4話
今度ははっきりと。
途端に、にわかに形容し難い感情が浮かんできた。
だが、直ぐに我に返った。
「は、ハダカっ――」
慌てて藍瑠を下ろし、上衣を脱いで肩に掛けた。きっちり前を止めてぐるぐる巻きにすると、藍瑠は不思議そうに首を傾げた。
「ひ、人の姿の時は、服は絶対!」
そう言うと、藍瑠は宵羽を見上げて眦を下げた。
「ケガ、してる……」
藍瑠の指が宵羽の首筋に触れた。ビクッと首をすくめながらも、宵羽は藍瑠に笑いかけた。
「オレは大丈夫。藍瑠の方こそ早く手当しないと」
宵羽は藍瑠を抱き上げた。裸足のまま森を歩かせるわけにはいかない。
「しっかり掴まってろ」
藍瑠を抱えたまま森を抜けて里に戻ると、皆の安堵した顔が瞬時に驚きの表情へと豹変した。
「――だれ?」
「藍瑠なのか?」
「女の子!?」
藍瑠を下ろすと、わらわらとやって来た里の者達に囲まれてしまった。藍瑠は宵羽の服の裾を掴み、へばりつくように縮こまっていた。
人垣を分けて姿を見せた父親は、宵羽と藍瑠の顔を交互に見て、やがて大きなため息をついた。
「人型になったのか……」
そうして藍瑠と共に里長の元へ連れて行かれた。
藍瑠は、丁度いい大きさの服がないからと、宵羽の服を少しだぼつかせて着ていた。
いつも撫でていた頭は、硬い鱗の代わりに絹のような髪に――。
尖った爪が生えていた両手は、白い繊手に――。
その姿にどうにも違和感があって、宵羽は落ち着かなかった。
「藍瑠よ、お前はどのくらい卵の中にいたのだ?」
里長が聞けば、藍瑠は小さな頭を少し傾げて考え込んだ。
「……八年くらい?」
孵化するまでの期間を含めれば、藍瑠は今十才ということになる。幼児くらいの気持ちで接していた宵羽は、少なからず衝撃を受けていた。
「孵化した時のことを覚えておるか?」
「卵から出た時?」
「そうだ」
里長の言葉に、藍瑠は銀の目を細めた。嬉しい時の藍瑠の表情だった。見目が大きく変わっても、表情は変わらない。
「覚えてる。……凄くいい匂いがした」
「いい匂い?」
「そう。嬉しくて懐かしくて安心する匂い……」
餌の匂いではなく?宵羽は二年前の記憶を呼び戻した。確かに、孵化してすぐの藍瑠は、何かの匂いをしきりと嗅いでいたような気がする。
「匂いの元はわかったのか?」
里長がゆっくり尋ねると、藍瑠は嬉しそうに頷いた。
「宵羽だった」
「……は?」
宵羽の口から、驚くほど間抜けな声が出た。父と里長は、同時に深いため息をついた。
「宵羽、竜が番を持つことは知っておるな?」
「聞いたことがあります。一度番えば、それは一生だと」
「そうだ。そして、竜の番は必ずしも竜とは限らん」
「――と言うと?」
里長は宵羽の隣に行儀よく座る藍瑠を見て、複雑な表情を見せた。
「ほとんどの場合は竜同士で番うが、ごく稀に他の種族を番とすることがある。その場合、竜はその種族と同じ姿に変化すると言われておる」
宵羽は隣の藍瑠を見た。藍竜から変化した姿は、どこから見ても人の姿。
「藍瑠の番が人族だと言うことですか?」
「――そういうことになるな」
渋面の里長が低く漏らす。宵羽は混乱しかかっていた。この二年の間に、藍瑠は里の誰かを番と認めたことになる。
「よく遊んでる子供達の誰かなのか?それともたまにくる行商の人か?」
藍瑠に問えば、不思議そうな表情で宵羽を見上げて来た。
「……宵羽、落ち着け」
「しかし――」
「よく考えてみろ。藍瑠は誰に一番懐いておる?」
「……オレ、ですね」
「先ほど藍瑠が言っておった、嬉しくて懐かしくて安心する匂いを嗅いだ時、そこに居たのは誰だ?」
「…………オレ、ですね……」
宵羽は、自分からの声が段々と低くなっていくのが分かった。
「本来なら竜は孵化してすぐに食事をするはずだが、藍瑠は何をした?」
「……オレを、洞窟から助けて、里まで運んで、くれました……」
俯いた体勢のまま藍瑠に視線だけ向けると、満面の笑顔が返って来た。
「……もしかして、藍瑠の番は、オレ、ですか?」
問えば、里長と父親が同時にため息をついて深く頷いた。隣では、藍瑠が何度も首を縦に振っていた。
「他に誰がおる。つまりお前は、刷り込みではなく、番認定されておったということだな」
「――初めからなのか?」
「うん。すぐに分かった」
得意げに答える藍瑠に、宵羽はガックリした。ずっと親代わりだと思っていたのに。娘のように思っていたのに……。
「娘ではなく、嫁だったか……」
ずっと黙って座っていた父が、ボソリと呟いた。
「もしかして、もっと前から人の姿になれたのか?」
「なれた」
藍瑠は頷いた。
「なぜ、今日急に?」
「この姿の方が、力を使わない」
夜喰鴉たちに追い立てられ、藍瑠は全身打撲と体力の限界らしい。とはいえ、生まれついての姿より、なぜ人の姿の方が低燃費なのか、よく分からない。
人族が番だなんて、他の竜達の怒りを買いそうだ。いや、人族の妬みや陰謀もあるだろう。竜はこの国では神の眷属。その力は計り知れない。
「藍瑠はいいのか?人族が番で」
「番は自分で選ぶものじゃないし、藍瑠は宵羽がいい」
「……そうか。お前の親に殺されそうだな」
藍竜の色から察するに、親は黒竜と青竜だろう。竜族の頂点に立つ黒竜は、もはや伝説の存在だ。
「番だって言ったら、ちちは泣いて帰って行った」
「――会ったのか?いつ?」
「里に来てすぐ。ははが来て、その後に二人で来た」
「なんで言わなかったんだ?」
「言ったら、帰そうとするでしょ?」
「……」
当然である。黒竜と青竜の子供だなんて、国家間で戦争が起きる案件だ。親竜と共に人目につかない場所で暮らすのが一番いいに決まっている。
「藍瑠は宵羽と一緒にいたい」
服をきゅっと掴まれて、宵羽は言葉が詰まって俯いた。どう名付ければいい感情なのか、自分でも分からなかった。胸の内の一番柔らかいところを鷲掴みにされたような気分だ。
「……宵羽、こんなにも堂々と求婚されてるのだから、ちゃんと応えてやらないと」
揶揄うような父の声が降って来た。
「お前ももう十四なのだから、許嫁の一人や二人――」
藍瑠の冷たい目線に、父が口を閉じた。宵羽がその頭を撫でてやると、藍瑠は嬉しそうに銀目を細めた。姿形は変わっていても、そういう仕草は全く変わらない。
「とりあえず、お前の両親に会わないとな」
伝説の黒竜に。それはそれで、貴重な体験だろう。その後も色々と大変そうだ。宵羽は小さく息をついた。
「……お前が幸せならそれでいいよ」
帰ろうと手を差し出せば、藍瑠は笑顔で握り返して来た。親代わりでも、番でも、藍瑠が笑って過ごせるのが一番だ。
息子と藍瑠が仲良く帰っていくのを見送りながら、暁臣は小さく息をついた。
「もしかして、最初から気づいてらっしゃったんですか?」
「うん?」
「惚けないでください。藍瑠が宵羽について来た理由ですよ。何で黙ってたんです?」
「可能性の一つだな」
「……面白がってません?」
渋面を向ければ、里長は可笑しそうに笑った。
「竜と人。その行末が如何たるものか――」




