第二話 生きる術
身体の先が思うままに動くようになっていた。
踏めば進み、跳ねれば浮いた。
転んでも、すぐ起きられた。
温かい大きな身体が、鼻先で背を押した。
眩しい先に出ろ。いわんばかりに。
暗い穴の縁を越える。
その先で、世界が弾けた。
強烈な光が襲う。
熱い。
閉じてもまだ刺さる。
目の奥まで入り込み、黒かった世界を砕いていく。
地面は柔らかかった。
濡れた土。
細いもの。
尖ったもの。
崩れるもの。
穴の中にはなかった匂いが、そこら中に満ちていた。
古い水の匂い。
青い匂い。
小さく走るものの匂い。
遠くで腐るものの匂い。
身体が勝手に動いた。
駆ける。
跳ぶ、転がる、叫ぶ。
胸の奥まで熱くなった
。
だが少し離れたとき、身体が止まった。
振り向く。
そこに温かい大きな身体がいた。
その匂いに触れるまで、胸のざわつきは消えなかった。
鼻先が触れる。
腹が満ちるのとは違うものが、全身へ広がった。
この匂いからは離れられない。
親は歩き、私は追った。
止まれば匂いがあり、掘れば腹が満ちた。
近づけば怒られるものもあった。
離れれば呼び戻された。
白い汁以外の喰い物が満ち溢れていた。
小さな生き物は遊んでから喰った。
木にぶら下がっていた丸いものも喰った。
噛む、酸い、甘い。
夢中でいくつも喉へ落とした。
小さな生き物の中には長くうねるものがいた。いつもの様に爪を伸ばしたとき、親が身体をぶつけてきた。
見たことのない唸り。
逆立つ毛。
親はそのうねるものから距離を取った。
近づいてはならないものだと、身体が覚えた。
暑い時は大きな水が流れる場所で喉を潤し、身体を冷やした。
やがて山の匂いが変わった。
葉は枯れ、風は軽くなった。
だが地には固い実がいくつも落ちていた。
小さい、硬い。
だがいくらでも喉へ落ちた。
腹が重くなる。
もっと欲しくなる。
理由は分からない。
身体が急かした。
親はさらに大きく見えた。
私は夢中で食べた。
そのとき…。
落雷の様な轟音が空気を裂いた。
反響した轟音は谷を走り、頭の奥まで響く。
親が立ち上がった。
首から背まで毛が逆立ち、口から泡をこぼし辺りを警戒している。
怒りを超えた親のその姿に、身体の奥が崩れた。
脚が震え、腹の下が濡れた。
親は藪へ入った。
振り返りもせず進む。
私は追った。
尾根の向こうに、二本足がいた。
四本足の生き物が横たわり、長い棒を四本足の胸に押し当てている。
するとまたあの衝撃音が山々をこだまする。
ピクリとも動かない姿は産まれた頃に見たことがある。もはや生命ではない。
二本足は鈍く光る長いもので、肉を切り分けていく。
風が流れてきた。
血の匂い。
内臓の匂い。
それより強く、鼻を刺す嫌な匂い。
身体の奥が煮えた。
牙を見せそうになった。
その鼻先を、親が舐めた。
唸るな、動くな、観ておけ。
そう言われた気がした。
私は伏せた。
あの二本足は危ない。手をだしてはいけない。
身体がそう叫んでいた。
やがて白い小さな綿毛が空から落ち始めた。吐く息は白くなる。
親と共に巣穴に戻った。
私も続いた。
長い眠りが来た。
それを三度ほど繰り返した頃…。
目覚めた私の傍には親が居なくなっていた。
親は帰らなかった。
穴は暗く冷たかった。あの温もりに触れたくて鳴いた。
私は何度も鳴いた。
巣穴からは、自分の鳴き声だけだった。
白い汁の匂いは、少しずつ薄れた。
腹より先に、胸の奥が空いた。




