平民街
「見て、イル! あれは何?」
「あれは工場の煙突群ですよ。あの辺りに工場が集まってるので。ちゃんと前見ないと転びますよ、ディア様」
貴族街のはるか下に、平民街はある。平民街へ向かう階段を降りながら、私は下に見える平民街を見下ろしていた。
2階建の建物が連なって立ち並ぶそのさらに奥に、高い屋根から伸びる何本もの円柱を見て、私は指差した。円柱からは、黙々と煙が上がっている。
イルは私が指した先をチラリと見ただけでこちらへ視線を戻す。
「あれは? 大きい建物!」
貴族の屋敷と同じくらいの大きな建物が、平民街の真ん中にでん、と建っている。
「あれはおそらくギルドですね。冒険者ギルド、商業ギルドなど、全部が一つにまとめられています」
私が指を向けるたびに、イルは迷いなく答える。
「なんでも知ってるね、イル」
「……一時、この国の平民街に住んでましたからね」
「え?」
「ここよりもう少し南ですけど」
「そうなの?!」
イルの方をぐるんと向く。
——その拍子に、降りていた階段から、足を踏み外しそうになる。
「あっ……!」
「ほら、言わんこっちゃない」
イルはまるで予想していたかのように、落ちる私を軽々と抱き抱えた。
「……あぶな。ありがと、イル」
「どういたしまして」
イルは私を抱えたまま急な階段を降り切り、そっと地面に下ろしてくれる。
「なんで平民街に住んでたの?」
「まあ、色々ありまして」
イルにしては珍しく、濁したように言う。
「ふーん」
(言いたくないのかな。)
国がなくなり、伯爵領になってからイルは兄の護衛になった。
イルは護衛だけど、今の伯爵領の貴族出身だと聞いていた。
「平民街に住んでた時に家事をしてたから、あんなに家事ができるの?」
貴族出身なのに、今の従者がいない生活に、イルはすんなり適応し、そつなく家事をやってのけていた。
「そうですね。一人暮らしだったんで、家事はやらざるを得なかったですね。……最初は酷かったですよ」
「へえー、そうなんだ。イルも最初からできたわけじゃないんだ」
少し安心する。イルと比べると自分の家事のできなさっぷりに驚いていたから。
「まあ、クラウディア様よりはできてましたけどね」
「なんだって?!」
「おーい、クラウディア様、こっちです!」
イルと話しながら進んでいると、少し先に手を振っているモニカを見つけた。
仕立てはいいが簡素なワンピースを着ており、平民街にも馴染んでいる。
「モニカ!」
「迷わずこれましたか?」
「うん、大丈夫だったよ」
モニカの視線が、不思議そうに私の後ろへとむかう。
「あ、こっちはイル。護衛ね」
「そうでしたか。こんにちは。イルさん。今日はよろしくお願いします」
イルもお辞儀をして、すっと私の半歩後ろに下がった。
他人の前では、イルはきちんと護衛らしく振る舞う。
モニカがこちらに振り向いた。
「平民らしい服を着てても、クラウディア様はクラウディア様ですね」
「そうかな?」
「そうですよ。目立ちます」
モニカは私を下から上まで見て、断言した。
「余計な混乱を生まないように、今日は平民のふりをしてくださいね。私と同じ商家の娘ということにしましょう」
「了解」
「極力フードはかぶっておいてくださいね」
私は思わず足を止める。
「フード被ってたら、怪しくない?」
「その顔見られる方が怪しまれますよ。どっかのお姫様が来た!って」
自分の顔は貴族的であるとは思うが、フードの方が断然怪しいと思う。
モニカの方が平民街に慣れているだろうから、しぶしぶフードを頭にかける。
次に、モニカはイルへ視線を向けた。
「イルさんは……」
そこでモニカは言葉を途切れさせる。
「何でしょうか」
「いえ、イルさんも、すごく顔が良いですね」
「……フードを被った方がいいですか?」
イルがフードに手をかける。
「そうですね。クラウディア様よりは雰囲気は馴染んでますけど、念のため被っておきますか」
イルの方が馴染んでいる、だと? これが平民街で暮らしていた差かっ!
モニカはフードを被った私たちを見て、腕を組む。
「フードを被った顔を見せない怪しい二人組。商家の娘と、それに敬語で話しかける青年。……うん、めちゃくちゃ目立つ気がします」
「ダメじゃん!」
「はい。まあ、旅人とかでフード被ったままの怪しい人もいますし、なんとかなるでしょう」
本当に?なんだか先行きが不安だな。
モニカに続いてくねくねした道を進み、さらに長く細い階段を降りた先。
そこは、貴族街や、先ほどまでいた貴族と平民街との境目の商人街と雰囲気が違っていた。
「おい!そこのバール、とってくれ!」
あるところでは職人風の男が金槌を持ち上げ、大声をあげている。
「ヒラ焼きパンはどうだい? もうすぐお昼時だろう!」
あるところでは、露店から女性が声を張り上げて客引きをしている。
油と、汗と、食べ物と、何かわからないものがたくさん混ざった匂い。
熱気と、活気がある。
「すごい……」
私は立ち止まり、あたりを見渡した。
「クラウディア様、突っ立ってたら危ないですよ」
イルが呟き、私を道の端へ寄せる。
「どいたどいた!」
そのすぐ後に、カゴに入った洋服の山が前から来て私の横を通り過ぎていった。
「ん?」
思わず振り返ると、洋服の山だと思ったそれは、洋服の山に埋もれるくらいの小さな男の子だった。危ういバランスのそれを器用にかかえながら走っている。
「あれ、なに?」
「あれは、洗濯屋のお遣いですね。朝に集めて、洗って、夕方に返します」
私が男の子から目を離せずに聞くと、イルが説明してくれる。
お遣いだとしても。
「あんな、小さな子がしてるの?」
私の疑問に、イルは少し躊躇うように口をつぐむ。
モニカが代わりに頷いた。
「はい。洗濯屋の構成は基本的に子どもや女性、特に妊産婦ですよ」
「どうして?」
「他の働き口が少ないから、ですね」
モニカは迷わず答える。
「遠くに行けない、力仕事ができない、働ける時間が限られてる」
条件を指折り数えていく。
「あんなに大量の洋服を洗うんでしょ?結構力仕事だと思うけど」
「そうですか? 他の仕事に比べたら、マシだと思いますよ」
そうなの? 自分の服数枚洗うのですら、めちゃくちゃ疲れるんだけど。
「まあ、あの子を追って洗濯屋に行ってみましょうか」




