表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やさしい嘘のほどき方 こもれび喫茶と小さな謎  作者: 翠川しおり
失せ人の謎

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/22

第三章 失せ人の謎(一)

 こもれびの奥の席に、いつもより椅子が多かった。

 それだけで、菜穂は入口で足を止めた。


「澪」

「なに?」

「これは、何かが始まる配置だよ」

「椅子が多いだけで?」

「椅子と座布団が多い日は、だいたい何かが始まるの。会議とか、反省会とか、町内会とか、断れない集会とか、めったに来ない親戚の集まりとか」

「最後のだけ、急に生活感が強い」


 私はそう返し、笑いながら奥の席を見た。

 本棚と木の仕切りに囲まれた一角。いつもなら、私と菜穂が向かい合って座ればちょうどいいくらいの場所に、今日は丸いテーブルが二つ寄せられていた。


 窓際には、時計屋の松尾さんがすでに座っていた。カップに手を添え、こちらに気づくと少しだけ会釈をする。

 その隣には、真鍋千尋さんがいた。膝の上に、図書館帰りらしい布のバッグを置いている。

 さらに奥では、百合子さんと文さんが並んで座っていた。二人の前には、同じ柄のカップが二つある。

 会話は聞こえない。けれど、二人のあいだに置かれた沈黙は、前に見たものより少しだけやわらかく見えた。


「同窓会?」

 菜穂が小声で言った。

「同窓会にしては、学校がないね」

「じゃあ、謎関係者の集い」

「言い方よ」


 私がたしなめたところで、カウンターの向こうから春日井さんが出てきた。

 白いシャツに、濃い茶色のエプロン。いつもと同じ姿なのに、今日は少しだけ背筋が改まって見えた。


「いらっしゃいませ」


「春日井さん」

 菜穂が奥の席を指さした。

「ご招待ありがとうございます。何を企んでるんですか?」


 春日井さんは、ほんの少しだけ目を細めた。

「企む、というほど大げさなものではありませんが」

「出た。大人の『たいしたことではありません』は、だいたいたいしたことがあるやつ」

「三沢さんは鋭いですね」

「褒められた?」

「たぶん、やんわり観察されてる」

 私が言うと、菜穂は大きく納得したように、わざとうなずいてみせた。

「そろそろ私も一人前なんだと思うの」

 春日井さんは魔王の側近のように微笑むと、奥の席へ視線を向けた。

「名前がないまま続けるのも、少し落ち着かなくなってきまして」

「名前?」

「ええ」


 そのとき、奥の席から絹子さんの声がした。

「つまり、会よ」


 振り返ると、絹子さんが入口に近い席で手を振っていた。

 いつからいたのか。いや、絹子さんの場合、最初からいた気もするし、いつの間にか現れる気もする。

 どちらでもあまり驚かないところが、すでに少し困る。


「会?」


 私が聞き返すと、絹子さんは胸を張った。

「そう。人が集まり、お茶があり、話すべき謎がある。これを会と呼ばずして、何と呼ぶの」

「お茶会?」

 菜穂が言った。

「それだと、ただ食べて終わる人が出るでしょう」

「私を見て言いました?」

「愛すべき娘の愛すべき親友にそんなこと……おほほ」

 菜穂は、遠慮のないやり取りを楽しんでいるようだった。そして、その目はすでにテーブルの上の焼き菓子へ向いている。


 春日井さんは、そんな二人を静かに見守ってから、私たちに椅子を示した。

「大げさな探偵ごっこにするつもりはありません。ただ、町の中に残った小さな疑問を、ここで少し考えられたらと思いまして」


「小さな疑問の会?」

 菜穂が首をかしげる。

「それだと、回覧板の相談欄みたいね」

 絹子さんがすぐに却下した。


「では」

 春日井さんは、少し考えるように間を置いた。

「小さな謎の会、くらいでどうでしょう」


 小さな謎の会。


 その言葉は、こもれびの奥の席にそっと置かれた。

 派手な看板ではない。誰かに見せるための旗でもない。けれど、古い本に挟まれた栞のように、その場所にちょうどよく収まった。

「謎を解く会、ではないんですね」

 私が言うと、春日井さんはこちらを見た。


「ええ。解けないものも、ここに置いていけるように」


 その言い方が、こもれびらしいと思った。

 答えを急がせる場所ではない。誰かの言えなかったことや、持ち帰れなかったものが、少しだけ休める場所。

 そこに名前がついただけなのかもしれない。


「でも、会ってことは、会費とかあるんですか?」

 菜穂が急に現実へ戻した。

「ありません」

「よかった」

「ただし、飲み物代は通常どおりです」

「そこは夢を見させてほしかった」

「夢はケーキで補ってください」

 春日井さんがそう言ったところで、店の扉が開いた。


 ベルが、カランと軽く鳴る。


 入ってきたのは、パティスリー岩倉の店主、岩倉誠さんだった。


 白いコックコートではなく、濃い色のカーディガンを羽織っている。店を閉めたあとの顔をしていた。

 けれど、その手には白い紙箱がある。


 菜穂の背筋が、目に見えて伸びた。

「澪」

「うん」

「これは、何かが始まる箱だよ」

「さっきから全部始まってるね」


 岩倉さんは、少し照れたように笑った。

「遅くなりました。第一回に手ぶらでは来られないと思いまして」


「第一回」

 百合子さんが小さく繰り返した。その声には、少しだけ笑みが混ざっているように聞こえた。

 春日井さんは岩倉さんを席へ案内し、紙箱はテーブルの中央に置かれた。

「では、岩倉さん」

 絹子さんが、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。


「記念すべき第一問を」




「第一問と言われると、急に緊張しますね」

 岩倉さんはそう言いながら、紙箱へ手をかけた。


 白い箱の側面には、パティスリー岩倉の小さなシールが貼られている。栗の絵が描かれた、丸いシールだ。


「中、見てもいいですか?」

 菜穂が聞いた。

「もちろんです」

 岩倉さんがふたを開ける。

 中には、モンブランが三つ並んでいた。細く絞られた栗のクリームの上に、粉砂糖がうっすらとかかっている。


 こもれびの灯りの下で、それは小さな山のように見えた。

 三つ。

 その数に、私は少しだけ指先を止めた。

 家族の数としては、ありふれている。ありふれているはずなのに、ときどき置き場所に困る数がある。


「澪?」

 菜穂に呼ばれ、私は瞬きをした。

「ごめん。なんでもない」

「モンブランに見とれてた?」

「そういうことにしておく」

「わかる。私も今、かなり見とれてる」

 菜穂は真剣な顔でうなずいた。


「昨日お売りしたものと同じモンブランを、三つ持ってきました。話をするなら、そのほうがわかりやすいかと思いまして」

 岩倉さんは、箱の中を見下ろしながら続けた。


「昨日、このモンブランを三つ買っていった男の人がいました」


「お客さんですね」

 松尾さんが穏やかに言う。


「はい。お客さんです。ただ、その方について、少し妙なことがありまして」


 奥の席の空気が、ほんの少し変わった。

 誰かが身を乗り出したわけではない。誰かが大きな声を出したわけでもない。けれど、カップの音がひとつ減った。

 それだけで、人が話を聞く準備をしたことはわかる。


「昨日の夕方です」


 岩倉さんは、窓の外へ目を向けた。

 こもれびの窓からは、通りの向こうにある改装中の古いビルが少しだけ見える。灰色の養生シートに包まれた建物は、夜の手前の光の中で、半分だけ眠っているようだった。


「うちの向かいのビルに、男女二人が入っていったんです。女性のほうは、私も知っている方でした。あの建物の関係者です」

「男性のほうは?」

 春日井さんが静かに尋ねた。

「見覚えのない方でした。スーツ姿の、会社員風の男性で」


「二人でビルに入ったんですね」

 私が確認すると、岩倉さんはうなずいた。


「はい。けれど、しばらくして出てきたのは、女性だけでした」

「男性は?」

 菜穂の声が、少しだけ高くなる。

「出てきませんでした」

 百合子さんと文さんが顔を見合わせた。真鍋さんは、膝の上の布バッグにそっと手を置いている。

「中に残っていたのではありませんか」

 松尾さんが言った。

「私も、最初はそう思いました」

 岩倉さんは、紙箱の端に指を添えた。


「でも、その少しあとに、その男性がうちの店に来たんです」


「え?」

 菜穂が、はっきりと声を上げた。

「店に?」

「はい。さっきビルに入っていった男性と、同じ顔でした」

 絹子さんの眉が、ぴくりと動いた。

「裏口は?」


「あそこは、裏側が公園の売店と背中合わせになっているんです。裏には小さな物置を置くスペースがあったはずですが、そこから外へは出られません。昨日は店も落ち着いていて、私は厨房にこもっていたわけでもない。向かいの入口は、ショーケース越しによく見えていました」


 岩倉さんは、そこで一度言葉を切った。


「スーツの人が出てきたなら、気づいたはずなんです」


 私は、その言葉を心の中でそっと折り返した。


 スーツの人が出てきたなら。


 まだ何もわからない。けれど、小さな結び目があるような気がした。


「それで、その男性は」

 春日井さんが紙箱の中を見た。

「モンブランを?」

「はい」

 岩倉さんは、三つ並んだ小さな山を見下ろした。

「モンブランを、三つ買っていきました」


「三つ」

 春日井さんが低く繰り返す。


「第一問から、消えた男とモンブラン三つ」

 菜穂が、両手を膝の上で握った。


「ねえ、澪」

「うん」

「これ、普通に怖くない?」

「普通に、少し変だね」

「少しで済む?」

「今のところは」

「探偵としては弱気じゃない?」

「私は探偵じゃないよ」

 そう言いながらも、私は岩倉さんの話をもう一度思い返した。


 改装中のビル。スーツ姿の男性。女性だけが出てきた入口。店に現れた同じ男性。

 そして、三つのモンブラン。


「でも、この謎は少し、考えてみたくなっちゃうね」


 こもれびの奥の席で、誰も答えを急かさなかった。


 春日井さんは、ケーキの乗った小皿をみんなの前に並べた。絹子さんは少し楽しそうに背筋を伸ばし、菜穂は怖がりながらもモンブランから目を離せない。どうやら箱に3つだったのはこの話用の演出だったようで、ここにいる人数分のモンブランが奥から小皿に載せられて出てきた。


 小さな謎の会。


 その記念すべき第一問は、甘い栗の匂いと一緒に、私たちの前に置かれた。


 消えたように見えた人は、どこへ行ったのか。


 そして、なぜモンブランは三つだったのか。


 私は岩倉さんへ向き直った。


「詳しく聞かせてください」


ここまで読んでいただきありがとうございます。


新しく「会」が発足いたしました。

記念すべき謎第一号はお楽しみいただけましたでしょうか。


まだもうちょっと毎日20時に投稿をしていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ