異変
すぐ後ろまで来ていたセドリックに気づくと、騎士は慌てて後ろに下がり、礼をとる。
「あ、鍛錬終わりですか?」
「何を話していたんだ?」
いつもは完璧なセドリックだが、鍛錬後で少し乱れた様子が見られる。ヘアセットが崩れ、シャツのボタンは大胆に開けられていた。
けれど、その様子が妙に色っぽい。
(なんかムカつく。)
よっこらせ、と私は立ち上がった。
「セドリック様が鍛錬しすぎで、騎士の方々が心配してる、っていう話です。……じゃ、私は帰りますね」
私が歩き始めると、セドリックがついてくる。
「なぜそんな話をしていた」
「セドリック様の鍛錬を止めてって言われたんですよ。最近は無茶なほど鍛錬してるって。……なんでそんなことしてるんですか?」
こっちが聞くと、セドリックは一瞬言葉に詰まった。
「ま、言いたくないなら良いんですけど」
私は視線を前に戻す。
「……国に魔獣が増えている。それも、王都から程近い街で、だ」
セドリックは少し間を置いてから言った。
「魔獣、ですか。元々いたところに、増えてるんですか?」
「ああ。かつての砂漠には、元々魔獣がいた。クラウディアの母親に舞ってもらうようになってから、砂漠は潤った。それとともに、一度は魔獣が減ったのだが、最近は増えている」
「?……おかしいですね。豊穣の祈りは魔獣も追い払うはずなんですけど」
「そのはずだがな。とにかく倒さねばならん。騎士団から既に数名やっているが、私も行くつもりだ」
「だから今追い込み鍛錬をしてる、と」
「そういうことだ。……私には、戦うことしかできないからな」
そう言ったセドリックの顔に、少し影が落ちる。
舞うことはできないから、戦うしかない、と言いたいのだろうか。
(どいつもこいつも、責任感が強くてやんなっちゃう。)
「でもさ、無理するほど鍛錬したら意味ないでしょ。疲労が顔に出てますよ」
「それはその通りだな。気をつけよう。すまない、迷惑をかけた」
「謝罪なら、心配していた騎士の方たちにどうぞ。私は別に、迷惑かかってませんよ」
「……ああ、そうする」
セドリックはゆっくりと頷いた。
——妙なことが起きている。
ハルの様子から、伯爵領でもなにか異変が起こってていそうだった。
一体何が起きているのだろう。
「ただいまー」
王宮から帰宅すると家の中ががらんとしていた。
「イルー?」
イルがいない。
「そういえば、伯爵領に行くって言ってたっけ……」
朝、私が出かける前にそう言っていた。すぐ帰ってくる予定ですけど、もし遅くなったとしても夜ご飯をちゃんと食べるんですよ、って。
自分の部屋に入って、紅茶を淹れる準備をする。
紅茶だけはいつも、イルが淹れてくれていた。私が淹れる紅茶は激まずだから。
とりあえず淹れてみるが、やはり——
「まずすぎ……」
相変わらずドス黒い。
やっぱり。とため息をつくイルの声が聞こえる気がする。
茶葉をポットに入れて、水を注いで、ちょっとおいただけなのに。
逆を言えば、そんな面倒な工程をふんだのに、結果がこんなに不味い紅茶だなんて、釈然としない。
「そうだ! 魔法で淹れればいい」
紅茶を正しく淹れる方法はきちんと頭に入ってはいるはずだ。
魔法陣に細かい術式をどんどん描き入れる。
茶葉をポットにいれる風魔法。
沸騰した水は、水魔法と火魔法の組み合わせだ。
(いつも、見た目が良くないんだよな。)
「色も魔法で調整してみよう」
色を変えると言うことは、光魔法だ。
紅茶の、琥珀色の光だけを反射させる。
「できるの?そんなこと」
自分で言っておいて、不安になる。
——まあ、やってみたらわかるだろう。
光魔法の魔法陣は別で描く。
「光を反射させる……えーっと、ここをこうして……」
上手くできたかはわからないが魔法陣はなんとか形にはなった。
紅茶を淹れる魔法陣に手をかざし、魔力を流す。
茶葉が箱から浮かび、ポットに着地すると、湯気とともに熱湯がポットから湧き出る。
こちらは上手くいってそうだ。
頃合いを見計らって、光魔法陣に魔力を流す。
ポットの中が一瞬鋭く光った。
「……?」
ポットの中を覗き込む。そこには——
毒々しい赤黒い液体が入っていた。
どう見ても琥珀色とは言い難い。
「なにこれ。……どんな味がするんだろう」
飲んでみる。
味は案外普通だった。不味くはない。
特別美味しくもないが。
「少なくとも、紅茶を淹れる魔法は上手くいっている、ってことか」
問題は光魔法だ。
「赤と黒が多すぎた?……ここをこう変えてっと……」
魔法陣を描き変える。
もう一度。
——ぽわっ。
今度は淡く光った。
「……惜しい!」
薄すぎてレモン水のような色味だ。
全く惜しくないですよ、とか言うイルの幻聴が聞こえる。
「もう一回!」
描き変えて、魔力を流す。
途端、淡く優しい光が、ポットから溢れ出る。
今度こそ——。
ポットの中で、琥珀色の液体が揺れていた。
「……!」
成功だ。
「やったー!」
私は両手をあげて喜んだ。
「………」
返事はない。
当たり前だ。今日はイルがいない。
いつもなら、呆れた顔で良かったですね、とか言ってくれるのに。
「……一人でやっても、しまらないな」
ポツリと呟いて、私は椅子に腰掛けた。
「早く帰ってこないかな、イル」
窓の外を眺める。
夕暮れの空が、静かに暗く沈んでいった。




