かにいくつもの沈黙があった。似たような小さな紙に書かれているのに、どれも同じ顔をしているわけではない。

「でもさ」

 菜穂が、少し困ったように笑った。

「これ、悪いことって言い切れないのが難しいよね。カードを見つけて、本当に救われてる子もいるわけでしょ。商店街に若い子が来てくれるのも、悪いことじゃないし」

「ええ」

 春日井さんがうなずいた。

「ただ、来てくださる方にも、この場所で働いている方にも、無理がない形であってほしいですね」

「うちの黒板は、無理が出始めてます」

 桜井さんが手を上げる。

「それは早めに対策しましょう」

 春日井さんが真顔で言ったので、また少し笑いが起きた。


 顔も名前も知らない誰かの言葉に救われることはある。むしろ、知らないからこそ受け取れる言葉もあるのだと思う。近すぎる人の励ましは、時にまぶしすぎる。遠くから差し出された一行だから、そっと持てることもある。

 けれど、その一行を握りしめすぎると、今度は手を開けなくなる。


 私は、SNSの画面に並んでいたコメントを思い出した。


 今日も救われました。

 また探しに行きます。

 この言葉がないと、少し不安です。

 戻ってきてほしい。


 最後の一文だけが、少しだけ重く残った。

 その時、こもれびの扉についたベルが鳴った。

 からん、と夜の音がした。


「こんばんは。澪さん回収便、業務終了につき出動しました」

 修司さんだった。重くなりかけた店内の空気と、珈琲を一杯いただいてそろそろいい時間かな、というこちらの気持ちに応えるような登場だった。


 仕事終わりのはずなのに、相変わらず声だけは軽い。店内に集まった顔ぶれを見て、少しだけ目を丸くしたあと、すぐに私を見つけて笑った。

「いた。今日は足首どころか、ひざまで浸かってますね」

「まだ足首です」

「澪さんの足首は、ずいぶん深いところにあるんだね」

「どういう意味よ」

 菜穂が「修司さん、今日はひざ上です」と楽しそうに告げ口をした。

「菜穂」

 照れくささもあって、私は口をとがらせて言った。

「報告義務でしょ、それは」

「誰への?」

「回収便への」

 修司さんは笑いながら、私の隣まで来た。テーブルの上に並んだカードを見て、表情を少しだけ静かにする。

「こんなにあったんだ」

「商店街のあちこちから出てきたの」

 私はそう説明した。

 修司さんは、カードには触れず、少し身をかがめていくつかの言葉を読んだ。『急がなくていい』『朝が重い日は、昼にひとかけらでいい』『見つからない』『止まったまま、待っている』。最後の一枚で、ほんの少しだけ目が止まる。

「待つ言葉って、増えると重くなるね」

 修司さんは、それだけ言った。

 明るい声ではなかった。けれど、暗い声でもなかった。よく知っている道の途中に、昔つまずいた石を見つけたような声だった。

「修司さん?」

 私が見上げると、彼はすぐにいつもの顔に戻った。

「さて、澪さん。今日はそろそろ帰りましょう。糖分と謎を摂取しすぎると、夜に目が冴えます」

「謎は摂取するものじゃないでしょう」

「澪さんはだいたい飲んでます」

「飲んでない」

「じゃあ、猫みたいに前足でつついてる」

「また猫」

 菜穂が笑い、春日井さんがカップを片づけ始めた。小さな謎の会は、ひとまずそこでお開きになった。

 けれど、テーブルの上のカードはまだ片づけられずに残っていた。


「このカード、今日私が預かってもいいかな」

 そう私が言うと、みんなは「どうぞ」と快く応えてくれた。


『今日は、ここまででいい』

『見つからない』


 似たような紙に書かれた、似ていない言葉たち。


 誰かを休ませるために置かれた言葉と、何かを探し続ける言葉。


 その二つが、いつから混ざり始めたのか。


 そして、誰が今も商店街のどこかに、見つからない、という小さな声を隠しているのか。


 こもれびの灯りの下で、しおりたちは何も言わなかった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


高校生の頃、学校帰りに寄れる場所に古本屋さんがありました。

すごい古い文庫本を高校生でも買える値段で売ってくれていて、よく入り浸ったものでした。

前の方が買われた日付、はさんだしおり、中には感想が書かれたものも。

そんな古書が私は好きです。


楽しんでいただけたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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