未結1
未結1
「起きろ〜、時間だぞ〜」
三回目だった。
本多が朝に弱いのは知っている。だがこれ以上は、「八時前に起こして」という本人の依頼を果たせない。自分の仕事にも響く。
意を決して掛け布団を引き剥がした。丸まった猫のような本多が現れる。
「寒い……無理……」
無精髭の生えた口から、未練がましく言葉がこぼれる。まだ寝ていたいという願いは叶えてあげることはできない。
「ほら。今日は出社する日なんでしょ? 間に合わなくなるよ」
顔を近づけ、頬をつまむ。
「……うぅ」
眉間に皺を寄せ、目がうっすらと開く。眩しさのせいか、起こされた恨みか、本多は睨みつけてきた。
――昨日、自分で頼んだくせに。
起き上がった本多はトイレを済ませ、床に座ってベッドにもたれかかる。部屋にソファはない。テーブル横のベッドが、いつも背もたれ代わりだった。
寝癖のついた髪のまま座る本多は、まだ魂が半分抜けているようだ。
コーヒーを淹れ、目の前に置く。そのままキッチンへ戻り、前夜から卵と牛乳に浸しておいた食パンをフライパンに乗せた。
本多の大好物――フレンチトーストだ。
スマホを操作しながら、本多はマグカップを持ち上げる。温度を確かめるように、慎重に一口。
少しずつ、目が覚めていく。
焼き上がったフレンチトーストを皿に盛り付け、粉砂糖を塗すと、自身のコーヒーが入ったマグカップとともに持って、本多の目の前に置いた。
「あ、やった」
一瞬だけテンションが上がる。スマホを左手に持ち替え、右手でフォークを取り、食べ始めた。
本多の斜め後ろに腰掛ける。寝起きで四方八方に跳ねた髪を、後ろから眺めるのが好きだった。
「今夜はどうするの?」
「今夜は予定がある」
コーヒーを口に含みながら、振り返ることなく答える。
「ふ〜ん。わかった」
マグカップを両手で包みながら淡々と返す。
「この辺、ドラッグストアあるっけ?」
「あ〜駅の北口にあるよ。うちに来るとき南口でしょ?反対側」
「この時間からやってる?」
「まだかな。でも三十分くらいで開くと思う」
「じゃあ出る頃に寄れるか」
「そうだね」
少し、沈黙。
「……今夜は美月んち?」
さらに小さな沈黙。
「あぁ…うん」
同じだけの沈黙。
――ガシッ。
「痛っ!」
本多の脇腹に衝撃が走る。
驚きでフォークを床に落とした。
斜め後ろから蹴られたのだ。
「そこは正直に言わなくてもいいんだよ」
別方向を向いたまま、何事もなかったようにコーヒーを飲む。機嫌が悪いのは明らかだった。
――そっちが聞いてくるから。
本多の心の声が喉奥で生成され、猛スピードで駆け上がってきた。思わず吐き出しそうになったが、危機管理能力が寸前でこれをこらえた。
落としたフォークをティッシュで拭きながら、目だけで抗議する。決して視線を合わせない。
食べ終えた本多は着替え、スマホ、財布、鍵を確認する。
「んじゃ」
それだけ言って、部屋を出ていった。
毎回この瞬間思う。
ここは自分の家なのに、置いていかれたような気分になる。
「……今日は、“またね”じゃないんだ」
いつも言っていた言葉じゃなかった。誤差といえば誤差。けれど、そのわずかな違いが胸をひどく冷やした。
一週間前、美月とLINEをやり取りしたとき。
「生理初日…。お腹きつい」
倒れ込んだ猫のスタンプとともに、そのメッセージは送られてきた。
あれからちょうど一週間。
一週間前に生理が始まった美月の自宅に、本多はその一週間後に訪れる。その意味が、否が応にも頭をよぎる。
「嫉妬できる立場じゃないのに」
小さく呟く。
【詩織】は、フレンチトーストの皿を片付けた。




