3話
上空を見上げれば、何羽もの鳥の影。大きな羽を広げて里の上を旋回している。
「――夜喰鴉」
翼を広げると優に二メートルを超える、漆黒の巨鳥。普段は山奥にいるが、繁殖期になると人里に降りてくる。
「森に隠れてろ!」
石垣の上に残っていた子供達に声を掛け、宵羽は弓を掴んで走り出した。
「藍瑠、お前もだ。飛んでると標的になるぞ」
段畑を抜け、坂道を駆け降りていると、後ろから羽ばたく音が近づいて来た。
「――藍瑠」
「きゅい」
「ダメだ、隠れてろ」
なぜかヤル気を漲らせている藍瑠は、宵羽の目線の高さでついて来ていた。
「きゅ、きゅっ!」
「……お前が何をするって?」
「きゅいっきゅ」
何かを任せろと言っているらしい。夜喰鴉を見るのは初めなのに、何をする気だと宵羽は不安になった。
坂道を降りて視界が開けると、旋回する夜喰鴉の下に子ヤギを抱えた子供が蹲っているのが見えた。夜喰鴉たちは上空で奇声を上げながら旋回し続けている。
宵羽は環首刀を抜いて口に咥えると、背中の弓と矢筒から矢を数本掴んだ。この距離では矢は届かないが、蹴散らすことはできる。
極限まで弦を引き絞って矢を放つと、夜喰鴉たちは宵羽の方を向いた。巨鳥達の紅眼を睨んだまま、宵羽は蹲る子供へ声を上げた。
「今のうちに逃げろ」
向こうから、里の男達が弓を持って集まっていた。子供は子ヤギを抱えて走っていく。
何羽がその後を追おうとした時、
「きゅいっきゅ――」
隣の藍瑠が甲高い声で鳴いた。
「バカ藍瑠!」
瞬間、夜喰鴉たちの紅眼が一斉にこちらを振り向いた。この距離からでも、目を細めるようにして瞳孔が開いたのがわかった。
体の大きさの割に太い脚と爪、筋肉質な翼。あれに捕まったら、藍瑠では太刀打ちできない。かく言う宵羽も二年前に捕まった。何とか逃げて落ちたのが、藍瑠のいた竪穴だった。
睨み合っていると、二羽が降下して向かって来た。宵羽は素早く弓を構えて矢を放った。一羽を射抜き、藍瑠を抱えて身を翻す。追って来たもう一羽を、環首刀で叩き切った。
「ギャァッ」
黒い巨体が二つ、大きな音を立てて落ちた。だが、ひと息つく間もなく、もう一羽が突っ込んで来た。誰かが放った矢が羽を掠めたが、そのまま体当たりされ、宵羽は後方に吹っ飛んだ。
「きゅーっ」
足元に散らばった弓を拾って構えた時にはもう、藍瑠は三羽の夜喰鴉に取り囲まれてしまっていた。
宵羽は弓を構えたまま、矢を放てないでいた。この位置では、藍瑠に当たる可能性がある。向こう側の里の者達も同じらしく、弓を構えた体勢のまま固まっていた。
「――きゅぅぅぅぅ」
細く甲高い声を上げ、翼を広げた藍瑠が天を仰いだ。
「藍瑠ダメだ――」
バサっと大きな羽ばたきで、陽の光を反射して輝く藍瑠の身体が飛び立った。真っ直ぐと上昇し、遥か高くへ移動して行く。夜喰鴉もそれを追って飛び立った。
藍瑠は空を切るように森へと飛んでいく。それを追って宵羽も森へ入った。
本来であれば、上位種である竜の方が圧倒的に強い。だが、幼竜が成鳥三羽を相手にするのは、かなり分が悪い。
「藍瑠、森の中に降りろっ」
森の中であれば夜喰鴉は追ってこれない。見上げると、藍瑠は逃げ道を塞ぐように三方からぴたりと挟まれていた。
「まずいな……」
幼竜の藍瑠は長距離飛行に耐えるだけの体力がない。しかも、獲物として追われることにも慣れていない。
このまま消耗戦になれば――。
そう思っていると、ふらつく藍瑠の高度が次第に下がり出した。
「藍瑠!」
下方にいた夜喰鴉が、藍瑠の腹に下から体当たりした。その勢いで、藍瑠は上方に突き上げられた。
「うきゅっ――」
宵羽は矢を二本まとめてつかみ、立て続けに放った。一本が下方を飛ぶ夜喰鴉を掠め、黒い体が外側に傾いだ。
「いまだ、藍瑠!」
一瞬の隙をついて藍瑠が森に降りた。降りたというより、墜落した。宵羽は追っ手がかからないように、矢を放ち続けた。
夜喰鴉たちはしつこく上空を旋回していたが、やがて奇声を上げながら去って行った。
「藍瑠、どこだ」
「――きゅぅ……」
少し離れたところから、藍瑠の鳴き声が聞こえてきた。茂る葉をかき分けて進むと、翼を広げた状態で木の枝に引っかかっている藍瑠の姿を見つけた。翼をたためずにもがいている。
宵羽は木に登るため、弓と矢筒を地面に下ろした。足場を探して見上げていると、藍瑠の体が淡く燐光を放っていることに気づいた。
「――藍瑠?」
燐光に包まれた竜の輪郭が溶け、ゆっくりと形を変えていく。宝石のような鱗は消滅し、翼は霧散して光る粒子が弾けた。
呆然とする宵羽の前で、やがてそれは人の形をとった。と同時に、支えを失った身体が落ちて来た。
慌ててそれを受け止めると、宵羽は自分の腕の中を恐る恐る覗き込んだ。
目に飛び込んで来たのは、藍色の髪に銀の瞳。ほんのり上気した滑らかな頬。そして、白い肢体。――人形と見紛うほど美しい少女だった。
「……藍瑠……」
再び名を呼べば、焦点の定まらない瞳が宵羽の姿を映した。
「……よい、ばね……」
桜色の唇から、自分の名前が舌足らずに紡がれた。初めて聞く、人としての言葉。
「宵羽――」




